金融地下帝国とM4の世界
高野孟『M資金-知られざる地下金融の世界』日本経済新聞社(8003)は、小林中元開銀総裁・アラビヤ石油会長が、首都圏の地銀・相銀を統合しようとした動きなどから、国際三大シンジケートの日本における受け皿は、“TKO軍団”であり、そのパイプ役が山田社長ではないか、と推測している。
しかし、高野氏が会った山田社長は、M資金筋のいう山田社長とは風貌等がまるで異なっている。
そして、山田社長の影武者のもう1人の人物が、山田心一という人物ではないか、と突き止める。
山田心一は、元特務機関員で、アメリカで情報関係の仕事をしているという。
高野氏は、金融地下帝国の構図を示す。
M資金に代表される巨額融資話は、根拠のない詐欺話なのか、それとも何らかの実体を備えたものなのか、と高野氏は問題提起する。
詐欺事件として立件されたものは、架空の話だったからこそ立件されたので、当事者以外に知られることのない融資(不発を含む)は、事件になりようがない。
富士製鉄事件の主役の山崎勇は、逮捕後間もなく釈放され、10年間もリベート支払いの義務の存在を主張している。
政財界のお庭番的存在の長谷村資は、なぜ熱心に全日空にM資金を導入しようとしたのか?
全日空の大庭社長は日航の松尾静麿元社長が、M資金に関わるのを目の当たりにした体験があったので、長谷村の話に乗ったのだという。
高野氏は、M資金には虚の部分と実の部分がある、とする。
これだけ超一流会社のトップ経営者がM資金話に手を染めるには、それなりの根拠があるはずだろう。
とすれば、その密かに融資されている巨額の資金は、“公的な”性格のものなのか、単に偽造された国際闇金融のようなものか。
家計にヘソクリがあるように、国にもヤミの財源があるだろう。
霞が関の埋蔵金 などというものもある(09年2月8日の項)。
権力というのは、裏の金に対する実質的な支配の度合による。
簿外の金を持たない企業はない、と高野氏はいう。
山一證券や第一勧銀などの例をみれば、首肯せざるを得ないだろう。
その簿外の金は、トップにならなければ知りえないことである。
このような裏金の存在が、企業のトップをして、M資金の存在を信じさせるのではないか?
高野氏の要約は以下の通りである。
M資金話の基本パターンには、①ユダヤ系財閥の金、②ペンタゴンの金、③理財局の金--の三つがある。①は私的な性格を持ち、②③は公的な性格を持つと考えられるが、戦後日本の実質的な権力構成とユダヤ系財閥との関係からすれば①も単純に私的なものは言い切れず、②③も闇から闇へと運用されなければならない宿命を負っているという意味では、純粋に公的なものとは言えない。
また、①②は(象徴的な意味で)アメリカの金であり、③は日本の金であると考えられるが、①②も、占領時代の母斑を刻印されており、講和とともに日米の了解事項として生き残ってきたとの説明が正しいとすれば、日本政府・大蔵省の意向を抜きにして運営されるはずのものでなく、他方③も、戦後の復興と成長を支えた金融・財政システムそのものが日米合作の創作物であったことからすると、純粋に日本政府のヘソクリであるわけではない。
さらに①②は、外資であるにはちがいないが、基本は日本国内にある蓄積円資金であると考えられる。しかし、地下銀行ルートを通じて国境を越えて自由に移動する限りでは、まさに“外資”であるといえる。
高野氏は、闇金融の世界をM4の世界とする。
M1:現金、流動性預金。日銀が金融政策の根幹に据えているマネー・サプライ(通貨供給統計)
M2:M1に定期性預金を加えたもの
M3:M2に、郵貯、農協・漁協・労働金庫の預貯金、信託を加えたもの
M4の世界は、企業社会の“裏金の世界”であり、その奥には“国の裏金”に通じる地下水脈が通じているような日本経済の闇の世界である。
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