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2015年9月12日 (土)

モーレツからビューティフルへ/戦後史断章(21)

9月9日の日本経済新聞のコラム「春秋」が、「モーレツからビューティフルへ」という広告キャンペーンのことを書いている。
1970年、創業期の富士ゼロックスのことである。

▼広告を企画した電通の藤岡和賀夫氏は当時、環境破壊など高度成長によるひずみが気になっていた。これまでのモーレツ主義とは逆の価値観を、あえて企業広告で世に問いたい。そう思い「ビューティフル」という言葉に行き着く。この挑戦を即座に受け入れた富士ゼロックス側の担当者が後の社長、小林陽太郎氏だった。▼繁栄のただ中で、後の日本のありようを先取りした藤岡氏と小林氏。広告と企業経営というそれぞれの分野で、両者とも未来を見据えた提案を続けた。藤岡氏は、派手な名所よりも、何気ない街の風景や普通の人々を前面に出した国鉄の広告「ディスカバージャパン」でも指揮を執り、今に至る女性たちの旅の形を作った。▼小林氏は早くから社員のボランティア活動などを応援し、広く企業の社会的責任(CSR)の重要性を説いたことで知られる。その2人が相次ぎ鬼籍に入った。「21世紀になりモーレツからビューティフルへというメッセージは、より意味を持っているのではないか」。10年ほど前、本紙の記事で小林氏はそう語っている。

小林陽太郎氏と藤岡和賀夫氏のことは、小林氏の訃報に関連して軽く触れた。
⇒2015年9月 7日 (月):社会的存在としての企業のあるべき姿・小林陽太郎/追悼(75)

1970年、私は社会人2年目だった。
この年の記憶に残る出来事をWikipediaより抜粋してみよう。

3月14日 - 日本万国博覧会(大阪万博)開幕( - 9月13日)。
3月31日 - 日本航空機よど号ハイジャック事件発生。
6月23日 - 日米安全保障条約自動延長。全国で安保反対統一行動が行われ、77万人が参加。
8月2日 - 東京都内ではじめての歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施。
10月1日 - 日本国有鉄道(国鉄)が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始。
11月25日 - 三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自決(三島事件)。

個人的な記憶で言えば、大きく社会が動こうとしているのを肌で感じた気がする年だった。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)
「春秋」に触発されて、書棚の片隅に眠っていた一冊の本を探し出した。
藤岡和賀夫『モーレツからビューティフルへ-藤岡和賀夫全仕事2』PHP研究所(1988年4月)。
Photo

キャンペーン誕生について、藤岡氏は次のように回想している。

 それはある日の車中の出来ごとでした。私は、その頃通い始めた富士ゼロックスの宣伝部長の小林陽太郎さん(現社長)に、車の中で思い切って切り出してみたのです。
 どうも最近のモーレツブームは気に入りませんね。どうでしょう。ひとつ、富士ゼロックスが先に立って、「モーレツからビューティフルへ」というメッセージを出して「ビューティフル」を世の中にキャンペーンしてはいかがでしょう。
 私たちは、確か毎日新聞社へ向かうところでした。丁度、小林さんと私とで、『人間と文明』という富士ゼロックスの紙上万博企画ともいうべき仕事を話し合っていましたから、何度か新聞社へ一緒に行く都合があったのです。
 もちろんと言いますか、私にはプレゼンテーションのための企画書ひとつ用意がありませんでした。何しろ、こんな広告とは言えない広告の提案なのですから、とりあえずはただ雑談的に私の考え方を聞いて貰えればいい。そんな、私にしたら控え目な気持が車中のチャンスを利用したというわけです。
 それがどうでしょう。小林さんからは、あ、結構じゃないですか、面白いですね、と即座に返事が返ってきた。赤坂を出て千鳥ヶ淵にかかる頃です。

ちなみにモーレツブームというのは、1969年、丸善石油のハイオクガソリンのCMで、猛スピードで走る自動車が巻き起こした風で小川ローザというタレントのミニスカートがまくりあがり、「Oh! モーレツ」と叫ぶ内容で一世を風靡した現象である。
幼児の間でも「Oh! モーレチュ」と言い、スカートめくりが流行するほど社会現象にまでなった。
まだまだ工業社会は隆盛であったが、「成長の限界」が意識され始めてもいた時代であった。
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

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