川田順@忠ちゃん牧場・裾野市/文学碑を訪ねる(3)
川田順(1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、住友総本社常務理事という実業家にして歌人。
浅草に生まれ、府立四中、一高を経て、1907年東京帝国大学法学部政治学科卒業した。
東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けたが、八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。
住友の第1期定期採用12名の1人だった。
1930年(昭和5年)に理事就任後、同年一足飛びで常務理事に就任、1936年(昭和11年)、鈴木馬左也の後任として住友の総帥の座である総理事就任がほぼ確定していたが、自らの器に非ずとして自己都合で退職し。
その間佐佐木信綱門下の歌人として「新古今集」の研究家としても活躍。
1942年4月に歌集『鷲』『国初聖蹟歌』で第1回帝国芸術院賞受賞、1944年に朝日文化賞受賞。
1948年京都大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子との恋に苦しみ、自殺未遂を起こした。
68歳の川田順が敏子と恋愛、家出し、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから「老いらくの恋」という語が生まれた。後に結婚。
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