世田谷通りを多摩川に向けて走ると、案の定工事をしている。 道路は工事だらけだし、渓も堰堤工事だらけ。この国はどうなっているんだ。 中野島の朝霧さん宅の下の道に停まると、まもなく朝霧さん登場。大砲ピックアップの朝霧車から釣り具を積み替える。この人は無類の釣りキチである。渓流釣りだけでも、餌つり、テンカラ、ルアー、フライとこなすし、アユ釣りもやれば、シーバスにも通う。山形へも毎月通う。それに比べれば私の道楽などかわいいものだ。
車は次の釣り人得さんの吉祥寺へ。この人は朝霧さんよりもさらに釣りキチ。この人にオフシーズンはない。まるで魚市場のようにいろんな魚を釣る? 説明しているときりがないのでここでは割愛させていただく。 東北自動車道を北上、朝霧さんの提案どおり福島飯坂で降りる。ここから13号線を走る。高速で寒河江まで行っても良いのだが、高速代の割にはさほど早くない。それに一般道のほうが情緒があるというものだ。
東栗子トンネル、西栗子トンネルと過ぎると米沢に近づく。高畠町はブドウと松茸が名産なのか「ブドウマツタケライン」という広域農道がある。昔はこの道をよく走った。周りには古墳がたくさんある。東北地方には縄文時代の遺跡が多い。東北の岩魚もまた、縄文時代からずっと世代交代を繰り返している由緒ある岩魚なのだろう。
山形バイパスの途中にリリカルアングラーズのほしさんの会社がある。会社には天気と時計を表示する屋上のパネルがあるのだが、南から来ると見えない。どうせなら両方につけてほしいものである。まあ、ほしさんは釣り人の奥さんをもらった前述の御仁、あまり無理を言ってもいけない。それに今回はほしさんのホームリバーの釣行もある。これ以上触れないでおこう。
「ごちそう市場」という店で朝食をとる。早朝から惣菜を買いに来る婦人や、朝飯を買いに来る働く人々が多い。われわれは遊びに来たのである。おとなしく隅っこで食べることにした。
村山橋で最上川を渡ると、まもなく安楽教の総本山、秀さん宅に着く。約束の時間は8時。まだ2時間もある。起こしてはいけないので、家の前に車を止めて仮眠をとる。しかし秀さん一家の新入り犬りゅうが騒ぐ。はたして秀教祖を起こしてしまった。だが秀さんはまずまずのご機嫌。しかし、安楽はこんなに早い時間には活動しないのだ。第一夜通し走ってくるなんてのは安楽の教義に反する邪悪な行為だと説教されてしまった。
しかし安楽教祖にしてはまめなお父さんぶりで、われわれに振る舞ってくれるコーヒーも豆から挽いてくれる。安楽なら、ネスカフェだと思った。どうもこの安楽教はあやしい。釣り場にしても、多少つらくても、釣れれば安楽である、となんだかよく解らない。7時半にザッコさんが登場。この人、渓流釣りに関しては、山形でも代表的な釣りキチ。夜明けから夕暮れまで渓で釣っていてもおかしくない人である。
急用で同行できなくなった秀さんをおいて、われわれは月山に向かう。そう、忘れてはいけない。今回の釣行の目的は、私の「山形ボーズ」伝説を崩壊させることである。 思えば、忘れもしない昨年の山形釣行。2日続けてのボーズに、誰もが唖然とした。どんな素人でも、山形で釣れないということはない。それなのに、なんと2日も続けてボーズを記録したのは、何を隠そうこの私なのである(^_^;)。
車は112号線を西に向かう。ザッコさんのプラドが先導し、私のパジェロが追う。ザッコさん、曲がるときにウィンカーをつけない。寒河江から釣り場までついに一度の点滅もなかった(おそるべし)。 112号線の風景は、私がこのあたりを走り回った十数年前とはかなり違っていた。一番感じたのはコンビニ。そして、当時はまだ工事途中だった寒河江ダムは当然ながら満々と水を湛えている。
わき道に入る。ここから沢への道である。まもなく道は砂利道になる。途中の分岐があったが、2台の車はN沢の橋まで進む。N沢の橋で、ザッコさんと得さんはY沢へ、朝霧さんと私はN沢へ向かう。車止めに着くとすでに何台かの車が止まっている。様子をうかがうが、すべて山菜取りの車の様子。ちょうどこの時期は根曲り竹のタケノコの時期なのだそうだ。
車の脇から、山道とは違う踏み跡をたどる。雨の所為かふわふわした土質。腐葉土そのものである。私は感動して、「うわぁ、全部腐葉土だぁ!」と言いながら下っていった。 入渓点から沢まではほぼ45度の斜面。土質が粘土質なので滑る。雨で湿っているのでなおさら滑る。最後のところで朝霧さんが少し滑落した。たいしたことなくて良かった。
最初のポイント。 「この間はJICKYさんが、ここで釣ったよ。」とプレッシャーがかかってくる。いかにも居そうな気配。カディスを流すが・・・・出ない。 朝霧さんはガイド役なので、私が釣るまでは竿を出せないことになっている。私がもし最後まで釣らなかったらどうなるのだろう。PLAさんのように肩越し釣法が炸裂するのだろうか(^_^;)。
しかし10分ほど遡行したところで待望の1尾がかかった。バーブレスフックなので足元で鉤から外れたが、ちゃんと確保。型は小さいが18cmほどのきれいな居着きのニッコウ系岩魚である。記念写真を撮る。 正確には「証拠写真」である。
私も安心したが、それよりもほっとしたのは朝霧さんのほうだろう。これで心置きなく竿を出せるのだから。 しばらくの間、魚影の濃い区間が続いた。ほとんど瀬尻に定位している。
むしろ瀬尻で遊んでいるのかもしれない。ただポイントによっては、毛鉤を落としただけで逃げ惑う岩魚の姿もあった。PLAさんたちに相当いじめられているのかな?
5尾目を釣ったころ、朝霧さんが1m四方の落ち込みで26cmを掛けた。どうやらこの沢では記録サイズらしい。それまでの型からして、掛かった後、なぜすぐに抜かないのか不思議に思ったが、魚を見た瞬間「大きい!」と叫んでしまった。抜けなかったのである。
A沢の岩魚はほとんどニッコウ岩魚のそれも居着きの岩魚。腹はオショロコマのようにオレンジ色をしている。側斑も濃いオレンジ色で、赤い斑点があればオショロコマと間違うかもしれない。
4時間コースだがかなり遅い遡行になったので途中から飛ばす。脱渓点に近づくにつれて水は伏流し、流れはほとんどなくなってしまった。入渓してから約4時間、ようやく脱渓点に着いた。 しかし上がった仙道がいけない。仙道に並んでいる用水路があり、これからにじみ出た水と雨とが、粘土質の仙道をまるで氷のようにツルツルにしていた。車止めまでの30分の下りは、拷問のような道だったのである。 この下りであちこちの筋肉を使った朝霧さんは翌日も足の痛みを訴えていた。一方の私は、途中で転んでもいいやと思って、結構気楽に歩いていたので、本当に転んでしまった。
途中、根曲り取りの人に4人出会った。追い越した際に、「ザコでだが?」と聞かれて、思わず、「ザッコさんはY沢です。」と応えそうになった(^_^;)。ザコとは「雑魚」、つまり岩魚、ヤマメ、鮠などの魚をさすのである。 また最後に追い越した人は、座って追い抜かせてくれたが、「釣りか?」と聞かれたときは敵意ある目で見られた。しかし、「岩魚の写真を撮ってリリースしてます。」てな話をすると、腰に魚篭がないのに気づいたこともあってか、急ににこやかな顔になった。釣り人はここでも嫌われているんだなあ。
ようやく車に戻り、集合地点に行くと、ザッコさんと得さんはまだ戻っていない。朝霧さんが、迎えに行こうという。B沢の脱渓地点へ走ると、二人が向こうから歩いてきた。疲れたらしくエンジン音が聞こえたときは「天使の音」のようだったと言われてしまった。
朝日大井沢エリア
半日の釣りでかなり疲れているにもかかわらず、誰も今日の釣りを終えようとは言わない。それぞれが良い思いをしたのだが、やはり山形の渓はこんなものではないという気持ちがどこかにあるのか。「大井沢に行きます」、とザッコさんが言う。 大井沢といっても、沢の大井沢ではない。地名である。寒河江川の本流にある「朝日山の家」の前にあるキャッチ&リリース区間で釣ろうというのである。
大井沢の朝日山の家に着いた。さっそく釣り券を買う。山の家のご主人である志田さんの奥さんと思しき方が、とても感じよく、「お気をつけていってらっしゃいませ。」と言ってくれる。釣りに来て良かった(^_^)。
寒河江川にはフライフィッシャーやルアーマンが何人も入っている。橋から見回しただけでざっと6,7人は見える。ここは山形では有名な寒河江川のC&R区間。フライのメッカでもある。そしてほしさん、ふぇねぎぃさん夫妻のホームリバー。川幅は50mはあろうかという広さ。ポイントがわからない。風も強い。しかし川下からの風で振り込むのに困るほどではない。本流の釣り経験はほとんどない私、股下の流れにたち込んで振り込むがどうもうまく行かない。
ほかの3人は左岸で釣っている。私は右岸に回る。ところが風は左岸側から吹いてくる。振り込めど振り込めど毛鉤は飛んでいかない。おまけに午後の西日が私の背後から流れに影を落とす。最悪のポジションである。それでも意地になって右岸で振りつづける。20cmほどの魚影が2,3度毛鉤を伺いに来るが手前で反転して帰ってしまう。やっぱりこのポジションでは駄目か、と思っていたら、対岸でザッコさんが岩魚を掛けた。
向こうから呼ばれたので対岸へ徒渉しようとガンガン瀬を渡る。深さはちょうど私の股くらい。しかし、本流の流れの押しは並大抵ではない。おまけに首から一眼レフをぶら下げていてバランスが非常に悪い。瀬の真ん中で立ち往生しているのを、ちゃっかり見られてしまった(^_^;)。テトラの端に上陸し、ザッコさんのところへ行くと、38cmのレインボウを釣ったという。テンカラで、それもヒレピンのレインボウだから、のされてしまったらしいが、サクラの竿と1号の先糸が耐えてくれ、なんとかランディングに成功したらしい。
何気なさを装いながらも、ちょっとその話題に触れると、目尻を下げて語り始めるザッコさんを見て、私もうれしくなってしまう。しかしここには2尺近い岩魚も居るらしい。C&Rの効果であることは言うまでもないだろう。ザッコさんの釣った38cmも口の周りに鉤のあとが付いていたという。傾く夕日に追われながら、朝日山の家を後にする。あんな釣り場は初めてだが、すばらしい試みだと思う。日本の釣り人は、最近渓に魚が少ないと嘆く。しかしきっちりC&Rを守り続けることであれだけの川になるのである。
渓流釣りは漁ではない。基本的には遊漁・・・遊びである。ならば釣れないより釣れたほうが良いではないか。そのためにC&Rが良いならば、もっとあちこちで寒河江川を見習うべきかもしれない。 小さな渓でもそれができれば、日本の渓流釣りの未来は明るい。内水面漁協が雑魚に対してはあまり積極的でないところが多いが、現代の釣り人口とフィールドのバランスを考えると、関東の渓でもそれが必要な時期に来ている。毎年何十万尾もの放流をして釣らせるよりも、きちんと管理をして魚影を濃くしたほうが漁協の将来も開けてくるような気がした。
寒河江では郁楓庵にお世話になった。夜更けまで釣り談義。実はこれが実釣以外では最高の楽しみ。否、釣りよりも楽しいかもしれない。秀さんの眠り酒も定番のようだ。ザッコさんは純米酒を5合ばかり空けて千鳥足。飲まないPLAさんも最後までお付き合いくださった。
1998年6月11日 山形県赤川水系N沢、寒河江川
【追悼】
郁楓庵のシンボルでありアイドルでもあったアックス(わんこ)が2006年永眠しました。 肉球で書いた年賀状をくれたこともありました。 PLAさんのお宅へお邪魔したときいつも歓迎してくれたそうめにすとのわんこ、安らかに眠ってください。
【追悼】
素晴らしき釣り仲間であったザッコさん(那須川一敏さん)が令和3年(2021)8月に他界されました。享年80才でした。自衛隊で鍛えた強靭な体力と行動力を兼ね備えていた雑魚さんでしたが、病に倒れてしまわれたと聞きました。私とは一回り以上違っても私など足元にも及ばない体力の持ち主だっただけに、残念です。心からお悔やみを申し上げます。
最近のコメント