定子が正月に内裏に召されたことがとんでもないことみたいになってたけど、枕草子の雪山の段ではこの時一条天皇の叔母にあたる斎院宮の選子内親王から趣向をこらした文が来て定子と交流が復活したことが書かれている
選子内親王のサロンは当時の人気サロンで紫式部日記にも出てくる
定子が復権しつつあったことを示しているのでは