これが最新の記事 「になります」
最近,NHK ニュースや教養番組を見ていて気になる言葉遣いがあります。
それは,「~になります」
「~です」 をていねいに言っている(つもりの)言葉遣いです。
ニュースの取材先などでいろんなものを紹介するときによく聞かれるようになりました。
一般の人も,アナウンサーも,大学の先生も使うことがあります。
工場へ取材に行っても,
「これが専用の機械になります」
山登りの番組でも,
「これがチングルマの花になります」
ぼくには違和感があります。
もし 「それ,とても花とは思われないですよね,でも,それがしばらくすると花になるんです」 という意味で使うならいいんですけどね。
敬語として正しくないという指摘もありますが,ぼくは 「正しい,正しくない」 ではなく,その言葉遣いの奥に感じられるものが気になるので,この記事を書いています。
「~になります」
を使う人の気持ちがわからないわけではありません。
とてもていねいに話そうとしているわけですよね。
「~になっております」
とさらにていねいさを増したような言い方さえ聞かれます。
「これがチングルマの花です」
と言うときの 「です」 は丁寧語ですから,それ以上ていねいに言おうとしなくてもいいじゃないかと思います。
たとえば,旅館に泊まって,
「こちらが大浴場です」
「こちらが大浴場でございます」
と説明されて 「説明がぶっきらぼうだ」 と怒る客はいないと思います。
笑顔でそう説明されたら十分ていねいです。
「こちらが大浴場になっております」
と言われたら,どうしても
「ふだんとはちがって,本日は,ここが大浴場なのです」
というニュアンスを感じてしまいます。
おそらく,「~になります」 を使う人は,
「最上級のていねいさを表現したい」
というような感覚でしょう。
ひょっとしたら,なんとなく 「よく聞かれる表現だから,そういうものか」 と思っているだけかもしれません。
あるいは
「文句を言われたくない」
「そつなくこなしたい」
など,自信のなさや逃げの姿勢が関係しているのかもしれません。
「~させていただきます」
という言い方にも現れていますが,へりくだること,ていねいさを重ねることを必要以上に求める,求められるのは困りものです。
現在の敬語の範囲内で十分なはずです。
過度なていねいさがちまたにあふれると,なんだか,人に相対するときの感覚がちぢこまっていくようで気になります。
社会がきゅうくつなものになって欲しくありません。
子どもたちをそういう雰囲気の中で育てたくないんです。
言葉をおそるおそる使うような感覚を持った若者が増えては困るのです。
若者には,明るく堂々としていて欲しい。
自分に自信をもっていて行動して欲しい。
若者は生意気に見えるくらいでちょうどいい。
「根拠のない自信」 ── 上等!
そのくらいでないと,新しい分野は切り開けないのです。
まちがえてしまったら,失礼なことをしてしまったら,きちんと謝ればいいのです。
だから,大人は,
過度なていねいさを求めないで欲しい。
ノーミスであることを求めないで欲しい。
若者に,「へりくだるよりも,自分の考えを怖がらずに出してみよう」 と言って欲しい。
「慎み深いのが日本人の美点だ」 などという洗脳もやめて欲しい。
慎み深い人が嫌いなわけじゃありません。
全員にそういう価値観を押しつけないで欲しいのです。
慎み深い人もいいし,そうじゃない人もいいんです。
慎みすぎたらせっかくの才能が埋もれてしまうかもしれません。
ちょっとした言葉遣いの問題ですが,そこには,社会の持つ雰囲気,人間関係,価値観などが反映しています。
明るく元気な社会,みんながのびのびと活躍できる社会であってほしいのです。
ぼくもそのお手伝いをしていくつもりです。
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