1 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:38:50.99NSPCnO+e0 (1/255)


サンタクロースさん。あんたに頼みがある。後生だから、聞いてくれないか?

欲しいものがあるんだ。ああ。たったひとつだけ、欲しいものが。

それさえあればなんにもいらない。他の何を捧げたって構わない。誰にも見せたりしないから、そいつを俺にくれないか。お願いだよ、この通りだ。

……え? そいつは何かって? ……いや、実はな、俺にも名前がわからないんだ。

冷やかしてる訳じゃないぞ。ただ、名前はわからんが欲しいんだ。それだけは違いない。

はは。悪い子だな、俺は。……無茶振りだが、どうにかならないか?

……本当か? 恩に着るよ。約束したからな。だったら俺はいい子にして待ってるよ。

……なに? 他の子の所も回るから、いつになるかはわからない?

……ああ。いいよ。ゆっくり、幸せ配ってきてくれよ。俺はずっと待ってるから。

ずっとずっと、待ってる。大丈夫だ。好きなもん、好きなだけで待てるんだよ、俺は。

その代わり約束してくれ。一番最後でもいいから、必ず来てくれるってさ。

……ああ、よかった。ありがとうな。それさえ聞ければ満足だ。

代わりと言っちゃなんだが、これを受け取ってくれ。俺のお気に入りなんだ。

紅くて、綺麗だろ? これが俺の一ドルと八十七セント。今ここにある、ありったけさ。

過去に誓いを。今に誇りを。きたる未来に、祝福を。

この一言を、あんたに。

メリー、クリスマス。


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2 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:40:36.90NSPCnO+e0 (2/255)

<都内某所、夜。十二月二十五日。比企谷八幡、二十二歳>

八幡(吐く息さえ凍りそうな、寒い夜だった)


八幡(大学の六号館から出ると、外との温度の違いに思わず身震いしてしまう。門をくぐって外に出ると、駅まで続く大通りはクリスマスらしく輝かしいイルミネーションで彩られていた)

八幡「……そうか。今日は、クリスマスだったな」

八幡(人と関わることがないと、どうしても日にちの感覚は狂いがちだ。もっとも日付など今の俺にはどうでもいいが。たとえ三百六十五日のうちのどれかだとしても、生きるのが辛いことには変わりない)

八幡(そう。たとえ誕生日だって俺にとってはただの一日に変わりない。盆。正月。バレンタインデー。何が来ようと揺らがない。……ただ)

八幡(この日、だけは。クリスマスだけは、別だった)

八幡「…………あ」

八幡(鈍色の空は、忘れるなとばかりに無慈悲な白雪を降らせてきた)

八幡「……雪」

八幡「………………また、この日が来た、のか」


結衣『……ごめんね。ごめんね、ヒッキー。あたし、悪い子だから……』
雪乃『……じゃあね。……さようなら。さようなら、比企谷くん……』


八幡「……雪は」


八幡「雪は、嫌いだ」





3 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:42:35.40NSPCnO+e0 (3/255)


八幡(独り言に応える者はいない。一人は嫌いじゃない。むしろ大好きとまで言い切るまである、が。色とりどりのイルミネーションを前にそれを吠えるのは何だか空しい)

八幡(クリスマス仕様になっているいつもの道から帰るのは何か癪だ。負けた気分になる。日陰者らしく、暗い裏道をぬって帰ってやるか)

八幡(駅への道を勘で探りながら歩いていると、まだ灯りがついている小さな花屋を見つけた。時間は九時になろうというところ。花屋なのに、めずらしい。そう思って俺は柄にもない寄り道をしてみることにした)

娘「いらっしゃいませ。ごめんね、お兄さん。もうあと数分で閉めちゃうんだけど……」

八幡「……あ、そすか。すんません」

八幡(綺麗な女の子が店番をしていた。思わずどきりとするほどだ。なにこの子、アイドル? ってレベル。洗練されたぼっちの俺は呼吸をするように目線を外す。すると、外した先には美しく紅い花束が咲き誇っていた。不意に、見惚れてしまう)

八幡(ふと、家で自分を待っている可愛い妹の姿が脳裏に浮かんだ。……今日はクリスマスだしな。あいつに贈り物をしても、許されるだろ)

八幡「あの。これ一本欲しいんですけど。……いくらですか」

八幡(そう言って、小銭入れの中身を見た。百と、八十七円入っている)

娘「あ、これ? ポインセチア? 一本187円だよ」

八幡「……ぴったりだな。じゃ、一本ください」

娘「ん、ありがと。はいどうぞ」

八幡「あざっす」

八幡(差し出される手に小銭を渡し、もう片手から花を受け取る。白くて、小さな手だった)





4 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:47:12.05NSPCnO+e0 (4/255)


娘「この花ね、お兄さん。祝福って意味があるんだよ」

八幡「…………祝福」

八幡(澄んだ瞳の彼女はそう言った。祝福。その言葉が自分に向けられるのは抵抗があった。やはり、この花は小町に贈るべきだろう。……色んなことがあったが、結局いつも傍にいてくれたのは小町だったしな。生まれてきてくれてありがとう、なんて、な。柄じゃねーけど)

八幡(妹の笑顔を想像して、俺は小さく笑った。そんな様子を、花屋の娘さんは不思議そうに見ていた。……キモいと思われたな。こういう時は撤退だ。もう二度と会わねぇだろうし)

八幡「じゃ、あざっした」

娘「待って、お兄さん!」

八幡「……はい?」

八幡(後ろから声をかけられて振り返る。透き通るような水色の声。絹のように柔らかそうな黒い長髪を少し靡かせて、俺とは正反対な澄んだ瞳で、眼を見て彼女は言った)

娘「メリークリスマス。きっといいことあるよ。こんな夜だし」

八幡「……メリークリスマス。そっちもな」

娘「……行っちゃった。……なんだろ」



渋谷凛「優しい笑顔の人、だったな」


渋谷凛「……私も、あんな風になれるかな?」




八幡(花屋を出て、総武線の電車に揺られながら最寄り駅に付く。駅を出て家へと歩くころにはもうイルミネーションの姿はなかったが、相変わらず嫌いな雪は止んでくれない。狭い十字路の裏道に差しかかると、仄暗い街灯が一つだけ灯っていた)

八幡(ふと前を見ると、向こう側からスマホを見ながら歩いている女性がやってきている。暗くて顔もよく見えないが、街灯が照らしたその髪色は金だったように思う)


5 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:50:56.21NSPCnO+e0 (5/255)



――ぶろろろろろろろろ。


八幡(横側から、少し急いだエンジン音)

八幡(女性は、気付いていない)

八幡「おいっ!!!」

八幡(俺の声に驚いた女性は、顔を上げても……足を止めることはなかった)

八幡「くそっ!!!」

八幡(無我夢中で飛び込んでいた。最後に見たものは、光を放つエンジン音の正体)

八幡(――黒塗りの、リムジン)

八幡(……ああ。昔、そんなこともあったな――)

八幡(俺の意識は、そこで途切れた)





女「ねぇ!? あなた、大丈夫!? しっかりしてっ!!」

女「……っ。救急車……救急車呼ばなきゃ!!」

女「もしもし!? 救急です! えーっと、えーっと場所っ……場所!? ここどこ……!? ここどこなの!? わからない、わかんないのよぉ!!」

女「そ、そうだ。あの子ならきっと……! ごめんなさい! すぐかけなおします! かけなおすから待っててください! おねがいします!!」

女「……もしもし!? ねえ希、今あなたの家の近くにいるんだけど、住所を教えて! 早く!」







絵里「お願い! 人が事故に遭ったの! 早くっ!」







6 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:52:33.50NSPCnO+e0 (6/255)







アイマス×俺ガイル×ラブライブ
雪と賢者の贈り物










7 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:54:01.42NSPCnO+e0 (7/255)

<数日後、朝。西木野総合病院>



八幡(目覚めたのは、事故から数日経った夜だった)

八幡(口元にあの緑のダースベイダーみたいなやつがくっついてて死ぬほどびっくりした。生きてるんだけどね!)

八幡(小町によると第一声は「……漫画みてえだな」で次が「はっ、死に損なっちまったか……罪な男だぜ」らしい。我ながらアホだ。それでもまあ、起きるなり顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした小町が胸に飛び込んできたときは、生きててよかったなと思ったりもした。骨折だらけのボディに妹のダイブは痛すぎで今度こそ本当に死ぬかと思ったが)

八幡(片足とかあばらとか色々骨折して、退院できるのは三ヶ月後らしい。両腕が折れなかったのは不幸中の幸いだった。本が読めて退屈しなくていい。そんなことを思っていると、病室のドアが叩かれた)

八幡「どうぞ」

武内P「失礼します」

八幡(入ってきたのは、大柄な男だった。目つきが悪くて殺し屋かってレベル。人のことは言えんが。そんな大男は、入ってくるなり、深々と頭を下げた)

武内P「この度は、誠に申し訳ございませんでした」

八幡「ちょっ、いきなりそんなに謝られても困るんですけど! 頭上げて下さいよ、大体運転手さんからは昨日挨拶頂いてますが……」

武内P「ですが、私も同乗しておりましたので……」

八幡「いや、別に同乗してただけでしょ。むしろこっちが謝りたいすけどね、色々面倒だったでしょ」

武内P「そんなことはありません。断じて」

八幡「……はあ」

武内P「……?」

八幡「……どうしました?」

武内P「……いえ。あなたに既視感が少々。……気にしないでください」





8 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:57:14.28NSPCnO+e0 (8/255)



武内P「具合の方は、いかがですか」

八幡「ああ、骨が折れたくらいなんで。三ヶ月くらい入院しないといけないんですけど、どうせバイトもしてないし、家から出ないんでまあ問題ないっす」

武内P「……身内の方からお聞きしました。大学生、なのでしょう? 通学の方は……」

八幡「一応今まで優秀で通ってるんで。三年後期なんて文系はゼミだけみたいなもんですし、事情説明すれば余裕でした。来期なんか大学通うの週一です。学費返せってゴネるまである」

武内P「……そうですか。少し、安心しました」

八幡「費用もなんかそちらの会社が負担してくれるらしいですし、少し申し訳ないっすね。まあ払ってもらいますけど」

武内P「はい、勿論。……失礼ながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

八幡「? なんですか」

武内P「貴方は、何故。あの時飛び込まれたのですか?」

八幡「なんでって……なんでですかね。俺が知りたいです。身体が勝手に動いたんで。未だにわかりませんけど、でもまあ――」


八幡「結果オーライじゃないすかね。もし俺が死んでても、ぼっちが一人減って女の人が一人助かる訳だから。世界にとってはそっちの方がいいんじゃないですか。まあ俺は自分が死ぬほど可愛いから絶対死にたくないですけど。やっぱ生きてるって最高だわ」


武内P「……ああ、なるほど。……誰に似ているか、ようやくわかりました」


八幡「……はい?」

武内P「……失礼しました。私はいつもこういう時、自分の世界に浸りがちです」

武内P「比企谷八幡くん。私は今日、謝罪のためだけに来たのですが……気が変わりました」

八幡「………………は?」




武内P「申し遅れました、私、こういうものです。……あなたに、お話があります」

武内P「よろしければ、アイドルのプロデューサーになってみませんか」



9 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 05:59:38.08NSPCnO+e0 (9/255)

<同日、夜。西木野総合病院>


八幡「突然すぎて言葉を失ったわ。黒塗りの高級車に乗ってた暴力団の団員が、示談の条件を提示しに来たのかと思ったぞ」

小町「妹が悲しむからビデオ出演だけはやめてね、お兄ちゃん……」

八幡(半目で俺を睨むと、小町は俺の為にわざわざ買ってきてくれた小型のテレビに目線を映した。青い猫型ロボットのアニメからつけっぱにしていた小さな箱の中では、音楽番組が映っている)


春香『天海春香でーすっ! 今日はよろしくお願いしまーす!!』
グラサン『はーいよろしくお願いしまーす』


八幡「アイドル、ねえ」

小町「面白そうな話だよね! もちろんお兄ちゃんはこの話受けるんだよね! 忙しくなってもたまには妹にかまって欲しいかなーって。あっ、今の小町的にポイント高い!」

八幡「いや、やんねぇから」

小町「えっ、なんで!? アイドルのプロデューサーだよ!? もしかしたらアイドルとお近づきになれてあわよくば結婚できるかもだよ!? 小町ポイント満額で限界値突破しちゃうよ!?」

八幡「なんでって……だって普通に働くことになるんだぞ。俺まだ大学生だし。働きたくねぇ。死ぬまで親のスネをかじり続けていたい。禁断の果実だよな。骨の髄までしゃぶりたくなるほど美味い」

小町「うわぁ……本当ゴミいちゃんだなあ……。でもでも! アイドルと結婚できたらお兄ちゃんきっと専業主夫になれるよ! どうだ!?」

八幡「生憎だがそれは無理だ、小町」

小町「なんで?」

八幡「俺だぞ」

小町「……一言でなんでこんなに説得力あるのかな。それで納得できてしまう自分が悲しいよ。本当に小町的にポイント超低い」

八幡(よよよ、と芝居臭く袖で目を拭うふりをしながら、ベッドに腰かけていた小町は俺にもたれかかってきた)



小町「……こんな兄だけど。生きててくれて、本当に良かった。……良かったよ」




10 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:02:14.04NSPCnO+e0 (10/255)



八幡「おいおい、もう昨日散々泣いただろ。そうやって兄想いなところは八幡的にポイント高いが」

小町「うるさい。本気で心配したんだよ」

八幡「……悪かったって」

小町「死んだらポイントも何もないんだから。もうこういうのは止めてね……って言っても聞かないんだろうな。それがお兄ちゃんなんだし」

八幡「知ったような口を」

小町「きくよ。小町が何年妹やってきたと思ってるの? お見通しだよ」

八幡「……ま、今回はたまたまだ。金髪の美人っぽい人が轢かれそうになってたからな。かっこつけたかっただけだ」

小町「そういう捻デレ、今はいい」

八幡「はいよ」

八幡(言葉を切ると、小町はまた俺の胸で少し泣いた。怪我した身体に、温かい体温が心地よかった)




小町「小町ね。プロデューサーの話、本当に受けてみたらいいと思うんだ」

八幡(泣き止んだ小町は、俺の肩に重みを預けて言った)

八幡「またそれか。第一俺はアイドルのことなんか全く知らんぞ」

小町「それはお兄ちゃんなんかスカウトした向こうが悪いんだよ。気にしなくていいの」

八幡「お前、推すなぁ……。何、そんなに兄が仕送りだけで暮らしてるの情けない?」

小町「うん、かなーりポイントは低いよ。でも、それだけじゃなくてね」

小町「お兄ちゃん、ちょっと無理して働いた方がいいと思う。……疲れて、何も思い出せないくらい」

八幡「…………なんでだよ」

小町「間があったね。本当はわかってるんでしょ?」

小町「お兄ちゃん、昔の傷、全然治ってない。気付いてる? 昔よりずっと暗くなったよ」

八幡「……傷って言ってもな。もう三年も経ってる。というか第一あいつらとは何もなかった」

小町「何もなかったから、こうなったんでしょ?」

八幡(瞳を射抜く妹の視線は、悲しくなるほどに鋭い。触れると、また決壊しそうだった)

小町「時間がすべてを解決するってよく言うけどさ。小町から見れば、お兄ちゃんには時間がありすぎだよ。色々無気力になっちゃうのもわかるけど」

小町「でも、無理しないと絶対に治らない傷ってあると思うんだ。色んなことに忙しくなって、バタバタして、空元気出して。そうやって嘘で出した元気が、いつか本物になることもあるって思うんだ」

八幡「…………」





11 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:05:14.42NSPCnO+e0 (11/255)



小町「小町が高校に落ちたときもそうだった。あの時は本当に本当に悲しかったけど、でもあの時泣きながら無理して頑張った小町がいるから。高校もちゃんと楽しかったし、今こうやって元気にお兄ちゃんと一緒の大学に通ってる小町がいるし。それから、この先の未来の小町も」

小町「お兄ちゃんも無理すればこの先なんかあるかもしれないでしょ」

八幡「……俺は、別に」

小町「あー、もう! 相変わらずめんどくさいゴミいちゃんだなぁ! 今からもこれからもあるのっ! わかった!?」

八幡「お、おう……」


小町「大体今どき『俺はもうこれから先一人でいいんだ……』とか流行らないの! 一人くらい友達連れてきたらどうなの!? いくら妹との二人暮らしで連れて来づらいからってゼロは限度があるよ!」

八幡「仕方ないだろ。ぼっちなんだから。大学でぼっちを極めるってのはすごいことなんだぞ。過去問なしで全てを切り抜けなきゃいかんのだから。代返も不可だし。俺凄くね?」

小町「すごくないよ。本当にやだよこんな兄」

八幡「流石にノータイムでそこまで否定されるとちょっと凹むわ……」

小町「小町いつまでもこんな兄を持つの嫌だしなー。それにアイドルとお知り合いになりたいしなー。はっ、良いこと思いついた。あわよくばそこから高収入の俳優さんと仲良くなれないかな!?」

八幡(相変わらず底が浅いな、お前は。そう言おうとした)

小町「小町はお兄ちゃんをダシにして叶えたい欲望がいっぱいあるんだ。だからさ」

小町「小町のために、小町の未来の旦那さんのために、なんとかなんないかな」

八幡(昔どこかで聞いたセリフだった。だから)

八幡「……妹のためじゃしょうがねぇな」

八幡(俺はあえて乗ろうと思う。この愛すべき、比企谷小町の計略に)

小町「うん、小町のためだもんね。小町、わがままだからなー。しかたないなー」

八幡「ほんとだよ」

八幡(もたれかかった小町の頭をがしがしと乱暴に撫でる。すると小町はきゃーと言いながら俺の手に合わせて頭を揺らした)




12 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:07:21.27NSPCnO+e0 (12/255)



小町「小町はここに、お兄ちゃんの孤独体質を改善するため、新生奉仕部の発足を宣言します!」

八幡「ふん。平塚先生にも無理だったんだ、やれるもんならやってみな。新部長さん」

小町「奉仕部部長……部長かー。もう叶わないと思ってた夢だけど、変な形で叶っちゃった」

八幡「あ? 夢?」

八幡(俺が聞き返すと、小町は少し恥ずかしそうに笑った)


小町「奉仕部! 入りたかったんだー」

八幡「……あ、そ。さっさと廃部できるように頑張るわ」

八幡(俺は再び妹の頭を撫で回しながら、ベッドのテーブルの上に置いた名刺を見つめていた)

八幡「ありがとな」

小町「どういたしまして」

八幡「……そろそろ帰りな。遅いから気を付けて帰るんだぞ」

小町「うん、じゃあ、おやすみ」

八幡「ああ、おやすみ」

八幡(病室のドアがぱたりと閉じた。あの人の――346プロダクションのお金で取った個室の病室の窓からは、美しい夜景が見える)

八幡(自分ももうすぐこの夜景を作る歯車となるべく働くのかと思うと気が滅入るが、妹の言葉を思い出すと頑張れるような気もする)

八幡(懐かしいやりとりだった。昔の俺は動くべき理由を上手く見出せず、立ちすくんでいた。それを助けてくれたのが小町だったっけ)

八幡(あの時も小町の為って大義名分を借りた。……結局回り回って、それが間違いだったって気付いたんだが)

八幡(昔に一度やらかした間違いなのに、またもう一度繰り返そうとしてる)

八幡(でも、それでいい。一度間違えたんだ、何度間違えたってもう同じだ。それに――)



八幡「俺は妹のためならたいていは許してしまう素晴らしい兄だから、な」



八幡(夜景に名刺をかざしてみる。流れ星が一筋、光った気がした)




13 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:09:30.40NSPCnO+e0 (13/255)

<三カ月後、春。都内某所、346プロアイドル部門:クールプロダクション事務所前>


武内P「おはようございます、お待ちしておりました」

八幡「おはようございます。わざわざ会社の前にいてもらうなんて……」

武内P「私がスカウトしたのですから、当然のことです。どうぞ中へ」

八幡(武内さんは俺の一歩前を歩いて、事務所の中へ入っていく。346プロという名を冠しているが、事務所はごく普通の雑居ビルにあった。一階は居酒屋だったし。事務所は三階のようなので、エレベーターは使わず二人で階段を上る)

武内P「雇用契約等は病院で済ませましたので、本日はいきなり業務から入ります。一通り説明しますが、わからないことがありましたら事務員さんが一人いますので随時聞くようにしてください。若いですが、とても優秀な方ですよ」

八幡「はあ……。武内さんにも聞いていいんですか?」

武内P「いいえ、不可能でしょう」

八幡「え? 忙しいってことですか」

武内P「いえ。私はもう、この事務所で仕事をしません。四月付けで本社勤務になりました。役職的にはアイドル部門の統括……つまり部長ということになります」

八幡(聞いてないぞそんなこと……。マジか、いきなり知り合いゼロからスタートか。これが定められしぼっちの運命ってやつなのか)

武内P「私は三月までここのプロデューサーでした。つまり比企谷くんは私の後任であり部下、ということになります」

八幡「そ、そうなんすか……。なんか大任ですね」

武内P「そう固くなることはありません。大丈夫です」

八幡「はあ、ありがとうございます。上手くやれるといいんですが」

武内P「初めは無理です。当然」

八幡(……何というか。この人は寡黙そうというより、言葉が足りないんじゃないかと思い始めている自分がいた)

武内P「着きました。こちらです」

八幡(彼が事務所の扉をノックして、ノブを捻った)




絵里「おはようございま…………」




八幡(ビックリして心臓が止まりそうになる。多分彼女もそうなんだろう。そんなビックリしている自分を冷静に見つめるもう一人の自分が、まるで青春ラブコメだなと笑っていた)





14>>2時点では八幡は二十一歳でした。お詫びして訂正致します。 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:15:27.88NSPCnO+e0 (14/255)



絵里「聞いてないですよ! 比企谷くんが新任のプロデューサーだなんて!」

武内P「はあ。後任のプロデューサーが四月から勤務する、とはお伝えしたつもりですが……」

絵里「誰が来るなんて言ってないじゃないですか!」

武内P「……聞かれなかったので」

絵里「もう! またそういうこと言って! いつも言ってますけど一言足りないんですっ」

武内P「……申し訳ありません」

八幡(困ったように首に手を回す武内さんと少し怒った絢瀬さんを前に、俺は黙って傍観することしかできなかった。この空気感よ。身体に馴染みすぎててクセになるわ)

絵里「はっ、ごめんなさい比企谷くん! 今お茶を入れるから、そこのソファにプロデューサーさんと座ってて!」

八幡「あっ、ハイ」

八幡(事務所着いて第一声がアッハイとかなんなの俺……。流石すぎでしょ……)




絵里「はい、お茶。熱いから気を付けて飲んでね」コトッ

八幡「ありがとうございます」

武内P「………………」

絵里「プロデューサーさん……じゃなかった、部長さんの分はありません。罰です。ふんっ」

八幡(武内さんは俺の隣に座り、絢瀬さんは俺の向かいに座った。改めて見ると、息を呑むほど綺麗だ。雪みたいな白い肌に、宝石をはめ込んだかのような両の瞳。吸い込まれそうになって目を逸らす。黒いスーツ姿に、一つに括った金髪が映えていた。スタイルも……大変けしからんな。弊社のトップアイドルですって言われても普通に信じてしまいそうだ)

八幡「病院ぶりですね。わざわざ見舞いに何回か来てもらって」

絵里「何言ってるの、当然でしょ? ほんとに比企谷くんがいなかったら私、死んでたかもしれないんだし」

八幡(絢瀬さんは律儀にも、何回も見舞いに来てくれていた。その時はもう関わることがないだろうと思っていたし、綾瀬さんも忙しいようで長居をすることはなかったから、何を話したかをはっきりは覚えていない。ただ、何度もありがとう、ごめんなさいと繰り返していたことだけは覚えている)

絵里「改めて、あの時は本当にありがとう。あなたのお蔭で私、生きてるわ」

八幡「大げさですよ。本当にたまたまだったんでもうそういうのはやめませんか。……その、なんです。これから一緒に仕事していくんだし」

絵里「そう……そうね。そうします。努力するわ。うふふ」

八幡(手のひらで口を覆うと、彼女はお淑やかに笑った。大人の女性の笑みだった)

絵里「部長さん、私の紹介はされましたか?」

武内P「いえ、まだです」

絵里「そう、じゃあ私から改めて」

絵里「346プロ、クールプロダクション事務員の絢瀬絵里です。比企谷くんは大学四年生だったわよね? じゃあ歳は……比企谷くんの一つ上になるのかな。私も短大に居た頃から一年くらい仕事してたから、実質三年目ねー。年齢と両方の意味であなたの先輩になるわね! 私にわかることなら何でも教えるわ。色々聞いてね!」

八幡「比企谷八幡、大学四年です。アイドルのことはよく知らないんで足引っ張ることが多くなると思いますが……やる以上はしっかりやりたいと思ってます。よろしくお願いします」

八幡(深々と頭を下げた。こいつはもうバックレ可能なアルバイトじゃない。社会人としての仕事なんだという事実を噛みしめる)

絵里「ふふ、いいのよ。どうせまた部長さんが無理言ってスカウトしてきたんでしょ。最初は出来なくて当然なんだから、いっぱい間違えなさい」

武内P「また、とは……。いや、しかし今回は認めます。……比企谷くん。気負わずに、まずはやってみてください。大丈夫です。ずっと、見ていますから」

八幡(そんな二人の言葉を、どこか懐かしい気持ちで受け取った。『ちゃんと見ていてやるから、いくらでも間違えたまえ』いつか誰かにそう言われた気がする)

八幡「はい、よろしくお願いします」

八幡(俺はもう一度深々と頭を下げた。そんな俺の態度に、武内さんはまたさっきみたいに首に手を回した。それでは本社へ出勤します、と言い残すと彼はしっかりとした足取りで去って行った)




15 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:18:56.29NSPCnO+e0 (15/255)



絵里「あの娘が来るまで少し時間があるわね」

八幡「あの娘?」

絵里「あなたの担当アイドルよ。今日、顔を合わせることになってるわ。……そうね、まずは346プロについてのお話をしようかしら。アイドル業界のこと、何も知らないのよね?」

八幡「765プロってところのメンバー全員の名前もわかりません」

絵里「…………ハラショー。逆にすごいわね……」

八幡「でしょう」

絵里「褒めてないわよ。んー、じゃあそのあたりの説明も一緒にしようかしら」

絵里「私たちが今いるクールプロダクションっていうのは、他のアイドル事務所とはちょっと変わっててね。比企谷くん、346プロのことはわかる?」

八幡「あ、はい。それなら。芸能プロダクションとして結構老舗ですよね」

絵里「そうそう、本社行ったことある? 本当に美城の名がふさわしいくらいでっかいわ。まあそれは置いといて、歌手や俳優をたくさん輩出してきたけど、アイドル部門が出来たのって実はここ数年のことなのよ」

八幡(そうなのか。色々なところに手を伸ばしているイメージがあったから、少し意外だ)

絵里「でも、さっき言ったと思うけど346のアイドル部門ってちょっと変わってるの。なんと傘下の事務所が三つあるわ。それがクール、キュート、パッションプロダクション。ちなみにウチに所属するアイドルのことを、シンデレラガールと呼ぶことも覚えておいて?」

八幡「なんで三つも事務所があるんです?」 

絵里「社長の方針ね。競争が発展を促す、っていう思想があるらしいわ。集○社と小○館の関係と同じって言ったらわかる?」

八幡「ああ、なるほど。理解できました」

絵里「うん、よろしい。上手く説明できたわ」

八幡(綾瀬さんは腰に手を当てて、むふーと息を吐いた。すごく……かしこくてかわいいです……)



絵里「所属するアイドルは上が決めることになってるわ。経緯は色々ね。オーディションから獲ったり、あなたみたいに一般人からプロデューサーがスカウトしてきたり、スクールアイドルからプロになれそうな娘を誘ってみたり」

八幡「……スクールアイドル?」

絵里「あれ、知らないの!? ……でも知ってたらきっと気付かれたわよね。当然か」

八幡「最後の方もごもごしてて上手く聞き取れなかったんですが……」

絵里「な、なんでもないわ! スクールアイドルっていうのは、一言で要約すればアマチュアのアイドルって感じかしら。ひとつの学校ごとにひとつのグループがあるのよ」

八幡「へえ。アイドル部、って感じですか?」

絵里「その感覚に近いわね。結構文化としては人気があって、ラブライブっていう有名な全国大会が開かれてたりするのよ。予選からすごく盛り上がるの」

八幡「どのくらい凄いもんなんですか? ラブライブって」

絵里「……そうね。ラブライブで優勝した学園が、廃校寸前の状態から今や倍率数倍の有名校になっている前例があるわ」

八幡「すげえな。そんな漫画みたいな話が本当にあるんですか?」

絵里「……あるのよ、本当にね」

八幡(そう語る彼女の表情は、なぜかとても誇らしげだ)




16 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:21:59.13NSPCnO+e0 (16/255)



絵里「話を戻すわ。今は二度目のアイドル黄金期と言われていてね。アイドルがたくさんいるの! 小さな事務所がたくさん乱立してるわね。EランクDランクアイドルなんかは結構いるのかしら」

八幡「アイドルにもランクがあるんですか?」

絵里「ええ、そうなの。これについては後で資料を渡すわね。とりあえず感覚的に言えばCランクだとアイドル好きなら誰でも知ってる、Aだと国民がほぼ知ってるって感じかな? キュートには二人、Aランクがいるわよ」

八幡「へええ。後で調べておきます」

絵里「うん、仕事がしやすくなると思うわ。……でも、こんなにアイドルがたくさんいるのに、今メディアではそんなに多くのアイドルが取り沙汰されてるわけではないわ。どうしてかわかる?」

八幡「俺みたいにアイドルなんて誰が誰だかわからないって思ってる人が多いからですか」

絵里「……あなたはむしろ少数派。国民は結構アイドルに夢中よ、非国民さん」

八幡「俺の存在感の無さはついに国レベルまで到達したのかよ。これはもう県民としてディスティニーランドに国籍移すまである」

絵里「私も県民だけどあの帝国に国籍を移すのは怖いわね……じゃなくて」

絵里「要するに相対的な問題なの。他のアイドルたちが注目されないんじゃなくて、女性アイドル界では765プロが注目を集めすぎてる」

八幡「まあ、俺でも名前知ってるくらいですしね」

八幡(綾瀬さんはリモコンでテレビの電源をつけた。そうして適当にチャンネルを回していく)




料理家『今日のゲストは、765プロの高槻やよいさんです。よろしくお願いします』
やよい『うっうー! よろしくですー!』

芸人『現場の響ちゃん、そっちの様子はどうかな?』
響『はいさーい! 響だよ! 今日は葛西臨海公園に来てるんだー。マグロの数が減ってくのが、自分、本当に悲しいぞ……』

アナ『本日は世界的テニス選手ファラデー選手と、菊池真さんの対談をお送りしようと思います! 二人とも運動というものを極めた存在、いったいどんなお話がきけるのでしょうか!?』

司会『これは先日行われたパリのファッションショーの映像です。日本からは星井美希さんらがモデルを務めました。本当に堂々たる様子で、日本国民として鼻が高いですね』

CM『如月千早ベストアルバム、NowOnSale』




絵里「今少し止めたチャンネルに映ってたのが、765プロの娘たちよ。全員じゃないけどね」

八幡「言われてみれば、俺も何度か見たかもしれません。テレビほとんどみないのに」

絵里「そうよ、これが765プロ。……今のアイドル界に君臨する、13人のSランクたち」

八幡「は? Sランク?」

絵里「実質Aランクと変わらないけど、名誉称号みたいなものね。永世名人、竜王みたいな」

八幡「それが全員? 正体は圧倒的資金力で作った虚像とかなんですか?」

絵里「……あなたは普段アイドルにどんなイメージを抱いているのよ。そんなことないわ。765のメンバーは全員突出した能力を持ってる。名実ともにね。765プロと比べたら、普段レッスンを積んでる商業アイドルたちがみんな素人に見えるくらい」

八幡(おいおいおい。全員天上人とかどんなチートだよ。中学生の描いた小説か?)

絵里「だから今、世間ではアイドルって『765かそれ以外』なの」

八幡「なるほど。とりあえず状況は理解できました」

絵里「うん。でも、そーいうのって何か気に入らないわよね」

絵里「だから近いうちに、ウチのアイドルが全員ぶっ倒しちゃうんだから」

八幡(そう言って悪戯っぽく彼女は笑った。大人びた風格から覗くあどけなさもまた、淑女の嗜みなのだろう)




17 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:24:47.48NSPCnO+e0 (17/255)



絵里「比企谷くんにはこれから、『ニュージェネレーションズプロジェクト』に選出されたアイドルを一人担当してもらうわ」

八幡「ニュージェネレーションズ」

絵里「そ。新しい企画で、各346のプロダクションに一人ずつアイドルが今年からやってくるわ。我らが346が見出した宝石の原石たちを各プロダクションがそれぞれ磨いて、お互い競争しながら上を目指していこう! っていうコンセプトよ。勿論本社から色々バックアップもしてもらえるの!」

八幡「圧倒的資金力で」

絵里「……こんなこと言うのも失礼かもしれないけど、あなた目が本当に、その……発酵してるわね」

八幡「よく言われます」

絵里「言われるのね……」

絵里「それで今日、その娘と初顔合わせをしてもらうつもりなの。もうすぐ来ると思うんだけど……」

八幡「はあ。何歳くらいの娘なんですか?」

絵里「今年から高校三年生。だから……今は十七歳なのかしら?」

八幡「げ、現役こーこーせー……。ふひっ」

絵里「ちょ、ちょっと。変な笑い方しないで!? 国家機構を召喚したくなる笑い声だったわ」

八幡「流れるように通報しようとするのやめません? いや、なに話せばいいか全然わかんねぇなと思って」


――こんこん。


絵里「あ、来た」

八幡「え、まじすか。待ってまだ心の準備が」

絵里「男の子でしょ、しっかりなさい? 大丈夫よ、落ち着いて話せば。愛想はないけど優しい娘だから。……はーい、入っていいわよ」





凛「失礼します……あれ?」





八幡(偶然というのはこうも続けて起こるものなのか。いや、偶然も二度続けばひょっとしてそれは)

八幡(一度見ただけなのに、忘れていなかった。鳥の濡れた羽みたいに艶だった髪。意志の強そうな瞳が俺の腐ったそれと対峙する。整った小さな顔だ。よく見ればピアスを開けている。だというのにネクタイは曲がっておらず、しっかりと着けている。黒いカーディガンのポケットに右手を突っ込み、左の肩にはカバンを下げて。窓から差し込む朝日が照明のように彼女を彩る。そんな姿が、たまらなく絵になっていた)




18 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:27:17.21NSPCnO+e0 (18/255)



凛「……あの時のお兄さんじゃん! え、何で? 何でいるの?」

八幡「……覚えてたのか。まあ俺もなんだが」

絵里「あれ、凛ちゃんもしかして比企谷くんと知り合いなの?」

凛「知り合い、ってほどじゃないけど。一回うちの店に来てくれたんだ」

絵里「へえ、そうなの! 不思議なこともあるものね。紹介するわ、比企谷八幡くん。あなたのプロデューサーよ」

八幡(そう言われると、一瞬彼女は目を丸くした。だが、すぐ戻る。そして俺のことをじろりと見回すと、不敵にこう言った)



凛「ふーん、アンタが私のプロデューサー?……まあ、悪くないかな…。私は渋谷凛。今日からよろしくね」




八幡「比企谷八幡だ、よろしく頼む」

凛「ふーん……ふーん。凄いな、本当にこういうことってあるんだ。ふふっ、何か嬉しいな」

八幡(薄く笑う彼女。なんだ、年相応の女の子なんだなと少し安心する。渋谷はカーディガンのポッケから手を出すと、俺に差し伸べた。不意に、これじゃまるで俺の方がシンデレラみたいだな)

凛「一緒に歩いて行こうね、プロデューサー」

八幡「ああ。至らないとこだらけだと思うが、よろしく頼む」

八幡(繋いだその手は、温かかった)



19 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:29:48.78NSPCnO+e0 (19/255)

八幡(薄く笑う彼女。なんだ、年相応の女の子なんだなと少し安心する。渋谷はカーディガンのポッケから手を出すと、俺に差し伸べた。不意に、これじゃまるで俺の方がシンデレラみたいだなと思ったりした)

凛「一緒に歩いて行こうね、プロデューサー」

八幡「ああ。至らないとこだらけだと思うが、よろしく頼む」

八幡(繋いだその手は、温かかった)



あうあう。脱字がございました。訂正しますね。


20 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:31:24.08NSPCnO+e0 (20/255)

<昼、千代田区。皇居周辺>


八幡(よく晴れた昼下がり。春らしいぬるいそよ風が桜を揺らして、千鳥ヶ淵に流れていく。ボートをこいでいる人と、それを見ながら歩いている俺たちとでは時間の流れが違うようにさえ見えた)

凛「なんだかもうすっかり春だね、プロデューサー」

八幡「そうだな」

八幡(俺たちはというと、さっき絵里さんから聞いた他の二つの事務所へ向かっていた。三事務所は同じ区内にあるようでタクシーなんかを使えると楽なんだが)

絵里『経費節減! 甘えない!』

八幡(だそうで。……まあ、それを言った後こそっと俺にだけ聞こえる声で『電車でゆっくり行って、凛ちゃんと仲よくなったほうがいいでしょ』と言われたんだが。抜け目ない人だ。いや実際はただ経費を減らしたかっただけなのかもしれんが)

凛『ねえ、プロデューサー。今日は暖かくて気持ちいいし、せっかくだから歩かない?』

八幡(そんなわけで今に至る。革靴が真新しくて、歩くと少し痛いのは黙っておこう)


凛「歩いて正解だったでしょ。今日の朝、ハナコを散歩に連れてったときはまだ寒かったんだけどね」

八幡「犬でも飼ってんのか?」

凛「うん、そうだよ。昼間はお店の外に出してるんだけど、あの時は夜だったから見てないか」

八幡「俺の実家には猫がいるぞ。あんまり俺には懐かんが」

凛「ふふ、動物には色々わかるのかもね。なんて名前なの?」

八幡「カマクラ。うっせ、猫はあんま懐かねーんだよ」

凛「いい名前。白くてあったかそう」

八幡「ぬくいっちゃぬくいな。あいつ普段冷たいくせに、たまに空気読んでひざとかに乗ってくるんだよな。そこが憎めない」

凛「……飼い主に似るって言わない? ペットって」

八幡「俺にか? バッカ俺に似たらもっと身内には優しいに決まってるだろ。愛しすぎて引かれるまである」

凛「身内には優しいんだ。ふーん……。兄妹はいるの?」

八幡「いる。妹。世界一可愛い。やらん」

凛「……へ、へえ……………」

八幡(わかりやすくドン引いていた。だが可愛いは正義。妹は可愛い。つまり小町は正義。世界の真理なのだから仕方ない)

八幡「渋谷の家の犬はどんな感じなんだ」

凛「ハナコ? いい子だよ、忠犬って言葉が似合うかな。私が帰るの遅くなってもいつも玄関で待ってるんだ」

八幡「ふーん。飼い主に似てるかは知らんが、渋谷の犬は忠犬って相場が決まってるからな」

凛「ふふ、秋田犬じゃないけどね」





21 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:34:27.42NSPCnO+e0 (21/255)

<同日、パッションプロダクション事務所近く。公園>

八幡「絢瀬さんから貰った地図のデータだとこの辺だな」

凛「小さいビルがいっぱいでどれだかわかんないね。誰かに聞いてみる?」

八幡「人に話しかけたくない。今スマホで詳細出すから待ってくれ」

凛「人に話すの嫌がっててプロデューサーできるの……」



莉嘉「未央ちゃーん☆ ほらはやくー!」

未央「はっはっはっ、そう慌てない慌てない! 今見せてあげよう、未央ちゃん魔球大リーグボール二号を!」

莉嘉「アタシそれ聞いたことあるー! 消えるまきゅーだ!」

未央「ふぁっはっは、とれるもんならとってみやがれー! それっ!」

莉嘉「あーっ! もう、未央ちゃんどこ投げてるのっ。ノーコン!」

未央「これこそ未央ちゃん特製消える魔球……」

莉嘉「未央ちゃんが取ってきてね☆」

未央「…………はぁーい」




八幡(近くの公園の入り口で俺が事務所の位置を調べていると、ピンク色のボールが転がってきて足に当たった。渋谷が不思議そうにそれを拾う)

未央「ごめんなさぁーい! そこの人たち、ボールとってくれませんかっ!?」

八幡(軽やかな足取りでこちらに走ってきたのは、ショートカットの快活そうな女の子だった。歳は渋谷と同じくらいだろうか? ピンクのブレザーともパーカーともつかないような上着が風に揺れていた。)

凛「あ、はい。……それっ」

八幡(渋谷の返球はふんわりと春の空に弧を描いて、女の子の胸元にストライクで到着した。綺麗なフォームだ。運動神経の良さがうかがえる)

未央「おおっ、ストライク! すごい! これはきっと将来未央ちゃんのライバルになるに違いない! 大リーグで会おうぜっ」

莉嘉「ストライクなぶん、未央ちゃんより上だと思うかな☆ アタシは」

未央「こらぁ、そこっ! 離れてても聞こえたぞ! 私の聴力を舐めるんじゃなーいっ!」

莉嘉「うわぁ、逃げろ逃げろぉ~☆ アハハ!」



八幡「……元気な子たちだなぁ」

凛「そういう娘が好み? ふふ、ちょっと私には厳しいかも」

八幡「そんな風に見えるか」

凛「んーん、欠片も」

八幡「ご名答。喋るだけで過労死しそうだ。情熱で溶ける」

凛「溶けるの!?」

八幡「繊細だからな。ドライアイスのように冷え切ってる自信がある」

凛「そのまま空気になるしね」

八幡「おいやめろ。なんで中学時代の俺のあだ名を知ってる」

凛「空気だったんだ……」

八幡(ジト目で見られてしまった。いや冷静に考えろ。女子高生アイドルに冷たい目線で見られる……ご褒美じゃないか? ないな。普通に悲しいわ。そんなことを思っていると、俺の後方から足音がした。じりっと、意を決したように大地を踏みしめる音がひとつ)





???「見つけた……こんなところにいましたか……」




八幡(可愛いよりもかっこいいという言葉が似合う、真面目そうな美女だった)



22 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:36:51.75NSPCnO+e0 (22/255)



海末「こらぁーっ!! 未央っ! 莉嘉ぁっ! 見つけましたよ!」




莉嘉「あっ、ヤバイ☆ じゃーん! じゃーん!」

未央「げえっ、海末ちゃん!」

海末「人を三国志みたいに扱うのはやめなさい! 午後一からレッスンだと言ったでしょう! 今日から彼が正式に着任すると言うのに何してるんですかっ」

莉嘉「ち、ちがうのっ! あたしは未央ちゃんに無理やり連れてかれて!」

未央「ああっ、莉嘉ちゃんずるいぞ! 売りやがったなー!」

海末「未央……?」

未央「違うんだよ海末ちゃん! これには海よりも深いわけがあって! あ、今のはシャレとかじゃなくってぇ!」

海末「へええ……海のように広い心で言い訳だけは聞きましょう」

未央「……パ、パッションプロがアメリカ進出したときに備えて、大リーグボールの開発?」

海末「なるほどなるほど。では彼には、未央はトライアウトを受けに消えたと伝えておきますね」

未央「ごめんなさぁーい!! 初日から除籍なんてやだぁー!!」



凛「あの。すいません」

八幡(未央と呼ばれた女の子の頬っぺたをちぎれんばかりに両方から引っ張っている女の人のところに、渋谷は声をかけに行った。俺も後を追う。会話的に多分ビンゴだろう)

凛「パッションプロの園田海末さんですよね?」

海末「うっ……見られたくないところを見られてしまいました……。はい、そうです……」

八幡「知ってんのか、渋谷」

凛「むしろなんでプロデューサーは知らないの……園田さんは346のアイドルだよ?」

海末「プロデューサー? あの、失礼ですが貴方たちは?」

八幡「あ、すいません。クールプロダクションから来たこういうもんです」

八幡(懐から名刺入れを取り出す。小町からプレゼントされたそれは革製で、社会人の感触がした)



23 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:41:46.44NSPCnO+e0 (23/255)

<同日、パッションプロ事務所>


海末「どうぞ。わざわざ挨拶に来ていただいてありがとうございます」コトッ

八幡「あ、お茶なんていいのに」

海末「いえ、客人をもてなすのは当然のことですから」

凛「ありがとうございます、いただきます」

未央「どうぞどうぞ、くつろいでいってね!」

海末「レッスンは遅らせませんからね?」

莉嘉「はぁい……」

八幡(園田さんから出されたお茶を飲む。事務所の中身はうちとほとんど変わらなかった。二、三人の事務員さんがせわしなさそうに仕事をしている)

海末「申し訳ありません。今プロデューサーさんは本社の方に行っておりまして。朝一で出てったのでもうすぐ帰ってくると思うのですが」

八幡「なるほど、新任は入れ替わりで行くのかもしれませんね。自分も今月中に出ることになってるんですが」

海末「そうなんですね。……会ったら本当にびっくりすると思います」

八幡「どんな人ですか? 部長みたいに殺し屋みたいな人ですか」

海末「ふふ、逆ですよ。可愛すぎるくらいです。だから立場がない、と言いますか」

凛「そんなに?」

未央「うん、すっごい。あれはなんというか、ずーるいよねぇ」

莉嘉「まさしくキセキってカンジ☆」

海末「自我の揺らぎを感じました」

八幡(日本でもトップクラスの美貌を誇るアイドルたちが一様にここまで賞賛するプロデューサーってどんな人だよ。大丈夫? 俺顔見たら消滅したりしない?)




24 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:43:47.28NSPCnO+e0 (24/255)



海末「自己紹介が遅れてしまいました。園田海末と申します。歳は二十一で、ランクは……Cです、ね」

八幡(? 何だ、今の違和感)

莉嘉「城ヶ崎莉嘉だよ~☆ JCアイドルなんだ! ランクはまだEだけど、すぐにお姉ちゃんみたいにすごくなるんだ~♪」

未央「本田未央十七歳でっす! 実はアイドルとしてのお仕事は今日からなんだ。ニュージェネレーションズってやつに選ばれてここに来たの! よろしくね!」

凛「あ、じゃあ本田さんがパッション代表なんだ。私は渋谷凛。ニュージェネレーションズプロジェクトのクール代表だよ」

未央「本当に!? うわぁ、そうだったんだ! 渋谷凛……うん、しぶりんだね! しぶりん、今日からよろしくね!」

凛「し、しぶりん……。本田さんが初めて、そんな名前で呼ぶの」

未央「未央でいいよ! み・お! それじゃあ私が第一号ってことで!」

凛「……うん、わかった。未央。これからよろしくね」

未央「おうよ! 未央ちゃんをこれからよろしくっ!」

八幡(違和感……気のせいか? しかし眩しいやり取りだ。自分が一気に老けたような気がする。もし俺がこいつらと一緒に高校生やってたら、多分一度も話しかけることなく終わったんじゃないかね)

八幡「比企谷八幡、二十一歳。一応大学四年生だが、ほとんど学校もないし色々あって今年度からプロデューサーをすることになった。同じ傘下だからこれから先顔を合わせることも多いと思う。よろしく頼む」

凛「え、プロデューサーって学生だったの?」

八幡「そうだよ、聞いてなかったのか?」

凛「知らなかった。……ふーん、大学生かあ」

未央「ねえねえハチくん! 大学生ってどんなカンジ!? 人生の夏休みってホント!?」

八幡「ハチくんて……。基本暇だ。だからこんなことやってる」

莉嘉「でも大学生なのにプロデューサーってすっごいね! 大出世ってカンジ☆ キュートのプロデューサーさんは……確か、チュータイ? だってきらりちゃんが言ってたよ!」

未央「そういえば海末ちゃんも大学生じゃない?」

海末「私は後は卒論だけですから。ほとんど大学には行っていませんね」

凛「へえ……。なんか、みんなすごいな」

八幡(口々に語る面子を前に、渋谷の表情が曇った気がした。それを覗かせたのは一瞬で、ノックの音が俺の注意を奪い去る。それっきり渋谷のその顔のことは忘れてしまった。なぜなら、出てきた人物があまりにも衝撃的すぎたから)



???「ふぅ、ただいま!」


八幡「………………と」

八幡「戸塚…………?」



戸塚「――えっ?」

八幡(俺がその顔を見間違うはずもない。天使がそこに立っていた)





25 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:45:55.15NSPCnO+e0 (25/255)



戸塚「ほんとに久しぶりだね、八幡! もう二度と会えないと思ってたよ」

八幡「大袈裟だ。高校卒業から四年会ってないだけだろ」

凛「それ、今さっきまでテンション振り切れてたプロデューサーが言う?」

未央「ぶっちゃけて言うと、うん」

海末「ちょっとアレでしたね」

莉嘉「きもちわるかったね♪」

八幡「おい、せっかくみんなが包んだオブラートを破かないでくれ。死に至る」

八幡(仕方ないじゃない。人間だもの。天使が来迎したらテンションの針を振り切ることもある)

戸塚「あはは、でもずっと会ってなかったんだもん。ぼくも嬉しくなっちゃった。八幡、高校の同窓会とか来ないし」

八幡「……同…窓……会……? オレ、ソレ、シラナイ。オマエ、ドウソウカイ、シッテルカ」

未央「感情がわからないロボットみたいになってるよ!? 大丈夫!?」

凛「なんかプロデューサーがどういう人かわかってきたよ……。辛かったんだね」

八幡「そういう同情っぽいのが一番心にくるんでやめてくれません? まあ招待状が来たところでどうせ行かなかっただろうしな」

戸塚「じゃあ、次あったらぼくと一緒に行こうね?」

八幡「……え、いや、それは」

戸塚「だめ?」

八幡「地球の裏側で開かれても行きます」

八幡(黒スーツ+戸塚+首をこてんと傾ける>>>戦術核の図式は今なおといったところか。反則だ。脊髄で返事してしまった。可愛すぎる)

凛「…………かわい」

八幡(小声で呟く渋谷。お前もそう思うか。わかる。これから共にいい仕事ができそうだ。そんなことを思っていると、渋谷がこっちによってきて耳打ちをする。少しどきりとした)




26 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:47:23.08NSPCnO+e0 (26/255)



凛「ねえ、プロデューサー。やけに親しいね。こんなに可愛い人と。……やるね」

八幡「まあな。戸塚と知り合えたのは人生最大の美点と言える」

凛「…………もしかして、付き合ってたの? にしても一人称が僕って変わってるね」

八幡「……そうか、だよな。海末さんたちの反応も頷けるってもんだ」

凛「何、聞こえないよ。……もしかして本当に」

八幡「あのな、渋谷。石化呪文だ」

凛「は?」

八幡「戸塚彩加は、男だ」



凛「……………………………………え”?」



八幡(アイドルが出しちゃいけない声と共に俺のアストロンは成功した。極大呪文だから最悪自我が崩壊する怖れもあるが、この世の神秘に触れておくのは悪いことじゃない)

八幡「っと、時間だ。じゃあな、戸塚」

戸塚「あ、うん。また会おうね、八幡!」

八幡「ああ、仕事上そうなることも多いだろ。じゃ」

凛「男……男……。あの可愛さ……。アイドル、ワタシ、ヤメル…………」ブツブツ

八幡(俺の後ろを夢遊病者のようについてくる渋谷を引き連れて、事務所のドアをくぐって外に出た、その時)



戸塚「八幡!」

八幡(似合わない声だな、と思ったりした)

八幡「何だ?」

戸塚「また会おうね……ううん、また会うから。もう決めちゃった」

八幡「何だよ、強引だな。心配しなくても戸塚の誘いならいつでも飛んでくよ」

戸塚「ふふ、運の尽きだったね。ぼくとまた会っちゃったのは」

八幡「逆だろ。絶頂だ」

戸塚「ううん、合ってる。もう逃がさないからね? 意外としつこいんだ、ぼく」

八幡「何のことかはわからんが、相変わらず悪い言葉が似合わんな、戸塚は。……んじゃ」





27 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 06:49:38.18NSPCnO+e0 (27/255)



莉嘉「あっ、さいちゃん! 下にタクシー来たよ♪」

未央「よっしゃ! じゃあタクシーまで競争だっ! エレベーター無しね!」

莉嘉「あーっ! 待ってよお!」

海末「こ、こら! 走らないで! ……もう」

海末(二人は私の制止も聞かず、階段を走っていきました。元気なのはいいですが、けがをしたらどうするつもりなのでしょう)

戸塚「あはは、ごめんね。園田さんには苦労をかけちゃうけど、僕もできる限りサポートするから」

海末「いえ、いいですよ。こういう役回りはもうすっかり慣れてしまいました。それに、私なら――」

海末「私なら、大丈夫ですから」

海末(パソコン作業に入って、ブルーライトをカットする眼鏡をかけた彼と目が合う。悔しくなるほど可愛い人。その目に何を見ているのでしょうか)

戸塚「ぼくは必ず園田さんをトップアイドルにするよ。765プロなんか目じゃないくらいのね」

海末「……強気ですね。私もできる限りのことはしますが」

戸塚「うん、なれる。園田さんなら。絶対ね」

海末(そんな可愛い外見とは裏腹に、放つ言葉は力強い。思わずどきりとしてしまいます。その自信の泉はどこから湧くのでしょう。是が非でも教えてもらいたいくらい)

戸塚「それにね」

海末「それに?」

戸塚「八幡には、負けたくないんだ」

戸塚「憧れるだけは、もう終わりにする」

海末「高校時代の友人と言ってましたね。その、彼は」

海末「彼は貴方の何なのです?」

海末(皮肉にも、私のセリフはまるでこの前落ちたドラマのオーディションのようでした)


戸塚「そうだねえ」

戸塚「後悔、かな」





28 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:33:57.67NSPCnO+e0 (28/255)

<同日、ハンバーガー店>


八幡「何が食いたい?」

凛「あんまりお腹空いてないし、野菜バーガーとオレンジジュースだけでいいかな」

八幡「はいよ。頼んでおくから席とっててくんねぇか」

凛「わかった。レシートよろしく」

八幡「……ん」

八幡(そう言うと渋谷は窓際の小さなテーブルの二人席に腰掛けた。頬杖をついて外を見つめる姿には雰囲気がある。少し近付きづらいような)

八幡(普段学校ではどんな過ごし方をしているのか、ふと気になった)

八幡「待たせた。ほらよ」

凛「ん、ありがと」

凛「だけど本当にびっくりしたな、戸塚さん。はあ……」

八幡「いい加減立ち直れよ。大体人類が戸塚に勝とうってのが無理だ。天使なんだから」

凛「……プロデューサーはひょっとしてあれなの、男の人が好きなの……?」

八幡「アホか。戸塚は特別だ。戸塚は男とか女とかじゃなくて戸塚っていう存在なんだよ」

凛「気持ち悪いよ?」

八幡「丁寧に気持ち悪いって言うのはやめてくれ。本気っぽくて傷つく」

凛「ふふ、きもい」

八幡「そういう問題じゃねーよ」

八幡(じっくり言葉を交わしてみればほんとはただのそこらにいる容姿がめちゃくちゃいい普通の女の子なんだけどな。怖いなんてことは一切ない)



八幡「それにしても、奇妙な縁もあったもんだ。今日だけで何人会わねーと思ってたやつと再会したことだか」

凛「本当にね。ひょっとしたらまだ続くかも」

八幡「勘弁してくれ。これ以上誰かと会ったらそのごとにトラウマを呼び起こしかねん」

凛「一体どんな学生生活を過ごしてきたの……」

八幡「休み時間は机と同化してた」

凛「ごめん、また踏んだ」

八幡「だから謝るのが一番心にくるんだって」

凛「わ、わかった。気を付ける……?」

八幡(渋谷はどうすればいいのかわからないと言うかのようにオレンジジュースを啜った。ハンバーガーはまだ残っているようだ。発見もう一つ。食べるのは少し遅い)

凛「私、プロデューサーのこと一つわかったよ」

八幡「ん、何だ。大体否定してやるから言ってみろ。現代の新撰組7番隊組長とは俺のことだ」

凛「何言ってるかわかんないけど否定から入ると嫌われるよ? 女子高生からのアドバイス」

八幡(悪らしく即斬されると、渋谷は右手のハンバーガーを置いて微笑みながら俺を指さした)





29 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:36:36.79NSPCnO+e0 (29/255)



凛「プロデューサーは、青春時代を間違いだらけで過ごした人」

八幡(人間、図星を突かれると出る表情は一つらしい)

八幡「……はは。たいした推理力だ、アイドル辞めて小説家にでもなっちまえよ」

凛「それ犯人が逃げに使うセリフだよね……」

八幡「証拠はないから疑わしきは罰せずで頼む。保釈金は払う。親が」

凛「その発言は死刑じゃないかな、わりと」

八幡(あきれたと言う代わりにハンバーガーをかじる渋谷。痛いところを突かれてしまった)

凛「うん、でも今の笑顔だ」

八幡「あん?」

凛「クリスマス、うちに来たでしょ。……その時もそんな顔して笑ってた。だからかな、覚えてたのは」

八幡(よく笑い方が気持ち悪いとは言われるが、まさか一回会っただけの花屋の店員に覚えられるほど俺の笑顔は腐っているのか? 忘れられないレベルとかなに? シュールストレミングなの? まあ、それは今にはじまったことじゃないが)

八幡「お前、それ言ってて恥ずかしくない?」

凛「っ! うるさい!」

八幡(おお、顔が真っ赤だ。こういう顔もするんだな)

凛「……大体。そういうプロデューサーはなんで覚えてたの、私のこと」

八幡「…………さあな。たまたまじゃねぇの」

八幡(そんなこと、言えるはずもない)

八幡(見た目がどストライクだったから、なんて)

八幡「ん、食べ終わったか。行くぞ。キュートの事務所はここから十分もかからん」

凛「わかった。あ、待って。ゴミ捨ててくる」

八幡「先に外出てるぞ」

凛「ん」



凛「寂しそうってわけじゃないけど。なんだろうな、あの顔。なんて言えばいいのかな」

凛(国語の成績は実はあまり良くない。プロデューサーは昔どうだったんだろう。気になる)

凛(もう少しで手が届きそうで届かないこの感じは、ちょうどこのオレンジジュースの残りの氷が、飲み捨て場に詰まって落ちない様子に似てる)

凛「あ、そういえば、お会計……」

凛(プロデューサー忘れてるのかな。あ、でも、ひょっとしたら)


凛『レシートよろしく』
八幡『……ん』

凛(もしかして)

凛「ふふっ、どっちなんだろ」

凛(あの顔を表す言葉はまだ見つからないけれど。わかったことがまた二つ)

凛(一つ、私のプロデューサーは捻くれている)

凛(もう一つ)

凛(でも、ちょっと優しい)


八幡「笑顔です、ねえ……。どいつもこいつも人の表情に好き勝手言いやがって」

八幡(外の空気は暖かい。車が通って風が吹いても、これまた小町がくれたネクタイピンのおかげで社会の首輪が揺れることはない。強固だ。死にたい。遅れて後ろの自動ドアが開く。そういえば俺も二つ、新しく渋谷について分かったことがある)

八幡(一つ、食い終わったハンバーガーの紙はたたむタイプ)

八幡(もう一つ)

八幡(俺の担当アイドルは、恥ずかしがらせると可愛い)




30 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:39:24.28NSPCnO+e0 (30/255)

<同日、昼下がり。キュートプロダクション事務所下>
……ナイゾー、……サセロニャー……


八幡「なんか騒がしいな」

凛「本当だね、どうしたんだろ」

八幡(キュートプロの事務所は縦長のビルと違って、横にどっしりとした二階建ての建物だった。居酒屋のうちとは違い、一階は喫茶店になっているらしい。本日のメニューなどが書かれたA字型の黒板もあれば、外で食事を楽しむための白く四角いテーブルもある)

八幡(はずだった)

八幡「なんかバリケードみたいなの組まれてねーか。店の入口に」

凛「プロデューサーもそう思う? 私にもバリケードに見えるんだよね」

八幡「立てこもりでもあるまいし現代日本にバリケードなんてあるわけねーだろ」



みく「キュート喫茶店はみくたちが占拠したーっ!! 解放してほしければみくにCDデビューさせるにゃー!!」
杏「杏は週休八日制を要求するぞー! それか一月有給三十日だっ!」
穂乃果「あははっ、本物の立てこもりみたーい! パンをよこせー!」



凛「立てこもりだね」

八幡「立てこもりだな」

八幡(店の人たちはやれやれまたかと困ったように外で笑っている。深刻なものではないのだろう。通りがかる人はざわついてるが。店の人の中で唯一彼女らに近いウエイトレスだけがわたわたしていた)

店員「あのう……困るんですけど……」

みく「オーダーは?」

店員「ブレンドコーヒーです……」

みく「あ、じゃあ持ってっていいよ! ここ通ってにゃ」

店員「助かります~……?」

八幡「いいのかよオイ」

凛「いいらしいね。というかプロデューサー、今気付いたんだけど」

八幡「何だ」

凛「あの人たち、アイドルだと思う。だってほら、あの一番右で一人だけ楽しそうにしてる人、キュートプロの高坂穂乃果さんだよ」
八幡「マジか。アイドルが立てこもりとかスキャンダルってレベルじゃねーぞ。有名なのかあの人」

凛「有名なんてもんじゃないよ。346のエースだよ。Aランクだもん」

八幡「そこまで登りつめて何やってんだよ……」

凛「天然突飛で有名な人だからね」

八幡(このままでは事務所にも行けず、どうしたもんかと腕を組んでいるとブラウンのブレザーを着た女子高生らしき子が拡声器を持ってこちらに走って来た)




31 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:41:26.01NSPCnO+e0 (31/255)



卯月『みくちゃん、杏ちゃん、穂乃果さーんっ! お願いだから出てきてくださいよーっ!』

みく「来たにゃ! 悪の手先、卯月!」

杏「交渉人をよべー! 杏はダンコ戦うぞー!」

穂乃果「ねーねー撃っていい? 撃っていい?」

卯月『撃たないでくださいよっ!? プロデューサーさんには私からもおねがいしますからぁっ!』

みく「うるさいにゃー! そんな口約束なんて信じないにゃ!」

杏「そうだそうだー! 大体杏はもうCD出したから印税で暮らせるはずだー!」



卯月「あわわ、どうしましょう……!」

八幡(拡声器を外して頭を抱えながら目をぐるぐる回している彼女を見ると少し気の毒だった。そんな彼女の手から、髪の毛を二つ括りにした小さな女性が拡声器をひったくった)

にこ『こらぁー! 舐めた真似してるんじゃないわよっ! 大人しく降参しなさい!』

みく「うぬっ、にこちゃんも増えただと……」

杏「舐めた……。なんか飴なめたくなってきちゃったぞ。はっ、ダメダメ! 杏は仕事を減らすんだ!」

穂乃果「ねぇー、にこちゃんもやろうよー! 楽しいよー!」

にこ『やらないわよ! 出てこないと今日のこと、海末に報告するわよ! いいの!?』

穂乃果「う、海末ちゃんに……? それだけはダメッ! じゃ、じゃあ穂乃果はここで降りるね、お疲れ様っ」シュバッ

みく「あーっ! 穂乃果さーんっ!」

杏「あ、杏は最後の一人になっても抵抗をつづけるぞ! 働かない、働きたくないんだー!」



八幡「わかりすぎる」

凛「わかっちゃだめでしょ……何言ってんの……」

八幡「不労所得は俺の二つの夢のうちの一つだ。小学生くらいの頃の」

凛「その時点でもう手遅れなんて流石に業が深すぎだよ……」

八幡(その夢を持ったからこそ、誰より現実を知っている)


凛「ちょっと? どこ行くのプロデューサー」

八幡「SATを呼ぶ。いい加減仕事にならん」



にこ「あーもう、本当バカばっかりなんだから!」

穂乃果「だって……楽しそうだったんだもん……」

卯月「うう……このままだとプロデューサーに叱られちゃいます……」

八幡「すいません、その拡声器借りていいですか」

にこ「あ、ちょっと!」

八幡(知ってるか、立てこもりって大体鎮圧されるんだぜ)





32 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:46:39.39NSPCnO+e0 (32/255)



八幡『おいそこの立てこもりアイドル。いい加減出てきてくれないか』

みく「な、なんなのにゃ! あんたは!」

杏「そうだそうだ! なんだそのスーツ姿は! 社会の犬めー!」

八幡『俺か? 現実だ』

八幡(二人して怪訝な顔をされる。まあ当たり前か。ガチトーンでいくのも大人げないし、適当な感じでいくか)

八幡『まず一個めからいくぞ。お前らのしてる立てこもり、普通に住居侵入罪だぞー。三年以下の懲役か十万以下の罰金な。あと誰か拘束してたら逮捕監禁罪もハッピーセットで豚箱がライブ会場だ。勿論おもちゃも付いてない。なんならおもちゃにされるまである』

みく「そ、そんな現実は聞きたくないにゃ!」

八幡『いーや聞かせる。これはアニメ世界じゃねえ、現実だからな。存分に理不尽に泣くといいぞ。あとそっちのちっこい方』

杏「わ、私?」

八幡『そうだ、お前だ。お前の働きたくないという熱い想いは伝わった。最高だ。俺もそう思う。後で飴をやろう』

杏「でしょっ!! わかってる人だっ! 一緒に杏と有給三十日に向けて戦おうよ! あと飴ちょうだい!」

八幡『その夢は最高だけどな。飴で腹は膨れても夢で腹は膨れないんだ。印税で生きたいって言ってたな』

杏「そうだよ! 杏はこの前CDデビューしてシングル出したんだぞ! もう働かないもんね!」

八幡『そのことだが。お前キュートプロのアイドルだろ。印税出ても結構事務所に吸収されるぞ。せいぜいお前が得られるのは単価の1%程度だ』

杏「え……? そ、そうなの……?」

八幡『シングルCDが一枚大体千円だろ。一枚大体十円だ』

杏「待って。その先を聞いちゃいけないって杏の本能が言ってる! やーめーてーくーれぇー!」

八幡『残念だ。現実は待ってくれないんだ。お前がどれほどのアイドルかは俺も知らんが、CDデビューしたてってことは駆け出しだろ。このCD売れない現代でデビューシングルが超好意的に見積もって一万枚売り上げたとする。印税計算したら……十万だな』

杏「……じゅう…まん……?」

八幡『お前にやろうと思ってる飴なんだが、こいつが三百袋くらい買える』

杏「おおっ!!」

八幡『でも千葉で一人暮らしたら一か月で消える』

杏「……………あっ…え? ……ああ……あっ…」

八幡(衝撃のあまり言語を喪失していた。顔面は消しゴムをかけたように表情がない)

八幡『あ、そういや忘れてた』

凛「プ、プロデューサー? もう、もうその辺にしない?」

杏「あう…………あっ…?」

八幡『そっから源泉徴収されるぞ。税金だ、ぜ・い・き・ん。実収入はもっと低いぞー』


杏「…………う、う、う」
杏「うわああああああああ~~~~~!?!?!?!」





???「……隙が出たわね。今よ、諸星さん。行きなさい」

きらり「おっけおっけ☆ まっかせてー!」

きらり「にょわー!! 杏ちゃーん、みくちゃーん?☆ おいたしたら、だめだよぉ? それーっ!」

きらり「おっつおっつばっちしー☆」


――ウ、ウワアアアアアアアアアアア





33 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:48:49.73NSPCnO+e0 (33/255)



八幡(その日、人類は思い出した……じゃないが。圧巻だった。二階の事務所の窓から立体起動装置無しで地上に降り立ったその子は、あらゆる壁をものともせずに奴らを鎮圧した。嵐のような出来事だった)

卯月「さすがきらりちゃんです!」

にこ「一方的な蹂躙だったわね……」

穂乃果「穂乃果だけ先に降りたから罪軽くならないかな……」

八幡「あの、すいません」

卯月「あ、さっきの!」

八幡「クールプロの比企谷と言うんだが。事務所まで案内してくれないか」

卯月「ああ、そうだったんですね! わかりました、ご案内しますっ♪」

八幡(素直で純粋そうな印象を受ける、愛想のいい子だった。他の二人も一緒に案内してくれると言ってくれた。仲の良さが伺える二人だ。知り合って長いのかもしれない)

八幡(事務所の扉は引き戸だった。島村が扉をノックする)



???「どうぞ……」


八幡(扉越しにかすかな声が聞こえてくる。聞いたことのある声かもしれない、とありえないことを思う。了承を得て、引き戸に手をかけた)

八幡(その引き戸が重かったのは多分、傷口を開くことになるからだったのかもしれない)



34 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:51:47.71NSPCnO+e0 (34/255)



雪乃「……久しぶりね、比企谷くん」


八幡(時が巻き戻ったのかと、そう思った)

八幡(特殊な内装も何もない、いたって普通のオフィス。しかし、そこがあまりにも異質に感じられたのは、いるはずのない一人の女がそこにいたからだろう)

八幡(春の日差しの中、記憶とは違う姿がそこにあるのに、すぐにあいつだと分かる。心が、細胞が、彼女をいつまでも覚えていた)

八幡(――綺麗だ)

八幡(世界が終わったとしても、ずっと溶けない雪のようで)

八幡(……俺は、彼女の名前を知っている。彼女のことを知っている)

八幡(雪ノ下雪乃を、知っている――)


八幡「………………久しぶり、だな」

雪乃「驚いたわ。あなたが新しいプロデューサーだなんて。……本当に、驚いたわ」

八幡(今日は色々な再会があったが。その中でも一番――。俺は、夢を見ているのかな)

八幡「……お前は、知ってたのか。俺がここに来るってこと……」

雪乃「いいえ。外から拡声器で耳障りな声が聞こえるなと思って覗いたら、そこにあなたがいたの。……私は何も知らなかった。本当に、知らなかった……」

八幡「……耳障りは余計だよ。……全く、今日はなんて日だ」

穂乃果「ゆきのん、知り合いなの?」

雪乃「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう……。そうよ」

雪乃「……昔の、ね」


凛「……すごいね、また、なんだ」

雪乃「また、ということは戸塚くんにはもう会ったのね?」

八幡「ああ、相変わらず天使で安心した」

雪乃「あなたの倒錯的な嗜好も相変わらずね。近くにいい二丁目があるのだけれど」

八幡「行かねぇから。再三言うが俺は男じゃなくて戸塚が好きなんだ」

雪乃「その台詞、知り合いの漫画描きのアイドルが『鉄板ッス』って言ってたわ」

八幡「芸能界にも海老名さんみてぇなのがいるのか……」

雪乃「変わり種が多いのは否定できないわね。それでこそアイドルなのかもしれないけれど」

八幡「まだ数人しか知らんが、確かに変わってる奴は多かったな」

雪乃「言葉のキャッチボールをしましょう? 相手がいるのだから」

八幡「それは俺がブーメランを投げていると揶揄しているのか」

雪乃「あら、そんなことはないわ。それよりあなたどこの部族出身? 豪州?」

八幡「めっちゃ揶揄してんじゃねぇか。ていうか同じ高校だろお前」



八幡(ああ、なんて懐かしい。この毒舌。この応酬。全てはもう、返らない覆水だと思っていたのに)

八幡(今この瞬間が懐かしく、愛しく、泣きそうになってしまっている自分がいた)




35 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:54:25.71NSPCnO+e0 (35/255)



凛「あの、プロデューサー。みんないるんだけど……」

穂乃果「そうだよ! 穂乃果たちも相手してよ!」

にこ「雪乃。お楽しみのとこ悪いんだけど、にこたちにもちゃんと紹介してくれる?」


八幡(……。そうだよな、みんないるんだよな。なんか痛烈に恥ずかしい思いをしてしまった。雪ノ下はわざとらしい咳払いをすると俺たちを応接室に通した。座って待っていると、雪ノ下がおぼんに紅茶を乗せてやって来た)

雪乃「どうぞ」

八幡「……わざわざすまん」

凛「いただきます」

にこ「雪乃が淹れた紅茶は悔しくなるぐらいおいしいわよ。にこも飲みたくなってきちゃった」

卯月「絶品ですよねー! 私が淹れるのと何が違うんでしょう……」

穂乃果「穂乃果の家のおまんじゅう、一緒に食べるとおいしいよー!」

にこ「あんまり食べるとまた太るわよ」

穂乃果「あれーちょっと電波が悪いのかなー聞こえないなー」

八幡(知ってるよ、と言いかけてやめる)

八幡(姦しいという表現が似合う雰囲気の事務所だった。こうしてみると、事務所ごとの雰囲気はやはり違う)



雪乃「自己紹介が遅れたわね、渋谷さん。私はキュートプロダクションのプロデューサー、雪ノ下雪乃よ。そこの男と同じ高校に通っていたわ」

凛「あれ、私のことを知ってるんですか? まだ何もしてないのに」

雪乃「ニュージェネレーションズの企画考案には私も少し関わったから。……あなたのこれからに、期待しているわ」

八幡(期待。雪ノ下がその言葉を放つことに、時の流れを実感させられた)

凛「ありがとうございます。渋谷凛、十七歳です。今日からクールのFランクアイドルです。ニュージェネレーションズの名前に負けないように頑張ります」

卯月「わあ、じゃあ凛ちゃんがクール代表なんだね! 私、島村卯月、十九歳ですっ! ニュージェネレーションズ、キュート代表だよ! よろしくお願いしますっ」

凛「島村卯月、さん」

卯月「卯月でいいよ、凛ちゃん♪」

凛「ん、わかった。卯月、よろしくね」

卯月「はいっ、よろしくお願いしますっ」

にこ「……なんか新しい子たちが入ってくると、一気に老けた気がするわねー」

穂乃果「にこちゃんももうBランクだもんね! ババアのBだ!」

にこ「穂乃果うるさい! アホのAランク! 見てなさい、すぐ追い抜いてやるんだから! 言っとくけどにこの方が先輩なんだからねっ」

穂乃果「μ'sはみんな対等だもーん。ほら矢澤ー、焼きそばパンかってこいよー!」

にこ「生意気ーっ!」

穂乃果「あははっ、逃げろー♪」

八幡(二人は追いかけっこをしながら、部屋から出て行ってしまった)





36 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:57:14.91NSPCnO+e0 (36/255)



雪乃「……あんな子たちだけど。二人とも、特に高坂さんの方はまごうことなき346のエースなのよ。クールの高垣楓とキュートの高坂穂乃果は346の二枚看板と言われているわ。知っていて?」

八幡「いや、知らん」

卯月「ええっ!?」

凛「だと――」

雪乃「だと思ったわ。アイドルの対義語のような男だものね」

凛「…………」

八幡「誰が現実だよ」

雪乃「あら、あなたがさっき外で言っていたんじゃない」クスクス


八幡(上品な笑い方だ。その姿は記憶の中と変わらない。……だが)

八幡「その、雪ノ下」

雪乃「何?」


八幡「髪、切ったんだな」


八幡(元が良いからどんな髪型でも似合うが。そうしているとその姿はまるで)

雪乃「……ええ。こうしていると――」

雪乃「姉さんに、似ているでしょう?」

八幡(そう言って、雪ノ下は笑った。何かを乗り越えた者だけができる、大人の笑み。でも、憂いも混ざっているようにも見えた。それは俺の主観だ。真偽の程はわからないけれど)

八幡(雪ノ下は姉のことを、自分の力で乗り越えたのだ)

八幡(時の流れ――)

八幡(彼女の変化が嬉しくて、赦されたようで、切なかった)



きらり「うー?☆ 雪乃ちゃん、お客さんかにぃ?」
雪乃「諸星さん……おかえりなさい。あとその両肩にぶらさがってる二人も。後で謝罪に行くわよ」
杏「……はっ? あ、杏は一体何を? そうだ、杏は印税で暮らすんだっ! 仕事したくないぞー!」
みく「ショックすぎて記憶を失ってるのにゃ……」
きらり「杏ちゃーん? 暴れるとぉ、またハピハピしちゃうぞ☆」
みく「にゃあああ!? 巻き込まないでええええ!」
杏「ぐああー!? わかったっ、レッスンするから力! 力抜いてぇ!」



37 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 07:59:43.67NSPCnO+e0 (37/255)



雪乃「奇しくも今日はうちの所属アイドルが全員そろっているのね。紹介するわ、さっきあなたがいじめたのが双葉杏さん。見えないけど島村さんと同い年」

杏「一言余計だよ、プロデューサー。ふん、杏はあと一年で選挙にもいけるんだからなっ」

八幡「マジかよ……でもお前絶対行かないだろ。めんどくさがって」

杏「わかってるじゃあないか……。褒めてつかわそう」

八幡「肩でくの字にひっかかりながら言われてもな」

きらり「あ、ごめんねぇ☆ 今おろすからにぃ」

八幡(しかしこの子、大きいな。インパクトも。百八十越えてんじゃないか? 渋谷も背が高い方だが、一線を画してんな)

きらり「にゃっほーい! 諸星きらりだよ☆ あれあれ? あなたはぁ、なんて言うのぉ?☆」

八幡「比企谷八幡だ。よろしくな」

凛「渋谷凛です。よろしくお願いします」

雪乃「ちなみに諸星さんは双葉さんと島村さんと同い年よ」

卯月「そうなんですよね……」

八幡「人体の不思議展……」

凛「生命の神秘……」

八幡(渋谷も呟いていた。俺もそう思う)


みく「…………渋谷、凛」


八幡(赤い花の髪飾りを付けた猫キャラっぽい彼女は、諸星の肩から二本の足で人間らしくしっかりと地面に着地すると、凛を見つめた)

八幡(猫が時折見せる無機質な目線に似ている気もしたが)

みく「にゃっはっは! 初めましてだにゃん、八チャン、凛チャン☆ 前川みく、十七歳だにゃん! ゆくゆくはトップアイドルになるこの名前をとくと覚えておくとよいにゃ~♪」

凛「……あ、初めまして。同い年なんだね」


八幡(気のせいか)





38 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:03:17.86NSPCnO+e0 (38/255)



みく「そうなるにゃ! で~も、凛チャンには負けないよ? トップアイドルになるのはみくにゃ!」

杏「猫なのにビッグマウスだね」

八幡「マウス違いだろ……」

雪乃「……こんなことを言っているけど。この子は去年度まで候補生だったの。アイドルとして動き出すのは今年から。渋谷さんや島村さんと同じ新人よ」

凛「え、そうなの」

みく「うぐ……。で、でも! 才能に時間は関係ないの! さっさとデビューさせるにゃあ!」

杏「やる気があって大変よろしい。つきましては杏の今日の雑誌の撮影をね?」

雪乃「へえ……その場合、埋め合わせとして双葉さんにはこのバラエティ番組のスカイダイビング企画のオファーを受けてもらうけれど」

杏「仕事って最高だよねっ! さあ労働労働っ!」

雪乃「あら残念。そんなに働きたいなら仕方ないわね」

みく「ちょっとー! みくも仕事したい! 杏チャンが飛べばいいんでしょ!」

杏「死んじゃうよっ! みくが飛べばいいじゃんか!」

みく「一発目の仕事がヨゴレなんて嫌にゃっ! 卯月チャンに譲るっ!」

卯月「ええっ!? あわわわわわわ……!!」

きらり「……みんなぁ?☆ 卯月ちゃんをいじめるとぉ」

きらり「めっ☆ しちゃうぞ♪」ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

「すいませんでした」


八幡「めっ☆ってなんだろうな」

凛「間違いなく滅☆だよね」





八幡(挨拶が終わり、俺と雪ノ下は事務室に移り仕事を教わった。経験者と話しておくのは悪いことではないでしょうと言ったのは雪ノ下だ。合理的だ。……合理的だから、その提案に従った。アイドル達は別室で各々親睦を深めているようだ。渋谷もぎこちないながらなんとかうまくやっているようで安心する)

八幡(一部のアイドル達が仕事に出始めた。ブラインドの外を覗くと、空がオレンジに染まっていた)




39 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:05:10.64NSPCnO+e0 (39/255)



八幡「……そろそろ行く。仕事の邪魔をしたな」

雪乃「いいえ、いいのよ。……それにしても、数奇な運命ね」

八幡「……運命、ね。そういうの、信じない方だと思ってたが」

雪乃「そうね。自分でもそのつもりだったのだけれど、ね」

八幡「お前がアイドルのプロデューサーなんてやってる方がよっぽど数奇だと思うけどな。高校生の俺に言っても鼻で笑われそうだ」

雪乃「あら、人のことが言えて? 意外なのはお互い様でしょ」クスクス

八幡「……色々あったんだよ。話せば長くなる」

雪乃「色々、ね」

八幡「お前は何でプロデューサーをやってる?」

雪乃「……私にも色々あったのよ」

八幡「色々、ね」

雪乃「あの時から何年経ったのかしら」

八幡「三年と少し、だな」

雪乃「もう三年も経ったのね……。色々なものが、変わったのかしら」

八幡「あるいはまだ三年、かもな。変わったものも多いだろ」

雪乃「そうね……。でも、変わらないものもある」

八幡(昔と変わらない意志ある目線が、俺を捉えて離さない)

雪乃「あなたのその腐った目とかね」クスクス

八幡「悪かったな。腐ったものはそれ以上どうにもなんねぇよ」

雪乃「ええ、そのどうしようもなさが……懐かしくて……」

八幡(言葉を待っても、その続きが発されることはなかった)



雪乃「比企谷くん。私がプロデューサーをするわけを教えてあげる」

八幡「何だよ。色々じゃなかったのか?」

雪乃「ええ、そうよ。それも嘘じゃないわ」

八幡「雪ノ下雪乃は、虚言は吐かないもんな」

八幡(失言も暴言も、言えなかったこともあるけれど、な)

雪乃「よく覚えているじゃない。その通りよ」

八幡「ふん。たまたまだよ、たまたま」

雪乃「ふふ、そういうことにしといてあげる」クスクス


雪乃「私がこの職業に就く理由の一つはね」

八幡(続く言葉は、まるでタイムマシンのようだった)




雪乃「――変わらず、人ごとこの世界を変えたいと思っているからよ」





40 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:07:30.83NSPCnO+e0 (40/255)



凛「……ねえ、プロデューサー。そろそろ帰らなくていいの?」


八幡(時空の旅から俺を引きもどしたのは事務室にノックなしで入って来た現在の象徴だった)

八幡「渋谷、ノックを――」
雪乃「渋谷さん、ノックはしなさいね」


八幡「あ……。くくく」

雪乃「ふふふ」

八幡(同時に言って、顔を見合わせて俺たちは笑ってしまった。二人して、ノックをしない先生のことを思い出したんだろうから)


凛「……何。なんかおかしい? せっかく人が呼びに来たのに」

八幡「いや、悪い。何でもねえよ」

凛「何でもないのに担当アイドルの顔見て笑うんだ。ふーん」

八幡「ちょっと昔を思い出しただけだ。ノックをしない先生がいてな」

雪乃「顧問だったのよ」

凛「……ふーん。ま、いいや。帰るよ」

八幡「ああ、そうしよう。……またな、雪ノ下」

雪乃「ええ、また。……比企谷くん」

八幡「何だ? 渋谷が怒るから手短にな」

凛「怒らないよっ。もう、先に外出てるから!」

八幡「怒ってんじゃねーか」


雪乃「その……。今度、あなたの色々も聞かせてね」

八幡「……ああ。気が向いたら、な」

雪乃「ふふ、そういうところは変わらないのね。それじゃ、また、ね」

八幡(遠慮がちに右手を胸元まで挙げて笑う雪ノ下。ブラインドから差すオレンジの陽光が、彼女の短くなった黒髪を染めた。記憶とは違うことばかりだ。髪の長さは違うし、スーツは着こなしてやがるし、高校の時にはしてなかったメイクも……)

八幡「ああ、また。……雪ノ下」

雪乃「なあに? 仕事があるから手短に」

八幡「ん、まあなんだ……その」

雪乃「さようなら」

八幡「早えよ! ……その、なんだ。綺麗に、なったな」

雪乃「…………き、急に何? 気持ちが悪いのだけれど。帰って。ほら」

八幡「ちょっ、そこまで言う? おい、押すな! わかったって!」



――ばたんっ!




41 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:10:30.00NSPCnO+e0 (41/255)



八幡(引き戸はお笑い芸人のオチよろしく冗談みたいな速さで閉められた。そんなに怒らなくてもいいじゃないのよ……)

凛「ふぅーん。初日からよそのプロデューサー口説くなんて、度胸あるじゃん」

八幡「うおっ! いたのか!」

凛「外で待ってるって言ったじゃん。そんなのも忘れるくらい色ボケた?」

八幡「ちげーよ。建物の外かと思ったんだよ」

凛「……仲好さそうだったね」

八幡「どこがだよ。雪ノ下の連絡先すら知らないっての」

凛「照れ隠しだ? 今度こそ本当に付き合ってた人?」

八幡「ちげーよ。ってか何? 何でそんなに恋愛に食いつくの? 女子高生かよ」

凛「女子高生だよ」

八幡「そうだった」

凛「顧問の人のこと言ってたけど、同じ部活だったの?」

八幡「そうだ」

凛「何部?」

八幡「奉仕部」

凛「……絵里さんに、プロデューサーが仕事サボって女の人と喋ってたって報告だね」

八幡「やめろ。やめろください。本当だって。今度雪ノ下に聞いてみろ」

凛「……本当? 変な部活。やれやれ、これからプロデューサーが仕事サボらないように監視しないとだね」

八幡「馬鹿にするな。監視されようがされまいがサボるときはサボる。それが俺だ」

凛「ほんっと、駄目な大人だなぁ」

八幡「まあな。運の尽きだと思って諦めろ。……他のアイドルとは仲良くなれたか?」

凛「うん、ぼちぼち。特ににこさんとかトゲトゲしてるように見えて実は優しかった」

八幡「良かったな」

凛「あ、でも。あの子だけはちょっと違ったな」

八幡「あん? さっそく誰かと喧嘩したのか」

凛「ううん、そういうわけじゃないけど。あの子いたでしょ、前川みく」

八幡「ああ、あのエセネコか」

凛「言い方。普通に喋れたんだけど、なんて言えばいいのかな」

凛「時々、値踏みされてる……みたいな。鋭い視線みたいなのを感じたかも」

八幡「ふーん、まあ同じ新人だしな。気になったんじゃねぇの」

凛「うーん、そうなのかな? ふふ、いいんだけどね」

八幡「何で笑ってんだよ?」

凛「ん? ちょっと面白くてね」


凛「――案外、猫被ってるんじゃないかな、と思って」





42 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:11:58.76NSPCnO+e0 (42/255)

<同日、18時ころ。東西線某駅>


八幡「……はい、はい。わかりました。お疲れ様です、失礼します」

凛「絵里さん、なんて?」

八幡「今日は初日だし直帰していいってよ。……なんつーか俺も色々ありすぎて疲れたわ。正直ありがたい」

凛「私もなんだか疲れたかな。帰ってお風呂に入りたい。……色々あったけど、これからよろしくね、プロデューサー」

八幡「おう、お前はいきなり担当が俺で同情しかないけどな。精々シンデレラガールの中でトップ目指して頑張ってくれ」

凛「ま、努力してみるよ。そういえば知ってる? シンデレラの意味」

八幡「人の名前じゃないのか?」

凛「灰かぶり姫、っていう意味があるんだって」

八幡「へえ、なんかイメージと違うな。……っといけね、帰りに食材買って来いって小町に言われてたんだった。またな」

凛「あれ? プロデューサーも東西線じゃないの?」

八幡「俺は総武線。じゃあな」



凛「あ、行っちゃった。……総武線の駅、十分は歩くのに。ふふ、送ってくれたのかな」

凛(雪ノ下さんとの話も、実は立ち聞きしてた。あの二人ってどういう関係なんだろ。地味に戸塚さんも気になるな。絵里さんとも知り合いっぽかったし。あの人、本当にナニモノ? 明日会ったら、ちょっとそれとなく聞いてみようかな。面白いかも)

凛「ふふ」

凛(自然と笑みがこぼれた。早く明日にならないかな、なんて)

凛(四月も始まったばかりだと夕方でもまだこんなに暗い。昼間のいい天気は放射冷却の前払いだ。とても寒い。プロデューサーと出会ったのも、こんな夜だった)

凛(聖なる夜――きっと、今まで"いい子"にしてたから)

凛「サンタさん、ありがとね」





43以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 08:14:23.39TvEiFEGI0 (1/1)

海末じゃなくて海未な


44 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:14:41.89NSPCnO+e0 (43/255)

<同日、夜。キュートプロダクション事務所>


ちひろ「雪乃ちゃん、今日はもう上がっていいですよ? 後は私がやっておくから」

雪乃「いえ、そういうわけには……」

ちひろ「ダメですー。ちゃんと見た? 進捗悪すぎですし数字間違えすぎです。これじゃ仕事してるとは言えませんよ?」

雪乃「……ごめんなさい」

ちひろ「……なんてね。仕方ないもんね。仕事になりませんよね」

雪乃「…………懐かしかった、ので」

ちひろ「おー? 本当にそれだけですかー? ……まあ、聞かないでおくね」

雪乃「……姉さんから、聞いていないんですか?」

ちひろ「陽乃が可愛い妹の秘密をぺらぺらと喋ると思う?」

雪乃「割と昔はぺらぺら喋っていましたが……」

ちひろ「昔は昔。今は今、ですよ」

雪乃「……」

ちひろ「……なーんて。そんな風に割りきれたら楽なのにね」

雪乃「……ちひろさん。私は、変わったでしょうか」

ちひろ「教えてあげてもいいですけど、聞くのはもったいなくないかな?」

ちひろ「どうせなら、男に判定してもらったらどうです? 女の子でしょう?」

雪乃「……ええ。そうですね」クスクス

ちひろ「私は慌ててメイク直して眼鏡外してスタンバイしたり、どうしてかわからないけどいつものシュシュを外したり、雪乃ちゃんのそういういじらしいところ、好きだなー」

雪乃「…………本当、嫌になるくらいよく見てるんだから」

ちひろ「ふふふ。見えすぎて辛いこともあるけどね」

雪乃「……意地です。ただの、女の子としての」

ちひろ「……そっか」

雪乃「……上がらせていただきます。お疲れ様でした」

ちひろ「うん、お疲れ様。……ちょっと、窓を開けてくれないかな? 桜、綺麗なの」

雪乃「ええ。わかりました」


――からら。


ちひろ「……わぁ。夜桜!」

雪乃「綺麗ですね」

ちひろ「うんうん。もう、すっかり春ですねえ」

雪乃「そうです、ね」

雪乃「……雪が溶けなくても、春は来るのね」





45 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:21:25.15NSPCnO+e0 (44/255)

<数日後、午後。クールプロダクション事務所>

絵里「よーし、ものは試しね! やらないと覚えないわ!」

アーニャ「ふふ、プロデューサー……ジュラーユ・ウダーチ」

八幡「? それ、どういう意味ですか?」

絵里「ロシア語で頑張れ、という意味よ。期待に応えてね?」

八幡「プレッシャー……。というか絢瀬さん、ロシア語堪能なんですか?」

絵里「私はロシア人のクォーターなのよ。アーニャみたいにハーフじゃないけどね」

アーニャ「ダー……絵里、とてもロシア語、上手です」

八幡「何でもできるんだな。仕事も語学もできるとか反則かよ」

絵里「ほ、褒めたって手加減しないわよ。さ、比企谷くん。私が電話をかける役をやるから、比企谷くんは応対してね」

八幡「わかりました」

アーニャ「私、何すればいいです? 私も何か、手伝いたいです」

絵里「と、言ってもね……何を任せようかしら」

八幡「電話の音とかでいいんじゃないですか」

絵里「Cランクアイドルに電話の音だけやらせるとかどうなのよ!? プライドってもんが」

アーニャ「とぅるるるるる、とぅるるるる」

絵里「いいの!?」

八幡「いいんだ……」

アーニャ「とぅるるるるる」

絵里「ま、まあいいわ。やりましょう。ほら比企谷くん、電話を取って」

八幡「あ、はい。……もしもし、346アイドル部門クールプロダクション事務所でございます」

絵里「ででーん、はいアウトー。電話対応でもしもしはNGよ。次言ったら罰金ね」

八幡「うぐ、わかりました」

絵里「お電話ありがとうございます、でいいと思うわ。あと唐突だったとはいえ3コールかかっちゃったわね。基本電話は二コール以内で取るようにね。それ以上かかった時はお待たせいたしましたを付けると吉よ」

八幡「…………はい、わかりました。もう一回お願いします」カキカキ

絵里「ちゃんとメモを取るのね。偉いわ」

八幡「同じこと二回聞くのは効率が悪いですから。気が引けるしめんどくさいし」

絵里「後ろの理由が余計だわ……」

アーニャ「とぅるるるるるるる、とぅるるるるる!」

絵里「ほらまた鳴ったわよ!」



>>43 Oh ありがとうございます。 同時にこれから先大量に修正しなきゃいけなくて辛いことが判明しました。


46 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:23:08.69NSPCnO+e0 (45/255)



八幡「巻き舌上手ぇ……さすがロシアだ。お待たせいたしました、お電話ありがとうございます。346アイドル部門クールプロダクション事務所でございます」

絵里「ハラショー! いいわ、次に行きましょう。……おっほん、文明放送の矢澤だが」

八幡「あ、はい、いつもお世話になっております」

絵里「来週収録のアナスタシアさんのラジオの件で変更が出たので、絢瀬さんと話したいのだが」

八幡「絢瀬さんですか? かしこまりました、ただいまお繋ぎ致しますので、少々お待ちくださいませ」

絵里「でっでーん! アウトー!!」

八幡「っだぁ! 何がダメだったんですか!」

絵里「取引先の人に対して、身内に敬語を使ってはいけないわ。綾瀬でございますか? が正しいの」

八幡「ビジネスマナーって面倒くせえ……」

絵里「マナーってそんなものよ。でも知らないと一生恥をかき続けるわ」

アーニャ「ででーん。うふふ、絵里、かわいいです」

八幡「本当にな。教えてくれてるのが綾瀬さんじゃなかったら帰ってるわ。ででーん」

絵里「ちょ、ちょっと何よ、からかわないでよっ。……ちょっと言ってみたかったんだもん」

八幡「ぐはっ」

アーニャ「ででーん。プロデューサー、アウト♪」

絵里「もおお! いいわよ、もう教えない! 恥晒してクビになっちゃえばいいんだわ!」

八幡「イズヴェニーチェ……」

アーニャ「わあ、プロデューサー! お上手、です」

八幡「さっき教わっておいてよかったな」

絵里「……誠意が足りてないわ」

八幡「日本語上手っすね」

絵里「普通に日本語喋れるわよ!?」




凛「……みんな何してんの?」







47 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:25:05.83NSPCnO+e0 (46/255)



八幡(事務所のドアを開けるなり、開口一番渋谷は言った。ジト目で。学校は……ちょうど終わる時間か)

八幡「おう、渋谷か」

アーニャ「エリーチカ先生、ビジネスマナー、教えてます」

凛「ふーん。何か、楽しそうだったね」

八幡「楽しくねえよ。ヘコんでばっかだっつの」

絵里「もっともーっとボコボコになってもらうんだからね。全然本気じゃないんだから」

八幡「うええ……本気出したらどうなるんすか」

絵里「ちょっとプーチン入るかも」

八幡「ぜひ今のままでお願いします……」

八幡(怖すぎだろ。地球割れそうだもん)


絵里「でも、凛ちゃんも来たし今日のマナー講座はこれまでね」

八幡「そうですね。今日は俺も渋谷に付いていくつもりです」

絵里「それがいいわ。これから何度もレッスンを見ることになるだろうし、トレーナーに挨拶を済ませておきましょう」

アーニャ「ワオ、じゃあ凛、今日はレッスンですか?」

凛「うん、そうだよ。今日は自主練じゃなくて、トレーナーさんとの初練習みたい」

八幡「ああ、そのことだが。まだトレーナーさんたちがどういう体制でつくのか教えてなかったな」

凛「うん、教えて?」





48 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:26:33.69NSPCnO+e0 (47/255)



八幡「トレーナーさんだが、渋谷には今年から346のトレーナーになったルーキーさんについてもらうことになった」

凛「へえ、そうなんだ。新人同士、上手くやっていけるといいな」

八幡「新人とはいえ、相手はプロだ。レッスンは間違いなく自分の為になるだろうな」

凛「うん、少し楽しみだよ」

八幡「あと、これも当たり前だが。トレーナーさんはお前の専属じゃない。渋谷にはこれからパッションの本田未央、キュートの島村卯月と合同でレッスンしていってもらうことになる」

凛「! そうなんだ」

八幡「どうした。不安か?」

凛「……ううん。私、部活とか入ってたことなかったから。誰かと何かをやるのが新鮮で。……ちょっと、楽しみかも」

八幡「俺なんか誰かと何かやるのは苦痛でしかないけどな。はーい二人組作ってーの命令。あれ考えた奴は絞首刑でいい」

絵里「体育くらいどうにかならなかったの……」

凛「プロデューサーの黒歴史は置いといて、ようやくアイドルらしくなってきたね。頑張るよ」

八幡「まあなんだ。初めは絶対上手いこといかないだろうが……頑張れ」

絵里「絶対って……もうちょっと他の言い方はないのかしら……」

アーニャ「でも、がんばれ、は言ってます。ふふ」


八幡「じゃ、行ってきます」

アーニャ「凛、ジュラーユ・ウダーチ!」

凛「あはは、えーっと……スパスィーバ、アーニャ」

絵里「ハラショー! 綺麗な発音ね。あ、比企谷くん」

八幡「? 何ですか」

絵里「向こうに行ったら、あの子によろしくね?」





49 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:28:49.16NSPCnO+e0 (48/255)

<都内某所:346プロタレント養成所>


八幡「比企谷です、これから渋谷共々よろしくお願いします」



星空凛「星空凛です! こちらこそよろしくね! 凛も新任で至らないところいっぱいだと思うけど、精一杯頑張るね!」



八幡「俺も渋谷も新人なので。お互いカバーしていきましょう」

八幡(一足先に講師室へ赴いた俺は、担当の星空凛さんと顔を合わせた。しなやかな体格をしている。サイドアップに髪の毛を結って、黒のノースリーブの上に黄色のTシャツを重ね着していた。青緑のカーゴパンツとスニーカーが良く似合う、快活そうな人だと思った。いかにも運動ができそうだ)

星空凛「そうだね! 凛も初仕事、すごく楽しみだな~」

八幡「よろしくお願いします。自分はどこかで待ってるんで……。この辺りにどこか落ち着いて座れそうなところはありますか? なかったらレッスン終わるまで喫茶店とかで仕事をしてますが」

星空凛「あ、だったら一階の食堂がいいよ! 今の時間はあんまり人もいないし、静かなんだ~」

八幡「そうですか、だったらそこにいます」

星空凛「あ、でももしよかったら比企谷くんもレッスン見学するかにゃ? 勉強になると思うよ!」

八幡「にゃ?」

星空凛「あ、出ちゃった。えへへ、凛の口癖なの。最近治そうと思ってるんだけど、やっぱりふっと出ちゃうね。諦めたほうがいいのかなあ……」

八幡「まあ、いいんじゃないですか。そういうアイドルもいるし。……そうっすね、じゃあ仕事が一段落して途中からでもいいんならぜひ」

星空凛「うん、わかった! 今日のレッスンは201でやってるよ! アイドルの能力や適性を知るのも、プロデューサーとして大切よって絵里ちゃんが言ってたにゃ」

八幡「絢瀬さんとは知り合いで?」

凛「うん! 高校で部活が同じだったし、今でも遊ぶよっ」

八幡「へえ……最近思うが、世間って狭いんだな」

凛「あ、レッスンの時間だ! それじゃあまたあとでね、比企谷くん!」

八幡「うぃっす」

八幡(元気な人だな~。アイドルだったら絶対パッション……いや、あえてキュートかな。俺だったらそうする。絶対その方が受ける。キュート、キュートねえ……しかし)

八幡(雪ノ下がキュートとはな。笑わせるわ)

八幡(俺は自販機でマックスコーヒーを買いながら、食堂へ向かった。初レッスンが上手くいくことを祈りながら)




50 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:31:14.90NSPCnO+e0 (49/255)

<同日、レッスン室201>

星空凛「はじめまして! 今日からみんなのレッスンを担当する星空凛です。よろしくねー!」

卯月「島村卯月ですっ! よろしくお願いしますね!」

未央「はじめましてっ、凛さん! しぶりんとおんなじ名前だねっ!」

星空凛「あはっ、そうだね♪ じゃあ凛も渋谷ちゃんのことはしぶりんって呼ぼうかにゃ~」

凛「知らぬ間にどんどん広まっていく……」

卯月「いいじゃないですか、二人とも凛ちゃんだと分かりづらいですし♪」

凛「うーん、まあいいか……」



星空凛「それじゃあ、レッスンを始める前にー。みんな、その場に座って?」

卯月「? わかりました」

未央「おおっ、なんだなんだ?」

凛(促されるままに、私たちは床に三角座りをした。それにしても、床も鏡もピカピカだね)

星空凛「うん、じゃあ、脚開いて?」

未央「ほえ?」

星空凛「聞こえなかった?」



星空凛「脚。ひ   ら   い   て   ?」

凛(この頃私たちは予想もできなかった。こんなにニコニコした人が――)



未央「いててててててて!?!?! 死ぬっ!! 死んじゃうよおおおお!!」

星空凛「うーん、全然ダメダメだにゃー。えいっ」

未央「ぎゃああああああああ!!!」

凛(無情。あまりにも無情……! 凛さんは軽やかな足取りで未央の後ろに回ると、手加減無しで背中を押した……! あああ、見てるだけで痛い。痛いよ!!)

凛「う、うわあ……」

凛(知らず後ずさりする私。物音を立ててしまった)

星空凛「しぶり~ん? どこ行くにゃ?」

凛「あっ……ああっ……」



凛「痛い痛い痛い痛い!!!!! 死ぬって!! 裂けちゃう!!! 裂けちゃうよ!!!」



星空凛「う~ん、これで? しぶりんも全然だめだね~☆」

凛(彼岸を見たよ……! 死ぬかと思ったよ!!)

卯月「ていっ」

星空凛「おっ、卯月ちゃんはやわらかいにゃ!」

卯月「えへへ、毎日やってますから」

未央「人間じゃない……」

凛「無脊椎動物……」

卯月「ちゃんと背骨ありますよっ!?」




51 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:33:37.95NSPCnO+e0 (50/255)



星空凛「これね、全員、最低限脚を開いた状態で床にお腹がつくところまでもってかないと駄目にゃ」

凛「に、人間やめてる……」

未央「石仮面どっかに売ってないかなぁ」

卯月「毎日やってればできるようになりますよ! 未央ちゃん! 凛ちゃん!」

星空凛「うん、そうだよ! 毎日やれば必ずできるようになるにゃ。……でも、毎日やらないと絶対に出来るようにはならない」

凛「…………」

星空凛「柔軟性を上げることは全てにつながるよ! 全てのパフォーマンスの安定にかかわってくることにゃ」

星空凛「みんなは今はまだナニモノでもないけど、いずれ人の前で歌ったり踊ったりする本番がやって来る。その時に出来たり出来なかったりじゃとっても困るんだ」

星空凛「なぜならみんなは、プロだから」

卯月「!」

星空凛「プロってことは、人からお金と時間を取るってことにゃ。見に来る人たちはその日を楽しみにやって来るよ。その時に、出来ませんでしたなんてことは許されない。君たちには、人々を魅了する責任があるにゃ」

星空凛「自分はもう自己満足だけで完結しない世界に立っているってこと、忘れないで」

星空凛「凛は楽しくレッスンをやっていきたいにゃ! それが凛のモットーだからね。だから歌が上手くなったり、ダンスのキレが増して来たら、いーっぱい褒めてあげる!」

星空凛「でも、柔軟とかそのあたりのことでは絶対に褒めない」

星空凛「それはね、プロとして当たり前のことだからだよ。そのこと、覚えておいてね」

凛(ぴしゃりと寝覚めに冷や水を浴びた気分だったけど、私はこの時一つ確信した)

凛(おそらく私たちは最高に運がいい。この人は、出来る側の人間だ――)



星空凛「は~い、じゃあ次は片足立ち10分ね~☆」

凛「ああ……」未央「ひぃん……」卯月「いぇええ!?」

凛(……ちょっと、厳しいけど)


凛(ふらふらする世界。卯月がよろけて叫ぶ声がドミノのはじまり。三人同時に倒れちゃった)

凛(アイドルのレッスンでひとつ学ぶ。倒れた床は、結構冷たい)




52 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:36:56.99NSPCnO+e0 (51/255)



八幡「……ふぅ、こんなもんか」

八幡(企画書を打ち終える。ここ最近作ったものの中では悪くない出来だ。後は絢瀬さんにチェック通して、ゴーが出たら奴らと打ち合わせすればいい)

八幡(これが渋谷メインの初仕事になる。……出来るならよりいいものにしてやりたい。戸塚や雪ノ下、綾瀬さんの意見ももっと聞いた方がいいだろう)

八幡(けっこうダメ出しされんだろーが、それでいい。ゲームは死んで覚えてなんぼだ)

八幡「小腹が空いてきたな」

八幡(そういや今日はこれのことばっかで昼休みロクに飯くってねーわ。俺が休みに仕事するなんて……自我が揺らいじゃう……)

八幡(そういえばここは食堂だ。何か食べるのもいい。カウンターに行って、窓口の上に貼ってある一品一品の写真付きメニューを確かめる)


八幡「ん? ……絶品346おにぎり?」

八幡(なんだこれ……他は全部チキン南蛮とかカルボナーラとか普通のメニューなのにこれだけ毛色が違うぞ。しかもなんでこれだけ文字が行書体なんだよ)



花陽「おおっ! それを選ぶとはお目が高いですっ!」



八幡(話しかけてきたのは、カウンターの向こうで一人待機してた食堂の女の人だ。若い。俺と同じくらいか? 柔らかい雰囲気を帯びた、温和そうな人だった)

八幡「どう絶品なんです、これ?」

花陽「それはもう凡百のおにぎりとは存在から違いますっ」

八幡「存在……」

花陽「お米の産地から私が完全監修してますから! おにぎりに一番適したお米です。おにぎりはね……素材が命なんですよ……!」

八幡「へ、へえ……」

八幡(この好きなもの推してるときのパワー感、すっげえデジャヴなんだが。誰だっけ。あ、俺か)





53 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:38:57.81NSPCnO+e0 (52/255)



八幡「じゃあまあお腹も空いてるし、一つください」

花陽「ありがとうございますー! ……そういえばお客さん、見ない顔ですね」

八幡「ああ、ここに来るのは初めてなんで。これから来ることも多くなると思うが」

花陽「そうなんですかー。自慢になっちゃいますけど養成所の食堂はおいしいですよ! あ、わたし食堂員の小泉花陽と申します。よろしくお願いしますね」

八幡「クールプロのプロデューサーの比企谷です、よろしく」

花陽「クールの? あ、じゃあ今凛ちゃんがレッスンしてるところの!」

八幡「ん? うちの渋谷をご存じで?」

花陽「へ? 渋谷?」

八幡「え、今凛って。自分の担当アイドルは渋谷凛と言いますが……」

花陽「あ、ちがうんです! 凛ちゃんは、トレーナーの星空凛ちゃんのことですよ」

八幡「ああ、なるほど。そういえば星空さんも凛って名前でしたね」

花陽「そーなんですよ! 凛ちゃん、今日は初仕事にゃ―って朝からはりきってましたよ?」

八幡「仲がいいんですか?」

花陽「凛ちゃんとは幼稚園の頃からの知り合いなんですよ。小中高、って一緒で。大学はわかれちゃったんですけど、今また職場が一緒になりました。すっごく嬉しいです!」

八幡「へえ……リアル幼馴染か」

花陽「えへ、そうなんです。……はい、できました! 一口かじってみてください!」

八幡「あ、どうも。じゃあ失礼して」

八幡(その時、俺に電流走る――)


八幡「なんだこれ!? めちゃくちゃうめえ!!!」

花陽「でしょうっ!? 食堂で一番人気のメニューなんです! えっへん」

八幡「今まで俺が食ってきたおにぎりは三角の形をしたゴミだったのか……」

花陽「そ、そこまで言わなくても……」





54以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 08:40:23.41AqZkuKOGO (1/1)

デレマス組のデビュー年齢違うのはなんかなー


55 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:41:07.61NSPCnO+e0 (53/255)



八幡「めちゃくちゃ美味しかったです。また来ます」

花陽「そう言って頂けるのが何よりも嬉しいです。待ってますからねー!」

八幡「あ、そういや201ってどうやって行けばいいかわかります?」

花陽「それならそこの階段昇って右手に曲がればすぐですよ。一番奥が喫煙所で、その右隣にあります!」

八幡「ああ、喫煙所あるのか。寄ってくかな……。あ、ありがとうございました、また」

花陽「はいっ、待ってますね」


花陽「よかったぁ、おいしいって言ってもらえた! この仕事してて、本当に良かったなぁ」


八幡(幸い喫煙所には誰もいなかった。スーツのポケットから一式を取り出して、煙草に火をつけた)

八幡「ふー……」

八幡(落ち着くってわけではないが、頭がぼんやりとする。何も考えなくていい)

八幡(外界から煙を隔つガラス張りのドアを見つめていると、ガラスのむこうの左側の引き戸から急に女の子が出てきて地面にへばりついた。あれは……本田か。続いてぞろぞろと出てくる)



未央「うえぇええん、もう無理ー! 体力ゲージカラッポだよお!」

星空凛「にゃはははは。まだこっからだよ~? 休憩明けが楽しみにゃ」

卯月「」

凛「ちょっと卯月? 大丈夫? 生きてる?」

卯月「ドナーカード……書いておきます……」




56 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:44:22.14NSPCnO+e0 (54/255)



八幡(……なかなかハードらしいな。でもまあ当然か。アイドルって歌うだけじゃないもんな。歌いながら踊ったりするんだし。口パクかどうかは知らんが、少なくとも踊りながら笑わなきゃダメなわけだ。そりゃ体力鍛えなきゃいかんわな)

八幡(あ、渋谷のやつこっちに来るな。煙草消さねーと)

凛「サボり?」

八幡「バカ、ちげーよ。一仕事終わったから一服してんだ」

凛「本当に? ずっとサボってたんじゃないの?」

八幡「出来るんならそうしたいがな。本当だ」

凛「ふーん……」

凛「……煙草」

八幡「ん?」

凛「煙草、吸うんだね」

八幡「……ああ、まあな」

凛「ねえ、なんでそんなの吸うの? カッコつけ?」

八幡「……さあな。気が付いたら、って感じだ」

凛「税金の塊なのに」

八幡「俺が煙草を一箱買うことで国に貢献できる……俺はそういうところに幸せを感じるんだ……」

凛「何言ってんの?」

八幡「おいマジレスやめろ。言葉のナイフしまって?」

凛「……身体に悪いのに。そんなもの吸ってたら早死にするよ?」

八幡「…………だからだよ」

凛「え?」



卯月「凛ちゃ~ん、凛ちゃ~ん! 休憩、終わりですよー! ……終わって、しまいました」

未央「そうだぞしぶりん! モタモタするなぁ! 今回もまた地獄に付き合ってもらう!」

八幡「おら、行ってこい。サボってんじゃねーぞ」

凛「わかってるよっ。プロデューサーこそサボらないでよね」

八幡「それはない。今からお前らの練習見るから」

凛「え、そうなの?」

凛「……じゃ、頑張る」



>>54 感想ありがとうございます。年齢は登場人物の年齢層的に意図的にいじっています。最初に書いておくべきだったね、ごめんね。



57 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:46:48.87NSPCnO+e0 (55/255)



星空凛「高音は喉から出しちゃだめ! お腹から! そういうやり方もあるけど基本は腹式呼吸してお腹から声を出すにゃ! 未央ちゃん、喉に力入ってるよー」


星空凛「1、2、3、4! 1、2、3、4! 卯月ちゃん、腰が引けてるにゃ! 体幹がブレるとあらゆる動きがダサく見えちゃうよ! しぶりんは下向かない! 鏡があるんだからそっちを見ようねー」


星空凛「え・が・お! しぶりん笑顔にゃ! 笑顔でゴリ押し! アイドルは笑顔に始まって笑顔に終わると言っても過言ではないにゃ! レベルを上げて笑顔で殴ろう!」


星空凛「未央ちゃん走ってる! 卯月ちゃんは遅れてる! しぶりんは……よし! あ、また目つぶったにゃ! ダメ!」


星空凛「よーし! そろったにゃ! 凄いよ!」


未央「や、やった……っ」

卯月「とうとう揃いました~……」

星空凛「うん、じゃ、もう一回最初からにゃ☆」

凛「……鬼。鬼がいるよ」

星空凛「ん~? 一回じゃ足りないのかにゃ?」

凛「いや! そんなことは!! 一回で決めます! 決めますから!」

星空凛「よろしい! 大丈夫、できるよ!」


星空凛「1、2、3、4! ……しぶりん、またステップが遅れたよ!」


凛「っ……はい! はぁ、はっ……」

星空凛「大丈夫?」

凛「……っ、あの」

星空凛「うん、ちょっと休む?」

凛「……もう、一回」

星空凛「!」

凛「もう一回っ。……お願い、します」

星空凛「……よーし! じゃあもう一回!」



星空凛「はい! それじゃ今日はこれでおしまいにゃ! みんなお疲れ様!」

未央「」凛「」卯月「」

星空凛「あはは、初日からはきつかったかな? でも、そのうち慣れるにゃ。ストレッチ忘れないようにね! 怪我したら意味ないからね~」




58以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 08:47:08.33MwoYAhThO (1/1)

もう名前が全く出てないのことりちゃんだけか
μ's出揃うの早いな


59以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 08:48:22.58TvEiFEGIo (1/1)

話は面白いから頑張れ
あと一々反応しない方がいい


60 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:48:49.66NSPCnO+e0 (56/255)



八幡(……きつそー。想像を絶するな。アイドルってみんなこうなのか? テレビで見る華々しい姿とは天地の差だ)

星空凛「あ、比企谷くん! 今日の分の報告書を渡すから一緒に講師室に来てほしいにゃ」

八幡「了解です。じゃ、行ってくるから渋谷は着替えてろ」

凛「……うぃーっす」

八幡「キャラ。キャラがブレてんぞ」

凛「知らない。もう立てない……」

八幡「……立ったほうがいいと思うけどな」

未央「ほほーう、これはこれは……」

凛「?」

卯月「凛ちゃん、お腹っ。お腹出てますよっ」

凛「っ! 馬鹿! ヘンタイ!」

八幡「退散退散」


<同日、講師室>


星空凛「あとは、ハンコおしてっと……はい! おしまい!」

八幡「ありがとうございます、お疲れ様です」

星空凛「なんのなんの! 凛はすっごく楽しかったよ、今日!」

八幡「色々と勉強になりましたよ。星空さん、意外と厳しくて驚きましたけど」

星空凛「あ、あは……。でも、こんなの高校の時の絵里ちゃんに比べたらまだまだにゃ」

八幡「絢瀬さんが? そうか、だから出るとき言ってたのか」

星空凛「絵里ちゃんのレッスンは鬼畜だったなあ……悪鬼羅刹にゃ」

八幡「何部だったんですか?」

星空凛「えー! 知らないの!? 凛たち、全国優勝したのになあ……」

八幡「え、凄ぇ。でも何か実績ないとうちでトレーナーなんてやれないか」

星空凛「当ったり前だよ! 結構厳しかったんだからねー? 倍率」

星空凛「えへへ、何か偉そうな言い方になっちゃうけど、凛たちを知らずによくプロデューサーなんてやってるね!」

八幡「……意外と毒舌家って言われません?」

星空凛「うん、たまに。なんでだろうねー?」


八幡(無自覚か……怖ぇ)




61 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:51:10.93NSPCnO+e0 (57/255)



星空凛「凛たちはね、アイドル部やってたの! スクールアイドル!」

八幡「え?」

星空凛「今うちでアイドルやってる穂乃果ちゃんとか海未ちゃんとか、食堂にいるかよちんとか、あとは比企谷くんも知ってる絵里ちゃんもそうだよ!」

星空凛「凛たちはね、μ'sっていうグループを組んでたんだよ」

八幡「そんなこと、絢瀬さんから一言も聞かなかったな」

星空凛「絵里ちゃんは自分で言わなさそうだにゃー。でも、そこそこ凛たちは有名なグループだったんじゃないかな、アマチュアにしては」

八幡「へえ……後で調べてみます」

星空凛「……気になったんだけどー」

八幡「?」

星空凛「敬語、やーめよ? 多分、比企谷くんの方が年上だよ?」

八幡「……ん、でも」

星空凛「μ'sでは敬語禁止! これから一緒に頑張っていくんだから、やめよ?」

八幡「……わかった。そうする」

星空凛「えへへ、よろしい」



八幡「見た感じ、ニュージェネレーションたちはどうだ?」

星空凛「初日だったからみんなボロボロだったけど、見た感じみんな才能はあると思うにゃ。卯月ちゃんは正統派って感じだね! 現時点では一番能力が上だにゃ。多分、アイドルになりたくて一人でずーっと練習してきたんだと思う。伸ばしがいがあるね! あとは笑顔がやっぱり武器になりそう。未央ちゃんはダンスが特にいいと思う! 運動神経がいいんだろうね。高校の時の自分に一番似てるにゃ」

八幡「渋谷は?」

星空凛「現時点では一番能力が劣るにゃ。身体は固いし喉声使っちゃうし笑顔固いし。ダメダメダメだね。ダメofダメにゃ」

八幡「……oh」

星空凛「でも」

八幡「でも?」

星空凛「才能は一番あると思うにゃ。ふとしたことで一気に化けそうな」

八幡「本当に?」

星空凛「いや、正直わからないけどね。あはは」

八幡「おい」

星空凛「いや、嘘じゃないよ? カクショーが持てないんだー。凛もまだ新人だからね!」

八幡「無責任な……」

星空凛「ただのカンだからにゃ。でも凛は、一番しぶりんに期待してるよ?」

八幡「どうして?」

星空凛「才能って目覚めるものじゃなくて、磨くものにゃ。あの子はサボんないよ、多分」

八幡「……それも、ただのカンか?」

星空凛「これは確信! ぜったいだいじょーぶ! そういうところ、一番大事にゃ!」


星空凛「――だから、可能性感じたにゃ」




62以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 08:52:10.29HE46H+k0o (1/1)

>>58
俺ガイル側にまだ出てない大物がいるけどな


63 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:53:03.51NSPCnO+e0 (58/255)

<レッスン室201前>


戸塚「あ、八幡!」

八幡「おお、戸塚。お前も送迎か?」

戸塚「いや、別の人のレッスンを見に来たんだよ。今日は間に合えば本田さんのレッスンも見たかったんだけどね。前の仕事が押しちゃって間に合わなかったんだ」

八幡「そうか、お前も大変だな。複数人を見るとなると」

戸塚「八幡もそうじゃないの?」

八幡「俺もそうなんだが、新人にいきなりは重いってことで色々事務員さんに助けてもらってるからな。実質負担分はそこまで多くない。今は渋谷のことに集中させてもらえてる」

戸塚「そっか。八幡だとすぐにぼくに追いつきそうだね」

八幡「んなことねえよ。今日は誰のレッスンだ?」

戸塚「園田さん。……ずーっと、気になっててね」

八幡「そうか。あの人、有名なんだってな」

戸塚「うん、実力派なんだー。レッスンにも一生懸命でね」

八幡「真面目そうだったもんな」

戸塚「うん、真面目すぎちゃうから……潰れちゃわないか、心配で」

八幡(こぼす戸塚の表情は少し暗い。優しいところは相変わらずか)


戸塚「ふふ、そういうところが八幡に似ててね。気になる」

八幡「はぁ? この歩く不謹慎に何言ってんだ」

戸塚「変わんないなあ。えへへ、そういうことにしておいてあげるよ」


八幡「あ、戸塚。例の企画書だが。今日チェック入り次第すぐそっちに送付する」

戸塚「ああ、ニュージェネレーションの! わかった、すぐチェックするよ」

八幡「抑えるのが撮影スタジオだけだから、GOが出たらすぐ実行できるんじゃないかと思う」

戸塚「わかったー。本田さんのスケジュール、今月はレッスンと月末のラジオ出演以外は何もないから、融通は効くよ!」

八幡「了解。雪ノ下にも連絡しとく」

戸塚「じゃあ、お願いします。えへへ、八幡との初仕事だねっ」ニコッ

八幡(圧倒的天使……! 笑顔がベホマズン……!)

八幡「ああ、頼む。いいものにしてやりたい」キリッ




64 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:55:59.26NSPCnO+e0 (59/255)



凛「……デレデレしちゃって。情けないったら」

卯月「戸塚さん、相変わらず可愛いですっ」

未央「さいちゃん、ハチくんと会ってるときはめっちゃくちゃキラキラしてるんだよねぇ」

卯月「うわわ、それはもしかしてっ」

未央「もしかするかもっ♪」

凛「…………ふん」テクテク

卯月「あ、凛ちゃん?」



戸塚「八幡、今度またテニスしに行かない?」

八幡「あ? 俺高校の体育以来運動なんかしてねぇぞ」

戸塚「だったら尚更だよ。身体動かそう? 八幡は運動神経もいいし、慣れたらすぐ打てるようになるよ」

八幡「んー……まあ、気が向いたらな」

戸塚「ホントに!? じゃあ、休みの予定出たら教えてね? いつ? いつがいい?」

八幡(あっ、これ断れないタイプのやつだ……。でも、まぁ、戸塚だしな)

八幡「今月は無理だが、来月以降なら」

戸塚「来月以降ね。わかった、約束だよ?」

八幡「ああ」

凛「プロデューサー。早く事務所戻ろう?」

八幡「ん、ああ。ちょっと待ってくれ。戸塚、ちょっと連絡先教えてほしい奴がいるんだが」

戸塚「え? ……あ、わかっちゃった。ふふ、本当に連絡先知らなかったんだね」

八幡「連絡することなんてなかったからな。……だが、仕事だとそうも言ってられん」

戸塚「わかった、後で送っておくよ」

八幡「頼む。じゃ、行くか、渋谷」

凛「ん。友達と話すのもいいけど、ちゃんと私たちも見ててよね」

八幡「綺麗なお腹だったな、流石アイドル」

凛「っ! それは見るな! セクハラだよ!?」

八幡「まて訴えるのはやめろ。基本痴漢冤罪はかけられた時点で負けるから」

凛「冤罪じゃなくて普通に故意だったじゃん!」

八幡「お前が見せてきたんだろうが……」

凛「ち、違うよ! あれは事故! 不慮の事故だから!」

八幡「じゃあ俺被害者だろ」

凛「……何その言い方。現役女子高生のお腹見といて被害者面はないんじゃない?」

八幡「反省はしている。後悔はしていない」

凛「加害者!? そういう問題じゃなくて!」


未央「仲良いんだねー、あの二人!」

卯月「うーん、なんだか凛ちゃんに遠慮がなくて、私、悔しいですっ」

未央「相方としてはね! よっし、私もプロデューサーとスキンシップだ! さいちゃーん! 愛してるぜー!」

戸塚「はいはい。じゃ、ぼくは園田さんの方行ってくるねーお疲れ様ー」

未央「あしらわれたっ!?」

卯月「こっちも、仲、いいなあ……」




65 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 08:58:37.64NSPCnO+e0 (60/255)

<同日、レッスン室308>


ベテトレ「よし、ここまでとする。お疲れ様」

海未「はい、ありがとうございました。……ふぅ」

戸塚(レッスンが終わり、ストレッチをする園田さん。結構ハードな内容だったのに、まだ少し余裕があるみたい。……流石だな。基礎体力がある証拠だ)

戸塚「園田さん、おつかれさま。今日はとても良かったよ」

海未「ありがとうございます。戸塚くん、今日も忙しい中ありがとうございます」

戸塚「何言ってるの、担当アイドルを最優先するのは当たり前のことだよ」

海未「そんな。私に割く時間があれば色々なことが出来るはずです」

海未「私なら、大丈夫ですから」

戸塚「…………そういうところが大丈夫じゃないんだよねぇ」

海未「? 何か?」

戸塚「んーん、何も。それより今日はライブバトル会場の下見だよね。送るから着替えてきて」

海未「そんな、場所はわかるので電車で行きますよっ」

戸塚「だーめ。園田さん、有名だから。移動中に騒ぎになったらどうするの?」

海未「……穂乃果ならいざ知らず。私ごときに、そんなことあるはずないじゃないですか……」

戸塚「あーもう。園田さんは四の五の言わずぼくに送られればいいの」

海未「ご、強引ですね。時々驚いてしまいます。……それにしても、送迎は今でも慣れません。なんだか自分がお姫様のようで」

戸塚「ふふ、違わないよ。園田さんはぼくのお姫様だからね。しっかり頂点まで送らないと」

海未「なっ、何言ってるんですか! っ……着替えてきます!」

戸塚「いってらっしゃい。待ってるよ」




66 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:00:40.43NSPCnO+e0 (61/255)



ベテトレ「随分熱烈に口説くじゃないか」

戸塚「ふふ、そうだね。ずーっと気になってたからさ」

ベテトレ「……相変わらず君の吐く言葉は全部本当に聞こえて逆に嘘っぽいよ」

戸塚「それ、褒めてる?」

ベテトレ「まさか。あんまりアイドルを骨抜きにするのはやめてくれよ? 私の仕事に差し支える」

戸塚「え? 妬いてくれるの?」

ベテトレ「違うよバカ。レッスンに身が入ってないと私が怒らないといけなくなるだろう」

戸塚「あはは、わかってて言った」

ベテトレ「……ハァ。君は本当に変わったよ、テニス時代の純粋な君はどこへやら」

戸塚「ぼくは元からこうだよ。みんなが夢見てるだけ」

ベテトレ「……ある意味、アイドルのプロデューサーが一番似合う男なのかもしれないよ、君は」

戸塚「褒め言葉として受け取るよ。……本題だけど」

ベテトレ「ああ、なんだ」

戸塚「園田さんの様子はどう? 少なくともレッスンだけを見て」

ベテトレ「……逆に聞こう。君の眼にはどう写る? 園田海末のレッスンは」

戸塚「ぼくが言っていいの? ……そうだね、テニスしかしたことない素人のぼくの眼には」

戸塚「完璧、に見えた」


ベテトレ「……そうだ、プロの私の目から見ても完璧だ。ダンス、歌の表現力は現役アイドルの中ではトップレベルと言っていいだろう。課題があるとしたら笑顔周辺だが、それは各々の個性がある。そこにまで完璧を求めるのは酷というものだろう。ただ、彼女はこの高みに登りつめてなお、登ることをやめようとしない」

ベテトレ「レッスンを見る限り……今のところ、完璧だ」

ベテトレ「これで誰かに敵わない、という方がおかしいよ」

戸塚「うん、だよね」

ベテトレ「レッスンを見る限り、ではな」

戸塚「…………」

ベテトレ「最近の報告書を見た。あれは本当なのか?」

戸塚「うん、本当だよ。こんなことで嘘はつかない」

ベテトレ「……私にはレッスンを見てやることしかできない。そこは最善を尽くそう」

戸塚「ありがとう」

ベテトレ「君を信頼している。だから私は見守っていよう。……ふふ。案外、彼女は骨抜きになったほうがいいのかもしれんな」

戸塚「骨抜き、ねえ」

戸塚「これは骨が折れそうだな……」




67 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:03:01.82NSPCnO+e0 (62/255)

<翌日。都内某所、撮影スタジオ>


スタッフ「はいOKでーす。機材変えるんで、その間休憩でお願いしますー」

穂乃果「はぁーいっ! おっつおっつばっちしー!!」

杏「穂乃果の撮影なのにどうして杏も来なくちゃいけないんだ……」

雪乃「まとめて撮った方がスケジュールとお財布的に楽だからよ」

杏「うぅん……楽するために効率化か……それは認めるけどやっぱり腑に落ちないよっ! 杏は部屋でごろごろしていたいんだっ」

雪乃「撮影現場にその駄目になる椅子を持ち込んでまだ我儘を言うのね……」

穂乃果「その椅子本当に気持ちいいよねっ! 穂乃果もダメになっちゃうかと思ったよこの前」

雪乃「あなたは元々駄目でしょう」

穂乃果「ひどいっ!?」

杏「この椅子から下りると……瘴気の多い室外では……杏は…呼吸が…できないっ……」

穂乃果「あはは、声が平泉さんみたい! おっさんだ!」

雪乃「竜吉公主か何かなのあなたは」

杏「ネイティブ・インドアンだから」

穂乃果「絶滅が早そう……」

雪乃「はあ……双葉さんは本当、アイドルというよりidleね」

穂乃果「しっかし暇だなー。えいっ」

雪乃「あ、こら! 返しなさい!」

穂乃果「ハアハア……ゆきのんの携帯っ……ハァハァ……」

杏「この時代にガラケーってところがそそるねえ……ぐへへ……」

雪乃「き、気持ち悪い!! なんなのその口調は」

穂乃果「昨日ネットで穂乃果の名前検索したら穂乃果ちゃんハァハァって書いてて面白かったから真似してるの!」

杏「勇者だ……エゴサーチ……だと…!?」

雪乃「ネットで自分の名前を検索するのはやめなさい! 死に至るわよ! ……というか、お願いだから早く返して!」


雪乃(……! しまった、待ち受け画面はディステニィーランドの時の――!)




68 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:04:59.12NSPCnO+e0 (63/255)



穂乃果「ほほーう、ここまでゆきのんが取り乱すとは……あやしい」

杏「ふふ……今までよくも散々いじめてくれたなっ! 辱めてくれようじゃあないか! 杏ディフェンス!」

雪乃「ええいっ、邪魔よっ」ブンッ

杏(空気投げ……だと…? ガクリ)

穂乃果「杏ちゃんの犠牲は無駄にしないっ! ……どれどれ、まずは待ち受けを拝見」


雪乃(駄目――!)


――ぶーん、ぶーん。
着信中 080-XXXX-XXXX


穂乃果「あ、電話だ」

雪乃(た、助かった……)

雪乃「貸して。……知らない番号ね」ピッ

雪乃「はいもしもし、雪ノ下雪乃ですが」

???『あ、……雪ノ下か?』

雪乃「……? そうですが、そちらは?」

八幡『あー、俺だ。比企谷八幡』

雪乃「っ――!?」ピッ

穂乃果「あ、切っちゃった! いいの?」

雪乃「ま、間違い電話だったのよ」

杏「いてて……なにもキレなくてもいいじゃないか……」

雪乃「急だから驚いたのよっ。だ、大体どうして私の連絡先を」


――ぶーん、ぶーん。
着信中 080-XXXX-XXXX


穂乃果「あ、まただ」

杏「同じ人じゃない?」

雪乃「……少し席を外すわ。休憩終わったら引き続きお願いね」

穂乃果「おっけー、やみのまー!」





69 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:06:39.45NSPCnO+e0 (64/255)



雪乃「……すぅ…はぁっ。……はい、雪ノ下です」ピッ

八幡『いきなり切んなよ! 流石にそれはねぇだろ!』

雪乃「あなたがいきなり電話をかけてくるからじゃない」

八幡『いきなりじゃない電話なんてあんのかよ逆に』

雪乃「屁理屈はいいわ。他を当たって? 詐欺ヶ谷くん」

八幡『道理を無理やり引っ込めやがって……あと詐欺でもねえ。ただの連絡だ』

雪乃「そうね、あなたのコミュニケーション能力で詐欺などおこがましいものね。同情するわ、振り込んであげる」

八幡『結局振り込んでんじゃねーかよ……そんなんだと変な奴にひっかかんぞ』

雪乃「私が?」

八幡『私に限って、とか思ってる奴ほど変なのにひっかかりやすいんだとよ』

雪乃「…………その変な奴に、言われたくないわ」

八幡『……電話だから、小声でディスんのやめろ。聞こえない』

雪乃「あらごめんなさい。電波も伝える人を選り好みするだなんて知らなかったものだから」

八幡「ちゃんと伝播するっつの。そろそろアンテナと一緒に腹も立ちそうなんで本題に入っていいか?」

雪乃「どうぞ。手短にね」

八幡『長引かせてんのはどっちだ……まあいい。この前顔合わせしたときに少し話したニュージェネ特集の件だが』

雪乃「ああ、あなたがメインで担当するアレね」

八幡『それだが、企画書が完成した。もう上と戸塚のチェックも入ってるんで、あとはお前待ちの状態だ。通ればすぐに実行に移せると思う』

雪乃「なるほど、了解しました。すぐにメールで送付してもらえるかしら」

八幡『そうしたかったが、お前のアドレスを知らんのでこうやって電話している。一応三事務所共用のドライブにアップしてはいるが』

雪乃「……そもそも、あなた私の電話番号知っていたかしら?」

八幡『最初は事務所の方にかけたんだが、千川さんって人が今はいないって言うもんでな』

雪乃「……あの小悪魔め。個人情報を……っ」

八幡『ああ、違うぞ。この番号は戸塚から教えてもらったんだ』

雪乃「……あら、そうなの」

八幡『ああ、昨日会ったときに俺が頼みこんでな』

雪乃「!」

八幡『仕事に必要、だったんでな』




70 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:08:02.55NSPCnO+e0 (65/255)


雪乃「…………それだけ?」

八幡『……それ以外に、俺がお前に電話をかけることなんて、ないだろ』

雪乃「……そう、そうね。そうだったわ」

八幡『………………』

雪乃「……アドレスを教えるわ。この際だから携帯とパソコン両方を伝えておくわね」

八幡『ああ、頼む。今パソコンの前にいるんで大丈夫だ』



雪乃「――よ。以上で二つ」

八幡『……ん。試しに送ってみるわ』



――ぶーん。
件名:(non title)
本文:なし



雪乃「大丈夫、確認したわ」

八幡『ああ、それじゃあよろしく頼む。可能なら近々戸塚と一緒に顔合わせて打ち合わせしたいが、いけそうか?』

雪乃「スケジュールを見てみないと何とも言えないわね。後で連絡するから折衝してもらえるかしら」

八幡『わかった。じゃあな』ブツッ

雪乃「……切るのが早すぎよ」



件名:Re;
本文:馬鹿。





71 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:10:30.13NSPCnO+e0 (66/255)

<数日後、昼下がり。クールプロダクション事務所>


楓「では、そういうことで。こちらもその週は誰を呼ぼうか思案していたらしいですから」

八幡「お願いします。今回は宣伝の面が強いんで、渋谷と協議してロハにするつもりです」

楓「あら、別に構わないのに。作家さんは気のいい人ですよ?」

八幡「結果的にこっちのが次の仕事に繋がるのかな、と。まあ小さな打算ですよ」

楓「ふふ、わかりました。……そうだ、比企谷くんはお酒、飲みますか?」

八幡「酒ですか? まあ付き合い程度には。強くも弱くもないですけど」

楓「わあ、本当ですか? 今度、飲みに行きませんか? 比企谷くんと凛ちゃんの歓迎会ってことにして」

八幡「渋谷は高校生だから飲めませんよ」

楓「じゃあ比企谷くんとさし飲みでも構いませんよ? いい日本酒を手に入れてですね」

八幡「いや流石にそれはハードル高すぎるんで……。絢瀬さんとかと一緒になら」

楓「絵里ちゃん、お酒弱いですからねー」

八幡「あれ、絢瀬さん弱いんですか?」

楓「そうなんです。肌が白いからすぐ真っ赤になっちゃって」

八幡「意外。ウォッカとか余裕で飲んでそうなのに」

楓「ロシアなのにね」

絵里「ちょっと、黙って聞いてたら好き勝手に! ロシアとお酒の強さは関係ないでしょ!」

八幡「さーせん」

楓「わあ、怒らせちゃった。恐ろしあ……うふふ」

八幡(……今の、シャレか? いや、まさかな)

楓「比企谷くん、お姉さんとのさし飲みは嫌ですか?」

八幡「いや、あの。ちょっとアレなんで」

八幡(凄いもったいないことしてるかもしれんが、346の高垣楓が男とさし飲みとか。駄目だろ。スキャンダルになったらもはや俺のクビが飛ぶくらいじゃすまねぇぞ)

楓「アレってなんです? お酒を避ける……ふふふっ」

八幡「いや、えっと」



――こんこん。がちゃ。




72 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:12:34.32NSPCnO+e0 (67/255)



凛「こんにちはー」

八幡「た、助かった。渋谷、こっち来てくれ」

楓「あ、逃げた。ふふふっ、飲んでくれるまで許しませんからねー?」

凛「あっ、楓さんだ! すごい。珍しいね」

楓「はい、凛ちゃんこんにちは。私もそろそろ行かないといけませんね」

絵里「楓さんはこのあと、何でしたっけ?」

楓「今日は新曲のMVの撮影です。スタジオ撮りが終わったら、移動してロケ地に一泊で朝からまた撮ります」

絵里「ハラショー……ハードね……」

楓「そーなんですっ。だから終わったらご褒美にお酒飲みたいなっ、なっ」

絵里「うーん……少し考えておきますね」

楓「わあ、本当ですか? 嘘だったら私、怒りますよ?」

絵里「考えておきますねー」

凛「これが玉虫色の回答ってやつだね……」

八幡「必須スキルだぞ。お前も覚えとけ」

楓「凛ちゃん、今何歳でしたっけ?」

凛「十七です。今年十八歳になります」

楓「じゃあ、二十歳になったら一緒に居酒屋に行きましょうね? 約束ですよ?」

凛「わ、本当? 楽しみにしてますっ」

楓「ふふふっ、じゃあ指切りしましょう? ゆーびきーりげーんまーん――」




八幡「飲みに行く約束をしたところで俺から数点連絡だ。いいか?」

凛「…………」

八幡「おーい」

凛「あっ、ごめん! ボーっとしてた」

八幡「どうした、そんな小指見つめて」

凛「だって、あの高垣楓さんと指切りしちゃったんだよ? 凄いよね。人に自慢できそう」

八幡「そーいうもんか?」

凛「そうだよっ。だって私、楓さんのCD、音楽器に入ってるんだよ?」

八幡「……まあ、こいかぜは俺も入ってるけどな。お前もアイドルなんだ、これからもそんな調子じゃ困る」

八幡「渋谷凛。仕事の話をするぞ」

凛「え?」

八幡「今月末の土曜、前から話しておいた通り空けてあるな?」

凛「あ、うん。先週言われたから」

八幡「その日、お前には本田未央、島村卯月と共に雑誌の撮影とインタビューを受けてもらう」


八幡「――アイドル渋谷凛としての、初めての仕事だ」




73 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:14:14.31NSPCnO+e0 (68/255)



凛「!」

八幡「ほら、これがプリントアウトした資料だ。撮影の日までに必ず目を通しておいてくれ」

凛「う、うん! わかった!」

八幡「はは、顔強張ってんぞ」

凛「わ、悪い? 緊張して当たり前だよ!」

八幡「いや、年齢相応で微笑ましくてな。お前、普段澄ましてるから」

凛「……年上ぶって。プロデューサーだって4つしか変わんないじゃん」

八幡「バッカお前俺は余裕で乗り切るわ先方に挨拶とかどうすればいいかとか全然緊張とかしてねえからなお前」

凛「ふふっ、年相応で微笑ましいね。普段澄ましてるから」

八幡「ま、茶番は置いといてよろしく頼む。……その、なんだ。これは俺の初仕事でもあるんだ」

凛「え、いっつもパソコンでカタカタッターンってやってるじゃん」

八幡「エンターキーに関しては謝る。あれは事務作業。今回のは、俺が企画した仕事なんだ」

凛「へえ……なるほどね。ふふっ、じゃあ頑張ってあげてもいいよ」

八幡「へいへい、どうかお願いします渋谷様」

凛「……うん。頑張り、ます。よろしくお願いします、プロデューサー」

八幡「……おう」

八幡(渋谷は、そう言って恭しく頭を下げた。この一月見てて思うが、真面目な奴だな、本当に。堅物ってわけでもねぇけど。そこらへんの匙加減が、魅力……だな)

八幡「基本的にその内容は社外秘だが、渋谷は未成年だからな。親が目を通す権利がある。一応こっちからも自宅に連絡するが、直接見せてあげてくれ。当然SNS等にこの企画のことを書き込むのは禁止だ。友人にも言うな。繰り返し言うが、社外秘だからな。こっちが指示するタイミングまで情報は漏らさない。……守れるか?」

凛「……うん、わかった。守ります」

八幡「ああ、頼むぞ。代わりってわけでもないが、不明瞭な点とか気になることがあったらすぐ俺に言ってくれ。直ちに相談に乗る」

凛「わかった。頼りにして、いいんだよね?」


八幡「……ああ。俺はお前のプロデューサーだからな。俺とお前はあらゆる情報を共有する。つまり、」
八幡「仕事のパートナー、ってことだ。安心しろ、何かあってもずっと後ろから見てっから」


凛「……うん! 了解、パートナーさん」

八幡「よし。次の連絡だがこれも仕事の話だ。次は――」

凛(プロデューサーと私の話は、陽が沈むまで続いた。こんなに時間が過ぎるのが早く感じたのは初めてだった)





74 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:16:04.84NSPCnO+e0 (69/255)

<同日、深夜。凛の部屋>


凛「社外秘、か」

凛(机の上にホッチキスで留めた資料をぽんと投げる。こんなにも軽い紙なのに、社外秘という言葉の響きは重い)

凛「私……本当に、アイドルになったんだね」

凛(責任という言葉を背負うのは初めてだった。お店のお手伝いとはまた違う。自分に、自分たちの為に、色々な人やものが動こうとしていた)

凛(私、ちゃんと内緒にできるかな? 友達の恋愛相談とは訳が違うんだよ?)

凛(ちょっと重たいな。大丈夫かな。あ、でも――)



八幡『俺とお前はあらゆる情報を共有する。つまり、』
八幡『仕事のパートナー、ってことだ』



凛「ふふっ」

凛(思わず笑みがこぼれてしまう。私には何でも打ち明けられるパートナーさんがいるんだった。それなら、今夜もよく眠れそうだ)



<撮影当日、スタジオ>


カメラマン「それじゃあ今日はよろしくお願いします! まずは未央ちゃんから行こうか!」

未央「はぁーいっ! 美人に撮ってよー?」

カメラマン「ははは、未央ちゃんは元々美人だから心配ないよ」

未央「おっ、お上手だねー!」




75 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:17:55.10NSPCnO+e0 (70/255)



八幡「あいつは本当、うっとおしいくらい元気だな」

戸塚「ふふ、八幡も少し分けてもらったら?」

雪乃「そんなことをしたら許容量を超えて破裂してしまうかもしれないわね」

八幡「人を上層に上がれない深海魚みたいに言うのはやめろ」

雪乃「あら、あなたの親戚でしょう? 目の感じがそっくりよ」

八幡「確かに生態は似てるかもしれんが俺はれっきとした人間だぞ」

戸塚「えー、でもぼくは大好きだよ、深海魚! ロマンだよねー」

八幡「マリンスノ下。俺のことはタツノオトシゴでもチョウチンアンコウでも好きに呼んでくれ」

雪乃「あなたの業は深海より深いと思うわ……」



未央「こう? こう!?」

カメラマン「おっ、いいねー! じゃあ未央ちゃんのソロショットはこれで終わり! 次、卯月ちゃんいってみようかー」

卯月「は、はいっ! え、えーっと! どんなポーズとればいいんですかね!? こ、こうですか!? あわわわわわ」

カメラマン「あはは、その表情おいしいね! いただきだ」



八幡「あいつは落ち着きがなさすぎるな」

雪乃「一応、あの中では最年長なのだけれど……」

戸塚「でも、そこが魅力なんじゃないかなっ。見てるとこっちが自然に笑顔になっちゃうみたいな」

雪乃「そうね。不器用なのだけれど、いつも頑張り屋さんで好感が持てるわ」

八幡「……ふぅん」

八幡(見た感じこそ違えど、どっかの誰かに似てるな)

雪乃「……なあにその目は」

八幡「元からだって言ってんだろ。悪かったな深海魚で」

雪乃「執念まで深いのね……」

八幡「不快にさせてすいませんでした」

戸塚「あ、島村さんの撮影がもう終わるよ? 次は――」

八幡「! 行くわ」

雪乃「ちょっと、どこへ? ここからでも見えるけれど」

八幡「……あいつから見て正面後ろ。壁際」

戸塚「……ぼくもついてく!」

雪乃「あ、ちょっと!」




76 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:19:11.82NSPCnO+e0 (71/255)



八幡(撮影スタジオの全景を一番後ろから見た。真っ白で無機質な背景。アンブレラがパラボラアンテナのようにそこへ向けられている。ここにフラッシュが焚かれるんだろう。昔の人は写真の光は魂を抜くって信じてたらしいが、その気持ちがわかる気もする。見ているだけで息苦しくなる)

カメラマン「じゃあ最後は凛ちゃん、いってみようか!」

凛「は、はい!」

カメラマン「自由に動いてポーズ取ってみていいからね」

凛「じ、自由にって……」

カメラマン「ははは、固くならなくていいよ。そうだ、可愛く映るポーズを教えようか? 日○レポーズと言うんだが――」

八幡「……落ち着きがありすぎるのも問題だな。固くなり過ぎてる」

雪乃「そうね。少しくらいの固さは個性としてあってもいいけれど、これではね」

戸塚「自由にーって言われると、逆に何していいかわかんないのかもね」

八幡「そうだなぁ……確かに渋谷はそういうタイプなんだろうな。言われて何かこなす方が上手いとは思う」

雪乃「渋谷さんのこと、少しはつかめてきたのかしら?」

八幡「……人のことを完全に理解するなんざ不可能だ」

戸塚「でも、短い付き合いながらちょっとはわかったこともあるでしょ?」

八幡「……そうだなぁ。アイドルだから見た目は、その、なんだ、悪くない。キリッとしてるから愛想がないように見えてしまうこともある。でもまあ、実際のあいつは変に真面目だよ。愛想振りまけるほど器用じゃないだけで。笑わないわけじゃないし、一度受けた仕事とかは絶対投げ出さなそうだ。職人肌なんだろうな。あとこれは完全に主観だが」

八幡「頼れば必ず何とかしてくれそうな、そんな奴だと思ってる」

戸塚「……へえー!」

雪乃「…………」

雪乃(見た目こそ違えど、どこかの誰かさんに似てるわね)

八幡「……何だよその目は」

雪乃「いいえ。それより良いのかしら?」



カメラマン「う、うーん。ちょっと表情が固いねー。リラックスしてみようか?」
凛「は、はい……」




77 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:20:31.60NSPCnO+e0 (72/255)



雪乃「うちの島村さんも良い進行とは言い難かったけれど、渋谷さんは少し難航しているのではないかしら。どうにかしてあげなくてもいいの?」

戸塚「うん、少しくらいなら撮影に影響しないはずだよ」

八幡「……いや」

八幡「ひとまず、休憩までこのままやらせてみる」

雪乃「…………」

八幡(俺は、一番後ろから渋谷を見つめていた。そうするのはどうしてか。ポリシーだから、としか言いようがないんだが)

八幡(ふと、渋谷と目が合う。いつもの意志の強い瞳に少しの翳り。思わず大丈夫かと言いたくなる)

八幡(だが、俺は何も言わない。代わりに目も逸らさない。ただじっと、一番後ろから見ていた)

八幡(それにしても、下手くそな笑顔だ。ぎこちなさを顔にはっつけたみたいだぞ)

八幡(俺は思わず笑ってしまった。そんな俺を渋谷はムッとした顔で見返す。おい、カメラ見ろカメラ。ブスになってんぞ)

八幡(そんなことを思っていると、渋谷は俺に向かって……いや、カメラに向かってか? べっと舌を出して、片目を瞑って中指を立てた。おいおい)


カメラマン「あっはっはっ! 凛ちゃん、そういう顔もできるんじゃん! いやー最高! あ、でも過激すぎるからこれはオフショットにしとくね?」

渋谷凛「……ふふっ。すいません」

八幡(――ああ、いつもの顔だ)

八幡(その瞬間を、プロが見逃すはずもない。カメラは魂じゃなく、渋谷の今日初めての笑顔を見事に吸い込んだ)





78 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:23:06.29NSPCnO+e0 (73/255)



カメラマン「よし、お疲れ様! 休憩を少しはさんで、終わったら今度は三人で撮ろう!」

凛「はい、ありがとうございました」

未央「しぶりん! お疲れ様!」

卯月「とーっても可愛かったですよ♪」

凛「未央、ありがと。卯月、お世辞はいいよ。私、全然だったじゃん」

卯月「ううん! そんなことなかったですよ! あのべーってしたやつ、私、女の子なのにドキドキしちゃいましたっ」

未央「うんうん、迫真だったぜ!」

凛「……あれだけ演技じゃないからね」


卯月「あっ、プロデューサーさんが行っちゃいました。私、ちょっと聞きたいことがあったんで行ってきますね!」

凛「……私もちょっと行ってくる」

未央「よっし、じゃあ休憩後ね!」


凛「あれ、誰かと思ったら薄情者がいる」

八幡「薄くても情があるのか。まさか褒められるとはな」

凛「皮肉のつもりだったんだけど……」

八幡「知ってる。ほらよ、やる」ポイッ

凛「うわっ」パシッ

凛「……ありがと。これ何……マックスコーヒー?」

八幡「何……知らない…だと? 千葉県民のソウルドリンクだぞ」

凛「へえ、知らなかった。いただきます……」カシュッ

凛「――甘ぁっ! なにこれっ」

八幡「コーヒーの中に練乳が入ってんだ」

凛「うわあ……もう練乳って言葉だけで甘いよ。甘すぎ」

八幡「この味がわからんとは、お前もまだまだお子様だな」

凛「……こういうのって普通ブラックでするやりとりじゃないの?」

八幡「苦いこと多いから、コーヒーくらい甘くていいんだよ」

凛「ん……」




79 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:24:22.40NSPCnO+e0 (74/255)


八幡「まあ、その、なんだ。……お疲れさん。次も頑張れ」

凛「ん、ありがと。私の方はごめん、だね。ずーっと固くなっちゃってて、ブスだった」

八幡「そうだな」

凛「む……そこは嘘でも『そんなことねぇよ』って言うところなんじゃないの? モテないよ?」

八幡「モテないのは元々だ、ほっとけ」

凛「大体、普通担当アイドルが撮影に困ってたら颯爽と助けるのがプロデューサーってもんじゃないの? パートナーさん」

八幡「そういうやり方もなくはないけどな。今回はなしにした」

凛「どうして」

八幡「魚を釣ってやっても成長しねぇだろ。釣り方を覚えないと意味がない」

凛「ん……」

八幡「簡単に与えられるものには価値がない。もし目の前に差し出されたら、それには必ず裏がある。圧倒的成長なんて簡単にはできないし愛はコンビニで買えねぇよ」

八幡「俺はリアリストだからな。変な理想は与えたくない」

凛「だから友達いないんだよね。人に嫌われそう」

八幡「……今のカウンターは効いたぞ」

凛「ふふっ、ざまあみろ」

八幡「ま、嫌われついでに言っとくが。渋谷、お前はアイドルとして上を目指すんだろ」

凛「……うん、一応ね」

八幡「じゃあ尚更言っとくよ。俺と組まされたことを後悔しろ」

八幡「この世に魔法はない。カボチャの馬車も、魔法使いも、ガラスの靴もありやしない」

八幡「一歩一歩、歩いて城まで行くしかねぇんだ」

凛「……ふふっ、本っ当、捻くれてるね」

八幡「そりゃDNAがねじれてるからな」

凛「その理論じゃ人類みんな捻くれ者だよ」


――休憩終わります! 準備お願いしまーす!


凛「はい! ……んじゃ、頑張ってくるね」

八幡「おう、頑張れ。……あとな」

凛「ん? なに?」

八幡「……何もしないからってお前のことが嫌いなわけじゃないぞ」

凛「……ふふ、ありがと。あ、プロデューサー」

八幡「何だ」

凛「それ、言ってて恥ずかしくない?」

八幡「っ! てめえ、意趣返しかっ」

凛「あははっ、行ってきまーす!」




80 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:26:27.72NSPCnO+e0 (75/255)


カメラマン「はい、ポーズありがとう! この写真は特集の表紙に使わせてもらうよ」

未央「おおっ、楽しみー!」

凛「うん、私も」

卯月「本当ですね! 私、発売日は本屋にダッシュします!」

カメラマン「ははは、君たちのところには見本誌が届くだろうから、本屋に行く必要はないよ」

凛「見本誌……」

卯月「本当に……」

未央「プロみたーい!!」

カメラマン「ははは、じゃあ次は三人が自由にしているところを僕たちで勝手に撮らせてもらうよ。あ、ここにボールがあるから好きにつかってくれていい」

未央「おっ、やった! しぶりんとはあの日、こうやってメジャーをかけて戦う日が来ると思ってたよ! それっ!」ビシュッ

凛(卯月の顔面に秒で着弾。大リーグボールは流石だね)

卯月「きゃあっ!? もー! 未央ちゃん、痛いですよっ」

未央「あはっ、ごめんしまむー! しぶりーん、パスパス!」

凛「う、うん。それっ」ビシュッ

未央「おおっ、相変わらずいいフォーム! こっちもお返しだ―!」ビシュッ

凛(やっぱり卯月の顔面に着弾したボールは、ふわりと宙に舞った)

卯月「あうっ!?」

未央「しぶりん、スパイクスパイク!」

凛「――せいっ」バシッ!

未央「おおっ、ナイススパイク!」

卯月「凛ちゃん、すごーい!」

凛「……ふふ、ありがと」


カメラマン「いいね! その笑顔!」




81以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 09:28:23.42yL60BLzwo (1/3)

これは...
すごく期待します


82 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:28:41.98NSPCnO+e0 (76/255)



未央「あはっ、さすが選考理由が笑顔のア・タ・シ!」

未央「でも、そんな私でもさいちゃんの笑顔に勝てるかは怪しいぜ……」

凛「なんか本当に天使って感じだよね……」

卯月「あれで男の人って言うのが驚きですよねっ。詐欺にあった気分です」

未央「さいちゃんはテニスもすっごく上手いって聞いたことあるよ」

凛「へえ……うちの人は絶対できなさそう……」

卯月「戸塚さんのプロデュース業ってどんな感じなんだろう。なんだかアイドルの方が似合う気がします」

未央「いや、ああ見えてさいちゃん、すっごくやり手らしいよ。みんなから聞いたんだけど」

凛「え、そうなの?」

未央「うんうん、らしいよ! なんか絶対この仕事は営業先と繋がりが太いアイドル事務所があるから取れないーって言われてたやつでも、平気で『再来週、ここのテレビ出演決まったよー』とか言って取って来るんだって」

卯月「うわあ、すごいです!」

未央「あの笑顔で押されたら断れないよねえ……何か業界一部じゃ微笑みヤクザって言われてるらしいよ、噂だけどっ」

卯月「あと意外と力持ちですよね、戸塚さん。さっき撮影機材の運搬手伝いしてましたけど、重たい照明片手で持ち上げてましたよっ」

凛「へえ……やっぱり、男の人なんだね」

未央「うんうんっ、あれで壁ドンとかされて、『ねえ、ぼくのものになってよ……』とか言われちゃったら!! きゃー!」

卯月「はわわわわわわ、こ、鼓動がっ! 十六分音符にっ!」

凛「落ち着いて卯月。下手したら死ぬよそれ」

凛(……そういえば、友達とこういう露骨に女子っぽい話するの初めてかも?)




83 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:30:24.25NSPCnO+e0 (77/255)


未央「そう言うしまむーのプロデューサーはどんな人なのさっ? ゆきのんさん!」

卯月「そ、その呼び方すると怒っちゃいますよ。あはは……」

凛「うーん、可愛い系の名前が嫌だから? かく言う私もしぶりんはまだ納得してないけど」

未央「冷たいこと言わないでよしぶりん!?」

卯月「いえ、なんだかそういうわけじゃないみたいですよ。『その呼び方は特別だから駄目よ。やめて頂戴』って言ってました」

凛「あはは、卯月、似てない」

未央「うんうん、知的なのは似合わないねえ」

卯月「ちょっとぉ!? どういうことですか!? だ、大体、雪ノ下さんにもちょっと抜けてるところはあるんですからね!?」

凛「そうなの?」

未央「意外。もう仕事もプライベートも完璧美女って思ってたよ」

卯月「あ、でも、仕事してるときの雪ノ下さんは本当にカッコいいんですよ~! ブルーライトカットの眼鏡かけて、髪の毛が邪魔になるからってピンク色のシュシュでくくって。パソコンを打つ指がほっそりしてて綺麗で……。あと、たまに『今日もレッスンお疲れ様』って言って紅茶を出してくれるんですよ! もうそれが美味しくて美味しくて!」

凛「あ、それ私も飲んだ。お店のやつみたいでびっくりした」

未央「えー! いいなあ! 私も飲みたいー!」

卯月「えへへ、いいでしょう? キュート事務所だけの特権ですっ。ああ、雪ノ下さんともっと仲良くなりたいなあ……」

凛「確かに、ちょっと雰囲気があって気さくに話しかけにくいかも」

未央「ふふっ、しぶりんがそれ言う?」

凛「……耳がペイン」

卯月「でも、雪ノ下さんはいつかこっちに歩み寄って来てくれると思うんですよね! だからこっちからも近付きつつ、待ってますっ」

未央「……そんな雪ノ下さんだけど。ハチくんとはすっごい仲良いよねー」

卯月「あっ、それ私も思いました! 戸塚さんとももちろん仲がいいんだけど、もう比企谷さんだけは特別って感じですよね!」

未央「うんうん、気兼ねがないっていうかさ!」

卯月「雪乃さんがあんなに楽しそうなの、初めて見ました」

凛「……同じ部活だったらしいよ、二人は」

未央「え、そうなの!? 三人は同じ高校出身って言うのは知ってたけど、そうなんだ!」

卯月「なんだか運命的ですよねっ♪ 二人、そういえばなんだかいいカンジだしっ」

凛(確かに……何か、ありそうなんだよね。あの二人)

未央「ねえねえそこらへんどうなのしぶりん! 詳しく詳しくっ!」

凛「…………知らない」

卯月「ええっ、凛ちゃん、出し惜しみはなしですよう」

凛「いや、本当に知らないんだってばっ」ビシュッ

卯月「あうっ!?」

凛(あ、何故か力が……ごめん卯月の顔面)




84 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:31:55.14NSPCnO+e0 (78/255)



未央「じゃあさじゃあさ、ハチくんってどんな人なの? それも知りたい!」

卯月「うんうん、凛ちゃんだけ言わないのはズルいです!」

凛「え、プロデューサー? どんな人かぁ、うーん」

凛「とにかく捻くれてる。後何かにつけて働きたくねぇって言ってる。双葉さんみたいだね」

未央「ダメじゃん!」

凛「うん、ダメだね。あと多分コミュ力はない。何かにつけてぼっちだったって言ってるし」

卯月「で、でも! 仕事はできそうですよ?」

凛「いや、そんなことないよ。しょっちゅうヘマして絵里さんにちょっぴり怒られてるの見るかも。まあ新入社員だからね、そんなもんでしょ」

凛「あと、嫌味なくらい現実主義者。アイドル業界なのに。大体アイドルに税金の話するってどうなの? 夢がないよね。税金と言えば煙草なんかカッコつけて吸っちゃってさ……」

未央「あ、あの? しぶりーん?」

凛「さっきのソロ写だってさ。一応私アイドルなのに。アイドルが目の前で困ってるんだよ? さっと助けちゃうのが大人の男ってもんじゃないの? ダメだよね。ほんっとダメ。そういうところ気が利かない。でも」

卯月「り、凛ちゃーん? 凛ちゃーん?」

凛「――でもね、」

凛「ずーっと私のこと見ててくれてる。いつも一番後ろからで、何にも言わないけど。ずっと見てくれてるんだ」

凛「そういうところは、嫌いじゃないかな」


カメラマン(――この子、良い顔するじゃないか。……いいな。もう一枚撮っとくか)




85 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:33:59.92NSPCnO+e0 (79/255)

<同日、夜。クールプロダクション事務所>


絵里「今日は直帰でいいっていったのに、仕事熱心よね」カタカタ

八幡「それ誰に言ってます? 渋谷なら直帰しましたが」カタカタ

絵里「えー、比企谷くんに決まってるじゃない。新入社員が残業なんて生意気よ」クスクス

八幡「やめてください、仕事熱心とか名誉毀損ですよ」カタカタ

絵里「その言いよう、汚名挽回とか名誉返上って感じね……」

八幡「……まあ、何ですか。スッキリして帰りたいんすよ。俺は家が好きすぎるから家に心残り持ち帰りたくないんで」

絵里「? 比企谷くん、今月分の事務作業は全て終わってたわよね? あとは部長のチェック待ちが一件あったとはいえ……」

八幡「……や。まあそうなんですけど、そういうことじゃなくて」

八幡「今回の件、色々と手助けしてもらって本当にありがとうございました。絢瀬さんがいなかったらもっとリテイクの嵐だったと思うし、俺だけじゃ何もできなかったんで」

絵里「ちょ、ちょっと何よ急に。私は何もしてないわよ? ……あれは比企谷くんの力よ。誇りなさい? 私なんて最初の一か月は企画どころじゃなかったわ。本当に凄いと思う。なんだったら私、ちょっと悔しいもの」クスクス

八幡「よしてください。俺はまだ一人で何もできてないですよ。……人より倍の時間かけて、人並以下のことしかできてない」

絵里「それでいいのよ。みんなそこから始まるの。アイドルだって、プロデューサーだって、事務員だってそう。色んな人の力を借りて、少しずつ大きくなりましょう?」

八幡(……わかってはいるんだ。でも、不甲斐ねぇって思いは消えないよな)

絵里「それに、私たちはチームでしょ? どんどんどーんとお姉さんに頼りなさい!」

八幡「……カトリーナ級の先輩風だ」


八幡(豊満な胸をグーで叩いて、大げさにえへんと胸を張る綾瀬さんの姿が眩しい)

八幡(手元にある十枚程度の企画書、その初稿を見た。赤がたくさん入っている。丁寧な字だ。叩き直す文章の一つ一つに心遣いを感じる。字が綺麗な人は心も綺麗なのだと聞いたことがある。それは本当なのかもしれない)




86 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:35:25.76NSPCnO+e0 (80/255)



八幡「でも俺は、自分のことは最低限自分でやれるようになりたいです」

八幡「自分のことは自分で。当たり前のことなんだ」

八幡(自分のことが自分でできて初めて、他人と歩く資格がある)

絵里「……強情なんだから」

八幡「一応、男の子なんで。見栄は張りたいもんなんですよ」

八幡「だから。これからは、黙って俺の分の事務作業をやっておくとかやめてくださいね」

八幡(俺がそう言うと、綾瀬さんは悪戯が見つかった子供のように笑って、舌を小さく出した)

八幡(……渋谷には悪ぃが、こっちは本当にドキドキすんな)

絵里「あら、バレちゃってたのね」

八幡「普通気づきます。現実世界に寝てたら仕事やってくれる小人なんているかよ」

絵里「わかんないわよー? かしこいかわいい人のところには来るかもしれないじゃない?」

八幡「……かもしれませんがね。じゃあ少なくとも俺のとこには来ねぇってわけだ」

絵里「可愛くないものね」クスクス

八幡「よく言われる」

絵里「だと思った」

八幡「……こほん。つーわけで、俺が頼るまでそういうのはこれからナシにしましょう。進歩がない」

絵里「はぁーい」

八幡「その代わり一人じゃ無理だと思ったらすぐ頼るんで。泣きつきます」

絵里「あはっ、なにそれ」

八幡「男の子なんで。女の人に甘えたい時もあります」

絵里「さっきと言ってることが540度違うけど?」

八幡「記憶にないですね。秘書がやったことで」

絵里「政治家か!」




87 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:37:17.06NSPCnO+e0 (81/255)



八幡「じゃ、今日はこれであがります。お疲れ様でした」

絵里「比企谷くんも、初企画本当にお疲れ様! 家に帰ってゆっくり休んでね」

八幡「うっす。絢瀬さんも、無理せずたまには早く上がってくださいね」

絵里「うふふ、小人でも来たら考えておくわ」

八幡「…………」

絵里「あ、そういえば」

八幡「なんすか」

絵里「比企谷くん、もしかしてわざわざ私にこれ言うためだけに残ってくれたの?」

八幡「……んなわけないでしょ。借りっぱなしはスッキリしなかっただけです」

絵里「?」

八幡「それじゃ、また来週」

絵里「はぁい、また来週ね!」



絵里「ふふ、ひねてるクセに変なところだけ真面目なんだから」

絵里「ま、見ず知らずの人のために車に飛び込める人が、悪い人の訳ないのよねー」

絵里「オフィスに一人かっ、できる女っぽい私!」

絵里「……他人の世話焼いて、自分の書類作業が丸々一本残ってるとか笑えないのよね。はぁー」

絵里「ま、いっか。女の子だもの、見栄張りたいじゃない。水面下のバタ足ってやつ?」

絵里「……やばい。最近独り言多いわね……こういう時はスタドリあけてっと」プシュッ

絵里「――ぷはぁっ! よし、頑張ります! ファイルをダブルクリック……って、あれ?」


絵里「え、え、え? なんで!?」

絵里「全部やってある……なんで?」

絵里「? この下の.txtファイル、なにかしら?」カチカチッ


『これで貸し借りは無しです。たまには早く帰らないと肌に悪いんじゃないですか』
                                   

絵里「あ……」

絵里「ふふっ、本当に、もう」

絵里「一言多い小人さんもいたものね……」クスクス




88 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:43:54.90NSPCnO+e0 (82/255)

<五月大型連休中、夜。クール事務所下の居酒屋「一休み」>

花陽「こんばんはー!」

凛「あっ、かよちんも来たんだ!」

絵里「ごめんね、先に始めちゃってるわ」

希「だからなー!? 地方公務員って言っても新任教師は大変なんよー? ちょっと、にこっち聞いてるー?」

にこ「あああわかってる聞いてるわよ! てか希はペース早すぎ!」

海未「完全に出来上がってるじゃないですか……」

花陽「あはは、凛ちゃん隣座ってもいい?」

凛「うん、いいよ!」

花陽「えーっと、じゃあ……店員さん、モスコミュール一つお願いします」

希「ウチも生ひとつ!」

絵里「希、明日に残っても知らないわよ?」

希「ええんよ、明日は休みだもーん」

にこ「今日はこれで全員なんだっけ?」

絵里「そうね。穂乃果はレギュラー番組の収録がどうしても外せなくて、ことりは仕入れ先との打ち合わせで今は海外。真姫は納期前で修羅場ってるらしいわ」

凛「みんな大変だにゃ……」

海未「全員が揃う日はなかったのですか?」

絵里「みんなの仕事が仕事だけに無理だったのよね……。今日が一番参加できる人数が多かったものだから」

海未「そうですか……。もうずっと、ことりたちとは会えていませんね」

凛「ライブバトルが始まるからね、繁忙期なんだよ。凛もこれから忙しくなるぞー!」

絵里「そうか、さらに仕事が増えるのね……憂鬱だわ」

希「ふふふ、えりちも一緒に地獄に落ちよう? 大体なんなんよ校務分掌って……教師なんて教えるだけでええのに……」

にこ「まさか希が音ノ木坂の教師になるとはねー」

希「採用試験一発パスなんよー? 崇めろ崇めろー」

凛「東京都のあの倍率をくぐりぬけるのはスピリチュアルとしか言いようがないにゃ……」

花陽「どうですか? 音ノ木坂は」

希「雰囲気とかはあのまんまやけど、アイドル部は本当に強なったね! もうUTXなんて目じゃないくらい! 一学年はJ組まであるし」

凛「り、凛たちの代は一クラスしかなかったのに……」

海未「昔は廃校しかけていたと聞いても、今や誰も信じないでしょうね」

絵里「そうねえ、本当にマンガみたいな話よねー」




89 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:45:13.09NSPCnO+e0 (83/255)


凛「最初は絵里ちゃんも希ちゃんもアイドル部にいなかったしね! ……すいませーん、軟骨のからあげひとつー」

海未「ふふ、むしろ絵里に至っては敵でした」

花陽「ちょっと怖かったです……」

にこ「つんけんしてたわよねー」ニヤニヤ

絵里「ちょ、ちょっと! 昔のことでしょ!」

凛「学校の許可ぁ? 認められないわぁ」

絵里「やめて、やめてお願い」

希「懐かしいなあ、あれからもう三、四年くらい経つんやね。……すいませーん、明太マヨポテト一つー!」

海未「希、太りますよ?」

希「あ”?」

海未「ひいっ!」

希「ウチは言っとくけどウエストはえりちと一緒なんやからね!?」

にこ「……相撲ハレーション」ボソッ

希「表出よう? わしわしじゃ済まんからね?」

花陽「ケンカハヤメテー!!」

凛「そ、そうだよ希ちゃん、落ち着こう?」

希「……余裕やね、凛ちゃん」

凛「え?」

希「…………トレーナー受験生時代の知り合い、名前なんやっけ。確か、は」

凛「す、すとーっぷ!!!! その件はしばらく触れないでほしいにゃ!!」

海未「お、珍しく慌ててますね」ニヤニヤ

絵里「……認められないわぁ」ニヤニヤ

にこ「……緑茶ハイ。濃い目。うんと濃くして」

花陽「……あれ? 凛ちゃん、この話、もう解禁?」

凛「黙秘権! 黙秘権だから!」

希「えー! 言ってみ言ってみ~? わしわし? わしわしされたん?」

海未「りんがべー!? りんがべーなんですかっ!?」

にこ「ほらぁ、飲んで楽になりなさい? 大丈夫大丈夫、何言ってもお酒のせいよ」

凛「かっ……」

凛「帰りたいにゃあ!!!!」




90 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:46:44.56NSPCnO+e0 (84/255)


絵里「あらら、希とにこ、寝ちゃったわ」

凛「もう嫌にゃ……あの酔っ払いの先輩たち……」

海未「災難でしたね」

凛「海未ちゃんが一番喰いついてたでしょ!! このムッツリ!!」

海未「なっ! ち、違います!」

絵里「沖正宗大とっくり、冷やで。あ、おちょこは一つで大丈夫です」

花陽「おー? あーやーしーいーですねー? ふふふー」

絵里「花陽って酔うとなんだかえろいわね……」

凛「そういう突っかかる海未ちゃんだってきっと浮いた話、あるんでしょ?」

花陽「アイドルですもんねー?」

海未「………………ないですよ」

絵里「……ん?」

花陽「間がありましたね」

凛「あったにゃ。これは……」

絵里「可能性感じるわね」

海未「な、なにも!! なにもないですから!!」

凛「絵里ちゃん、日本酒」ニッコリ

絵里「ちょうど沖正宗が来たわ」ニッコリ

海未「あの、あの、やめましょう?」

花陽「んー? ふふふ」

凛「自分だけ逃げようって、それは考えが甘くないかにゃー?」



海未「ううー……ちがうんれすよ……。好きとかそういうのじゃなくて……ただ……その…気になるなって言うか……たまに優しいなって思ったりするだけといいまひゅか……」
凛「くっ、ここまで来てそれだけしか吐かないとは……」
絵里「つまり気になってるだけ、というのが本当なんじゃない?」
花陽「きっと海未ちゃんに近しい人ですよねー? 今度レッスンに来た時、見ておきましょう」
海未「大体……これはちがうんれす……きっと……いま自分が上手くいってないから…ほかのことが……気になるんれす。弱みにつけこむなんて……ほんとうに…」
絵里「あ、これは落ちるわね」
凛「ううー! 凛だけ色々吐かされてずるいにゃあ! ちょっと海未ちゃん、それどんな人なの!?」
海未「……ん…」
海未「…………わたしより、かわいいひと……」
にこ「へっ!? や、やだもしかしてそれってにこのこと!?」
絵里「起きたと思ったら第一声がそれなの?」
凛「寝言は寝て言うにゃ」
にこ「ひどくない!?」



91 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:48:50.60NSPCnO+e0 (85/255)


凛「ま、死んだ海未ちゃんは今度またじーっくり尋問するとして、絵里ちゃんは最近どう?」

絵里「どうって、私? なーんもないわよ。仕事して寝て起きて仕事してる」

希「なんか寂しいね」

絵里「うるさい。寝てなさい」

希「そう言わずに。タロットは小アルカナ、ディスクの二……『変化』って出てるんよー?」

にこ「希のタロットは馬鹿にできないものがあるからねー」

絵里「……あ。そういえば、変化といえば」

凛「おっ、あるの!?」

絵里「自分の会社の車に轢かれかけたわ」

花陽「エエッ!? ダイジョウブナノォ"!?」

希「あ、あのウチの家にクリスマスに来てた時か!」

絵里「そうそう、私がよそ見してたのがいけないんだけど。私を庇って男の人が代わりにひかれちゃって……」

凛「そ、それ大丈夫なの?」

絵里「幸いスピードはそこまで出てなかったから死傷にはならなかったの。本当に申し訳なくて、何度もお見舞いに行ったわ……」

花陽「良かったぁ……」

にこ「その人、見所あるわね。見ず知らずの人の為に飛び込むなんて」

絵里「本人はずーっと『たまたまなんで。そんなに謝られても困ります』って言ってたけどね」

凛「その人、もう退院したの?」

絵里「うん、この話には続きがあってね。三月末に退院したその人、本当に偶然なんだけど、なんと四月から新しく入って来るプロデューサーだったのよ!! ビックリして心臓が止まるかと思っちゃった」

希「へえー!! ウチが言うのもなんやけど、それは本当にスピリチュアルやね」

花陽「す、すごい……そういうことって本当にあるんですね」

にこ「……ん? クールプロの新人プロデューサー?」

絵里「あ、もしかしてにこも会った? 比企谷くんって言うんだけど」

凛「ええええええ!!!! そうだったの!?!?!?」

花陽「わたし、この前話しましたよ!」

凛「凛なんかもう何回もお仕事してるよ!? うわー、なんかすごい、もはや怖いにゃ!」

絵里「そっか、希以外はもうみんな会ってるのよね。狭い業界だから……」

希「えー! なんか仲間はずれにされた気分で嫌やね」




92 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:50:04.07NSPCnO+e0 (86/255)


絵里「希も機会があれば会えるかもしれないわね。いい人よ、すごく。仕事の覚えもとっても早いし。ちょっとジェラシーだもの。……少し捻くれてるけど」

凛「あはは、あれはちょっとどころじゃないにゃ! かなりだよ!」

花陽「でも礼儀正しいですよねー。いっつも私と会う時は『今日もお疲れ様、うまかった』って言ってくれるし」

凛「最近三人で喋ることもたまにあるよね! ほんっと口悪いけど。『星空のそのにゃってやつなんなの? キャラ作り? 前川と被ってんじゃね?』とか言ってくるし。キャラじゃないからね!?」

絵里「………………二人には、敬語じゃないんだ」

凛「うん、そだよ? 凛が言ったんだ!」

絵里「ふーん……」

にこ「比企谷くんねー。自己紹介程度かしら。担当アイドルの渋谷凛ちゃんとは少し話したけど」

凛「おっ、凛イチオシの凛ちゃん! あの子はきっと化けると思うな!」

にこ「紛らわしいわね……。真面目な子って感じかしら。見た目ほどきつくはなかった」

希「にこっちはもうちょいキツめの外見でもよかったのになー?」

にこ「やかましい! にこはこういう方向性だからいいの!」

花陽「私はまだ渋谷ちゃんと話したことないなあ」

絵里「愛想はないけど、いい子よ?」

凛「そういうところ、担当コンビで似てるよね!」

にこ「あ、比企谷くんと言えば思い出した。あの人、うちの雪乃とすっごい仲いいのよね」

花陽「あ、それ知ってますー」

凛「比企谷くん言ってたよ、おんなじ高校でおんなじ部活だったんだって!」

にこ「ああ、それでなのね」

絵里「……私、知らなかった」

にこ「うーん、でも……」

希「どしたん、にこっち?」

にこ「いや、この前会いに来た時雪乃と話してるところ見たんだけど。……あれは、ただの部活の同僚って雰囲気じゃなかったわよ?」

花陽「初耳、初耳ですよ?」

凛「ほほう、これは……。明後日のレッスンが楽しみだにゃー?」

絵里「…………何よ。雪ノ下さんも比企谷くんも、そんなこと一言も……」

にこ「絵里、どうしたの?」

絵里「なんでもないっ! 店員さん、ハイボールひとつっ!」

希「えりち、弱いんやから無理は」


絵里「うるさーい!」




93 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:51:28.17NSPCnO+e0 (87/255)


凛「あーあ、みんな寝ちゃったにゃ……」

花陽「まだ電車まで時間があるから寝かせてあげよ?」

凛「うん、そうだね! あはは、でもみんな二十歳超えたのに変わらないなー」

花陽「そうだねぇ。私はまた凛ちゃんと一緒に働けてうれしいなっ」

凛「凛も! かよちんとはずっと一緒だね、えへへ」

花陽「私は346の管理栄養士兼食堂員。凛ちゃんはトレーナーさん。絵里ちゃんはクールの事務員。にこちゃん、穂乃果ちゃん、海未ちゃんはプロのアイドルやってて、希ちゃんは音ノ木坂の教師」

凛「真姫ちゃんは医学部に通いながら作曲家、ことりちゃんはデザイナーやってるもんね。みんな凄い人ばっかりにゃ!」

花陽「さすが『女神の世代』だね!」

凛「あ、それ知ってる! 凛たちの代って伝説視されてるらしいね」

花陽「ふふふ、こんなに酔っぱらって寝てる人たちなのにね」

凛「ねー。みんな文句は言ってるけど、好きなことを仕事にしてるのが一番凄いなって思うよ」

花陽「……『それぞれが好きなことで頑張れるなら』」

凛「『新しい場所がゴールだね』……ふふ、凛は今でも歌えるにゃ」

花陽「まだ、スタート地点に立ったばかりだけどね」

凛「うん、きっとゴールもないんだろうね。凛はずーっと走り続けるにゃ!」

花陽「そうだね。凛ちゃん」

凛「ん?」

花陽「これからも、ずっとよろしくね?」

凛「……うん!」




94 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:53:34.73NSPCnO+e0 (88/255)

<翌日、早朝。キュートプロダクション、事務所>

雪乃「おはようございます。……あら?」

みく「……おはようございます、プロデューサー」

雪乃「前川さん? こんなに朝早くからどうしたの? 今日は貴方、オフのはずではなかったかしら」

雪乃(いつも付けている猫耳のアクセサリーを今日はつけていない前川さんは、黙って私に雑誌を開いて差し出した。……この特集は)

『346プロ気鋭の新星! ニュージェネレーションズ特集!!』

雪乃(三人の表情は輝いていた。流石プロの腕というところかしら。……渋谷さんって、こんな顔で笑うのね。これは島村さんが食われないか心配になってきたわ)

雪乃(……? この紹介記事、句点の打ち方や語彙の感じ……)

『彼女たちのこれからの躍進が待ち望まれる。 文責:比企谷八幡』

雪乃(やっぱり)

雪乃「いい記事ね。三人の良さがよく出ているわ。名の通った雑誌だし、宣伝効果は覿面でしょうね」

みく「……今日は、お願いがあって来たの」

雪乃「……お願い?」


みく「――こんなもん見て、心穏やかでおれるほどみくはできた人間とちゃう」


雪乃(鋭い眼光で私を見抜くのは猫ではなかった。いつか私が見出した、抜身の刀身のようにぎらついた向上心を持つ女の子がそこにいる)

みく「……わかってる。みくは拾い上げで、まだそこまでの実力もない。……でも、何かに出たい」

みく「目立てばええってもんじゃないけど、目立ちたい」

雪乃「……それで、あなたらしくない立てこもりなんてしたのね?」

みく「……あれは、ごめん。でも本気やってわかってもらえるんならどんだけ怒られても構わんって思ったから」

みく「……プロデューサー。あの日の約束、覚えてる?」

雪乃「ええ。私が持ちかけたことだもの」

みく「……今年で、二年目。約束の……二年目」

みく「……お願いします。せっかちなのはわかってる。でも、チャンスが欲しい」

雪乃「……チャンス」

みく「夏の新人戦。それに、みくを出してください」

みく「それで、勝つ。相手が誰でも勝つ。約束する。……もし負けたら」


みく「契約通り、クビにして?」





95以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 09:54:42.32gX37ZuEAO (1/1)

ここまで進めて貰っておいてアレだが、さすはちしてくれるのは総武高校の養護学級の中だけだからね?


96 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:55:01.71NSPCnO+e0 (89/255)


雪乃「……」

みく「……お願い。じゃないと、何のために東京来たんかわからん……。お父さんに、お母さんに、……あいつらに! どう顔向けしていいかわからん!」

みく「遊びに大阪から来たわけとちゃう! 人生賭けに来たんです!」

みく「みく……今のまんまやったら、嫌や……」


結衣『あたし、今のままじゃやだよ……』



雪乃「!」

雪乃「……」

雪乃「…………いいわ。計らいましょう」

みく「!! ほんまっ!?」

雪乃「虚言は吐かないわ。……ただし、容赦はしないわよ。あなたが言ったことなのだし」

雪乃「負けたら、消えてもらうわ。……いいわね?」

みく「……うん。猫らしく、死ぬときはひっそり消える」

みく「――みくに、期待して?」

雪乃「……。ええ、そうさせてもらうわ」

雪乃「さて、そうなると色々グレーな力を使わないとね。本来存在しない枠に無理やりねじこむのだから」

みく「……あ、あの。ほんまに良かったん……?」

雪乃「相手に遠慮しているようじゃ欲しいものは手に入らないわよ。……覚えておきなさい」

みく「……うん。何か、みくとプロデューサーって、パートナーって感じとちゃうね……」

雪乃「……そうね」

雪乃「今この時をもって、共犯者ね」

みく「切り捨てられんように頑張らんとなぁ。……プロデューサー」

雪乃「なあに?」

みく「……ありがとう、ございます」

雪乃「……ふふ。気にしないで」

雪乃「――私、猫が好きなの。それだけよ」




97 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:57:57.47NSPCnO+e0 (90/255)

<夜、八幡と小町の家>

八幡「ただいまー……」

小町「あ、お兄ちゃんお帰りー。ごはんできてるよー」

八幡「最高だ……八幡ポイントはもはやストップ高だぞ」

小町「あーハイハイ。いいからさっさと着替えてくる。ちゃんとズボンはコンプレッサーにかけてね。ハンカチ出すのも忘れないこと」

八幡「お前は母ちゃんかよ」

小町「可愛い妹だよ」

八幡「知ってる。先にメシ食うわ」

小町「はーい。今日は肉じゃがだよー」



八幡「いただきます」

小町「はい、召し上がれー」

八幡「……うまいな。ますます嫁にやりたくなくなってきた」

小町「どっかに嫁に行ってもお兄ちゃんの妹だよ?」

八幡「そういう問題じゃねえんだよ。いいのか嫁に行って。親父と俺が泣くぞ」

小町「うわあめんどくさー……」

八幡「だろ。それが嫌だったら嫁に行くな」

小町「脅し方が小町的にポイント最低だなー」

八幡「何とでも言え」

小町「じゃ、いいけど小町のこと養ってくれるの? お兄ちゃん」

八幡「嫌だ。俺は養われたい」

小町「ゴミいちゃんだなぁ……」

小町「でも、今はもう働いてるけどねー!」

八幡「……本当だよ。どうしてこうなった」

小町「嫁と言えばだよ! お兄ちゃん、これ!」

八幡(そう言うと小町は自室から一冊の雑誌を持ってきて、食卓に広げた)

小町「これ! お兄ちゃんが書いたんでしょ!」

八幡「ん、まあそうだ」

小町「みんなすっごく可愛いねー! どれ? どれがお兄ちゃんの担当なの?」

八幡「この三分割してる写真の右のやつだ。制服のポケットに手ぇ突っ込んでるやつ」

小町「へー! 綺麗な子だね! クールな感じの」

八幡「確かに可愛いか綺麗かで言ったら綺麗な方面の奴だな。俺みたいにクール」

小町「お兄ちゃんはクールじゃなくて根暗でしょ」

八幡「なにこの扱いやだ言い返せない……」





98 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 09:59:19.59NSPCnO+e0 (91/255)


小町「そうだよ、嫁と言えばっ! ズバリどうですか! 嫁にできそうですか!」

八幡「相変わらず底が浅いな……んなわけねぇだろ。アイドルだぞ」

小町「いいじゃん! アイドルとの禁断の恋愛……それ小町的にポイント超高いよ!」

八幡「世間的なポイントは最低だぞ。一歩間違えば切り刻まれた渋谷の写真が事務所に贈られてきてインターネット方面は本能寺でずっとずっと待ってるになっちゃうだろ」

小町「大丈夫大丈夫! ばれなきゃいいの! つーかこれからっしょ!」

八幡「あと前提としてな、アイドルやるようなやつが俺に惚れるわけねぇだろ」

小町「……それはわかんないじゃん?」

八幡「わかるよ」

小町「わかんないの」

八幡「……譲らねぇな」

小町「譲りませんよ。……多分、雪ノ下さんだって同じこと言うと思うな」

八幡「何でそこで雪ノ下の名前が出てくるんだよ」

小町「んー、なんとなくってことにしとこうかな」

八幡「……そうかい」

小町「雪ノ下さんとは最近どうなの?」

八幡「どうって、話してる通りだ。偶然仕事が被って、時々一緒に仕事してるだけだ。最近連絡先知った程度じゃないか」

小町「! 連絡先知ったの!? 本当に?」

八幡「嘘ついてどうすんだよ。……ほら」

小町「うわ、本当だ」

――ぴこん。


小町「あ。お兄ちゃん、ライン来たよ。……お兄ちゃんにラインが来た!? Elly……しかも女の人ぉ!?」

八幡「お前は俺を何だと思ってるんだ……」





99 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:00:29.48NSPCnO+e0 (92/255)



Elly<今日は迷惑をかけてばかりでごめんなさい。二日酔いでミスばかりなんて
   情けないったらないわ……( ;∀;) 明日何か埋め合わせをさせてね。
   あ、休憩中の話だけど! 絶対私の亜里沙の方が可愛いんだから!
   写真の提出を求めます。大至急。私の亜里沙のベストショットは今送ります!



八幡「うお……何だこの西洋美人。本当に妹か? ネットから拾ってきたんじゃねぇのか」

小町「お兄ちゃんぶつぶつ何言ってんの? 女の人からラインが来たからって……」

八幡「うるせ。……小町、ピースして笑ってくんね?」

小町「何、写真撮るの? シャチョサン、オカネトルヨー」

八幡「国籍どこだよ。いや、このラインの人同僚なんだが、今日の休憩中どっちの妹が可愛いかって話になってな。シスコン代表として負けられねぇだろ」

小町「何その対抗意識……その人も相当アレだね……」

八幡「これがその人と妹だ」

小町「……!? なにこれ! めっちゃ美人じゃん!! アイドルじゃないの!?」

八幡「俺も最初は驚いたが事務員さんだ。昔はスクールアイドルやってたらしい。絢瀬絵里さんって言うんだが」

小町「ん……絢瀬絵里? もしかして」

八幡「知ってんのか? なんか全国優勝してたりしたらしいが」

小町「うぇっ、やっぱりμ'sの絢瀬絵里じゃん! じゃあ妹は絢瀬亜里沙ちゃん? 無理無理無理! 小町そんな人たちに勝てないよ!!」

八幡「そんなことない。お前は宇宙一可愛い。少なくとも俺の主観では」

小町「……最後の一言が余計だよ」

八幡「お前より可愛い妹はいねぇよ。ほらほら、笑顔くれ」

小町「そりゃ妹は小町だけだからねぇ……。仕方ないなぁ、もう」




100 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:01:27.86NSPCnO+e0 (93/255)

比企谷 八幡<お疲れ様です。あんなもので迷惑なら俺は普段仕事できませんよ。
       これ本当に妹ですか? ネットで持って来たりしてませんよね? 可愛い。
       でもやっぱり小町より可愛い人間はこの世に存在しない。ソースは俺。
       というわけで今撮った奴同封します。

       可愛い!! 無邪気な感じが比企谷くんと対極なのね!( ゚Д゚)>Elly 

比企谷 八幡<それは俺が邪気な感じだと言われてるんですかね……。

       想像にお任せ。でも顔付きは似てるのね。さすが兄妹(´▽`)>Elly 

比企谷 八幡<そっすね
 
               顔文字なしで4文字(・_・) おこってるの?>Elly

比企谷 八幡<そんなことないですよ(*'▽')
                    
                                お疲れ様>Elly

比企谷 八幡<顔文字なし4文字はやめましょうよ……。




101 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:02:40.45NSPCnO+e0 (94/255)


【346プロ】アイドル部門総合スレッドPart25

134 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 12:43,31 ID:kDlmook8
  お前ら今日発売のnonnaもう買った?

138 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 13:23,04 ID:moks5F4g
>>134
  買った。ニュージェネレーションズだろ? これは期待していいのかな

145 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 14:57,32 ID:kolmLDCx
僕は本田未央ちゃん!

189 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/06(水) 18:34,97 ID:LPKSh467
  新しい子たちが出てくるのはいいことだ。アイドルファンとしては応援一択だろ。
  しかしこの卯月ちゃんって子の尻は性的すぎませんかねぇ

191 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/07(木) 03:02,25 ID:Vduk278l
まあ今更何が出てきても765の敵にすらならんけどな。AVマダー?

201 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/07(木) 06:09,48 ID:FSxc9kGh
>>191
  はいはいおじいちゃん765病棟に戻りましょうね~




102 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:03:46.52NSPCnO+e0 (95/255)



241 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 09:42,74 ID:Sk0LumFp
俺は渋谷凛どんな子かすげえたのしみだけど。この子高垣楓みたいにならねえかな。
  たしか再来週の日曜の楓さんのラジオにちょっと出るだろ。久々に生で聴くかねえ。
  ラジオ初だろ。記念に録音しとこ。有名になったらドヤるのも悪くねえ。

321 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 11:15,94 ID:DgIl49o0
  なんでもいいからパッションがもうちょい強くなればいいよオレとしては
  最高Cランクだぞ。補強はよ~

333 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 14:23,55 ID:koleFgk0
いくらでも金貢ぐから本気で恋させてほしい CDだって何枚も買うから
  握手するためなら徹夜も余裕 それくらいの子待ってんだよね

335 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 17:42,87 ID:mosdRgH7
  >>333
  気持ちはわからんでもねぇがレスの内容がくっせぇwwwwきもwwww

336 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 19:31,77 ID:GdFtRwE9
こういう奴がいるからアイドルファンは民度が低いだの言われんだよ

338 名前:ファンクラブ会員番号774:20XX/05/09(土) 20:21,35 ID:87Dg6k09
まあまあ、通は静かに見守ろうぜ?
  何にせよこれからが楽しみだな。





103 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:55:10.21NSPCnO+e0 (96/255)

<五月中旬、昼。浜松町ラジオ局喫煙室>

八幡「ふー……。いよいよか」

――こんこん。がちゃっ。


凛「プロデューサー、プロデューサー……。あ、いた」

八幡「うお。なんだ、渋谷か。ちょっと外で二分くらい待ってろ、すぐ消すから」

凛「い、いや。ここで大丈夫だから」

八幡「大丈夫じゃねぇよ。もうすぐラジオなんだぞ、喉痛めたらどうすんだ。いいから待ってろ」


――ばたん。


凛「あ、ちょっと! ……もう。なんで煙草なんか吸うんだろ」


八幡「はいよ、お待たせ。どした」

凛「ん……いや、実は、何もないんだけど」

八幡「あぁ? ……本当か?」

凛「いや……ごめん、嘘」

八幡「言っとくけど女子お得意の『察してよ』みたいなやつ、俺には無理だからな」

凛「え? プロデューサーが?」

八幡「そうだよ。自慢じゃないが『察した』と思って致した黒歴史は多いぞ」

凛「なにそれ。微妙に興味ある」

八幡「やめとけって、双方気まずくなって終わりだ」

凛「……はあ。わかった、プロデューサーにそういうの求めるのはやめとくよ」

八幡「そうしとけ」

八幡「他人に期待したって、ロクなことにはなんねぇぞ」

凛「それは、黒歴史からの人生訓?」

八幡「……そうだな」

凛(じゃあ、私には?)

凛(そう聞くのは少し怖いから、やめた)

凛「言葉にしないと伝わらないことってあるよね……よし」





104 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:56:47.00NSPCnO+e0 (97/255)


凛「……めちゃくちゃ緊張してます」

八幡「……ま、それもそうか。初めてだもんな、ラジオ」

凛「まず公共の電波に声を乗せるのも初めてだよ。……情けない話、怖いんだ。失敗してパニくって喋れなかったりしたらどうしよう」

八幡「……そうか。まぁ、それが普通だわな」

凛「うん……未央なら話したくて話したくてうずうずするよとか言いそうだけどね」

八幡「あいつの場合どこカットしていいのかわかんなくなりそうだな」

凛「わかる。生放送とか怖いタイプだよね」

八幡「その点お前は安心できるって戸塚が言ってたよ。だから今回の仕事が来たんだが」

凛「よくそういう感じのこと言われるよ。しっかりしてるから、大丈夫だろうって。手のかからない子だなーとか」

八幡「羨ましい限りだ。手のかかる子だなとしか言われてこなかったぞ」

凛「たまに、そっちの方が羨ましくなる時ってあるんだ。……私も、たまには」

八幡「いやいや何言ってんの? お前も十分手のかかる子だぞ。俺からしたら」

凛「え? 私?」

八幡「自覚ねぇのかよ。いっつも危なっかしいからな」

凛「……そう言われると、なんか悔しい」

八幡「ワガママなやつ……どっちがいいんだよ」

凛「うー……! 私のどこが危なっかしいのっ」


放送作家「あ、渋谷さん、比企谷さん。高垣さん予定より早く到着したので、もう打ち合わせ始めてしまおうと思うんですが来ていただいても構いませんか?」


凛「あ、はい!」

八幡「すいません。すぐに向かうんで」

放送作家「ではでは、お願いします~」


凛「……この続き、いつか絶対聞くからね」

八幡「はいはい、覚えてたらな」

凛「それ絶対流すやつでしょ!」

八幡「ま、なに。手がかかるのは悪いことじゃねぇよ。その分、手塩にかけてると思えばな」

凛「口ばっかり回ってさ。手が焼けるよ」

八幡「やかましい。それよりどうだ」

凛「何が?」

八幡「緊張。ほぐれたか」

凛「……あ」





105 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 10:59:23.11NSPCnO+e0 (98/255)

<居酒屋「かえで」収録>

楓「それでは今日のゲストに登場してもらいましょう。四月からなんと私と同じ事務所に所属してる新人さんです。ラジオ、なんと今日初めてだそうですよ? ふふ、有名になったら私、自慢しちゃいますね。そんな未来を信じんましょう……ふふふっ」

楓「346プロクールプロダクション所属、渋谷凛ちゃんです」

凛「こ、こんにちはっ! 渋谷凛ですっ、よろしくお願いします」

楓「ふふふっ、よろしくね、凛ちゃん。この前事務所で会った以来かしら?」

凛「はい、そうですね」

楓「一緒に飲みに行こうって言ったんですよね~」

凛「私は十七だから飲めないんですけど……」

楓「そうそう、だから凛ちゃんが二十歳になったら飲みに行く約束をしたんですよ」

凛「そうですね。指切りをしました」

楓「私、昔指切りのハリセンボンって魚の方だと思ってたんですよね~」

凛「えっ、魚じゃないんですか!?」

楓「うふふっ、あらあら」

凛「えっ、私十七年間ずっとハリセンボンって魚の、あれっ、違うんですか?」

楓「そんな凛ちゃんにたくさんの質問メールが来ているので読みますね~?」



八幡(……まあ順調な滑り出しだな。話の広げ方とかタイムキープの感覚とか、その辺も含めて高垣さんはマジ一流だ。歌えて踊れて喋れて可愛いってなんなの?)

八幡(ゲストコーナーは十五分程度だが、渋谷はやはり苦戦していた。しかしそこはやっぱり放送作家さんの台本の貢献や高垣さんの絶妙なフォローがあって、ラジオはつつがなく進行していった)




106 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:01:21.87NSPCnO+e0 (99/255)

楓「もう一通大丈夫ですかね? ……大丈夫? いきましょう。日本酒ネーム剣豪大魔神さんからのお便りです。『楓さん、渋谷さん、越乃寒梅わ!』かんばいわ~」

凛「かんばいわっ。……あの、この挨拶って何なんですか?」

楓「私なりの愛なんですよ~。『僕は渋谷さんと同じで今年から高校三年生です』おっ、そうなんだ。『だというのに、どういう大学に行きたいとか、どんな勉強をしたいとか、全然思いつきません! 進路ってちゃんと考えないといけないのはわかってるんです。でも何をしていいかわかりません。周りの友達たちはちゃんとどこに行きたいとか考えてて、すごく焦ります。そこで質問です。渋谷さんと楓さんは、どうしてアイドルになったんですか? 進路についてどう考えていますか? 真面目な質問ですいません。是非きいてみたいです』……はい、ありがとうございまーす」

凛「あ…………」

楓「進路、進路かぁ。懐かしい言葉ですね。私はもうずーっと行きたいままにって歩いていたらここにいた気がします。ふふふっ」

凛「…………」


八幡『おい渋谷。話せ、事故になる』


凛「っ! 進路、進路ですか」

楓「凛ちゃんにはホットな話題ですね~。メールにもありますし聞いてみましょうか? 凛ちゃんはどうしてアイドルになったんですか?」

凛「あ……え、えっと」

楓「ふふふっ、ちなみに私はですね。モデルのお仕事を先にしていたんですが、当時プロデューサーをしていた人にスカウトされてね。最初は受ける気なんて全くなかったんですけど、プロデューサーさんの熱意に負けてアイドルになることにしたんです。すごーい寡黙でわかりにくい人なんですけど、アイドルのことになると熱意がむき出しでね。それで、この人がここまで夢中になるアイドルってどんなものなんだろう、どんな世界なんだろう? そう思ったのがキッカケです。そっからハートに火がついちゃって今に至りますね」

凛「へえ、そうだったんですか……」

楓「凛ちゃんもスカウト組だったよね?」

凛「そ、そうです。渋谷で歩いてて」

楓「あらあら、お名前と不思議なご縁ね。それで面白そうだと思ったのね?」

凛「そうです。……はい、そんな感じですね」

楓「うふふ、二人して参考にならなくてごめんなさいね。でも、いい悩みだと思います」

楓「もうおばさんの私から言わせてもらうと、そういう悩みって大人になるともうできないものですから、悩めるうちにいーっぱい悩んでください。大丈夫です、なるようになりますよ。あなたの目の前で早く決めろー決めろーって言ってる大人たちも昔は悩んでいたんですから」




107 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:02:57.61NSPCnO+e0 (100/255)


放送作家「んー、ここ編集点にしちゃいますね。大丈夫ですか?」

八幡「あ、はい、すいません。お願いします」

放送作家「いえいえ、いいんですよ。年頃ですからね、答えにくいところだったのかもしれませんし」



楓「それでは凛ちゃんとはそろそろお別れの時間が近付いてまいりました~。早いですねえ」

凛「楽しかったです! 楓さんは本当に憧れの先輩なので、話してるのが夢みたいでした」

楓「大袈裟ですよ~。どうですか凛ちゃん、アイドルの世界は」

凛「そうですね……。まだわからないことばっかりなので、もっと楽しめるように色々勉強できたらいいなって思います」

楓「ふふふっ、そんなにうまくやろうと気張らなくて大丈夫ですよ。これは比企谷くんにちゃんと見てもらわないとですね~?」

凛「な、何でそこでプロデューサーの名前が出てくるの!」

楓「あっ、可愛い。そういう話し方でいいんですよ? 比企谷くんというのはですね、四月から入った弊社の新人プロデューサーくんなんですよ。今は凛ちゃんだけの担当なのかな。彼、本当に頑張ってるのでリスナーの……お客さんのみなさんもぜひ応援してあげてくださいね? いい子なんですよー本当に」

凛「良い子かなぁ。捻くれてるし煙草吸ってるし優しくも……ないことはないか」

楓「うふふ」

八幡(おいおい公共の電波で名前出すなよ。マジっすか高垣さん。あ、渋谷のやつようやくこっち見たな)

凛「あ、ガラスの向こうにいる。ま、一緒に頑張ろうね。……信頼してるよ」

八幡(リスナーに俺たちが見えるわけないのに、思わず俺は顔を逸らした。照れくさくって、直視できなかった)


楓「それじゃあ凛ちゃんのこれからの活躍、期待していますよ?」

凛「ありがとうございました、また呼んでください!」

楓「はい、勿論。それでは本日のゲストは弊社の渋谷凛ちゃんでした~」





108 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:04:59.39NSPCnO+e0 (101/255)

<放送終了後、ブース横会議室>

放送作家「では直しはこういう感じでいきましょう。お疲れ様でした」

八幡「お疲れ様でした。今日はありがとうございました」

放送作家「いえいえ、とんでもない。渋谷さんには頑張ってほしいですね」

八幡「そうですね、喋りの方はやはりまだまだですが……」

放送作家「ははは、そうですね。でも、初めてにしては及第点じゃないでしょうか。最初から上手かったのは城ヶ崎の美嘉ちゃんくらいですね。あの子いるでしょう、島村さん」

八幡「ああ、はい」

放送作家「あの子とも別のラジオでこの前一度やりましたけど、終始テンパってててんやわんやでしたよ。逆にそれが好評でしたがね」

八幡「そこがあいつの短所でもあり長所でもあるといいますか」

放送作家「そうですね。渋谷さんは確かに未熟ですが、何か……こう……」

八幡「なんですか?」

放送作家「いやね、何か化けるんじゃないかなって思わせてくれるんですよ」

八幡「いや、そんな社交辞令をかけていただかなくても」

放送作家「いえいえ、本当ですよ。そういう資質が一番大事なんです。それって後天的には身に付きませんからね」

八幡「……そうですか。ありがとうございます」

――がちゃっ。

楓「あ、比企谷くん。作家さん。お疲れ様です」

放送作家「お疲れ様です」

八幡「お疲れ様です。あの、高垣さん」

楓「どうしました?」

八幡「渋谷がどこにいったか知りませんか。あいつ、ちょっとヘコんでたみたいで」

楓「ああ、それなら。さっきエレベーターの↑ボタンを押してたので――」




109 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:06:26.74NSPCnO+e0 (102/255)

<ラジオ局、屋上>            
凛「…………」

凛(ハートに火がついちゃって、かあ)

凛(私の心にも燃え時が来るんだろうか。それはいつ? 心に火を点けるものは何?)

凛(山手線の駅は近い。高い高いところから私がスカウトされた場所の辺りを見渡していた)





<四か月前。クリスマス>
凛(あの日は何もなくて、ただ当てもなく渋谷をさまよっていた。クリスマスに華のJKが一人で何やってんだかって思われても仕方がない)

凛(友達はいないわけじゃない。誘いはあったけど気乗りしなくて断った)

凛(クラスの男の子に言い寄られたことも何度かある。でも断った。その気もないのに付き合うって、お互いにプラスにならないと思う。内面を見てくれ、とまで言わないけど外見だけ見られると流石にちょっとうんざりだ)

凛(一人で渋谷の街を歩く。クリスマスイルミネーションが幻想的で美しくて目を奪われた。だけど、素直に楽しむ気にはなれなかった)

凛(ウインドウショッピングを終えて、ハチ公の前で立ち止まる。時刻は夕刻過ぎだった)

凛「……お前はいいね。好きなものがあって」

凛(勉強も、部活も、恋愛も。そつなくこなす自信はあるけれど、何にも夢中になれないでいた)

凛(ハチ公は亡くなった今も飼い主を待っているのかな。好きなものを。ただ、好きってだけで)

凛「…………あ」

凛(首筋が冷たい。上空を仰ぐと、白い雪が落ちてきていた。私は避難代わりにスクランブル交差点正面の大型レンタル店に逃げ込んだ)

凛(二階の喫茶店でコーヒーを頼んで、窓際の席に座る。窓からはスクランブル交差点が見下ろせた)

凛(見下ろす限りの人、人、人――)

凛(誰が誰だなんてわからない。どこの誰ともわからないたくさんの人たちが、ものすごい速度ですれ違っていた)

凛(……私も。このままどこの誰ともわからない、ただの人間で終わっていくんだろうな……)





110 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:08:37.09NSPCnO+e0 (103/255)


――ぶーん。ぶーん。

凛「ん……お母さんか。はい、もしもし」

母『あ、凛。今大丈夫? 暇してる?』

凛「クリスマスにJKが暇だと思ってるの?」

母『暇でしょ?』

凛「……暇だけどさ」

母『良かった。悪いんだけどちょっと帰ってきて店番代わってくれない? クリスマス料理作らないといけないのに買い物するの忘れてたのよ』

凛「えー……」

母『時給はクリスマス手当つけてあげるわよ』

凛「……はぁ、わかったよ。帰る」

母『お願いね~』

凛(電話を切って、外に出る。思わずまた天を見上げた。今日はホワイトクリスマスだ)

凛「……たまには、何かプレゼントはないのかな。サンタさん」

凛(良い子にしてるんだから――)



武内P「……すいません、少しよろしいでしょうか?」

凛「ん……?」

武内P「私、こういう者です」

武内P「――唐突なお誘いなのですが、弊社のアイドルになってみませんか?」





111 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:10:00.57NSPCnO+e0 (104/255)

<同日、夜。凛の花屋>

凛「怪しい……。本当なのかな?」

凛(自分のお店のカウンターの中で一人、私は名刺を睨みつけていた)

凛「アイドルのスカウトって、本当にあるの? 大体なんで私が……」

凛(それにこういうのってアレでしょ。……えっちなやつかもしれないんでしょ)

凛「それにしても……」

凛「アイドル、か」

凛(嫌いなわけじゃないけれど、いつものようにピンと来ない。本当に? 私が? アイドル?)

凛「ないない、やめとこ」

凛(私は名刺を四つに折りたたむと、ゴミ箱に向かって投げた。……外れて手前で落ちた)

凛「おのれ、しつこい」

凛(投げたフォームそのままだったので、右手につけた腕時計が見えた。時刻はもう九時。閉店時間はとうに過ぎていた)

凛「あ、やば。閉めないと」

凛(そんなときだった。店に入って来る一つの人影)


凛「いらっしゃいませ。ごめんね、お兄さん。もうあと数分で閉めちゃうんだけど……」

八幡「……あ、そすか。すんません」


凛(ああ、あなたに出会ったのはそんな時だったよね――)



112 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:11:53.46NSPCnO+e0 (105/255)


八幡「よう、こんなところにいたか」

凛「! プロデューサー!」                             八幡(柵に組んだ両腕を置いて遠くの景色を見つめている渋谷は絵になっていた。声をかけるのは少し無粋だと思ったくらいだ)

八幡(俺は渋谷から人二人分くらいの感覚を空けて、同じように柵に腕を乗せた)

八幡「お疲れさん」 

凛「ん……ありがと」

八幡(春のぬるい風が俺のスーツと渋谷の髪を揺らす。桜はもう散ってしまっていて、こいのぼりだってもう降りてしまっていた)

凛「今日の私、ダメダメだったな」

八幡「そうか? 作家さんは褒めてたぞ。及第点だってな」

凛「そんな社交辞令はいいってば」

八幡「……ふ」

凛「何。何か変なこと言った?」

八幡「いや、答えがそっくりだったもんでな」

凛「誰と?」

八幡「言っても喜ばないからな」

凛「気になるじゃん」

八幡「……俺と」

凛「……ふーん」

八幡「そこは『うわっ、プロデューサーと同じとか……』て言うところだと思ってたが」

凛「言わないよっ、私を何だと思ってるの」

八幡「俺の記憶の中では、女子にその反応以外頂いたことはなかったもんでな」

凛「……つらい」




113 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:14:14.51NSPCnO+e0 (106/255)


凛「ああ、ほんと……。ガチガチだったし、最後なんて何も言えなかったし……あれは多分カットだね」

八幡「そうだな。お察しの通りだ」

凛「……はぁ」

八幡(渋谷は額を柵に押し付けてぐりぐりしていた。いつも涼しい顔をしている彼女がこんな風に露骨にへこむ姿を晒しているのは新鮮で、申し訳ないが少し微笑ましく感じてしまう自分がいた)

凛「笑わないでよ……。結構本気で沈んでるんだから」

八幡「いや悪い。そんなにへこんでるところ初めて見たもんでな。つい」

凛「性格悪いなぁ、もう」

八幡「それは誰より知ってる」

凛「本当だよ。……はぁ」

八幡「…………」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「ふー……」

凛「副流煙で死んじゃうかも」

八幡「風下で離れてるだろ? 嫌なら下で吸ってくるよ」

凛「……いいけどさ」



凛「もっと上手くやれるって思ってたんだ」

八幡「ん……ラジオか?」

凛「うーん、それもだけど……もっと色々。アイドルのこと」

八幡「……」

凛「自慢じゃないけど、何でもよくできる子で通ってきたからさ。だから、もっと上手くやれるのかなって」

八幡「さっき言ったが、お前の手のかかる所がそこだよ」

凛「え?」

八幡「何でも上手くやろうとしすぎだ。そんなに思う通りにはいかねぇよ」

凛「……そうかな」

八幡「そうだよ」

凛「まぁ、思い知らされてるんだけどね。今とか。何でもするする思い通りにはいかないのはわかるんだけど」

凛「でも、それってちょっと悔しいから。早く一人で何でもできるようになりたい」

凛「私、最近まで知らなかったんだけど結構負けず嫌いなのかも」

凛「それが今のモチベーションなんだ」

八幡(……一人で何でも、ね。同感だな)




114 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:16:42.86NSPCnO+e0 (107/255)

凛「ねぇ、ちょっとアイドル失格っぽいこと言っていい?」

八幡「いくらでも言えよ。俺なんか人間失格って言われたまである」

凛「何それ、あはは」

八幡「鏡みたいな本だったが」

凛「んー?」

八幡「いや、なんでもねぇよ。どうぞ」

凛「うん、私ね。……私、実は、アイドルなんて興味なかったんだ」

八幡「…………」

凛「自分で言うと痛い子みたいだけど、私って結構なんでもできちゃうんだ。勉強もあんまり困らず都内有数の高校に入ったし、運動もそこそこできるつもりだし。……その、男の人に告白されたことだってあるし。見た目は悪い方じゃないのかな、なんて」

八幡「そうだな。可愛いよ、お前は」

凛「……な、なに。急に」

八幡「お前が言ったんじゃねぇか。客観的な意見だよ」

凛「……主観的には?」

八幡「いーから、続きは?」

凛「あ、うん。……だから、なんて言えばいいのかな。部活とか恋愛とか、どんなことにも夢中になれなくて」

凛「私、高校三年生でしょ。進路だって決めなきゃいけない。自分が興味ある事とか、やりたいこととか、そういうものがあればよかったんだけど、ないから」

凛「私はこのまま何もないまま生きていくのかなって思うとね……」

八幡「アイドルになるなんて普通の人生じゃないだろ?」

凛「うん、だからだよ」

凛「私、アイドルなんて興味なかった。街頭のヴィジョンで流れる歌も、雑誌を彩る人の姿も、テレビを賑やかす笑顔も、意識したことなかったから。毎日普通に生きてたんだ。今まではそれで不満に思ったこともなかったけど」

凛「もうすぐ私十八歳になるんだよ。大人になっちゃう。このままずっと生きていくのは、その……なんだかなって思っちゃって」

凛「そんな時かな。アイドルにスカウトされちゃって。最初は受ける気なんて全くなかったけど、その日に少し思うこともあって……受けることにしたんだ」

凛「――アイドルになれば、何か変わるかなって」

凛「全然好きじゃないけど、自分の為だけに受けてみたんだよ」



八幡「そうか……」

八幡(もう十八歳ね。まだ十八歳の間違いだろって思うけどな。……生きる動機がないと罪悪感を感じるってか。真面目な奴だよな、本当に)




115 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:17:59.19NSPCnO+e0 (108/255)


八幡「なら、俺と同じだな。俺だってプロデューサーなんてなる気もなかったぞ。アイドルなんて全員同じ顔に見えたし、度々言ってるが働きたくもない」

凛「ふふっ、何それ」

八幡「動くことに立派な理由がなけりゃ、不安か?」

凛「そうなのかも。卯月も、未央も、他の人たちも。……みんなこの職業に憧れを抱いてるなって感じるから。私のような半端者がって、最近」

八幡「でもお前は少しとはいえ、自分を変えたいって思ったんだろ」

凛「変えたい、というよりは……変われるかな、って感じで」

八幡「ならそれも立派な動機だろ」

凛「でも下心だよ。私、自分の為にアイドルを利用してる」

八幡「それのどこがいけねぇんだ? 自分の為に何かを利用すんのは当たり前のことだ」

凛「……突き抜けてるね」

八幡「よくはみ出してるって言われるけどな。大体下心ほど純粋なもんはねぇよ。白川の清きに魚も住みかねて、だ。キラキラしてるあいつらより、そっちの方が人間らしいだろ」

八幡「俺は、お前の方が好きだけどな」

凛「っ……」

八幡「? どした」

凛「べ……別に。そんなこと言う人、初めて見たから。珍しいだけ」

八幡「そうかぁ? 俺より捻くれた奴はいくらでもいるぞ」

凛「捻くれた人って意味じゃなくて……」

八幡「どういう意味だよ」

凛「……なんでもない」

八幡「そうかい」




116 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:19:19.93NSPCnO+e0 (109/255)


凛「ねえ、プロデューサーはどうしてプロデューサーになったの?」

八幡「黒塗りのリムジンに轢かれたから」

凛「真面目に聞いてるんだけど?」

八幡「真面目に答えてるんだが。去年のクリスマス……お前と会った後だな。本社の車に轢かれてな」

凛「え!?」

八幡「入院先で武内さんにスカウトされた。そんな感じだ」

凛「でも、プロデューサーの性格だったらスカウトされても受けなさそうだよね。『は? アイドルのプロデューサー? 何言ってんですか』とか言ってさ」

八幡「何そのムカつく口調。誰? もしかして俺なの? え? 俺もっとクールな感じじゃないの?」

凛「いっつもこんなだよ。で、どうなの」

八幡「ま、確かにな。最初は受けるつもりはなかった」

凛「じゃあ、どうして?」

八幡「その点、お前と似てるよ。俺は理由がないと動けない人間だからな」

八幡「妹に頼まれたんだ。……腐った性根を直してこいってな。俺もそうだ。目的の為にプロデューサーを利用してる」

凛「……ふーん。本当にシスコンなんだね」

八幡「もっと褒めてくれ」

凛「――ねえ。本当にそれだけ?」


雪乃『……ねえ、比企谷くん。……雪は、好き?』



八幡「……嘘はついてねぇよ。俺の志望動機は純粋な下心だ」

凛「妹の頼みに応えるのが?」

八幡「そうだな。まあ将来の夢のためってのもある」

凛「前も少し言ってたね。プロデューサーの夢ってなんなの?」

八幡「専業主夫。養われたい」

凛「うっわー」

八幡「なんでだよいいだろ専業主夫。働きたくない……」

凛「ま、応援しておいてあげるよ。叶うといいね」




117 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:20:47.04NSPCnO+e0 (110/255)


凛「ね、プロデューサー。私、変われるかな」

八幡「知らん」

凛「……はぁ」

八幡「言ったろ。他人に期待すんな。俺のポリシーだ」

凛「わかるけどそこはさぁ」

八幡「俺はお前を変えてやれない。お前が勝手に変わるだけだ」

八幡「人に人が変えられるなんて、思い上がりでしかない」

八幡「だからお前は自分に期待しろ。自分が期待しないで、誰がお前を肯定する」

八幡「俺はずっと見ててやるよ。何もしない代わりにな」

凛「……うん。約束だよ」

八幡「指切りでもするか? ハリセンボン飲んでやるぞ、くく」

凛「……いじわる」

八幡「仕事だからな。一度受けた仕事は絶対に途中で投げない」

八幡「あ、バイト辞めたりしたのはノーカンな。俺がバイト辞めるのは俺が悪くない。社会が悪い。俺という存在が器に収まりきらなかっただけだから」

凛「仕事だから、か。プロデューサーらしいからそれでいいや。ふふっ、それにしても」

凛「プロデューサーの、その弱さを肯定してしまう部分。嫌いじゃないよ」

八幡「……そうか」

八幡「俺は、少し前からこんな自分が嫌いだけどな」





118 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:22:35.27NSPCnO+e0 (111/255)

<週末、346本社内テニスコート>

八幡「本社にこんなとこがあったのか……。しかしでかいな」

戸塚「うん! 社員は無料で使えるんだけど、意外に知られてないんだー」

八幡「さすが天下の346だな……」

戸塚「じゃ、ストレッチしたらやろっか? 八幡」

八幡「お手柔らかにな。引きこもりが経験者に本気出されたら死んじまう」

戸塚「あはは、心配しないで。多分大丈夫だよ」



戸塚「はいっ」パーン

八幡「おっと」ポーン

戸塚「スキありー」スパァン!!

八幡「ちょっ!! 無理だろそれ!!」

戸塚「無理なところに打つのがテニスだよ、はちまんっ」

八幡「なんて性格の悪いスポーツなんだ……」

戸塚「よーし、次いこう次!」

八幡「おー……」

八幡(やっぱ戸塚も体育会系なんだな。俺の嫌いなノリだが……戸塚だったら興奮するな。素晴らしい)


八幡「よっと」スパンッ

戸塚「わ、うまい」ポンッ

八幡「せいっ!」スパーン

八幡(会心のショットなのにもう回り込まれてるんだが? なに戸塚ってエスパーなの? それとも俺と同じくらい性格が)

戸塚「あ」スカッ

八幡「お、おお……。珍しいな」

戸塚「あはは、やっちゃった。恥ずかしいな……」

八幡(おい頬赤らめてこの台詞とかダメだろ。アイドル全員廃業まである。プロデュースしたい。俺にプロデュースさせて? いやでも戸塚がアイドルをやれば全世界の人間が戸塚の魅力に気付く……? いやそれはダメだ。戸塚は俺だけの戸塚でいてほしい……)

戸塚「八幡? 次、八幡からのサーブだよ?」

八幡「あ、ああ。悪い」




119 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:26:27.72NSPCnO+e0 (112/255)


八幡(それ以降のテニス対決は戸塚によるハイパーレイプタイム)

八幡(と、いうわけでもなかった。戸塚はたまにさっきみたいに空振りすることもあるし、ダブルフォルトをやらかすこともあったし、ホームラン級のアウトをかますこともあった。何より一歩も動けない、みたいな無情なショットはなかったように思える。それでも実力差は歴然だったのだが)



八幡「はぁ……、はぁっ……」

八幡(息切れるわ動悸がとまらねぇわでヤバイ。なんだこれ、恋?)

戸塚「あはは、疲れた? ちょっと休憩にしよっか」

八幡「お、おう……。頼むわ……」

八幡(戸塚は少しも息を切らさずに、左肩にラケットの打面を乗せて笑っていた。……? 左肩?)

八幡(そういえば……)

八幡「戸塚って利き手どっちだったっけ」

戸塚「ぼく? 右利きだよ!」

八幡(……おい、まさか)

八幡「今まで全部逆手でやってたのか……」

戸塚「あ、バレちゃった? あはは」

八幡「言葉もねぇわ」

戸塚「ふふ、テニスの王子さまだからね」

八幡「ウス……」

八幡(戸塚王国の建国はまだですか? と思っていると、戸塚は水買ってくるね! と言って自販機の方へ振り返った。その時の様子は忘れられそうにない)

八幡(戸塚は右手でラケットを地面に軽く投げてぽんと跳ねさせた。宙を舞うラケット。それを戸塚は振り向きもせずに背面で跳ね返ったグリップを掴んで見せた)

八幡(まるで手のひらに向かってラケットが吸い寄せられてるみたいだった。それぐらい、呼吸のように当然だと言わんばかりの動作)

八幡(その何気ない所作に、戸塚のテニスにかけてきた時間が滲み出ていたような気がした)




120 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:28:57.88NSPCnO+e0 (113/255)


戸塚「――ふぅ。じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか!」

八幡「………………」

戸塚「はちまん?」

八幡「……あぁ」

戸塚「あ、返事がある。まだ屍じゃないね。ふふ」

八幡(戸塚は最後まで息を切らさず、右手も使わなかった)

八幡「戸塚、上手すぎ……。なんで俺の打つとこ打つとこに先にいるんだよ。ペガサスなの?」

戸塚「うーん、テニスって相手のこと考えるスポーツだから。ぼくは八幡のことずっと考えてたからわかったんだよ!」

八幡(もうゴールしていいかな。男だけど。いやむしろ男だからいいのか……!?)

戸塚「ずーっと八幡とまたテニスしたかったんだ」

八幡「ずっとって……俺はそんなに上手くなかっただろ。壁としかやったことねぇぞ。あとマリオテニス」

戸塚「そういうことじゃないんだよ。八幡、ぼくと初めてテニスしたときのこと覚えてる?」

八幡「覚えてるよ。雪ノ下が鬼教官だったやつな。あぁ、そういえばテニスコートかけて葉山と三浦ペアと勝負したこともあったっけ……」

戸塚「勝ったのに葉山くんに全部持っていかれちゃったやつね」

八幡「仕方ねぇだろ。なんなら葉山が勝った方が客には良かったんだけどな」

戸塚「うーん、それはぼくが嫌、かな」




121 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:30:24.22NSPCnO+e0 (114/255)


八幡「そうか? まぁあの時は三浦もとんがってたしな……」

戸塚「そうじゃなくて。ぼくは、八幡と一緒がよかったの」

八幡「……なぁ戸塚。一緒にオランダ行かね?」

戸塚「え? 急だね……でも八幡が行きたいならいつか一緒に行こうね!」

八幡(そう言って俺に笑いかける戸塚。純粋な好意だと信じたいのに、暗く深い心の底から奴が鎌首をもたげるのを感じた。ああ、なんて無粋な奴――)

八幡「戸塚は変わってるな。なんでこんなのに近づきたがるんだか」

戸塚「……自分を悪い人間だと思わせたがるのは、その方が楽だからでしょ?」

八幡「っ!」

戸塚「ぼくは楽させてあげないよ。八幡はいい人。ぼくの友達だもん」

八幡「……」

戸塚「……人は人を変えるものじゃないかな? 少なくとも、ぼくは変わったよ」

八幡「思い上がりだよ、それは。人は勝手に変わるもんだ」

戸塚「……ねえ、八幡。ぼくはテニス上手かった?」

八幡「なにそれ嫌味? さっきも言っただろ……。逆手であれとか上手すぎなんだよ……」

戸塚「……ふふっ。じゃあそれが答えだよ」

八幡「……?」




八幡「俺はもう少ししたら渋谷たちのレッスンが始まるから見に行く。戸塚は?」

戸塚「ぼくも養成所、一緒に行こうかな。あの人オフにしてるけど絶対いるだろうしね……。八幡、レッスンのあと何かある?」

八幡「俺? いや、今日は休日だから元々レッスンの見学はマストじゃないし、何もないぞ」

戸塚「ほんと!? じゃあ終わったら一緒に飲みにいかない?」

八幡「あ、ああ。いいけど俺ちょっと事務所に寄って取りたいもんがあるから九時とかになっちまうぞ。いいのか?」

戸塚「全然構わないよ! 約束ね!」

八幡「俺と飲みに行くって言ってテンション上がるのはお前くらいのもんだ」

戸塚「えー。そうかなぁ」

八幡「いつだか雪ノ下にいつかあなたのことを好きになってくれる昆虫が現れるわって言われたの思い出すなぁ……」

戸塚「……世の中、蓼食う虫は多いなあ」




122 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:31:59.42NSPCnO+e0 (115/255)

<346プロタレント養成所:レッスン室>

星空凛「よし、じゃあ今日は最後に合わせてみよっか!」

未央「え、えぇー! もうヘトヘトだよ……」

卯月「未央ちゃん、最後だからがんばろ?」

凛「ん、いつでも」

星空凛「おお、しぶりんは頼もしいね! 疲れてるのはわかるけど、だからだよ! 疲れてるときが一番無駄な力が抜けるにゃ。ギリギリのところをもう一歩、が一番実力アップにつながるんだよ」

未央「うう……わかりましたよぉ。しまむー、しぶりん! 終わったら一緒にご飯行こうね!」

凛「未央、なんかその台詞」

卯月「フラグっぽいです……」

星空凛「へぇ……。まぁ、誰も『一回で終われる』とは言ってないけどね!」

未央「ひぃいい!! しぶりん、しまむー、集中だよっ!?」

凛「してる」

卯月「音楽お願いしますっ」

未央「あぁっ、ちょっと待って!」


八幡(上手いことやってんなぁ。あいつら誰も気付いてないけど終了十分前なんだよな。発破かけて集中させてんだな。ムラッ気の多い本田とかには効きそうだ。にしても……)


凛『I say――! Hey,Hey,Hey,START:DASH!』


八幡(こいつ、ここ一番の集中力はマジでずば抜けてんな。センターじゃないのに目線が引っ張られる、みてぇな。ダンスはまだまだプロレベルとは言い難いが……こいつこの前まで素人だったんだよな)




123 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:33:28.19NSPCnO+e0 (116/255)


星空凛「ひっきーも休みの日にお疲れ様だね。偉いにゃ」

八幡「だって渋谷が来なかったら『この前のレッスン来なかったよね。ふーん。ま、いいけど』とか言ってスネるんだもん……あいつめんどくせえ……」

星空凛「無駄にうまいね……そのモノマネ」

八幡「まあ仕事してるときほとんど一緒にいるからな。特徴くらいは掴めて当然だろ」

星空凛「ふーん? ……はい、これ今日の分の報告書と今週分の概観!」

八幡「ん、お疲れさん。休みの日に悪いな」

星空凛「なんのなんの! 日々伸びてってる子たちを見るのは本当に楽しいにゃ」

八幡「そうか。後で目を通すが、渋谷はどうだ。もうそろそろ二ヶ月じゃないか?」

星空凛「伸びてるね。しぶりんはアイドルのメイン、歌とダンスどっちにも偏りがないのがいいと思うにゃ。成長率という意味では一番だね! 三人の実力差、最初はあったけど今はもうみんな同じくらいになってるよ」

八幡「そうか。なんとなく上手くなったな、くらいは俺もわかるんだが」

星空凛「あ、それすごいことだと思うよ」

八幡「そうか?」

星空凛「素人から見ていいなって思われるのが一番大事! 見てる人はみんなただの一般人だからね。何もわからない人にわからせるのは本当にむずかしいよー。それぐらい成長してるのかもね! それか、ひっきーの眼力がついたか、だね」

八幡「担当としては前者であることを祈るがな。……っと悪い、急がねぇと」

星空凛「何か用事?」

八幡「ちょっと夜に人と飲むことになってな。戸塚となんだが」

星空凛「あ、戸塚くん! わぁ、楽しそうだなー!」

八幡「何ならお前も来るか?」

星空凛「あはは、邪魔しちゃ悪いからやめとくにゃ。それにもうすぐあれがあるし」

八幡「? あれって何だ?」

星空凛「おっとと、ひっきーにはギリギリまで秘密ってことになってるから聞かないでくれるとうれしいにゃ」

八幡「良く分からんが、聞かないでおくよ」

星空凛「うん、じゃあ楽しんでね!」




124 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:37:01.13NSPCnO+e0 (117/255)

<レッスン室205>

海未「ふぅ……、もう一回、行きましょうか」

戸塚「だぁめ。やっぱりここにいた」

海未「!? と、戸塚くん!? きょ、今日はお休みのはずでは」

戸塚「その言葉、そっくり園田さんに返すよ。今日はたまにの半日オフだから、ゆっくり休むようにって言ったよね?」

海未「う、うぅ……。担当アイドルが練習してるんだから、褒めてくれたっていいじゃないですか」

戸塚「そんなにオーバーペースでやると身体壊しちゃうだけ。プロなら休むのも仕事のうちだよ?」

戸塚「やめないなら、力づくで連れてっちゃうよー」ニコニコ

海未(う……!)ドキッ

海未「わ、わかりました! わかりましたからニコニコしながら近づかないでくださいっ!」

戸塚「その言い方、ちょっと傷つくなぁ……。ほら、早く早く」

海未「汗を拭いてから行きますから、先に出てください」

戸塚「わかった。そんなこと言って練習してたら覗くからねー?」

海未「しませんからっ!」

戸塚「あはは、それじゃ待ってる」バタン

海未「うー……! 本当にあんな顔して強引なんですからっ。性格悪いです、誰に似たんでしょう……」


海未「お待たせしました」

戸塚「うん、今日もお疲れ様。前にも言ったけど、やりすぎで身体壊したら意味ないからね?」

海未「はい……。わかってはいるのですが。なんだか、練習しなければ落ち着かなくて」

戸塚「そうだね……気持ちはわかるけど、身体が壊れたら他人に迷惑かかるからね」

海未「う……」

戸塚「ふふ、利くでしょ。他人を持ち出されると」

海未「戸塚くんはずるいですっ。どうしていつもいつも私の弱みばかり突くんですか」

戸塚「誠実な人の弱点はみんな似てるからねー」

海未「こんな意地悪のどこが天使なんでしょうか……全く世間は騙されてます。こんなんじゃ友達減りますよ?」

戸塚「あはは、そうだね。確かに同性の友達は少ないかも。……だからこそ」



――♪「悲しみに閉ざされて 泣くだけの君じゃない
    熱い胸 きっと未来を 切り開くはずさ」






125 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:38:14.14NSPCnO+e0 (118/255)


戸塚「あ、八幡たちのところかな」

海未「この曲……」

戸塚「知ってる曲?」

海未「知ってるもなにも、私たちの曲ですよ。μ'sの」

戸塚「へえ、そうなんだ! あ、でもトレーナーが星空さんだから練習曲に使うのも納得だよね」

海未「この曲は、私たちが初めてライブでやった曲なんです。凛もその時はお客さんでした」

戸塚「最初から全メンバーがいたわけじゃないんだね」

海未「ええ。絵里なんてもう私たちを目の敵にしていましたからね。全然なってないーって。ふふっ、まあ絵里ほど踊りが上手ければそう言うのも当たり前なんですが」

戸塚「園田さんたちほど可愛い人たちがいれば、集客とかもの凄そうだね」

海未「戸塚くんに言われると嫌味にしか聞こえないですが……。最初はそんなことないですよ。それこそこの曲を三人でやったときは、最初お客さんが誰もいなくて。胸が締め付けられましたね……泣き出しそうで、帰りたくなったのを覚えています」

海未「私は恥ずかしがりの緊張しいで、いっつも肝心なところで逃げようとして。そんな私を引っ張ってくれたのが穂乃果でした」

戸塚「高坂さんが……」

海未「本当に懐かしいです。ことり、穂乃果……。もう、ずっと会えていません」

戸塚「……」

海未「私はつくづく、二人がいないと何もできないのだと……。最近、そう思います」

戸塚「そんなことない」

海未「やめてください。現に結果に――」

戸塚「やめない。園田海未は最高のアイドルだよ。自信をもってよ。君がいなければ、ぼくはここにいなかった」

海未「? それ、どういう――」


――がららっ。




126 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:39:37.03NSPCnO+e0 (119/255)


未央「よっしゃぁあー!! 終わったぞーー!! ごっはんっ、ごっはんっ」
凛「うーん、最後少し体幹がぶれちゃったかな」
卯月「へとへとです……」



戸塚「あ、やっぱりニュージェネレーションズだった!」

海未「おつかれさまです」

未央「さいちゃん! 海未ちゃん!」

卯月「うわぁー! すごい、園田海未さんだ!」

凛「戸塚さん。久しぶりです」

戸塚「うん、渋谷さんも久しぶり! 会えて嬉しいよ!」ニコッ

凛「くっ……毎度の敗北感」

海未「あれ? 渋谷さん、靴が」

凛「え? あっ」

未央「うわぁ! ボロボロだよっ」

八幡「おう、お疲れ。どうした?」

卯月「あ、比企谷さん。凛ちゃんの運動靴がボロボロで……」

八幡「おぉ……。見事に靴底がぱっくりなっちまってるな」

未央「新しいの買った方がいいよ!」

凛「うーん、そうするよ。来週あたり買いに行こうかな」

八幡(……なるほど。覚えた)

八幡「お前ら早く着替えて来い。汗冷えたら風邪ひくぞ」

卯月「あ、はい!」

戸塚「ぼくは園田さんを送っていくよ! 本社の車で来てるし、送りがてら置いてくるよー」

海未「すいません、ありがとうございます。それではみなさん、またどこかで」




127 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:40:59.52NSPCnO+e0 (120/255)


八幡「どした? 本田と島村はもう行ったぞ」

凛「今日さ、休みなのに来てくれたんだね」

八幡「誰かが来ないと拗ねるからな」

凛「拗ねないよっ」

八幡「まぁそれはついでだ。今日は戸塚と約束があったから寄っただけ」

凛「……どうせ私はついでだよ」

八幡「だーもう、お前は見ても見なくても拗ねんのかよ。めんどくせぇな」

凛「はぁ、でも見に来てくれてありがとう」

八幡「仕事だから」

凛「じゃ、ないでしょ。今日は休みだもん」

八幡「うるせ」

凛「ふふっ、めんどくさい人」

八幡「面倒くさがりなのは否定しないがな。おら、早く着替えて来い」

凛「ん。ねえ、プロデューサー、この後時間ある? 一緒にご飯食べない?」

八幡「俺じゃなくて本田と島村と行けよ。ラーメンラーメン騒いでたぞさっき」

凛「私はプロデューサーがいいの」

八幡「……悪ぃ、今日は先約がある」

凛「嘘だ。そんな友達いないでしょ」

八幡「失礼な。本当だ、戸塚と飲みに行くんだよ。その前に事務所に忘れもん取りに行くし」

凛「……戸塚さんと?」

八幡「成り行きでな。今日は昼間から会ってたからその時に約束したんだ」

凛「休みの日に会ってたの?」

八幡「休みの日に友達と遊んで何が悪いんだよ……」

凛「私とはオフに会ってくれたことないのに戸塚さんとは遊ぶんだね。ふーん」

八幡「……今会ってるだろ」

凛「そういうことじゃなくてっ」

八幡「大体お前と会って何すんだよ。会う理由がない。よって会わない、はいQED」

凛「むー……。ねぇ、私も行っていい?」

八幡「飲みっつったろ。未成年はラーメン食べに行けって」

凛「えぇ、いいじゃない。飲まないから」

八幡「ダメだ。もし誰かに見られたらどうする。飲んでなくても場所がアウトだ。大衆は邪推する生き物だからな、飲んでいようがいまいが関係ねぇんだよ」

凛「……わかったよっ。でも今度いつか私とも出かけてね」

八幡「機会があれば。行けたら行く」

凛「馬鹿。きらい」

八幡「言われ慣れてるわ」



八幡「ようやく行ったか……はぁ」

八幡「高校生相手に何ドキドキしてんだ、俺……」




128 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:42:53.75NSPCnO+e0 (121/255)

<レッスン後、ラーメン屋「二十郎」>

凛「もうっ、何であんなにガード固いかな」

卯月「凛ちゃん、どうしました?」

凛「何でもない」

未央「そんな不機嫌な顔でもやし食べられても説得力ないよ……しぶりん」

卯月「うっうー、もやしです! ……多すぎません?」

未央「ごめんなさい、完全に甘く見てたよぉ……」

卯月「未央ちゃんが二十郎に行ってみたいって言ったんじゃないですかぁ!」

未央「だってここまでキツイって思わなかったんだもん!」

卯月「ああっ、早く食べないとまた麺が増えちゃいますっ」

未央「やばいよっ、ロットなるものを乱したらつまみ出されちゃうらしいから……」

凛「ごちそうさまでした」

未央「嘘ぉっ!?」

凛「ふん。戸塚さんにはデレデレしちゃってさ。私のこと邪険にしてばっかりなんだから。いいじゃん別に、たまには構ってくれたって……」

卯月「ううう、凛ちゃん、余裕があるなら手伝ってくださいよ~!」




129以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 11:43:16.74RfcqfgCa0 (1/1)

なんやこのキモい妄想


130 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:44:44.26NSPCnO+e0 (122/255)

<5月末日給料日夕方、346プロタレント養成所レッスン室301>

ルキトレ「以上が今回のライブ用の曲の振付になります。覚えましたか?」

杏「よーし覚えたよ。お疲れ様でしたっ!」

美嘉「いやいやいや!! 帰っちゃダメだから!」

アーニャ「ダー……杏、練習しましょ?」

雪乃(この子ったら本当に……。思わずこめかみを抑えたくなるわね)

杏「えぇー。でもみんなライブに向けて練習あるんでしょ。いいよいいよランク低い杏のためにわざわざ時間割かなくて。杏に任せてここは先に行けっ!」

ルキトレ「だめですよ、杏ちゃん。一応二人には課題を渡しています。問題があればすぐ対応しますし大丈夫ですよ。さ、パートごとに分けて反復練習しましょう?」

杏「い、いやだー! 杏の嫌いな言葉ランキングは一番が頑張るで二番目が反復なんだぞー!」

雪乃「双葉さん?」ニッコリ

杏「……はい。ね、ルキトレさん」

ルキトレ「何ですか?」

杏「パートわけなくていいよ。反復もいらない」

ルキトレ「え、でも」

杏「言ったじゃん、覚えたって。もし一発で通ったら杏、休んでいい?」

雪乃「出来たらね。本当にできたら飴をあげるわ」

杏「ホントっ!? ほほう、軽くひねってやろうじゃあないか……」


雪乃(そんなことを言って、彼女は本当に一発で一度見ただけの曲を通してしまった。……まあ、この子なら当然ね)

杏「ふぇぇ……疲れた。飴がしみるよ」コロコロ

雪乃「私と同じで体力がないのね。それ以外はずば抜けているけれど」

杏「さっきのやつ? 記憶力の問題じゃない?」

雪乃「掛け値なしにすごいと思うわよ」

杏「そうかな。多分同じことプロデューサーもやれって言われたらできるでしょ」

杏「プロデューサーからは同じにおいがするね!」

雪乃「あなたは私を買いかぶり過ぎよ。私にだってできないことはあるわ」

杏「……そーぞーできないなぁ」

雪乃「それで結構。そんなところ見られても恥ずかしいだけだから。それより次のシングルの話が来てるわ」

杏「え、もう? いやでもそろそろ稼いでおくか……」

雪乃「あら、殊勝ね。どういう風の吹き回し?」

杏「ひっきーに言われたんだよ。お金はすぐ無くなるって」

雪乃「あの男は本当に余計なことしか言わないわね。まあ、あなたが仕事してくれるならいいけれど」

杏「そういえばさ、プロデューサーは杏に何も言わないんだね」

雪乃「言ってるじゃない。仕事しろ」

杏「そうじゃなくて、こう、もっとまじめにレッスン受けろーとかさ」

雪乃「あなたはやりたくないからやらないんじゃなくて、できるからやらないだけでしょ」





131以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 11:45:43.23XHA5AMq7o (1/1)

もう全部書き終わってる感じ?


132 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:46:08.39NSPCnO+e0 (123/255)


杏「……」

雪乃「あら、図星かしら。キャラがブレたら困る?」クスクス

杏「……仮にそうだったとして、どうしてわかるのさ?」

雪乃「そういう人が身内にいたのだもの。ソースは姉」

杏「へえ、お姉さんがいるんだ」

雪乃「そうよ。腹立たしいくらいなんでもできる姉」

杏「プロデューサーも大概じゃなーい?」

雪乃「私の比じゃないわ。自分もできるほうだとは思うのだけれどね」

杏「うわぁ、自分でそういうこと言っちゃう? 嫌われそう」

雪乃「そうね、否定しないわ。こうならないように気を付けなさい」クスクス

杏(……自嘲も絵になるんだから、反則だよねぇ)

杏「よし、じゃあも一回くらい練習してこようかな」

雪乃「まずいわね、傘を持ってきていないのだけれど……」

杏「降るなら飴の方がいいな、杏としては」

雪乃「あ、そうそう。今日の夜、参加でいいのかしら?」

杏「うん! ただ飯だからねっ、行くっきゃないよ!」

雪乃「わかったわ。絢瀬さんには全員参加で言っておくわね」

杏「ういー。じゃ、ちょっとお腹空かせてこよっかな」




133 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:47:36.60NSPCnO+e0 (124/255)

<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「ただいま戻りましたー……あれ?」

凛「お帰り。今日はテレビ局だったっけ」

八幡「おう、アーニャの収録の関係でちょっとな……って、なんでお前いるんだ? 今日はレッスンも何もなかったはずだが」

凛「ふふ、用がなきゃ会いに来ちゃいけないの?」

八幡「で、本当は何なんだ?」

凛「……反応がつまんない」

八幡「アホ。こちとら自意識こじらせて生きてきたんだよ。その程度で勘違いするか」

凛「少しくらい動揺してくれないとアイドルとして立つ瀬がないんだけどな」

八幡「そのパターンは中学の頃学習した。じゃんけん負けた奴の罰ゲームだった……」

凛「……女子ってえぐい」

八幡「で、結局なんなんだ? 教えてくれねぇならいいよ別に、仕事するから。絢瀬さんは?」

凛「先に下の居酒屋さんだよ」

八幡「え? もう上がったの? だって七時から事務所で仕事の引継ぎがあるって」

凛「うん、それ嘘。今日は下で346プロの合同歓迎会だよ」

八幡「おい、聞いてねぇぞ!」

凛「言ってないもん。だってプロデューサー、歓迎会やるって言ったら『あの、俺ちょっとアレなんで。忙しいんで。無理っす』とか言うでしょ」

八幡「俺の思考プロセス完全に読まれてんじゃねぇか……。仕組んだのは誰だよ」

凛「絵里さん」

八幡「はかられた……。マジか、誰が参加するんだ」

凛「知ってる人ばっかりだよ。戸塚さんも来るし」

八幡「おい渋谷。早く行くぞ。ドキドキしてきた」

凛「……立つ瀬はないけど腹がね、うん」




>>131 そうですよ!


134 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:49:23.00NSPCnO+e0 (125/255)

<居酒屋「一休み」>

絵里「今日はみなさん、集まっていただいてありがとうございます。比企谷くんや新しいアイドルのみなさんの加入。そして戸塚くんの異動、武内さんの昇進……。まとめて祝おうと思ってスケジュールを確保しようとしたら、少し遅いこの時期になってしまいました」

ちひろ「本当に頑張ったんですからね! みなさん忙しすぎです!!」

にこ「悪いのはどこの会社よ……」

楓「まあまあ、にこちゃん。飲めるんだからいいじゃありませんか」

アーニャ「楓はいつもそれ、言ってます」

海末「穂乃果、本当に久しぶりですね」

穂乃果「そうかなー? そうだっけ?」

星空凛「凛はどっちとも頻繁に仕事で会ってるにゃ!」

花陽「おにぎりは、おにぎりはないんですかっ!?」

莉嘉「うわーすっごい! こどもビールなんてあるんだ!」

美嘉「こら莉嘉! 走り回らない!」

きらり「杏ちゃーん?☆ はぴはぴしてるぅ?」

杏「杏はおいしいご飯があればはぴはぴだよ。ほらほら、みくもはぴはぴー」

みく「にゃっ!? みくの前に魚料理置かないでよっ!?」

未央「フライドチキンがある! すっごい! ねえもう食べていいかな!?」

卯月「未央ちゃん、乾杯までダメですっ」

凛「みんなグラスもった? あ、そっち一つ足りない?」

戸塚「すごいなー、本当にみんな集めちゃうなんて!」

武内P「流石は絢瀬さん、千川さんと言ったところでしょうか」

雪乃「目が死んでいるわよ。諦めなさい、ちひろさんが絡んだ時点で逃げられないのよ……」

八幡「俺のは元々だからほっとけ。てかお前も遠い目をしてるぞ……」


絵里「よし、グラスは行きわたったみたいね。それじゃ、ちひろさんにお願いしようかしら」

ちひろ「何言ってるんですか、絵里ちゃんが一番頑張ってたでしょう? 絵里ちゃんがやってください」  

絵里「そんな、私は」

ちひろ「いいからいいから、ほらっ」

絵里「……うぅ、苦手なのに。えぇっと、それじゃあ皆さんグラスを持ってください! これからも新しい人たちと一緒に頑張っていきましょう! 今日の会計は全額本社持ちですっ!」

ちひろ「ヒャッハー!」

杏「ただ飯だー!」

絵里「それじゃあ……乾杯!」


――――「乾杯!」





135 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:50:59.51NSPCnO+e0 (126/255)


にこ「お疲れ、比企谷」

八幡「あぁ、お疲れさん。いつぶりだっけか」

にこ「あんたが先週のアーニャのオーディションに付き添ってた時以来じゃない?」

八幡「そうだったな。ありがとよ、無事アーニャ『は』役もらえたよ」

にこ「何それ嫌味でしょムカつく―っ!! 言っとくけどにこが落ちたのはたまたまなんだから!!」

八幡「無理して大人のお姉さんっぽい役なんか受けるからだろ……」

にこ「うるさいわね! 同じような役ばっか受けてたら先がないでしょ!」

八幡「……驚いた。意外と考えてんだな」

にこ「ふふん、一流のアイドルともなると先を見据えないと駄目なのよ」

八幡「一流ね……。そういえば、ソロアルバム出すそうだな。おめでとさん」

にこ「あら、業界に疎いあんたからしたら珍しいじゃない。誰? 雪乃から聞いたの?」

八幡「まぁ、その辺からだ。やっぱりライブツアーとかやんのか?」

にこ「うん、もっちろん! 東名阪って感じかしら」

絵里「ふふふ、にこも偉くなったものよね~」

にこ「……アンタ、もう顔赤いわよ」

絵里「赤くなってるだけよ。どーも、矢澤にこのバックダンサーで~す」

八幡「?」

にこ「ちょっ、そんな昔の話まだ覚えてたの!?」

星空凛「あははっ、あの時は真姫ちゃんと絵里ちゃんは特に必死だったからねー」

八幡「どういうことだ?」

星空凛「昔、にこちゃんは凛たちのグループみんなはにこちゃんのバックダンサーだって家族に嘘ついてたにゃ」

絵里「まさか嘘が本当になるとはね~」

八幡「ふーん、バックダンサーねぇ……」





136 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:52:42.23NSPCnO+e0 (127/255)


戸塚「武内さん、日本酒きましたよー」

武内P「ああ、戸塚君。ありがとうございます」

花陽「武内さん本当にひさしぶりですねー! 本社はどうですか?」

武内P「仕事に問題はありません。順調です」

ちひろ「違うでしょう? そういうことを聞いてるんじゃありませんよー」

武内P「と、言いますと」

ちひろ「楽しいこととか、苦労したこととか! お話をそこから広げないとっ。まったく、プロデューサーをやってた時から口下手なのは変わらないんですからっ」

武内P「も、申し訳ありません……」

海未「ここまで上に立てるちひろさんとは何者なのでしょう……」

美嘉「あれ、海未さん知らないカンジ?」

雪乃「武内さんとちひろさんは同期入社らしいですよ」

海未「ああ、なるほど。それでですか」

ちひろ「最近キュートには寄り付きもしないんだから。嫌われちゃったのかなーわたし」

武内P「そ、そういうわけでは。ただ引継ぎの仕事の量が膨大でして」

戸塚「……ふふっ、なんだかアレだね」

美嘉「ね★ 尻に敷かれてるダンナさんみたい」

雪乃「あの人には私も勝てません……」

花陽(あれ? 楓さん……)

楓「…………」

花陽(なんだろう、ずっとこっち見てるなあ?)


杏「アーニャは本当にすらっとして綺麗だね、ちょっと杏にもわけてくれてもいいんじゃないかな、身長とかおっぱいとか」
卯月「羨ましいです……」
アーニャ「そ、そう言われても、困り、ます」
きらり「杏ちゃんがもっと大きくなったら、もーっとはぴはぴだにぃ☆」
未央「きらりちゃんサイズの杏ちゃん……!?」
莉嘉「起こすのに笛とかいりそう!」
杏「人にカ○ゴン扱いされたのは初めてだよ……」


137以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 11:54:32.70dZmAnxwNO (1/2)

すごいな
面白い
あとえりち可愛い


138 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:54:57.63NSPCnO+e0 (128/255)


穂乃果「凛ちゃんは2回目だよね。穂乃果、昨日オンエアだった楓さんのラジオ聞いたよ!」

凛「きょ、恐縮ですっ!」

みく「しぶりん、固いにゃ……」

穂乃果「新しい子がどんどん入ってくるね! でも、穂乃果も負けないよ~!」

凛(……無邪気で本当に可愛いなぁ。これがうちのトップアイドルなんだね)

みく「……はい。みくは、穂乃果さんにも……しぶりんにも。誰であっても負けないにゃ」

凛「!」

穂乃果「あはは、頼もしいねっ! そんなみくにゃんには穂乃果のぶんのカレイをあげちゃう!」

みく「に”ゃっ!? お魚には負けるにゃあ!!! いらないです!!」



戸塚「八幡、お疲れ様ー!」

八幡「おお、戸塚。みんな結構席を動き始めたな」

雪乃「良かったわね、周りが気を遣える人たちばかりで」

八幡「まあな。小町から動かざるごと山の如しって褒められたからな」

雪乃「人はそれを揶揄と言うのよ。飲み会の席くらい動きなさい……」

戸塚「あはは、まあいいじゃない。……あ、電話。ちょっと外すね」

八幡「おう。富士山級の動じなさを誇るぞ、俺は」

雪乃「草も生えないというのはこういう状況を指すのかしら?」

八幡「おいちゃんと生えるだろ、月見草とか」

雪乃「……万年国語三位は相変わらずね」

八幡「伊達に恥の多い生涯を送って来てねぇんだよ」

雪乃「……富士山にはもう、雪は降った?」

八幡「……太宰も言ってたろ。愚問なんだよ」

雪乃「聞かないと悪いと思ってね」

八幡「聞く方が悪いだろ。……もう降ったどころか、ずっとだよ」

雪乃「そうね。……意地悪だったわ」

八幡「くく。お前が意地悪なのはいつものことだろ」

雪乃「ふふ、そうね。……あ、日本酒が来たわね」

八幡「どうです。もう少し交際してみますか、なんてな。くく」

雪乃「いいえ。もう、たくさん。……ふふっ」





139 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 11:57:21.04NSPCnO+e0 (129/255)


凛「むー……」

凛(やっぱり、仲良いな。雪ノ下さんも、プロデューサーも、自分からは何でか近づかないようにしてる節はあるけど。いざ近付いたらあれだもんね。ていうか何が面白いのかわからない。何喋ってるんだろう。……暗号? ……何かイライラするなぁ。いつもより楽しそうで。私といるのはそんなにつまんない?)

絵里「なーんか、仲、いいわよね……」

凛「あ、絵里さん。顔赤い」

絵里「赤くなるだけで大丈夫よ、まだ。……あれ、本当に仲良いわよね」

凛「本人に聞いても否定するのにさ。絶対嘘だよね」

絵里「雪ノ下さんがあんなに毒吐きなの、知らなかったわ」

凛「じゃれ合いって感じだよね。プロデューサーもいつもより饒舌なの、お酒のせいだけじゃないと思う」

絵里「そうよねぇ、この前一緒に来た時も飲んでたけどあんまり変わらなかったし」

凛「……え?」

絵里「……あ」

凛「え、プロデューサーとここ来たの。いつ。なんで」

絵里「う。つ、ついこの前よ! しまったー、口止めされてたのに……」

凛「なんで口止め? も、もしかして二人で」

絵里「そ、それは違うわよ! 事務所でちょっと電話番だけしてたら、戸塚くんと飲みにいくけどあがりが一緒なら来ないかって……」

凛「あの日かっ! 私は行きたいって言ったけど断られたのにっ」

絵里「だって凛ちゃんはアイドルだし未成年でしょ。そっか、行きたいって言ったからナイショだったのね」

凛「大人組だけずるい」

絵里「ふふ、いいじゃない。普段四六時中一緒にいるんだから、お酒の時ぐらい借りてもいいでしょ。私は事務所以外で会ったことないのよ、彼とは」

凛「……絵里さんってもしかしてプロデューサーが好きなの?」

絵里「あら、もちろん。ちょっと目がアレだけど、命の恩人だし、最近は仕事も半人前以上だもの。頼もしいわー」

凛「そ、そういう意味じゃなくて」

絵里「ふふふ、いいわねー! 高校生の女子トークっぽくて」

凛「二人して子ども扱いするんだから……」

絵里「私もせっかくだからあそこに行ってこようかな。それじゃね」

凛「……こんな風に扱われたことないよ。はぁ」



戸塚「ねー、はちまーん。今度はどこいく?」

八幡「えぇまたどっか行くの……。動かざるごと山の如しって言ったぞ俺は」

戸塚「じゃあぼくが八幡の家に行けばいいのかな」

八幡「……いいけど。なんもねぇぞ」


海末「なぜ戸塚くんは比企谷くんの前だとああなのでしょう。私には全然優しくないのに……」

絵里「比企谷くんは戸塚くんの前だとちょっとアレよね」

雪乃「高校の頃からですよ、戸塚くんに対する倒錯的な嗜好は」

絵里「戸塚くんも笑顔倍増しって感じなのよね。これは……どうなのかしら……」

海末(うう、悔しい……。いや、これはアイドルとして、女としてですからっ。他意はないんです。きっとそうです!)



140以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 11:57:29.37ooq3e2mhO (1/1)

絵里ちの当て馬感半端ない……


141以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 11:59:22.582bIn8mL30 (1/1)

今全体のどれくらい投下した?


142 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:01:59.59NSPCnO+e0 (130/255)

<居酒屋の外、喫煙所>

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「ああ、比企谷くん。煙草を吸われるのですね」

八幡「ああ、ども。嗜む程度に。武内さんも?」

武内P「とは言っても自発的にはあまり吸いませんが。先輩が吸うもので、つい」

八幡「へぇ……」

武内P「今は、違う事務所にいるのですがね」

――かちっ。しゅぼっ。

武内P「…………ふぅ」

八幡「…………」

武内P「……プロデューサーは、いかがですか」

八幡「悪くはない、ですかね。覚えることが多くててんやわんやでしたが、少なくとも没頭できる程度には。やれることが増えていくってのは悪い気分じゃないです」

武内P「……そうですか。それは比企谷くんが仕事に向いているというだけで、プロデューサーの楽しみを知ることはまだできていないようですね」

八幡「そうですかね? 渋谷とかが頑張ってるのを見ると、まあ俺も人の子なんで良くしてやろうって思いますけど」

武内P「いえ、その答えではまだでしょう。まだ、比企谷くんはそこにたどり着いていない」

八幡「……根拠は?」

武内P「個人的な経験です。あなたはまだ、手にしていない」

八幡「クールそうに見えて、意外と主観的なことを言うんですね」

武内P「私は最初から比企谷くんには主観的です。えこひいきをしているのですよ」

八幡「……一番初めに会った時から、武内さんが俺に入れ込む理由がわからない」

武内P「最初に言ったとおりです。今も昔も、私が人を見出す理由はたった一つしかありません」

八幡「…………」

武内P「私は戻ります。また、会いましょう」



八幡(手にしていないもの、か。そんなもん本当にあるのかな)

八幡「ふぅ……」

――かちっ。しゅぼっ。

八幡「…………」

八幡(よしんばこの世にあるとして。それが俺の手に入るかどうかは別問題なのだ。求めよさらば与えられんな世界なら、俺はきっとこんなものを吸っちゃいない)

八幡(欲して欲して欲して。それが手に入るなら他の何もいらなくて。狂おしいまでに"それ"を求めて。……いつ現れると決まったわけでもないそいつを両手で掴むためだと言って、誰の手も掴むことはなかった。誰にも手を差し伸べなかった)

八幡(あの時からもう、問いに対する答えは動かない)

――『本物なんて、あるのかな』


八幡(……そんなもん、この世のどこにも)


――「プロデューサー、やっぱりこんなところにいた」



143 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:05:38.72NSPCnO+e0 (131/255)


八幡「!」

凛「どうしたの、そんなに月が綺麗だった?」

八幡「……渋谷か。そのセリフ、あなたと見るとが前にないと誤用だぞ」

凛「……あ。漱石?」

八幡「そうだ。あんまり無意識に言ってやんなよ。ドキドキするから」

凛「プロデューサーが?」

八幡「クラスの男子共だよ。そうやって気まぐれな女に付けられた傷は死ぬまで残るんだぞ、男ってのは」

凛「ちょっとは勘違いしてくれないと、アイドルも傷が付くんだけどな」

八幡「言ってろ。その気もないくせに」

凛「……そうだね」

八幡「本当に隅っこで漱石読んでるようなぼっちにそんなこと言うアイドルの同級生がいたらテロだな。やられた側に同情しかねぇ……」

凛「ねえ、もしプロデューサーと私が同じ高校生で同じクラスだったら、どうなってたかな」

八幡「あぁ? そんなん決まってんだろ。一回も会話を交わすことなく終わりだろ」

凛「……そうかなぁ」

八幡「賭けてもいいぞ」

凛「うん、じゃあこれでよかった」

八幡「ん?」

凛「さっきね、ちょっと雪ノ下さんが羨ましかった。仲よさそうで。プロデューサー私とはあんなに近くないもんね」

八幡「……仲は良くないと思うけどな。ってか、俺と仲良くて嬉しいなんざ」

凛「何言ってるの? 嬉しいよ?」

八幡「っ……」

凛「だってプロデューサー、変だけどちょっと優しいんだもん。簡単には懐かないところが猫みたいで、逆に燃えるかも。同じ高校生だったら出会えなかったんだから、だったら今が一番だよね」

凛「ねえ、私たち、パートナーなんでしょ。仲良くなりたいに決まってるじゃん」

凛「どうして、いろんなことわかるのに、それがわかんないの?」


八幡(あ……)
――どくん。

八幡(雲間から覗く月明かりを浴びて、渋谷はふわりと笑った。純粋な好意を前に、心は久しぶりに強く揺れた。俺の中に潜む自意識の化け物がだからどうしたと抑えにかかる。好意なんてない。厚意なんだと身を切り叫ぶ)

八幡(この身に巣食う化け物は邪悪で強い。きっとこの感情の揺れも、すぐに収まり風化していくのだろう。だから)

八幡(だから、今だけは。この感情に身を任せていたいと願った)










>>141 文量だけ見たら四分の一って感じでしょうか。お付き合いいただければ幸いです


144 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:07:55.38NSPCnO+e0 (132/255)


凛「プロデューサー、戻ろ? 絵里さんが酔っぱらっててね、面白いよ」

八幡(店に戻る渋谷の後ろ姿のなかで、店のサンダルを履いた足が目に止まった。ああ、そういえば)

八幡「渋谷、ちょっと渡すものがあるんだが――」



絵里「もー、比企谷くん、どこいってたの~? エリチカ、寂しかったんだから~」

八幡「ちょっ、近い近い! 絢瀬さんどんだけ飲んでんすか!」

八幡(やべぇって! 胸! 胸当たってるから!!)

花陽「流石μ's最弱ですぅ……」

星空凛「絵里ちゃん、お酒入るとダイタンになるからね……。セクシーだにゃ……」

八幡「絢瀬さん、もう飲まない方がいいと思いますよ……」

絵里「えー? だーいじょーぶよー、よってないよってない~、ふふー」ギュッ

八幡「酔っ払いはみんなそう言うんだ! 絢瀬さん、マジ近いって」

絵里「絢瀬さん絢瀬さんって、距離おかれてるみたいで、おねーさん寂しいな~?」

八幡「現在進行形でめっちゃ近いと思うんですが!?」

絵里「絵里って呼んでみてー? ふふふっ、ほらほら。言わないと離してあげないわよ~?」

八幡「え、えぇ……。無理っすよ……」

絵里「Я не понимаю вас~」

八幡「な、何言ってんだこの人」

アーニャ「仰ってることがわからないわ~、言ってるです。絵里」

八幡(……ああくそ! マジで心臓仕事しすぎなんだよ! 人間って鼓動の回数決まってなかったっけか? このままだと本当に死にかねん……!)

八幡「千川さん、助けてくれ!」

ちひろ「REC! REC!」パシャッ! パシャッ!

八幡「悪魔かよ……」

絵里「こらぁ、どこ見てるの~? ふぅ~」

八幡「言うから! 言うから耳はやめろって!」

八幡「え……絵里さん。離れてくれ」

絵里「っ……! Повторите, пожалуйста, ещё раа!」

八幡「離れろって! アーニャ、何て言ってんだ!?」

アーニャ「ごめんなさい もっかい言ってよ ぱーどんみー」

八幡「勘弁してくれ……」

戸塚「そうだそうだー、八幡はぼくと飲むんだよー?」ギュッ

八幡「戸塚。もっとだ。もっと強くだ」

花陽「なんだかんだで比企谷くんも酔ってますね……」





145 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:10:14.69NSPCnO+e0 (133/255)


雪乃「……………」

にこ「ゆ、雪乃……?」

雪乃「なに」

穂乃果「か、顔が怖いよー……?」

雪乃「あら。どうして私が怖くなる必要性が生じるのかしら。あの男がいつどこで誰と戯れようが私には関係のないことなのだし。私と彼は何の関係性もないただの同級生なのだし」

穂乃果「……誰もひっきーのことなんて言ってないんだけどなぁ」

雪乃「何か言ったかしら」ニッコリ

にこ「ひぃっ! 何も言ってません!」

穂乃果「ほ、穂乃果は海末ちゃんのところに行ってこようかなー」



凛「…………」バキッ、バキィッ!

未央「し、しぶりん? フライドチキンって骨はたべなくていいんだよ?」

凛「……あぁ。すっかり忘れてたよ。ごめんね」

卯月「それって忘れるものなんですか……? そ、それにしてもおいしいですよね!」

凛「うん、メシウマなんだけどね。個人的にはメシマズって感じだよね」

凛「……バカ。節操なし。勘違いするようなこといっぱいしてるのはどっちなんだって話っ」



海未「むむむ…………!」

武内P「園田さん、どうかしましたか?」

海未「私、他のアイドルよりも先に勝たないといけない相手がいるような気がします……」

ちひろ「ふふっ、みんな色々ですね。そろそろお開きの時間でしょうか」

武内P「そうですね。そろそろ二十三時近くですし」

ちひろ「あっ、武内くん。おちょこが空いてますよ。注ぎますね」

楓「私が、注ぎます」

ちひろ「あ、楓さん」

楓「わたしが。注ぎますね?」ニッコリ

武内P「……ありがとう、ございます」


ちひろ「…………見えすぎて辛いこと、多いんだよ。雪乃ちゃん……」




146 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:12:50.75NSPCnO+e0 (134/255)

<飲み会終了後、帰り道>

八幡「絢瀬さん心配だから送ってく。遅いからみんなで帰るようにしてくれ」

絵里「うー……。大丈夫よ~……」

八幡「そんな眠そうにして何言ってんすか。津田沼行きに飲まれますよ」

凛「私もそっちから帰ろうか?」

八幡「お前は電車違うし東京だろ。千川さんたちが同じ方向らしいから送ってもらってくれ。キュートは早抜けした前川以外全員一緒に帰っちまったしな」

凛「ん……わかった。別に一人でも大丈夫だけど」

八幡「バカ、こんな時間に一人で帰らせられるかよ。心配だから頼むわ」

凛「了解。ふふっ、こういう時は素直なんだね」

八幡「うるせ、さっさと行け」

凛「はいはい。また明日ね、プロデューサー」

八幡「はいよ、また明日な」



<帰りの電車内、キュートプロ>

穂乃果「今日、楽しかったなー!」

きらり「きらりも久しぶりにパッションプロのみんなに会えて嬉しかったにぃ!」

杏「きらりは元々あっちだったもんね。逆に海未ちゃんはむこう行ってからちょっと元気なくなってたかも」

にこ「そうかしら。にこは特に思わなかったけど」

杏「にこは鈍いからなぁー。はいはい、にっこにっこにー」

にこ「雑に扱うなっ! それに指間違ってるっ。こうよ、にっこにっこにー☆」

卯月「海未さんって元々キュートだったんですか?」

にこ「卯月までスルーしないでよっ!?」

雪乃「そうよ。トレードで移籍したのだけれど。本当に良くできる人で、私もよく助けられたわ」

――ぶーん。

雪乃「……? メール?」カチカチッ

雪乃「……っ!」

雪乃「……?」カチカチッ

雪乃「……はぁ。知ってた」





147 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:14:26.76NSPCnO+e0 (135/255)


穂乃果「……ゆきのーん」ニヤニヤ

にこ「メールの相手、誰なの?」ニヤニヤ

杏「面白い百面相だったねー。これはメスの顔だよ」ニヤニヤ

雪乃「だ、誰でもいいでしょう。何なのあなたたちは、不快よ、その表情」

卯月「もしかして、……比企谷さんですかっ!?」

きらり「気になるー!☆」

雪乃「っ! 島村さん、諸星さん、あなたたちまでっ」

卯月「だ、だって! 私だって女子だから気になるんだもん!」

杏「その動揺、マヌケは見つかったみてーだな」

穂乃果「ほらほら吐きねぇ吐きねぇ。大丈夫、痛いのは最初だけだから……」

にこ「そうよそうよ。そろそろ高校の頃の話も聞かせなさいよ」ニヤニヤ

雪乃「に、にじり寄らないで頂戴っ。嫌よ、何も話さないんだから」

杏(……可愛い人だなぁ。同じ女から見ても)

卯月「どうなんですか、どうなんですかっ」

にこ「……あれ? 次の駅……」

穂乃果「ああ”っ! ゆきのんの最寄りだっ!?」

卯月「東京……とっくに出ちゃってます……」

杏「今から引き返して電車ある?」

きらり「にぃ☆」

杏「……。ねぇ、プロデューサー」

雪乃「……はぁ。仕方ないわね、今晩だけよ。言っておくけれど六枚も布団はないわよ」

穂乃果「やったーっ! お泊りお泊りっ♪」

卯月「尋問の続きですっ」

きらり「うー。きらり、おっきいから邪魔じゃない?」

杏「だいじょぶだいじょぶ、にこが風呂で寝ればいいんだよ」

にこ「さらっとなんてこと言ってんのよ!? 嫌よっ、明日ダンスレッスンなんだからぁ!」

雪乃「……帰りたい」

きらり「帰ってるよー?☆」

雪乃「知ってるわ……」




148以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/07(火) 12:15:00.347ye6yjJYo (1/1)

たぶんこの組み合わせだと荒れるから書き終わってるなら早めに投下した方がいいと思われ


149 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:16:40.88NSPCnO+e0 (136/255)

<帰り道、旧クール>

武内P「……高垣さん。ああ言った露骨な行動は控えるように言ったはずですが」

楓「違うでしょう? プロデューサーさん」

楓「二人の時は、楓で、って言ったじゃないですか」

武内P「……自分はもう、プロデューサーではないので」

楓「私にとっては、ずっとプロデューサーさんですよ」

武内P「……あなたがそのように不用心だから、私が脅されたりするんですよ」

楓「はい?」

武内P「……まあ、あれは私にとってもWinWinでしたから、良いのですけど」



楓「わたしがー、おばさんになーってもー♪」

武内P「……古い歌を、歌われるのですね」

楓「若い子にはまだ負けませんけどね。ふふふっ、会ってなさすぎて、おばさんになるかと思っちゃった」

武内P「最近、会えなくて申し訳ありません」

楓「ふふふっ、良いんですよ。たまにこうして会えるなら」

武内P「最近、記者も多い。気を付けないといけません」

楓「……いつか、人目を気にせず会えるといいですね」

武内P「あなたがアイドルである限り、それは不可能でしょう」

楓「そうです、ね」

武内P「怨みますか。アイドルという存在を」

楓「いいえ。歌うのは好きですし、あなたに会えたから」

武内P「…………」

楓「早く、頂点に立って。あなたを迎えに行きますから」

武内P「……」

楓(そんなことを言って、あの人はうっすらと笑った。そんな顔が大好きだった)

楓(早くあなたの下に行きたいから。……必ず、頂点へ)

楓「765プロなんて、なむこのもんじゃい。……ふふふっ」




150 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:17:58.03NSPCnO+e0 (137/255)

<五月最終日:キュートプロダクション事務所>

雪乃「もう後戻りはできないわよ。いいのね?」

八幡「俺は、あいつらならやってくれると思っている。本番までの伸び率も加味してな」

戸塚「ぼくも大丈夫だと思う。経験から考えると確かにちょっと早いかもしれないけど、でも、やってみる価値はあるよ。あとは矢澤さんの意志次第だね」

八幡「矢澤はなんて言ってた?」

雪乃「……面白いからやってみなさい、ただ」

八幡「ただ?」

雪乃「並大抵の出来だったら、私の背景にもならないわよ、だそうよ」

八幡「はっ、大した自信だ。頼もしい限りで」

戸塚「そう言えるだけのものを持ってるからね、矢澤さんは」

八幡「じゃあ、頼む雪ノ下。無茶言ったんだ、折衝とかその部分は俺がやる」

戸塚「えー、ぼくも混ぜてよっ。ぼくだって本田さんの担当なんだしさ」

雪乃「それじゃあ、新しくできた作業分は三等分で行きましょう。……残業祭りね?」

八幡「おおよそ祭りってもんにいい思い出がないんだが……」

雪乃「また雑務なのね。宿業なんじゃない?」クスクス

戸塚「今度はぼくも運営委員の仲間入りだねー、ふふっ」

八幡「あいつらには誰が言うんだ?」

雪乃「あら、あなた以外に誰が言うの?」

戸塚「言いだしっぺが責任取らないとねー!」

八幡「マジか……。わかったよ。まずは星空に連絡からだな」




151 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:19:57.33NSPCnO+e0 (138/255)

<夕方:養成所レッスン室201>

星空凛「ん……? しぶりん、ちょっと来てー? あ、二人はそのままストレッチしてていいよ」

凛「あ、はい」

未央「はぁい……。今日も疲れたなぁ、アイドルってみんなこうなのかなぁ」

卯月「…………」

未央「し、しまむー? しっかりぃ!」

卯月「心なしか、最近、量が……増えてる…気が……」



星空凛「もっかい声のテストしてみよっか。ピアノで音出すからね」

凛「え? でも、先月やったよね?」

星空凛「いいからいいから。せーのっ、La La La La La La……」

凛「――らーらーらっ、けほっ、けほっ。あーダメ、ここは出ない。ミックスボイス? って言うの? まだ全然わかんないんだよね」

星空凛「うん……やっぱりすごいにゃ」

凛「先月よりちょっとは出てたかな?」

星空凛「ちょっとどころか、高いほうが地声でhiDくらいまで出るようになってるにゃ……」

凛「あ、ホントですか? やった、嬉しいな。前は裏っぽくしてCが限界だったから、悔しくてさ」

星空凛「……うん! すごいにゃ! よしよーし!」

凛「わっ、凛さん。髪やめてよっ、今汗かいてるんだからさ」

星空凛「細かいこと言わないっ。このこのー! やるじゃん!」

星空凛(この伸び具合……。ひっきー、この子たちならきっとやれるよ!)


八幡「ういっす、お疲れさん」

卯月「あ、比企谷さんだ!」

未央「おっすおっすハチくん! 差し入れはっ?」

八幡「ある。星空、全員着替えさせてから休憩室に集めてくれ。例の話するから」

星空凛「おっけー! ああもうっ、楽しみだなあ!」

八幡「あぁ? お前、さっきまだ早いと思うにゃーとか言ってなかったか?」

星空凛「さっきはさっき、今は今! もうね、凛はこの子たちの今後が楽しみっ!」

凛「さっきから何言ってるの?」

八幡「話してやるよ。着替えて来い」





152 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:20:53.51NSPCnO+e0 (139/255)


星空凛「よっし、全員傾注っ! お話を聞くにゃ!」

八幡「よし、じゃ、直球で言うぞ。お前らには来月末のライブに出てもらう」

未央「えっ、ライブ!? やったぁ! ついにだー!」

卯月「うわぁ……ライブ、ライブですよっ、凛ちゃん!」

凛「へえ……。ねえ、どこでやるの?」


八幡「Zepp東京だが?」


三人「………………は?」

卯月「あ……あ……」パクパク

未央「いやいやいや!! 何言っちゃってんの!?」

凛「何。逝っちゃってんの……?」

八幡「あー、つってもお前らの名義じゃない。名目は、矢澤にこのサポートだ」

八幡「お前ら三人には、矢澤にこのゲスト兼バックダンサーとしてライブに出てもらう」

八幡「ニュージェネレーションズ、初舞台だ」

星空凛「うーっ! テンション上がるにゃー!」




153 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:22:56.02NSPCnO+e0 (140/255)

<夜、パッションプロダクション事務所>

戸塚「ただいまー……ってあれ、本田さん。珍しいね」

未央「あ、うん。たはは、ちょっと急すぎてびっくりしちゃって……落ち着かなくて」

戸塚「ふふ、紅茶飲む? 雪ノ下さんほど上手じゃないけど」

未央「ホント!? 飲む飲む!」



未央「ふぅ……。なんだか落ち着くねー」

戸塚「そっか、良かった」

未央「さいちゃんも大変だねぇ、一人でこーんなお転婆たちを相手にしてさ!」

戸塚「あはは、楽しいからいいんだよ。むしろ本望って感じかな」

未央「楽しいから、ねー」

戸塚「アイドルは楽しくない?」

未央「……ぶっちゃけ、レッスンはキツくて嫌いかも。サボりたいのだ。だから目がキラキラしてるしまむーとか見ると罪悪感がさー」

戸塚「ははっ、ぶっちゃけるねー。でもわかるよ、ぼくも練習は嫌いだったから」

未央「さいちゃんってテニスやってたんだよね?」

戸塚「うん、まあね」

未央「結構強かったのー? さいちゃんって」

戸塚「うーん、まぁまぁくらいかな、あはは」

未央「さいちゃんにも嫌いなものってあるんだねー」

戸塚「あるある、人間だもん。でも練習はしたけどね」

未央「嫌いなのにぃ?」

戸塚「そうだねぇ」

未央「ねね、さいちゃんはどうして嫌いなものも頑張れたの?」

戸塚「……弱いって思われるのが嫌だったからかな。練習は嫌いだったけど、弱いって思われるのはもっと嫌だったから」

未央「さいちゃんって結構負けず嫌いなんだね」

戸塚「そうかも。ぼくってさ、よくかわいいかわいい言われるんだけどね」

未央「実際そうだし……」

戸塚「うーん、他人がどう思うかは置いといて、まあべつにそう言われるのが嫌ってわけではないんだけど。そう言われて負けると軟弱だなーって思われるちゃうじゃない?」



戸塚「ぼくは誰が何と言おうと男の子だからね。かっこよくありたいんだ」





154 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:24:52.58NSPCnO+e0 (141/255)


未央「今のはちょっとかっこいいかも!」

戸塚「そう言われるとちょっと嬉しいな、あはは。本田さんははどうしてアイドルになったの?」

未央「だって、アイドルってキラキラしてるし可愛いし! あとはね、菊池真さんいるじゃん! 真くん!」

戸塚「ああ、菊池さんね」

未央「私もあんな風にかっこいい人になりたいなぁって。一回だけ765プロのライブを見に行ったことがあってね! もう目がハートになっちゃった」

未央「それで勢いでオーディション受けてっ、面接官にさいちゃんがいてっ、今に至るよー!」

戸塚「そっかそっか」

未央「でもアイドルって難しいんだね。踊りながら歌って笑うのって難しいし、練習は厳しいし。私はさいちゃんみたいに頑張るこだわりとかないしなぁー」

戸塚「……ふふ、そっか。じゃあ尚更もうちょっと頑張らなきゃね」

未央「ええー?」

戸塚「やる気はやりながら出すものだし、こだわりだって見つけるもの。今回の舞台はきっとチャンスだよ。がんばれがんばれ」

未央「……さいちゃんって、たまに思うけど考え方がちょっと体育会系っぽい」

戸塚「ふふ、こういうのは嫌い?」

未央「んーん! ギャップ萌えってやつだよ! 未央ちゃんはとてもいいと思います!」

戸塚「あっ、女子高生から褒められた。嬉しいな」

未央「さいちゃんって好みのタイプとかないの!? 女子高生は知りたいなー!」

戸塚「ふふ、ナイショだよ」

未央「えぇー。ケチィー!」

戸塚「いつか教えてあげるよ、いつかね。……そろそろ帰ろうか。送るよ」

未央「ねーねーさいちゃん、今日帰りにどっか寄ってかない?」

戸塚「だめー。直帰させます」

未央「ちぇー。あ、じゃあさじゃあさ」

未央「さいちゃん、LIVE終わったらデートしよっか。これからのこと、話そう?」




155 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:27:56.26NSPCnO+e0 (142/255)

<六月初頭、レッスン室305>

ベテトレ「矢澤。まほうつかいの終盤のハーフテンポになるところのダンスが歌につられているぞ。注意しろ」

にこ「わかったわ。にこぷりの方はどうかしら?」

ベテトレ「そちらは大したものだ。特に問題はない。にしても君、ゲスト曲の方は完璧だな」

にこ「高校生の頃死ぬほどやりこんだもの。身体が覚えてるわよ」

ベテトレ「高校生ねぇ……」チラッ


星空凛「はいダメー! 三人ともダメー! バミってる所からまたズレてるにゃ。一人だけ踊れたらいいってのはソロの時だけだよ。バックダンサーはその名の通りバッキング。緻密にやらなきゃだめにゃ。言い方は悪いけど誰も君たちを見に来てるわけじゃないよ。でも、乱れたら一発でバレるんだよ。気になるもん」

凛「なんだか、損してるって感じだね……」

星空凛「それでも、やんなきゃねー。これが出来るようになるとソロの時の精度がケタ違いにゃ。どんなことも経験になる!」

卯月「頑張りますぅ……」

星空凛「ダンスするとき、歩幅とか腕の振り幅とかを意識するといいにゃ。大袈裟に言えば百回やって百回同じ動きをやれるようになれればいいの!」

未央「Oh... ダンサブル精密マシーンだ!」

星空凛「そうだそうだ! 機械になるのにゃ! 無論コーラスのピッチもね?」

凛「うぐっ……」

星空凛「しぶりんはつられ過ぎ! 主旋律歌わないの! ちゃんと三度上でハモる! おらおらやり直しにゃ!」

三人「はぁい……」



ベテトレ「ふふ、星空君は容赦ないな。どうだい、彼女たちを見て」

にこ「……大したもんよね。この前まで普通の学生だったんでしょ?」

ベテトレ「そうだな。彼女たちの才能を加味しても、星空君の指導力が優れている証左だろう」

にこ「ま、でも見に来てる人たちにはそんなの関係ないからね。厳しくしてもらうべきね」

星空凛「にこちゃん、も一回合わせてもらっていい?」

にこ「ふふ。はいはい、何度でも」

卯月「今度こそ間違えませんから!」

にこ「あら、いいわよ間違えて」

にこ「たかが後ろ三人間違えても、私のステージは変わらないわ。安心してヘマしなさい」

凛「……!」

ベテトレ「よし、ではセトリの一曲目から行こう。これは本当にダンスとコーラスのみだからな、私も君たちの指導に入ろう」

未央「よろしくお願いしますっ!」

星空凛「よし、いくよー!」


――1、2、3、4!




156 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:29:41.57NSPCnO+e0 (143/255)


星空凛「よーし、いったん休憩ね!」

凛「ふぅ……。まだまだ、だね」

未央「私もだー。まだまだ、もっともっといけるっ!」

卯月「今日は二人とも、モチベーションがすごいです!」

未央「うんうんっ、ライブが終わったらご褒美あるからねっ! モチベも上がるってもんだよ」

卯月「そうなんですか?」

未央「そうなのだ! さいちゃんに貰うんだー」

卯月「へえ……わ、わたしも雪乃さんに何かお願いしようかな」

凛「あ、雪乃さんって言うようになったんだ」

卯月「うんっ♪ この前、みんなで雪乃さんちにお泊りしたんだよ!」

未央「へー! あ、そういえばしぶりん」

凛「ん? なに?」

未央「新しい靴、買ったんだね! それ凄いかっこいいよ!」

卯月「あっ、だから今日はいつもよりモチベ―ション高いんですね♪」

凛「ふふっ、そうかも。買ったんじゃないんだけどね」

卯月「買ってもらったんですか?」

凛「……うん。初任給だったんだって」

星空凛(……あ。なるほどね)

凛「ガラスの靴じゃないってところが、あの人らしいよね」





157 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:31:39.12NSPCnO+e0 (144/255)

<数日後。都内某所:撮影スタジオ>

カメラマン「凛ちゃん、久しぶりだね!」

凛「お久しぶりです、また一緒にお仕事ができて嬉しいです」

八幡「お久しぶりです。渋谷、スタイリストさんが到着したらしいからメイクを」

凛「わかった。行ってくる」


カメラマン「凛ちゃん、大分慣れましたね。物怖じしなくなりました」

八幡「まぁ、ちょっとビビってるくらいの方が可愛げがあっていいんですがね」

カメラマン「ははは、今のはオフレコにしておきますよ。今回は急なお話ですいませんね」

八幡「いえ、むしろありがたいくらいです。まだまだ新人ですから、仕事を頂けるのはあいつにとって本当にありがたい。自分も意外なところにコネがあるんだと上から思われるし、いいことしかない」

カメラマン「あっはっは! いいですね、そういう風にぶっちゃけてくれる人は僕は好きですよ。それに、今回の企画に合っている」

八幡「ロックバンド系女子……でしたっけ」

カメラマン「ええ。僕はこの前の撮影の時の凛ちゃんのアレが忘れられなくてですね。まさしくロックだったじゃないですか。いい子いないかってたまたま先方に聞かれたもんで、写真提出したら向こうが最高じゃないかって言ってくれまして」

八幡「……何が次の仕事に繋がるかわかんねえもんだなぁ」

カメラマン「ははは、この業界って思ったより狭いですからね。コネは大事ですよ」

八幡「つくづくぼっち殺しの業界だよなぁ……」




158 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:34:49.49NSPCnO+e0 (145/255)


凛「プロデューサー、お待たせ」

八幡「お? ……おお」

八幡(ストライプが入った青いジャケットとスカートに着替えた渋谷は、やはり綺麗だ。いつものピアスもリングに変わっている。右手の指出しグローブなんて、普通の人が付けると痛いだけなのに彼女が付けると話は別だった。……カッコいいな)

八幡(極めつけは身につけたベースだった。茶色と黒……サンバーストって言うんだっけか? クールな彼女に似合う落ち着いた色だと思った。なんか、ギターじゃないところもこいつらしいな)

八幡「似合ってんな」

凛「……あ、ありがと。素直だね。それにしてもベースって意外と重たいんだね」

八幡「ただの感想ぐらい普通に言うわ。おい、そのベース高いんだから気を付けろよ」

凛「え? そうなの?」

八幡「サイトに載る販促用だからな。いいやつらしい。三十万は超えるぞ」

凛「ええぇ!? ちょ、ちょっ、それなんで今言うの!」

八幡「なんだっけ、サト……サトウスキーだっけか? そんな感じのメーカーのやつだ。あ、社員さん来たな、始めるぞー」

凛「知らなければ幸せなことってあると思うんだ……」



社員「それではスナップの方は終了ですっ。お疲れ様でした。それから今回は聞いていると思いますがスナップと同時に、雑誌付録の動画の方も撮影させていただきますね」

凛「はい。プロデューサーにそのことは聞かされてるんですけど、どんな風の動画を取るのかっていうのは詳しくは聞いてなくて」

社員「ああ、それはわたしがお願いしたんです。前情報なしで撮らせてもらいたかったので!渋谷さんには本当にゼロの状態からベースのレッスンを受けてもらって、その様子を収録するって感じの動画にしたいなって思ってます」

凛「あ、そうなんですか。ふふっ、楽しみかも。レッスンはどなたが?」

社員「僭越ながらわたしが担当させていただきます。わたしも昔はバンド女子だったんですよ」

凛「へえ、そうなんですか! だから音楽の会社に勤めているんですね」

社員「あはは、三つ子の魂ナントカって言いますか。いつの間にか仕事になっちゃいました」

凛「……そういうの、すごくいいと思います」

社員「ありがとうございます。カメラマンさん、準備は大丈夫ですか?」

カメラマン「いつでもおっけーです!」

社員「はい、じゃあいきまーす」

凛「よろしくお願いしますっ」




159 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:36:46.70NSPCnO+e0 (146/255)



社員「――なので、チューニングするときは四弦から順にE、A、D、Gとなります。曲によってはここから半音ずつ下げたりもしますね。ちなみにさっきの撮影用のベースにはヒップショットというものがついてまして、一瞬でドロップDチューニングに――」


社員「それじゃ、一曲やってみましょうか!」
凛「えっ、早くない……?」
社員「いえいえ、本当に簡単ですから! 時間かかっても編集いじれば全然OKですんで。じゃあこれをやってみましょう、Don't say lazy」

凛「あ、私これ知ってるよ。アニメのやつだよね。ふふっ、私は右利きだけど」

社員「そうです! この曲は入門に最適で見せ場もあるので是非是非――」



社員「はい、それではおしまいです! ありがとうございました」

凛「ありがとうございました! ……その、すごく楽しかったです」

社員「ふふふ、わたしもです。この次も機会がありましたら是非」

八幡「ありがとうございました。こちらこそ願ってもないです」

カメラマン「ううん、こういう場を見るとこの業界にいて良かったと思うんだよなぁ……。安いけどさ」

社員「あはは、それは言いっこなしですよ」

カメラマン「おっと、やべやべ。凛ちゃんもオフレコでお願いね。上に怒られちゃうからさ」

凛「ふふっ、わかりました」




160 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:39:38.31NSPCnO+e0 (147/255)

<移動中、車内>

凛「プロデューサーって運転上手いよね」

八幡「そうか?」

凛「うん、性格出てるって感じかも。安全運転」

凛(車間距離も広めだし、煽られても無反応ってところも)

八幡「当たり前だ。送迎中に事故に遭ったらどうすんだ。責任取れん」

凛「女の子は結構キズモノにされたいものなんだよ、ふふ」

八幡「抜かせ。変なのに捕まんなよ」

凛「……初恋もまだなんだよね。ちょっとは捕まってみたいかも」

八幡「……意外だな」

凛「そう? 確かに、少数派だとは思うけど」

八幡「なに、お前とかアイドルやるくらいだから大層おモテになるんじゃないの」

凛「……否定はしないけど」

八幡「うっわ、嫌な奴」

凛「でも、プロデューサーは多分、自分の値段がわかってるのに表に出さないような子の方が嫌いだよね」

八幡「…………よくわかったな」

凛「まあね。あ、信号青だよ」

八幡「あ、ああ」

凛「……色んな人がさ、……こくはく、してくれたりするんだけど、ね」

八幡「贅沢な悩みなこった」

凛「付き合ったことだってないわけじゃないよ。一度もしたことのないのに下らないって決めつけるのはなんかおかしいかなって、一回、中学の時。……でも、結局手を繋ぎもしないまま終わっちゃった」

凛「好きってなんなのか結局わかんなかった」

八幡「中学生の恋愛なんてそんなもんじゃねぇの」

凛「……ん、そうかもしれないけど。それから今に至るまでいろんな人に声をかけられたんだけどね。……見た目が好みだとか、ちょっと話しただけだったり、とかだけでさ」

凛「私が恋愛に理想を抱きすぎなのかもしれないけど」

凛「――少なくとも、それは本物じゃないのかなって」




161 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:41:16.01NSPCnO+e0 (148/255)


八幡「っ!」

凛「? プロデューサー、どうかした?」

八幡「なんでもねーよ」

凛(……なんでもなくなさそうなんだけどな)

凛「ねね、プロデューサーは?」


――ききっ。


凛「わっ」

八幡「着いたぞ。降りろ」

凛「……逃げたね?」

八幡「何度も言ってるだろ、俺の思い出なんて痛いものばっかりだ。触れても誰も得しない。そんな暇あったらレッスンしとけ」

凛「いいもん。戸塚さんに聞くから」

八幡「あいつは何も知らねぇよ。良くも悪くもな」

凛「じゃあ、雪ノ下さん」



八幡「やめろ」
八幡「絶対に、やめろ」



凛「う……ご、ごめん」

八幡「! わ、悪い。怒ってる訳じゃねぇから」

凛「ううん、ごめん……。今のは私、無神経だった……」

八幡「……帰りは迎えに行けない。そのまま直帰で頼む」

凛「……わかった」


――ばたん。ぶぅーん。




162 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:43:58.01NSPCnO+e0 (149/255)


凛「……ああああ。やっちゃった。やっちゃった! 馬鹿だ私!!」

凛「……冗談とかじゃなくて、ホントに触れちゃダメなところだったんだ」

凛「……ああ、私、何やってんだろ。馬鹿馬鹿馬鹿。なんにも上手くできてないじゃん……」

凛「うう、どうしよ、嫌われちゃったかな……? 謝んなきゃ……! うあああああ……!」

凛「…………はぁ」

凛「……雪ノ下さん、羨ましいな」

凛「……羨ましい?」





<夜、クールプロダクション事務所>

八幡「まーっつりだ、まつりだまつりだ」カタカタカタカタ

絵里「きょーおーは楽しい残業祭り~」カタカタカタカタ

八幡「……楽しくねぇよ」カタカタカタカタ

絵里「だめ。言ってはダメよ。終わらないから……。そっち終わりそう?」カタカタカタカタ

八幡「仕事は辞めることはあっても終わることはないんすよ……」カタカタッターン

絵里「知ってるわ……。進捗よ進捗」

八幡「予算の見積書は今終わりました。次は当日撮影してくれるところに送る仕様書を……」

絵里「え? 予算終わったの?」

八幡「一応。まあ上のチェック次第でリジェクトもあり得ますけど……」

絵里(……予想より早いわ。明日の昼頃を予想してたのに。成長してるのね)

絵里「やるじゃない。私はもう必要ないかしら」

八幡「何言ってんすか。絢瀬さんの方は?」

絵里「今絶賛再来月のアレのエントリー書いてるわよー。最初だけ色々手続きあってめんどくさいのよねー……」

八幡「あれ? 俺が送ったアーニャの報告書のチェックと楓さんのレギュラー番組のディレクターさんが、仕様変更に伴うリテイク出してきたやつどうなりました?」

絵里「へ? それはもう昼前には終わったわよ?」

八幡「…………マジすか」

八幡(仕事早すぎだろ……。俺だったら今日日付変わるまで戦っても終わんねぇぞ)

絵里「なぁに? どうかした?」

八幡「絢瀬さんはすげーなと思って。俺だったら終わりませんよ」

絵里「……」ピクッ


絵里「絢瀬さん、なんだ」




163 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:48:17.59NSPCnO+e0 (150/255)


八幡「へ?」

絵里「ふぅん……」

八幡「ん、なんのこと……あ」

絵里「思い出したの?」

八幡「う……。ていうか、絢瀬さんも覚えてたんすね」

絵里「え?」

八幡「だってあの時、腕に」

絵里「え、あっ」

八幡(そう言うと絢瀬さんは透き通るような肌を、あの時みたいに真っ赤にした)

絵里「わ、忘れなさい!」

八幡「忘れろっつったり思い出せっつったり何なんすか……」

絵里「違うの、違うのよぉ! アレはお酒のせいなんだからっ。ああ、なんで私あんなこと……あああっ! 恥ずかしい! 死にたいっ」

八幡「まぁ結構飲んでましたからね。矢澤が結構勧めてくんだよな……曲者だわあいつ」

絵里「……ほらぁ、にこには敬語使わないくせに」

八幡「え、いや、だってあいつは矢澤だし」

絵里「私だって絢瀬絵里なんだけど? あ、そういえば凛と花陽にもっ」

八幡「勘弁してくださいよ。あいつらは年下じゃないすか……」

絵里「え? にこは私と同い年よ?」

八幡「え、マジすか。いやあいつはそういうキャラだからいいんだ」

絵里「むー……。μ'sは敬語禁止なのよ?」

八幡「俺μ'sじゃねぇし」

絵里「もうっ! ああ言えばこう言うんだから!」


――ぶーん、ぶーん。

八幡「あ、電話……渋谷からか。すません、出ていいですか?」

絵里「電話終わっても逃がさないんだからっ」

八幡「……こういうところが渋谷と違ぇ。はい、もしもし」ピッ




164 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:50:06.92NSPCnO+e0 (151/255)


凛『あ、も、もしもし。渋谷ですけど』

八幡「知ってる。名前出るっての」

凛『そうなんだけど、電話するの初めてだからちょっと緊張しちゃって』

八幡「いまさら俺相手にする遠慮なんてあんのか」

凛『ふふっ、そういえばないね』

八幡「それはそれで何かアレなんだが……。で、なんか用か」

凛『あ、その、今日……ごめんね?』

八幡「……まだ気にしてんのか」

凛『だ、だって。ちょっとしつこかったのは本当だし……。あの、……ごめんなさい。嫌わないで、欲しい、かも』

八幡「……いいよ、そんなもん。一々気にしてねぇっての」

凛『ほ、本当!? ……良かったぁ』

八幡「用はそれだけか? 切るぞ」

凛『……む。用がなきゃ電話しちゃいけないの?』

八幡「そうは言ってねぇだろ。仕事中なんだよ」

凛『えっ? まだ仕事してるの?』

八幡「そうだよ、泣きたくなってくる。その、なんだ。……絵里、さんがまだ仕事してるから。早く戻りてぇんだ」

絵里「!」

凛『わかった。ごめん、邪魔したね』

八幡「ああ、じゃあな」 ピッ


八幡「……これでいいんでしょ」

絵里(電話を切ると、彼は一緒に私との視線も切ってぶっきらぼうに言った。きっと照れてる。大人びた彼のそんな子供っぽいところが微笑ましい)

絵里「ふふ、可愛いわね」

八幡「言っときますけど、呼び方だけですからね。よっぽど特殊じゃないと先輩にタメ口なんて俺には無理です」

絵里「えー」

八幡「えーじゃないです。てかマジで勘弁してください……」

絵里「ま、いっか。今のところはそれで許してあげる」

絵里(つい緩んでしまう私の表情を誰が責められるって言うんだろう。後輩いじりに満足した私は、再び仕事に意識を集中していった)




165 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:51:01.13NSPCnO+e0 (152/255)


八幡「――さん」

八幡「絵里さん」

絵里「っ!? は、はい!」ドキッ

八幡「集中してるとこすいません。この部分なんですが」

絵里「ちょ、ちょっと待ってね。聞いてはいるから口で問題個所を言ってくれる?」

絵里(こ、これ、思ったよりドキドキするわね。慣れるかしら?)

絵里(……それにしても)


凛「……私は渋谷で」


八幡「ここは雪ノ下が言うには――」


絵里(雪ノ下さんも雪ノ下で)

絵里(私だけが絵里、か)



凛「……何か、いらつく」
絵里「……何か、いいわね」




166 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:53:20.07NSPCnO+e0 (153/255)

<ライブ二週間前、昼。346プロタレント養成所レッスン室201>

『――にこっ☆』

ベテトレ「よし。それまで」

凛「……ふう」

卯月「やった! やりましたっ、ノーミスですっ!」

未央「あれれ? 今日、あんまり疲れてない?」

にこ「基礎体力ついてきたんじゃない? 凛のレッスンって体力つくから」

星空凛「にこちゃんも久しぶりにやってみるー?」

にこ「本番明日だから遠慮しとくわ。どう考えても調整向きじゃないわよあの内容……」

星空凛「えー、つまんなーい」


八幡「おお、今のは良かったんじゃないか」

雪乃「ひとまず基準点はクリア、と言ったところかしら」

八幡「厳しいな」

雪乃「そうかしら。現状だと矢澤さんだけに視線が集中してしまう気がするわ」

八幡「あくまでメインは矢澤だろ?」

雪乃「否定はしないけれど、わざわざバックダンサーを入れるのよ。一人でやっているのと変わらないのならやる意味はないわ。少なくともこの数曲は個としてより群として完成しなければ駄目よ」

ベテトレ「……本当に346の人間は優秀だな。私から言うことが無くなってしまったよ」

雪乃「いえ、そんな。出過ぎたことを申しました」

ベテトレ「何を言うんだ、建設的な意見とは誰が口にしてもいいものなんだよ。いやしかし、慧眼だね。雪ノ下さんはまだ現場に出て数年なのだろう? ……才能の世界か。社の方針通りだな」

八幡「『才能が輝く世界を』、ねぇ」

雪乃「胡散臭い方針よね、相変わらず」

八幡「全くだ」スタスタ

雪乃「どこに行くの?」

八幡「休憩がてら飯頼んでくるよ。矢澤に至ってはすぐに移動だし、小泉のおにぎりでも頼んでくる」

雪乃「あ、なら一つだけ。道中で双葉さんを見たら回収してきてくれるかしら」

八幡「は? あいつ、今日いんの?」

雪乃「午後からだから引っ張ってきたのに気付けばいなくなっていたのよ……」

八幡「遠い目すんなよ……わかったわかった、見つけたらな」




167 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:55:15.56NSPCnO+e0 (154/255)

<食堂>

八幡「おう、小泉」

花陽「あ、比企谷さん。お疲れ様です!」

八幡「お疲れさん。ちょっと早いが、レッスン終わったらすぐ昼食渡してやりたいから今からおにぎり頼んでもいいか? 多いが八人分頼む」

花陽「わかりました! ちょっと時間もらいますね。あ、おにぎりといえばっ! これどうぞ!」

八幡「ん? なんだ?」

花陽「試作品の塩おにぎりですっ! 塩の配分とか考えないといけないのでまだメニューとしては出さないんですけど、良かったら食べてみてほしいです!」

八幡「ああ、サンキュ。ちょっと双葉を探さなきゃいけないんで今食うってわけにもいかんが」

花陽「杏ちゃんですか? そういえばさっき門の辺りで見ましたよ」

八幡「マジか、どっちの方だ?」

花陽「あのたばこが吸える方ですっ」

八幡「サンキュ、ちょっと行ってくる」


八幡「いた。呑気に芝生に寝転びやがって……」

杏「あ、ひっきーじゃん。杏を連れ戻そうったって無駄だぞ! こんな天気のいい日にレッスンなんて論外だねっ」

八幡「全くだ。こんな天気のいい日は家から一歩も出ずに本読んだりゲームするに限る」

杏「……ひっきーって、北風と太陽なら太陽側だよね」

八幡「俺が何か言ってどうにかなるならそうしてやるけどな。それに自分の分じゃない仕事はしない。面倒くさい」

杏「杏は面倒くさいことから解放されたくてアイドルになったのに、これじゃあ逆だよ逆」

八幡「雪ノ下の口車に乗せられたか」

杏「乗ってみたらトゲつきだったんだよ……。あーあ、ひっきー飴持ってない?」

八幡「生憎これしか持ってねえな」

――かちっ。しゅぼっ。

杏「その飴、おいしい?」

八幡「ふー……。苦いぞ、やめとけ」

杏「心配しなくても杏にはムリだよ。アイドルだしこんな身体だし」

八幡「は、確かに似合わねぇな」

杏「やれやれ、きらりの分を少しわけてもらえたら杏も煙草の似合う大人の女なのにさっ」

八幡「そういう問題じゃねぇと思うが……」



???「ううー……。ここどこなの~……。お腹も空いてきたの……」




168 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:56:54.16NSPCnO+e0 (155/255)


八幡「……おい、あそこで歩いてる女の人、フラフラで倒れそうじゃないか?」

杏「ホントだ。まぁ今日は暑いからねぇ……」

八幡(帽子を深めに被ってるから顔がよく見えねぇが……金髪、だな。しかしいいスタイルしてんな。モデルか? アイドル業界でもあのプロポーションは中々お目にかかれないぞ)

杏「ヒッキー、鼻の下伸びてるよ。あと目が腐ってる」

八幡「後者は元々だっつの」

八幡(双葉とだらけたやり取りをしていると、女性は俺たちの目の前を通りがかったあたりでへなへなと崩れ落ちた)

八幡「! おい、大丈夫か」

???「お……」

杏「お?」

???「お腹空いたのぉ……」

八幡「……聞き違いか。なんて言ったこの人」

杏「シーセッドアイムハングリー」

八幡「この飽食の時代になんて人騒がせなやつだ……」

杏「ほっとくわけにはいかないけどね。杏食べ物何も持ってないよ」

八幡「あ、待て。小泉から貰ったおにぎりがあった」

???「おにぎり!?!? 欲しいのっ!!!」

八幡「うおっ、なんて食いつきだ! やるから襟から手を放せっ、ほら」

八幡(そいつは俺の手からおにぎりを奪うと即座に口に運び、……震え始めた)

???「お…………」ブルブル

杏「お?」



美希「美味しすぎるのっ!?!? なんなのなのこのおにぎり!! こんなのミキ初めてなのっ!!」





169 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 12:59:11.18NSPCnO+e0 (156/255)


杏「!! ……まさか、本物?」

八幡(彼女が叫んだ拍子に、一瞬だけ帽子がずれて顔が見えた。芸術品のように整った身体にまさに相応しい、と思わざるを得ない。何より特筆すべきは、その眼だろうか)

八幡(まるでエメラルドをはめ込んだようなその瞳は、吸い込まれそうなほど透き通っていた。双葉もそれにやられたのか、ぽかんと立ち尽くしている)


美希「ねぇねぇおにぎりの人! このおにぎりどこに売ってるの!?」

八幡「おにぎりの人って……。これは売ってない、うちの食堂のやつだ」

美希「えーっ!? 売ってないの?」

八幡「346のタレント養成所の食堂な。食いたきゃタレントになれ」

美希「タレント養成所……わかったの! 今日はお仕事だから急ぐけど、今度また食べにくるの。ねえねえ、そこの小さい子、駅はどっち?」

杏「あ……、そこの道、真っ直ぐ歩けばすぐだけど」

美希「ありがとうなの! それじゃ、またねー!」タタタッ


八幡「何だったんだ今の……。台風みたいだったな」

杏「……ヒッキー、もしかして気付いてないの?」

八幡「ん? 何が?」

杏「わかんないなら、わかんなくていいと思う。ところで何あげたの? さっき」

八幡「小泉特製の塩おにぎり。まだ試作品らしいが」

杏「……えらい相手に塩を送っちゃったねぇ」




<移動中、車内>
凛「ここからどれくらいなの?」

八幡「あと三十分ってところだな。うちのお得意先らしい」

凛「ふーん、お付き合い長いの?」

八幡「いや、ブランドの歴史自体は短いんだが、うちにコネがあったらしくてな。業界でも一目置かれてる新鋭らしい。社長は俺と同い年なんだと」

凛「へえ、すごいね。……ちゃんとした衣装って着たことないから、ちょっと楽しみ」




170 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:00:57.64NSPCnO+e0 (157/255)

<都内某所:服飾店「Little Birds」事務所>

八幡「初めまして、クールプロダクションのプロデューサーの比企谷八幡です」スッ


ことり「ご丁寧にありがとうございます! Little Birdsの南ことりです!」スッ


凛(うわあ、可愛いなぁ……。声であたまがとけちゃいそう)

ことり「クールってことは絵里ちゃんがいるところですよね! 元気にしてますかっ?」

八幡「ええ、元気ですよ。知り合いということはやっぱり?」

ことり「えへへ、はい! わたしもμ'sの一員ですっ」

八幡(この人もか。あと会ってないのは……二人か? しかし個性派揃いのグループだな)

ことり「今日はわざわざお忙しい中ありがとうございます! やっぱり受注生産だから、どうしても最初はクライアントさんと顔を合わせておきたくて」

八幡「いや、当然のことです。渋谷、挨拶しとけ。これから先きっと何回もお世話になるから」

凛「うん。アイドルの渋谷凛です。よろしくお願いします」

ことり「うんうんっ、よろしくね! ……凛ちゃん、可愛いね~! 写真よりずっとずっと可愛いよ!」

凛「え、あ、そんなことない、です」

ことり「そんなことあるある! ねねね、この前作った服があるんだけどちょっと着てみない!? 凛ちゃんきっとゴスロリとか似合うと思うんだぁ、あっでも趣味で作ったチャイナドレスとかも捨てがたいかも! あれもいいな――」

八幡(以下、南さんの忘我の時間が数分程度)




171 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:03:54.68NSPCnO+e0 (158/255)


ことり「ごめんなさぁい、取り乱しました……」

凛「い、いや」

八幡「μ's慣れしてきたんで大丈夫です」

ことり「ほんとぉ? うー、恥ずかしいな。とりあえずお仕事のお話しますね?」

八幡「はい、お願いします」

ことり「今回はにこちゃんのバックダンサーをするんだよね。ということは、衣装はにこちゃんのものに合わせた感じがいいですか? にこちゃんの衣装も私が作ってるんです、完成品の
写真はこんな感じですっ」ピラッ

凛「うわ、可愛い……」

八幡「それに関しては、残りの二人のプロデューサーと協議したんですが。矢澤が可愛い系の衣装で攻めるんなら、あえて後ろはクールな感じの衣装の方が映像として映えるだろうって結論になりました」

ことり「なるほどなるほど、ちょっとシックよりな感じがいいんですね。白いシャツとグレーのベスト、みたいな」

八幡「あ、そんな感じです」

ことり「ちょっと待ってくださいね、今似てるようなデザイン図出しますから……はいっ、こんな感じです!」ピラッ

凛「! これ、いい」

八幡「良いと思います、三人で話したイメージにとても近い」

ことり「そうですか! でも既存のものをそのまま出すってなるとちょっと嫌だから、これに少しアレンジしちゃいますね。ハットとか付けるといい感じになるかもぉ」

八幡「そうですね。いっそのこと指ぬきグローブくらい突き抜けてもらって」

ことり「はぁあそれ良いですっ。いただき!」

八幡「大体の方針はそういう感じでお願いします。アレンジ加えたもののデザインが上がればすぐにこちらに送付してもらえれば」

ことり「わかりましたっ。それじゃー採寸だけさせてもらっていいかな?」

凛「はい、お願いします」

八幡「じゃ、俺は出てるんで」


ことり「……ふふっ」

凛「? どうしたんですか?」

ことり「なんかね、凛ちゃんって海末ちゃんと雰囲気似てるなって」

凛「そ、そうかな」

ことり「うんうんっ、カッコいいのにかわいいところがね」

凛「……愛想悪いってよく言われるのに」

ことり「そんなことないよっ、凛ちゃんは可愛いよー?」

凛「う……」

ことり「謙遜はなしっ。あのね、自分で自分のことかわいくないって思っちゃうと本当にそうなっちゃうんだからね! わかった?」

凛「……うん、わかった」

ことり「よろしい。今度言ったらことりのおやつにしちゃうぞー?」

凛「はい。……ありがとう、ございます」

ことり「そうやって照れると可愛いところがますます海末ちゃんと似てるー! きゃー!」

凛(一番可愛いのって、実はこの人なんじゃないのかな……。絵里さんといい、μ'sはずるい)




172 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:06:55.11NSPCnO+e0 (159/255)

<夜、クールプロダクション事務所>

絵里「今日は先に上がるわね。定時なんていつぶりかしらっ」

八幡「お疲れ様です。あ、また会いたいって南さんが言ってましたよ」

絵里「あら、ことりと会ったのね。私もまた会いたいな……。元気だった?」

八幡「渋谷に興奮して服めっちゃ着せようとしてましたが」

凛「実は採寸の時に何着か着せられたんだよ……」

絵里「ふふ、相変わらずね。安心したわ。……おっといけない、約束に間に合わないわ。それじゃ、お疲れ様。凛ちゃん、明日もレッスン頑張ってね」

凛「うん、ありがとう」


八幡「…………」カタカタカタカタ

凛「…………」

八幡「…………」カタカタカタカタ

凛「……二人、だね」

八幡「ん、ああ」カタカタカタカタ

凛「…………」

八幡「…………」カタカタ

凛「……最近ね、ちょっと楽しくなってきたんだ」

八幡「……」カタカタカタカタ

凛「出なかった声が出るようになったり、勝手に身体が動くようになったり、お仕事でいろんな人に会えたりするとね。……ちょっと、楽しいかなって」

八幡「……そうか」

凛「色んな事がつまんないって私言ってたけど、そうじゃなかったのかもね」

凛「つまんないのは私だったのかも。まだ、言い切れないけど」

八幡「楽しめてきたんなら、何よりだ」

凛「うん」

八幡「…………」カタカタカタ

凛「…………」

凛「ステージ、楽しみだな」

八幡「…………楽しみにしてる」

凛「うん、頑張る」

凛「頑張るから、ご褒美欲しいな」




173 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:08:29.61NSPCnO+e0 (160/255)


八幡「……ああ?」

凛「ライブの次の日、みんなオフでしょ?」

八幡「そうだな。でかいイベントが終わった後はできるだけ休みをくれるみたいでな、少なくともうちの事務所は休みだ」

凛「じゃ、その日ちょっと付き合ってよ。買いたいものがあるんだ」

八幡「えぇ……。学校の友達か本田と島村と行けよ。俺と言っても面白くねぇだろ」

凛「プロデューサーと、行きたいんだけど」

八幡「……蓼食う虫が湧く季節なのかね」

凛「だめ?」

八幡「……はぁ。わかったよ」

凛「やたっ」

八幡「お前が翌日外に出られるくらいのメンタルだったらな」

凛「もうっ、煽らないの」

八幡「はいはい……よし、終わり」ッターン

凛「あ、じゃあ私も。ね、帰りに何か食べていかない?」

八幡「天華一品に行きたいんだがそれでもいいならな」

凛「二十郎とどっちが厳しい?」

八幡「ベクトルが違うとしか言えねぇ……」

凛「ま、なんでもいいよ。一緒に食べられるなら」

八幡「……お前のようなやつと中学時代に出会わなくてよかったよ」

凛「え? なんで?」

八幡「さぁな」



凛(それからの毎日はあっという間に過ぎていった。無限に時間が足りていない気もした)

凛(ひとつだめなところが見つかると、もう一つだめな所が見つかった。それを直すともう一つ、というように)

凛(それでも私たちは時間がある限り鏡の前に向かった。この使命感はどこからくるのかな。失敗できないから? 大きい舞台だから? 初めてのライブだから? ……それとも、好きだから?)

凛(鏡と心に問いかけた。それでも答えは見つからない。だけどそれは、きっとステージの上にあるような気がしていた)

凛(――そして、とうとう前日がやってきた)





174 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:11:06.46NSPCnO+e0 (161/255)

<ライブ前日、夜。ZePP東京>

スタッフ「はい、それでは舞台の確認に入ります。下から飛び出ての登場なので、足元の感覚は是非今回で掴んでおいてください。けっこう衝撃がありますので注意してください!」

三人「はいっ!」

スタッフ「矢澤さん、先に上手から入って位置の確認をお願いします」

にこ「わかりました」


八幡「でかいな……。初めて入ったわ」

雪乃「私も仕事で来るのは初めてね。キャパはスタンディングで二千四百人くらいだったかしら」

戸塚「あ、さっき情報来たけどもうソールドアウトだって! 当日券も出せないくらいらしいよ」

八幡「……あのちんちくりん、やっぱりすごいやつなんだな」

雪乃「そうね。やはりうちの主力だけあるわ」

戸塚「ぼく、PA席の方行ってくるね」

雪乃「私は少し物販の設営の方へ行ってくるわ。あなたはここで監督をお願い」

八幡「了解」

八幡(俺は大きな会場の一番後ろに行って壁にもたれかかって、舞台を見つめた。……思ったよりも遠い。ここからだとあいつらの顔までは見えないか? そんなことを思っていると、舞台の下からあいつらが飛び出てくる)
八幡(――島村を含め、誰も転倒しなかった。本田に至っては重力を手懐けたみたいだった。流石三人の中で一番動けるだけはある。……今日は、何も心配いらないな)


PA「はいそれでは、矢澤さんマイクテストお願いしまーす」

矢澤「はい、よろしくお願いします。はーはーはー、つぇ、つぇ。にっこにっこにー! あなたのハートににこにこにー! 笑顔届ける矢澤にこにこー! にこにーって覚えてラブにこー!」

PA「……はい、ありがとうございます。それでは後ろの方々、同時にコーラスマイクの発声お願いしまーす」

三人「La――――」

PA「はい、ありがとうございます。それじゃあ逆からやってくんで、動き込みで最後の曲から通しでお願いします」

にこ「わかりました。……あんたたち、用意はいい?」


凛「はい!」
未央「ばっちこい!」
卯月「お、お願いしますっ!」



175 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:13:29.35NSPCnO+e0 (162/255)


八幡(少し三人とも動きが固いか? 特に島村……いや、今更粗を探してどうなる)

にこ「未央の、えーっと、上手のコーラスマイクの返しを少し強めにお願いします。……はい、大丈夫です! それじゃあこの設定でお願いします」

PA「はーいよろしくおねがいしまーす。次の照明の設定までちょっと時間があるので、バックの方々はその間再度位置取りの確認をおねがいしまーす」


凛「広い、ね」

未央「そーだねぇ。お客さん、どれくらい入るのかな?」

卯月「チケットは完売だって言ってたよ」

凛「完売……」

凛(私たちが今立っている広大なステージに、チェック用の色とりどりの照明が降り注ぐ。スモークを炊いたりもして、私たちの表情は蒼く、朱く、非日常の色に染まる)

凛(そんな明滅する私たちの前に広がるのは、ステージなんかよりはるかに大きな闇。ここに明日、たくさんのお客さんが現れるらしい)

凛(嘘みたいだと思った。明日上手くやれるだろうか。不安をどろりと溶かして満たしたような深淵に、魂をもっていかれそうになる)

凛(そういえば聞いたことがある。こちらが深淵を覗いているとき、深淵もまた――)

凛「あ……」

凛(身体が震えた。にこさんに、二人にバレていないだろうか。私はごまかすように闇の奥を見た)

凛(――そこに、あなたがいた)


凛(顔まではわからないけれど、きっといつもの気怠そうな目で私を見てくれている)

凛(明日もそこにいるんでしょ? なんか、なんとなくそんな気がするんだ)

凛(そういえば、うまくいけば明後日はプロデューサーと出かけるんだっけ。なら、頑張らなくっちゃね)

凛(震えは止まった。明日、カッコいい自分でいたい)

凛「ずっと私のこと、見ててね」




176 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:15:29.66NSPCnO+e0 (163/255)

<前夜、キュートプロダクション移動車内>

雪乃「それじゃ、明日は頼むわね」

にこ「任せなさいって。私があんたの前で一度でもヘマしたことある?」

雪乃「手間ならかけさせられているけれど? あぁ、この前現場でよそのアイドルに掴みかかったのは誰かしら」

にこ「うぐっ……。それは謝るけど! でもそれはあいつが!」

雪乃「わかっているわよ、プロ意識に欠けて気に入らなかったのでしょ。あなたのその感情的なところ、嫌いではないけれど損をするわよ」

にこ「……わかってるわよ」

雪乃「と、プロデューサーとしては言っておくわ」

にこ「?」

雪乃「雪ノ下雪乃としては、よくやったわ、と言ってあげる」

にこ「……あんた、やっぱり私のプロデューサーよね」

雪乃「それじゃ、体調に気を付けて」

にこ「あ、待って。この車、事務所に戻すのよね?」

雪乃「ええ、そのつもりだけれど」

にこ「じゃあちょっとついでに養成所に寄ってあげてくれないかしら。……卯月が残っているのを見たって、きらりから連絡がね」

雪乃「わかったわ。……ふふ」

にこ「何笑ってんのよっ」

雪乃「あなたは誤解されやすいけれど、本当にお姉さん気質ね」

にこ「ち、違うわよ! あの子が今日もしケガでもしたらにこのステージに影響するから言ってるだけなんだからね!」

雪乃「はいはい」クスクス



<346タレント養成所:貸出レッスン室>

卯月「うーん……あと一回だけ確認しようかな~」

星空凛「悪い子はいねぇかー!! おらー!」ガララッ!

卯月「ひゃあっ!?」

星空凛「やーっぱり居た。もう、みくにゃんといい努力バカはこれだから」

卯月「えっ? えっ?」

星空凛「命令。今すぐストレッチしてシャワー。……OK?」

卯月「はっ、はいっ!」




177 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:18:04.85NSPCnO+e0 (164/255)



星空凛「――ほら、ホットミルク」

卯月「わあ、ありがとうございます!」

星空凛「それ飲んだら、今日は帰らないと駄目にゃ」

卯月「……すいません」

星空凛「あはは、怖いのはわかるけどね。本番前に休むのは一番大事なレッスンだよ?」

卯月「わかっては……わかってはいるんですけど。今日、リハだったんですよ」

星空凛「知ってる知ってる。行けなかったけどね」

卯月「そこでも私、またミスしちゃって。練習ではできたんです。でも、明日もしできなくなっちゃったらどうしようって、そう思うと……」

星空凛「んー、そっかそっか」

卯月「あ、凛さん。コップ返します」

星空凛「……ねえ、しまむー。それ置いて立って?」

卯月「え? はい」

星空凛「じゃ、片足立ち十分! よーいどん!」

卯月「わわわっ!?」


――十分後

星空凛「はい、おわり!」

卯月「ふ、ふぅ。できて良かったあ……」

星空凛「……ほら、できたにゃ」

卯月「!」

星空凛「最初にレッスンしたとき、三人とも一気に倒れちゃったの覚えてる?」

卯月「はい。あの時は十分なんてむちゃくちゃだ~って思ったんですけど、毎日やればなんとかなるものなんですね!」

星空凛「うんうん。ところで今日、報告で聞いたんだけど、登場はジャンプ台だったんでしょ?」

卯月「そーなんですよ! こう、ごーって上がって、いきなりぴょーんと!」

星空凛「その時、しまむーはこけたかにゃ?」

卯月「いえ、大丈夫でした! ……あ」

星空凛「ほら、ね。少し前のしまむーだったら、きっとジャンプ台なんて不安定な場所で立てなかったと思うな。片足立ちが効いてるんだよ」

卯月「ホントだ……」

星空凛「練習は嘘つかないよ。凛が最初に言ったこと覚えてる?」

卯月「はい!」

星空凛「毎日やればできるけど、毎日やらないと絶対にできるようにはならない。……でも、しまむーはそれができるようになったんだよ?」

卯月「……」

星空凛「誇りなよ。凛はずっとみんなを見てたよ!」




178 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:21:05.55NSPCnO+e0 (165/255)


卯月「はい……はい」

星空凛「本番でミスしないのって、ひょっとしたら無理かもしれないけど。でもしまむーはそれでいいんだと思うよ。そこがしまむーの魅力だよ!」

卯月「ミスが……ですか?」

星空凛「あはは、正確にはミスそのものじゃなくてね。しまむーはミスしちゃっても、きっと楽しすぎてやっちゃったんだなーって見た人は思うんだよ。それぐらい、アイドルやってるしまむーは楽しそうでキュートだにゃ。……ねえ、しまむーはどうしてアイドルになろうと思ったの?」

卯月「私が……私がアイドルになりたいわけは」

卯月「アイドルが好きだからです! ステージの上のアイドルはとってもキュートで楽しそうで、それを見ているお客さんも釣られて一緒に楽しくなって! まるで魔法みたいだなって!私も765の天海春香さんみたいな、あんなアイドルになってみたいって思ったからです!」

星空凛「そっか、じゃあ明日はその気持ちを忘れずにステージに立とうね! 凛もお客さんと一緒に見てるよ!」

卯月「はいっ!」


――こんこん、がららっ。


雪乃「失礼します……あら、星空さん」

星空凛「雪ノ下さん、お疲れ様です。しまむーはもう帰る準備できてますよー」

雪乃「あら、そうですか。余計なお世話だったかしら」

卯月「いいえ、迷惑かけてすいませんっ! 今出ます!」

雪乃「ねえ、島村さん」

卯月「なんですか? 雪乃さん」

雪乃「まだ、明日が怖い?」


卯月「……楽しみですっ!!」




179 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:23:18.75NSPCnO+e0 (166/255)

<当日夜、ZePP東京>

アナウンス『本日はキュートプロダクション所属、矢澤にこ1stフルアルバム"Miracle Track"発売記念ツアーファイナル、"笑顔の魔法、にっこにっこにー"ZePP東京公演にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。当会場は――』

――がやがや。がやがやっ。

八幡「うぇえ、なんて人だ。人がゴミのようだ……」

雪乃「本当ね、しかも喋るなんて」

八幡「俺を見て言うのやめてくれません? しかし、ここまで人が来るもんなのか……」

雪乃「あなた、アイドルのライブは初めてなの?」

八幡「ない。人の集まる所が嫌いだからな」

雪乃「……頭が痛くなってきたわ」

八幡「人に酔ったか?」

雪乃「相変わらず都合のいい解釈がお得意なのね」

星空凛「おーい、ふたりともー!」タッタッタッ

八幡「ああ、星空。来てたのか」

星空凛「教え子の初舞台だからね! 行くにきまってるにゃ!」

雪乃「うちの事務所の子たちも大体来てるわね。相変わらず高坂さんだけは過密スケジュールで無理だったのだけれど。ついこの前までごねてごねて大変だったわ……」

八幡「このド派手な献花はそのせいか……他の花の三倍くらいのサイズあんぞ」

星空凛「三人の様子はどうだった?」

八幡「他の二人は知らんが、少なくとも渋谷は堂々としてたぞ。……大したもんだよな」

雪乃「同じく島村さんもね。礼を言います、星空さん」

星空凛「わはは、なんのなんの!」

八幡「控室に付くのは今日は戸塚に任せてある。ま、本田も大丈夫だろ」

星空凛「そっかそっか、じゃあ安心だね?」

雪乃「矢澤さんに会わなくていいんですか?」

星空凛「えへへ、やめとくにゃ。どーせ真姫ちゃんが来てるだろうし、邪魔するのもねー」

八幡「? そうか」

星空凛「あ、もう始まるね! 凛、行くね」

八幡「ん、もう行くのか?」

星空凛「うん! やっぱライブは前の方で見ないとね!」

八幡「じゃ、俺も行くかね。雪ノ下は?」

雪乃「私は二階の関係者席があるから。あなたの分も取ってあったと思うけれど?」

八幡「今日はやめとく。柄じゃねぇし」

雪乃「そう。では、これを渡しておくわ」

八幡「? なんだこれ」

雪乃「サイリウムよ。アイドルのライブでは使うものなの。持ってないと浮いてしまうわよ。いや、あなたもともと浮いてたわね」

八幡「お前の認識に憂いてるよ俺は……。サンキュ、じゃあ後でな」

雪乃「ええ、またあとで」




180 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:25:48.00NSPCnO+e0 (167/255)


――がやがや。がやがや。

ことり「凛ちゃーん!! 久しぶりー!」ダキッ

星空凛「ことりちゃん!! 久しぶりだにゃ! また可愛くなってる!」ダキッ

希「ちょっと痩せたんと違う?」

ことり「それを言うなら絵里ちゃんもじゃないかなー?」

絵里「お互い健康的な痩せ方をしたかったわね……」

花陽「今度そっちの事務所にもおにぎり持っていくね! 試作品が完成したんです!」

ことり「……あれー? 穂乃果ちゃんは聞いてるけど、海未ちゃんと真姫ちゃんは?」

絵里「真姫はにこの楽屋に会いに行ってたからそろそろ戻るんじゃないかしら。海未は……詳しくはわからないんだけど、来れないって言ってたわね」

ことり「そっかぁ……残念だなぁ」


――がやがやっ、がやがやがや。

アーニャ「もうすぐ、はじまりますね?」

きらり「にこちゃんのステージ、すっごく楽しみだにぃ!」

莉嘉「未央ちゃんたちだけずるいー! アタシも出たかったー!」

美嘉「そう言わないの。今度アタシと一緒にやろ?」

前川「……どんなもんか、見届けてやるにゃ」


――がやがやっ、がやがや。

八幡(数えると気が遠くなりそうなぐらい人がいた。やはり男性が多いが、老若男女と言っていいだろう。……これだけの、数千の人間があの幕の向こうのたった一人の存在のために集まっている)

八幡(口では何度も言って理解したつもりだったが。やっぱりあいつ、すげえんだな)

八幡(これだけの人の中、前に行くなんて俺には理解しがたい。だから、いつものように一番後ろの壁際にもたれかかった。周囲を見ると、皆サイリウムを折っている。俺も思い出したようにポケットからそいつを取り出し、折った。――まるでそれがスイッチになったみたいだった)

八幡(薄く流れていた音楽とぼんやりとした照明が一気に消えた)



――わぁぁあああああああああ!!!



181 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:28:44.49NSPCnO+e0 (168/255)


八幡(途端に湧き上がる場内は、ピンク色のサイリウムで幻想的に彩られた。幕に向かってハートが桃色のレーザーで描かれる)

八幡(心を描かれた幕が、真ん中からゆっくりと割れていく。暗闇に現れるは、雄々しく小さな後ろ姿だ。背中は覚悟を現すのだと言う。なるほどそうだとその時思った)

八幡(観客の叫びに応えるようにドラムのシェイクビートが始まる。バンドインと同時に、彼女はそのトレードマークの二つ結びを勢いよく振り回して、満天の笑顔で振り返った)


『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――Yeah! 『にこにこ!』
『にこぷり! にこにこ! にこぷり!』
――YeaH!
『Pretty Girl! ……こんにちは! 矢澤にこですっ!』


――わぁああああああああ!!


八幡(……これが、プロのステージなのか)

八幡(圧倒される。観客たちは心から夢中になっている。音の、声の一つ一つに臓腑を揺さぶられる。……魔法はあるんだって、信じたくなる)

八幡(組んだ腕の左指が自然とリズムを取っていることに気付く。サイリウムを握っている右手に心臓の鼓動がダイレクトに響いた。この灯は命でも燃やしているのだろうか)


八幡(そこから、洗練された彼女のステージを熱に浮かされたように見ていた。……相対性理論って本当なんだな)

八幡(――時間が飛んだみたいに、もう次の曲であいつらの出番になった)



スタッフ「MCあけたら行きます! スタンバイお願いします!」

三人「はいっ!」

凛(……! 未央、震えてる。大丈夫かな、私が――)




182 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:30:26.57NSPCnO+e0 (169/255)


戸塚「本田さん、震えてる。ふふふっ、可愛いね」

未央「は、はー!? 震えてないし! 可愛いとかさいちゃんに言われたくないなぁ!」

戸塚「ああ、そっか。それは失礼しちゃった」

未央「ふんだ!」

戸塚「……ねぇ、本田さん。この前ぼくの好みのタイプのおはなししたよね?」

未央「あ、うん。結局教えてくれなかったけど」

戸塚「じゃ、今教えるよ」

戸塚「――ぼくはね、カッコいい人が好きなんだ」

戸塚「だからね。カッコいいとこ、見せてほしいな?」

未央「……うん! 任せろ!」

戸塚「よしっ」

未央「さいちゃんこそデートプラン決めといてよね! いい加減だったらダメ出しするよ?」

戸塚「ふふ、はいはい。それじゃ、行ってらっしゃい」

――ばたん。

卯月「ねえねえ未央ちゃん! デートってどういうことですか?」

未央「このライブが成功したらね、さいちゃんに連れてってってお願いしたんだ! それがこの前言ってたご褒美なのさっ!」

凛「……未央も、なんだ」

未央「え!? もってことはしぶりんも?」

凛「うん、ゴネたらしぶしぶ聞いてくれた」

卯月「実は私も、今日成功したら雪乃さんとお買い物しませんかって!」

未央「…………ぷっ」

卯月「あははっ」

凛「ふふっ。似た者同士、だね」

未央「だね! ……よーし、ニュージェネレーションズ、いくぞ!」

卯月「ジャンプするとき掛け声しましょうよ!」

凛「何にする?」

未央「そんなの」

卯月「決まってます!」

凛「……だよね!」




183 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:33:25.58NSPCnO+e0 (170/255)


にこ『さて、そろそろ魔法使いを始めようかしら! いくわよ!!』

――うぉおおおおぉお!!


――♪『届け魔法 笑顔の魔法 みんなを幸せに
    にっこりの魔法 笑顔の魔法 涙さよなら
    にっこ にっこ にこにこーだよ♪』


    『ほら――楽しくなっちゃいなさい!!』



スタッフ『セクション突入! ジャンプ行きます! カウント!』
    
           「せえのっ……」
    


          ――にっこ にっこ にー!――
    





八幡
戸塚「「「よしっ!!!」」」
雪乃



にこ『On Backs――ニュージェネレーションズ!!』

――わああああああああ!!!





184 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:35:36.83NSPCnO+e0 (171/255)


凛(その瞬間、時が止まった)

凛(宙に浮く私たちを待っていたのは、星めいたサイリウムの灯)

凛(燃えている。笑顔のお客さんたちが持っている心の灯火は、確かに酸素を喰って燃えている)

凛(私の瞳はそのとき、きっと導火線だった。暗い現実の世界に灯る輝く世界の魔法を吸い込んで、心の臓腑に辿り着く)

凛(凍っていた私の心は、今、燃え始めた)


――わああああああああ!!



にこ『みんなありがとう! ……ありがとう!』

未央『はぁ、はぁ……。やった……!』

卯月『ありがとうございまーすっ!』

凛(あぁ……。もう、終わっちゃうんだ……)

にこ『今日はみんな本当に来てくれてありがとう。にこは、今日みんなと一緒に時間をすごせて、本当に本当にうれしいです!』

――おれもだー!!!


にこ『あははっ、ありがとう! みんな、ニュージェネレーションズの子たちはどうだった?』

――わああああああ!! ありがとー!!

にこ『聞くまでもないみたいね。感想でもきいてみよっか……凛!」

凛『!』

にこ『どう? 初めてのステージは』


凛『……最っ高!!』

――わああああああああ!!




185 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:38:10.75NSPCnO+e0 (172/255)


にこ『次で最後の曲です。……ふふふ、お決まりのやつありがとね。じゃあ曲に入る前に一つだけ。今回、にこは初めてフルアルバム出して、そのツアーをして、今ここにいるけど。……でもこれがゴールなんかじゃないからね! にこのアイドル生活は、まだ始まったばっかりだから』

にこ『ニュージェネレーションズも今日はありがとう。でも、あんたたちはもう今日から可愛い後輩なんかじゃない。頂点を争うライバルなんだからね!』


卯月『……はいっ!』
未央『待ってろー! すぐ追い抜いちゃうからねー!』
凛『負けないよ?』


にこ『ふふっ、頼もしいわね。新しい世代はそうじゃなくっちゃ。……それじゃあ最後の曲にいこうかしら。アルバムには入ってないけど、最後にどうしてもこの曲がやりたかったの。ふふ、にこのファンならきっと知ってる曲だから』

にこ『それじゃ、この曲を。にこたちを応援してくれるみんなに。ニュージェネレーションズの門出に。支えてくれるスタッフやプロデューサーたちに。……この曲を作ってくれた、親友の為に! 聞いて!』



にこ『START:DASH!』



にこ『I say――hey,hey,hey,START:DASH!』

凛『Hey!』

未央『Hey!』

卯月『Hey!』


『START:DASH!!』




186 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:41:15.43NSPCnO+e0 (173/255)

<翌日、昼。竹橋駅>

凛「あ、来た。遅い。遅刻だよ」

八幡「まだ十分前じゃねーか……。いつから来てんだよ」

凛「……別にいつだっていいでしょ」

八幡「ライブの翌日くらい昼まで寝ればいいのによ」

凛「ハナコの散歩があるからね。そういう訳にはいかないよ」

八幡「立派なことで。……で、どこ行くんだ?」

凛「お茶の水のほう」

八幡「はぁ? じゃなんで竹橋なんだよ、総武線ユーザーなんだからお茶の水集合にしてくれよ……」

凛「私が東西線なんだもん」

八幡「明日から剛田って呼んでいい?」

凛「ふふっ、リサイタルが上手くいったんだから許してよ」

凛「ね、プロデューサー。歩こう?」


凛「わあ、紫陽花が綺麗」

八幡「そうだな」

凛「皇居って、散歩すると楽しいからさ」

八幡「なるほどな。だから竹橋なのか」

凛「うん。ちょっとランナーが邪魔だけどね」

八幡「事務所も近いし、最近千代田区ばっか来てる気がすんな」

凛「あ、そういえば絵里さんの高校も千代田区なんだって」

八幡「どこだっけか、μ'sがいたとこだよな」

凛「音ノ木坂」

八幡「……なに?」

凛「あれ。知ってるの?」

八幡「妹の母校だ。俺は行ったことねーけど」

凛「ふーん。……あ、千鳥ヶ淵だ」

八幡「……早いもんだよな」

凛「覚えてるんだ。初めて一緒に挨拶回り行ったとき通ったよね。もう、葉桜も残ってない」

八幡「三ヶ月か。会社に勤め出してからもうそんなに経つのか……。ひょっとして俺ってこのままズルズルと社の畜生として一生を終えるのか? え? やばくね?」

凛「年貢の納め時なんじゃない?」

八幡「夢を売る業界なんだから専業主夫の夢くらいいつまでも持たせてくれよ」

凛「夢見るだけなら自由だけどさ」

八幡「嗚呼、あそこのボートに乗って一日過ごすだけの仕事に就きてえ……」

凛「何言ってんの。……乗ってみる?」

八幡「いや、いい」

凛「そう? じゃ、次来た時一緒に乗ろうね」

八幡「ん、ああ」

凛「約束だよ」

凛「いつか、果たしてね」




187 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:44:31.84NSPCnO+e0 (174/255)

<お茶の水、楽器街>

八幡「楽器屋がありすぎてどれがどれやらわからん」

凛「私も。とりあえず中古屋に入ろうかな」

八幡「聞いてなかったが何買うんだ?」

凛「……ベース。この前の撮影で、面白いなって思って」

八幡「へえ。いいんじゃないか」

凛「私も全然楽器わからないんだ。プロデューサーは楽器できる?」

八幡「家にギターがあるけどな。無事Fで挫折した」

凛「ふふっ、楽器できなさそうな顔してるもんね」

八幡「方向性の違いでコンビ解散すんぞ」


八幡「なんか初心者セットとかあんぞ。これでいいんじゃないのか」

凛「こういうのってしょぼくて安物買いの銭失いになるからやめた方がいいんだって。最初は中古で買って、音楽のことがわかってきたら二本目がセオリーだってさ」

八幡「それ、誰から聞いたんだ?」

凛「撮影のときの社員さん。メール送ったらばーって超長文が来たよ」

八幡「ああ、そうか。てっきり雪ノ下に聞いたのかと」

凛「え。雪ノ下さん楽器できるの?」

八幡「少なくともギターは上手いぞ。文化祭の時弾いてたしな」

凛「……本当に何でもできるんだね」

八幡「そうかね。意外と欠点だらけだぞ、あいつ」

凛「…………ふーん」

八幡「あ、おい。どこ行くんだよ」

凛「試奏。その辺うろついてればっ」

八幡(急に不機嫌になったな。……ないない。思い上がるなっつの。そんなことはありえない)


凛「――うん。これにします」

店員「はい、ありがとうございます。ただいまケースをお持ちいたしますので。お支払方法はいかがなさいますか?」

凛「現金一括で」

店員「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

八幡「……漢だな」

凛「お給料入ったからね。高校生には多すぎるくらいだけど、こういう時くらいはね」


店員「あのう……」


188 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:45:28.27NSPCnO+e0 (175/255)


八幡「ん?」

凛「なんですか?」

店員「その……不躾な質問なんですが、お客様はモデルなどをされていらっしゃるんですか?」

凛「うーん……似たようなもの? かな?」

八幡「俺に聞くなよ」

店員「ああ、やはりそうですか。道理でお綺麗でいらっしゃると思いました」

凛「あ、いや、その……どうも」

店員「実は当店、ただいまバンドガールキャンペーンを実施してまして。右手のコルクボードが見えますか?」

八幡「お、写真だな。めっちゃある」

店員「そうなんです。当店で楽器をお買い求めになる女性のお客様が、もし買い物の後にお写真の掲載を許可していただけますと、十万円までの楽器のお値段が二割引きになるキャンペーンでして」

八幡「へえ。安くなるんならいいんじゃないか」

店員「お客様はとても美人でいらっしゃいますので、撮らせていただけると当店としても大変嬉しいです!」

凛「うーん。じゃ、条件が二つ。この人と一緒に写ってもいいですか?」

店員「ええ、全く構いませんよ。お連れ様と一緒の写真も何点かございますので!」

八幡「えぇ……」

凛「プロデューサーが二割持ってくれるんなら撮らなくてもいいよ」

八幡「俺って写真大好きなんだよな。魂躍動しちゃう」

店員「ありがとうございます。それでは撮らせていただきますね――」


凛「ふぅ。ベースって結構重たいんだね」

八幡「持ってやろうか?」

凛「いい。自分で持ちたい」

八幡「そうかい。にしても、二つ目の条件。一枚持って帰りたいってなぁ……」

凛「いいでしょ。一緒に写真撮ったことないんだもん」

八幡「……いいけどよ。用は済んだし、帰るのか?」

凛「え? 何言ってるの?」

凛「せっかくのご褒美だもん。一日付き合ってもらうよ?」

八幡「……へいへい。イエス、マイアイドル」




189 ◆I0QEgHZMnU2015/07/07(火) 13:47:39.94NSPCnO+e0 (176/255)

<夜。帰り道>

凛「すっかり遅くなっちゃったね」

八幡「本当だよ。どうしてこう女子って奴らは買い物に時間がかかるんだ……」

凛「そんなこと言えるほど経験ないでしょ」

八幡「ほっとけ。妹もいるしそれぐらいあるわ」

凛「……なるほど。だからなのかな」

凛(私何も言ってないのに荷物とか持ってくれてるし。……そういえば、一緒に歩いてるとき、疲れたことないかも。歩幅、合わせてくれてるんだ)

凛(ああ、ほんとあなたって人はさ)

凛「優しいよね」

八幡「……何言ってんだ」

凛「ひとりごとだよ。得意でしょ?」

八幡「お前は皮肉の方が得意みたいだな」

凛「ふふっ、こんな人と三ヶ月ずっといたらそうなるよ」

凛「ねえ。プロデューサーは、優しいね。……今度は、独り言じゃないよ」

八幡「……ひとつだけ為になる話をしてやる。今から言うことは、決してツンデレの裏返し発言なんかじゃない。お前は何か勘違いをしてる」

八幡「――俺は、お前が思っているほど、いい奴なんかじゃない」

凛「……ふうん。そっか。ふふっ」

八幡「おい、わかってんのか?」

凛「うん。わかってるわかってる」

八幡「勝手にわかった気になるなよ。誤解だぞ、それは」

凛「誤解も、解のひとつでしょ?」

八幡「っ……」

凛「どうしたの? 変な顔。……あのね、ひとつ言っとくけどプロデューサーをいい人だなんて思ったことないから」

八幡「……は。お前は俺のトラウマを抉るのが得意だな。昔、同じことを言われたよ」

凛「そうなんだ。その人がどうだったか知らないけど、私はプロデューサーのこと」

凛「優しいから、厳しい人なんだなって思ってるよ。どういう意味かは教えない」

八幡「なんだそりゃ。考え方はわからんが、好意的解釈が過ぎないか」

凛「それでもいいよ。当たってても外れてもいいし、それに私がどう思おうとプロデューサーには関係ないし、何より変わってなんてくれないでしょ」

八幡「……そうだな。変わらないことに関しては定評がある俺だ」

凛「そんなあなたが育てるアイドルだよ。プロデューサーが何か言ったところで解を変えてくれるわけないでしょ」クスクス

八幡「捻くれた超理論だな」

凛「全くだよね。誰に似たんだか」

凛「……人に人が変えられるだなんて思い上がりだ、か」

八幡「いい言葉だ。言った奴はきっと絶世の美男子に違いない」

凛「そうだね。目はひどいけど、カッコいい人が言ってた」

八幡「……。調子狂うからやめてくれ」

凛「ふふっ、無理無理。悪役気取るにはツメが甘すぎだよ」