Category [野村 望東尼 ] 記事一覧
勤王の歌人・野村望東尼(4)野村望東尼の墓
大楽寺には望東尼の位牌があり、「防府望東尼会」の主催で毎年供養が行われているそうです。大楽寺から桑山公園へ高杉晋作を看取った後、山口、三田尻へ移った野村望東尼を、楫取夫妻は最後まで気遣ったといいます。楫取素彦は望東尼の贈位を機会に顕彰の撰文、明治26年8月、桑山に墓碑を建立しました。桑山公園にある野村望東尼の墓FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブ...
勤王の歌人・野村望東尼(3)野村望東尼終焉の宅
防府市岡村町にある野村望東尼終焉の宅望東尼終焉の家となった三田尻の荒瀬家は解体され、屋敷の一部が桑山山麓の大楽寺の東隣に移築されました。昭和29年、山口県指定文化財になっています。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いします...
勤王の歌人・野村望東尼(2)野村望東尼終焉の宅跡
高杉晋作を看取った跡、望東尼は、山口で楫取邸に寓居し、慶応3年(1867)9月25日、東上軍を見送るために山口から三田尻にやってきます。三田尻では、歌友・荒瀬ゆり子宅に滞在し、防府天満宮に7日間参詣、断食をして、討幕軍の戦勝を祈願しました。しかしこれが体調を崩すきっかけとなり、間もなく病に倒れ、同年11月6日に荒瀬家で62才の生涯を閉じました。藩主・毛利敬親は、彼女の死を悼み、葬儀を取り仕切ったと言います。防...
勤皇の歌人・野村望東尼(1)防府天満宮の銅像と歌碑
野村 望東尼(のむらもとに/ ぼうとうに)は、幕末の女流歌人・勤王家。文政12年(1829年)福岡藩士・野村新三郎清貫と結婚。安政6年(1859年)夫が亡くなると、剃髪して望東尼と称します。その後、福岡の南側の山村(現・福岡市中央区平尾)にあった自分の山荘に勤皇の志士たちをかくまったり、密会の場所を提供したりしました。その中には高杉晋作や勤王僧の月照もいました。慶応元年(1865年)6月、福岡藩でも尊攘派弾圧の動き...
最新コメント