Category [井平直種 ] 記事一覧
林森神社~長興寺
林森神社には、井平直種夫婦と井平弥三郎が祀られています。林森神社は、天正8年に河内守直種勧請。明治8年(1875年)六所神社と八幡神社が合祀して林森神社となった。御祭神には河内守直種夫婦と井平殿弥三郎殿が祀られている。この鳥居のしめ縄のかけ方が変わっています。金刀比羅神社林森神社から長興寺へ長く興る寺こそ いずれ優曇華(うどんげ)の再び香る山は 藐姑射(はこや)ぞ「再香山 長興寺」の名前の由来となった当時...
井平殿村居館跡~井平氏の墓
井平氏は、井伊氏の庶流ですが、井伊宗家にとって、奧山氏と並んで重要な家でした。井伊直虎の曽祖父・井伊直平は、井平河内守安直の娘を妻に娶り、祖父の井伊直宗もまた、井平河内守直郷の娘を妻に迎えました。天正元年(1573)直平の末子、井平直種が伊平氏の当主となり、殿村に居館を築きました。天正18年(1590)直種の嫡男の弥三朗は、井平河内守を名乗り、井伊直政の家臣として小田原攻めに参戦し、18才の若さで討死。これに...
井平城跡(2)
井平城の遺構を少しのぞいてみました。ここでマムシに注意の看板が!この日は軽装でしたので、この先に進むのは止めました。少しでも山城の雰囲気を味わえて満足😊にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...
井平城跡(1)
井伊氏居館跡から坂道を上り、井平城跡へ向かいました。細い道が続きますが、車で案内板のところまで行けます。仏坂の戦いで、その東方にあった井平城、屋敷、集落は焼き打ちに遭い、井平氏は一時途絶えたといいます。天正元年(1573)に井伊直平の末子の井伊直種が、家督を継ぎ、城東麓の殿村に屋敷を構えました。その後、直種は井伊直政に仕え、天正18年(1590)の小田原攻めで、18歳の若さで戦死、井平氏は断絶したと伝わります。井...
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