Category [西郷どん ] 記事一覧
多賀大社(2)文庫~つり鐘
文庫桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。大釜寛永10年(1633)と...
岩倉具視幽棲旧宅(3)付属屋
繋屋には、浴室と便所が設けられています。附属屋勝手口、炊事場、台所、居間からなります。龍吐水今でいう消防用ホースです。米びつ竈羽釜炊飯や湯を沸かすのに用いられました。水屋箪笥食器の収納に用いられました。炊事の様子の説明です。岩倉具視の暮らしぶりが窺えます。付属屋の居間付属屋から中庭越しに主屋が見えます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴...
岩倉具視幽棲旧宅(2)主屋
記事を飛ばしてしまっていました(;´∀`)岩倉具視幽棲旧宅の記事の続きです。岩倉具視幽棲旧宅は、茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡)、繋屋(約9㎡)から成ります。敷地の南土塀に表門を構え、門を入って主屋南庭に通じる中門、池庭、離れの便所によって構成されています。平成20年(2008)から4箇年をかけて京都市が国庫補助を得て、本格的な修理が行われました。それでは家屋の中に入ってみましょう。中門主屋茅葺の建物で、...
岩倉具視幽棲旧宅(1)
岩倉具視幽棲旧宅は、京都市左京区岩倉上蔵町の岩倉具視が隠れ住んだ屋敷です。公武合体を掲げ、皇女和宮の将軍家降嫁などに尽力した岩倉は、倒幕急進派から弾劾され、官職を辞して剃髪したうえ洛中から追放され、11代前から縁のあったこの地で慶応3年(1867)までの間幽棲しました。元治元年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し、主屋と繋屋を増築して住居としたのがこの旧宅です。大久保利通や中岡慎太郎、坂本龍馬など...
最新コメント