Category [古橋廣之進 ] 記事一覧
田畑政治ゆかりの地(7)山崎プール跡・古橋廣之進顕彰碑
古橋廣之進の自宅からほど近いところの公園に、山崎プール跡があります。田畑政治が惚れ込んだ古橋廣之進の水泳のルーツは、地元の篤志家である江馬氏が浜名湖畔の一角を板で仕切り、岸にスタンドをつけたの50mのプールにある。当時4年生の廣之進は、父に連れられてプール開きに行った際、突然「お前も水泳選手にならんか」と勧められたことで水泳を始めた。フジヤマのトビウオを顕彰した碑には、廣之進の自署による「力泳三十年」...
田畑政治ゆかりの地(6)古橋廣之進の生家跡
浜松市西区雄踏町山崎のとあるマンションの前に、古橋廣之進の生家跡の案内板があります。田畑政治と師弟関係の古橋廣之進は、昭和3年(1928)9月16日、9人兄弟の長男として誕生。普段から弟や妹の面倒を見たり、家の手伝いを積極的にする少年だったそう。父親は体格が良く、力持ちで廣之進も相撲取りを目指していたそうです。「フジヤマのトビウオ」の異名をもつ水泳選手、水泳指導者。静岡県浜名郡に生まれる。浜松二中(現浜松...
浜松市総合水泳場 ToBiO(3)浜松独自の30分回泳
古橋廣之進記念浜松市総合水泳場 ToBiOは、浜松市西区篠原町にある総合水泳場。2009年2月7日にオープンしました。一般から愛称の公募が行われ、同市出身の古橋廣之進を記念してToBiOと命名されました。しかし、古橋は、開業から約半年後の8月初旬、2009年世界水泳選手権のため訪問していたイタリア・ローマで客死ししていまいました。国際公認の50mメインプールや飛び込みプールをはじめ、健康作り・レジャー向け25mサブプール・子...
浜松市総合水泳場 ToBiO 田畑政治展(2)
世界へと活躍の場を広げた田畑政治でありましたが、戦時中はスポーツ自体が禁止され、オリンピック組織委員会を発足するも、国際社会から日本の出場を拒否されることに。そんな苦難も乗り越え、田畑氏は、1948年、日本水泳連盟の会長に就任。翌年、国際水泳連盟への復帰を果たし、全米水泳選手権に、古橋廣之進らの日本人選手の出場が実現し、古橋は、世界記録で優勝しました。1928年9月16日、静岡県浜名郡雄踏町(現・浜松市西区...
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