Category [吉良氏 ] 記事一覧
西尾の吉良氏の菩提寺・実相寺
西尾の実相寺は、文永8年(1271年)、吉良満氏が吉良氏の菩提寺として創建されました。開山には、京都の東福寺から円爾(聖一国師)を迎え、中国・経山寺の絵図に倣って壮大な伽藍が造営されました。天文15年(1546)に今川義元の軍師・太原崇孚が入ると妙心寺派に改めました。永禄3年(1560)、織田信長の兵火によって堂の多くを焼失しましたが、鳥居元忠が再建に尽力しました。。毎年4月第2日曜日の「お釈迦さん」(花祭り)では、堂...
吉良家ゆかりの椿屋敷跡
偶然Google マップで見つけて、吉良陣屋跡から向かった椿屋敷跡こちらも吉良氏ゆかりの史跡でした。 椿屋敷跡 戦国時代、東条・西条両城主を兼務していた吉良義安は、今川氏真に疑われ、駒河藪田(静岡県藤枝市)に幽閉されたままでその地で亡くなった。 義安の妻俊継尼(家康の伯母)は遺児・義定を連れて吉良に帰り、ここに居を構え、椿屋敷と呼ばれた。椿屋敷は、吉良家再興の足がかりとなった地である。 平成15年3月 西尾...
高家吉良家の岡山陣屋(吉良陣屋跡)
西尾市吉良町にある岡山陣屋は、高家吉良家の陣屋で、別名を吉良陣屋跡、椿陣屋とも言います。天正年間に吉良義定が居館を築いたのが始まりとされています。義定の母は松平広忠(徳川家康の父)の妹であり、家康にとっては従兄弟にあたります。嫡男・義弥は、関ヶ原の戦いで東軍に属して領地を安堵され、その跡は義冬が継ぎました。義冬の嫡男が吉良義央。吉良義定吉良義安の子。母は松平清康(家康の祖父)の娘であり、徳川家康と...
東条吉良氏の菩提寺・花岳寺
吉良氏は、足利義氏の長子長氏を祖とし、所領の三河国幡豆郡吉良荘(愛知県西尾市吉良町地区)から吉良を名乗りました。室町時代には、足利氏一門諸氏の中でも家格が高く、足利将軍家に次ぐ待遇を受ける足利御三家の筆頭に位置付けられ、幕府要職を歴任。「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と俗に言われ、同じく足利一門である三管領家(斯波氏・細川氏・畠山氏)より家格・格式は上位であったといい...
高家吉良家の菩提寺 華蔵寺(2)
慶長5年(1600)に吉良義定によって父・義安の遺徳をしのぶため建立された華蔵寺は、吉良家の菩提寺と定められました。吉良家墓所吉良家墓所には義安から義央の継嗣・義周までの吉良家6代の墓があります。高家に任ぜられた義弥が、本堂西側に父・義定の供養のための石塔を建てて以降、歴代吉良家当主の石塔と子供たちの石塔をその周囲に建て、このような墓所となったそうです。毎年、吉良の命日である12月14日には毎歳忌(まいさ...
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