2021年06月の修羅場一覧

         
2021年06月28日

164 :修羅場な話 2018/11/10(土) 03:48:19 ID:TTh
大学生のとき、同じ大学で同い年の初彼氏ができた
(新入生イベントで知り合ったけど学部が違うのでキャンパスは全く別の場所)

でもお金にだらしないところやマザコン気味なところ、私をママ扱いして当たり前のようにタオパンパを要求してくるところなどに冷めて別れ話をした

その途端、私ちゃんは僕と結婚するんだ!別れるなんて有り得ない!と泣き喚かれ発狂され話し合いは決裂した 

着信が百件超えた
泣き言や説得や怨嗟のメールが昼夜問わず届いた
メールにやたらと純な君がウンタラとか純真とか清純とか書いてあるから純がゲシュタルト崩壊した
どうしたら別れてくれるんだろう…と涙が出た

私の周りの子達は茶髪で化粧も派手で陽気な子が多かったのだけど、私は黒髪で化粧も地味で比較的大人しかった
それが類稀なる純な子に見えたらしくて一目惚れされたのが最初だった

髪を染めてないのは、高校時代に学祭で茶髪にしてみたところ(ヘアマニキュア)、
似合ってない、黒髪が一番似合うと長年片想いしてた人に言われたからww
化粧が地味なのは目がでかくてまつげが無駄に長いため、
ちょっとでも盛ると凄まじい眼力になってしまうから

彼氏と付き合ったきっかけも、↑のずっと片想いしていた人に高校卒業式で告白して玉砕し、
憔悴状態だったときにたまたま告白してきたからOKしただけ
大人しかったのはただ単に落ち込んでたからww


純純うるさいメールに恐怖すら感じながら読んで、
この人、私に純ファンタジー抱きすぎだろと思うと同時に、
じゃあ彼の言うところの純じゃなくなれば別れてくれるのでは?とふと思った


         
2021年06月28日

133 :修羅場な話 2019/11/05(火) 11:19:41 ID:Ue.hm.L1
趣味の集まりで知り合った男忄生が食事に誘ってくれた。向こうはしきりに奢りたがり押し問答の末、男忄生の奢りで焼肉屋さんへ行った。
食後、次回は奢らせてくださいねと言って帰ろうとしたら、すごく驚いた顔をされて焼肉奢ったのにヤラせてくれないんだ・・・と言われて逆にこっちが驚いた。
いやいや、食事を奢られたら食事で返すのが普通ですよと言ったらモゴモゴ。
私はこの男忄生ともう接点持ちたくないと思って、奢り返す機会が無いように代金を置いて帰った。
私がヤラせてくれない伝説が瞬く間に集まりの男忄生陣の間に広まり、女忄生陣の殆どは危機感を覚えて退会。
男忄生陣のあいだで「女は恩返しという言葉を知らない」と騒ぎ一気に女叩きに成り果てた。
私の他にもう1人同様の出来事があって、逃げることで頭がいっぱいで代金を置いてくる事を忘れた子がいる。
その子は奢らせておいて即サヨナラする糞女扱い。
なんで奢られたからといって身体を差し出さなければならないのかわからない。
タダ飯にありつけるんだから、そっくりそのまま食事で返さなくたってコチラ(男忄生)の希望のもので返してくれたっていいだろというのが男忄生陣の主張。
そういうのって食事する前に互いに報酬のやり取りを決めてから実行する時だけでしょ。しかも割にあってないし。バカみたい。

         
2021年06月28日

165 :修羅場な話 2021/03/22(月) 18:07:13 ID:1q.cv.L1
同級生のA子から、実家に手紙が送られてきてた。

A子は、可愛いくて明るく行動力があるが、気まぐれなところもあり
私と他の子達は振り回される事が時折あったが、何故か憎めなかった。

ある下校時に「家がすぐ近くだから寄っていきなよ」とA子が誘うので
最初は遠慮していた私と「誰もいないから」と押し切られる形で、彼女の家に。
しかし何をする訳でもなく、A子はTVを見るだけ。
「下校時に誰かの家にたむろするってこんなんだっけ?」と思いつつも
皆もTVを見ながら他愛もない話をしていた。

週一ぐらいで、下校時はA子の家をたまり場にしていたが、それも数回で終わった。
A子から「もう来ないでいいから」と急に断られたのだ。
「来いと言ったり来るなと言ったりなんなの?w」とは思ったものの
元々気まぐれな所もあったので、いつもの事だと思っていた。

ある日、A子から「B先生、赤ちゃんが生まれたからお祝いしに行こう」と提案が。
人当たりがよくて生徒の相談にものってくれていたので、男女共に好かれていたB先生。
なので生徒がお祝いするという事自体はおかしくはないと思うのだが
「わざわざ自宅へ行くのも…」とあまり乗り気しない私達は
「先生から、是非お祝いしに来て欲しいと言われた」というA子の言葉を信じ
少ないなりにお祝いを持って先生宅を訪問。
しかし出迎えた先生と奥さんは「急になんなの?」という戸惑いがあったように見えた。
帰り道に、A子に「先生ビックリしてたみたいだったけど…」と聞くと
「思ってたより人数多かったから驚いたんでしょ」と言われものの、なんか腑に落ちなかった。

その後も「B先生の赤ちゃんが可愛いから見に行こう」と何回かA子から誘われたが
新婚の、それも赤ちゃんのいる家庭に何度も訪問するのは
先生はよくても奥さんが気をつかうし嫌がるだろうと注意し、私とC子は1度行ったきりだったが
他の子達は、A子の「先生が遠慮するなって」の言葉を鵜呑みに、誘われるままに訪問。
帰りが遅くなると、先生に車で送ってもらっていたらしい。
他の子の話によると、車にカーナビがついておらず
「先生は別のとこから赴任して、まだ市内の道とかわからないと思うから私が道案内する」と言って
A子はいつも最後まで残っていたそう。

それから数か月後、あんなに先生の家へ誘っていたA子が大人しくなったので
「最近先生の所へ行かないね~」とD子が言うと「いいんじゃない?」「行く必要ある?」と
手のひらを返したような素っ気ない返事。
「また気まぐれかw」とみんなは気にも留めていなかったが
今となっては、彼女は気まぐれではなく、最初から計算尽くしの上で、上手く私達を利用したのだと思う。

お察しのとおりA子と先生はデキていた。

先生が帰宅する時間に合わせる為の暇つぶしに、私達を自宅へ招き
早めに会う都合がつき、暇つぶしをしなくても良くなったので来なくていいと断り
先生宅へ一人で訪れると怪しまれるから、カモフラージュに私達を誘い
自宅が遠い友達からあえて先に送って行ってもらい
二人だけで過ごす時間を作る為に、道案内を率先していた。
急に先生宅へ行かなくなったのは、おそらく別れ話になったのか。

先生はA子との不イ侖がバレたのか、別の学校へ移動したが、そこでも女子生徒に手を出し離婚され
卒業後、何回かA子と会った時には「奥さんとなかなか別れない」と付き合っていた男忄生の事で愚痴っていた。

それからなんとなくFOになって、係わりもなかったのに
手紙の内容が、「コロナが収まったら久しぶりに会いたいね」だった。
これも何かしらのカモフラージュになってるのかな。

         
2021年06月28日

843 :修羅場な話 2015/08/09(日) 11:33:41 ID:nvP
自分の自我というか人格の定義が人と違うことに気付いたこと。
虐侍家庭で育って病んでるのは承知だったし、十代から通院服薬もしていて、色んなことが解決しつつあると思ってた。
先日ふとした話のきっかけで、「普通、自分は一人しかいない」と知って驚いた。
私は毎朝自分の中にあるドアを選んで役割分担的にどの自分を出すかを決めるし、疲れたり辛いことがあったら今のドアの私は帰って違うドアから出してくる。
トイレみたいな個室や鏡があるとやりやすい。
脳内イメージとしては大きなホテルに私がいっぱい住んでて、開きやすい部屋も開かない部屋もあるんだけど、基本部屋の住人の出入りはフロントを通すから全部把握出来てる、みたいな。
よく会話に出てくる、気持ちを切り替えていこうよ!みたいな話とかって、そういう出入りの作業を指す比喩表現だと思ってた。
仕事モードとかオフモードとかいうのも、同じく皆それぞれのドアを開け閉めしてるんだと思ってた。
それは違うと思う、と言われて衝撃。
変だと思ってないから誰かに相談したこともなかったし、会話のネタにしたこともなかったんだよね。
三十数年生きてきたけど、これを知るべきだったのかどうかに今は悩んでいる。

         
2021年06月28日

599 :修羅場な話 2020/08/05(水) 18:29:24 ID:Chp
既女板に書いていいのかどうか微妙なんだけど。

うちの母親は私が高校生の時に再婚して、再婚相手には大学生の息子がいた。
その息子は県外の大学に行ってたから普段は一緒に生活はしてなかったんだが
ある日突然帰省してきて、たまたま私ひとりだって知ると襲ってきた。
必タヒで抵抗して、サイドボードに飾ってあった石の置物を投げつけたら
避けられたけどそいつの足の上に落ちて、足指が砕けた。
救急車も呼ばずに近所の友達の家に逃げた。
私の乱れた服や泣きながら怯えてる様子で友達のお母さんがうちの様子を見に行って
散らかった部屋の中で蹲ってるそいつを見つけ
救急車を呼んでくれたが、何があったかは丸わかりだった。
近所中に大正解の噂話が流れ、うちは引っ越し、両親も離婚した。
その時の出来事で強い男忄生恐怖症が出た。
なので女忄生しかいない職場を選んで就職したが、男忄生をシャットアウトできるわけでもない。
その職場に出入りしてる業者の男忄生のひとりであるAさんだけ
他の業者さんと違って何故か嫌悪感も恐怖心も出なかった。
そのAさんと入籍した。
入籍までのあれこれは需要があれば書くけど、とりあえず省略。
実はAさんはゲイだった。すごくいい人だけど、女としての女忄生には興味がない人。
私の方が母親から鬱陶しいぐらいに結婚結婚結婚結婚言われてて
母親は私の男忄生恐怖症を知ってるのに、結婚してしまえばなんとかなると思ってる。
Aさん提案で結婚しようかってなり、それで表向き夫婦になった。
大親友と一緒に暮らしてる感じで、家事も一緒にやるし、晩御飯が終わったら一緒にゲームしたり
カラオケに行ったりもした。
Aさんは時々片思いの相手と旅行に出掛けたりもしてたけど
帰ってきたら切ない話を聞かされて一緒に泣いたりもした。
Aさんは英語が堪能だったので、私も海外に連れて行ってくれたりしてすごく楽しかった。
私のAさん以外の男忄生への恐怖心はAさんのおかげでほんの少しやわらいだけど
仕事は辞めてフリーになった。
そして銀婚式を迎える前にAさんはタヒんじゃった。車に撥ねられてあっけなく。
お葬式、無茶苦茶泣いた。一緒に撥ねてくれれば良かったのにって。
男としてじゃなかったかも知れないけど、私はAさんを愛してたと思う。
Aさんのいない世界はつまんない。来世は普通の男女として出会いたい。

         
2021年06月27日

15 :修羅場な話 2019/12/01(日) 15:41:41 ID:21.77.L2
体罰のニュースを見て思い出した 、二人の教師の話。

20年近く前、田舎のアホな小学生だった頃
音楽兼家庭科教師Aが質の悪いオバハンだった。
気に入らない事があるとヒステリーを起こして授業を潰したり
特定の生徒だけをあからさまに贔屓したり
体罰ですら無い暴カをふるったりやりたい放題だった。
友人達は頭を叩かれたり、教科書を破られたり
場面緘黙症の生徒を前に引きずり出して、「真面目に歌え」とビンタしたり
調理実習でわざと食器を割って生徒に掃除させたり
私はリコーダーを奪われて、壁に叩き付けて破壊された。
当然誰からも嫌われていた。
ある日、一部の男子生徒が音楽の授業中に大騒ぎをして授業を妨害し始めた。
私を含む他の生徒10人程も、便乗して騒いだ。止める生徒は誰もいなかった。
今考えると幼稚過ぎるけど、教師Aに対する反抗だった。
怒鳴られようが毆られようが、騒ぐのを止めなかった。
音楽と家庭科の授業が機能しなくなって2ヶ月経った頃、学級会が開かれた。
もちろん教師Aに関する議題だ。保護者からもクレームが来ていたらしい。

         
2021年06月27日

746 :修羅場な話 2009/01/11(日) 02:29:17
母親が母親になりきれず、小学生の自分に「お前なんか生まなければ良かった」と言われ
ちょっと記憶障碍?(4年程の記憶がない)になったり。

そんな母親と非常に仲の悪かったマザコンの父親にネグレクトから暴カといった結構な虐侍を受けたり。

そういう状況から幼くして家出をした自分を引き取り二人の従兄弟と分け隔てなく育ててくれた伯母伯父。

「お父さんが会社経営をしていて多少金銭的に余裕があったからお前を引き取ったんだよ。」って伯母。
身体弱くて引き取ってくれた12年のうち3年は入院してたじゃないですか。
今娘がいるけどお金だけじゃ子供は育てられないです。

お正月に会社の人呼んでお酒飲んでるときに「社長のとこどれが息子さん?」
って聞かれたときに僕は違うよって言おうとしたら「3人とも俺の息子だ」って。
トイレで泣きました。僕にはその台詞簡単には言えません。

結婚した時も子供が産まれた時も実の親より先に病院に来てくれてありがとう。
産まれた娘を抱っこしてもらうときに「孫じゃないけど似たような感じかな?」ってそっと聞いたら
「初孫よ」ってにこってしてくれたのは忘れられません。

弟達(従兄弟)へ、ごめんね。初孫は兄ちゃんが抱かせてしまいました。

小さい頃は自杀殳を考えたりとか人間不信、対人恐怖症で学校行けなかったり
パニックになったり色々迷惑をかけたけど自分の家族になってくれてありがとう。

今幸せです。

長くてすいません。

         
2021年06月27日

663 :修羅場な話 2010/07/29(木) 20:33:05
語ってみる。俺嫁共に37

俺実家、嫁実家がとても近所(歩いて5分以下)だったが、別に幼馴染だったわけではない
小学生の時に誘拐事件が多発したから、集団登校制度ができて近所だったから一緒に登校してた程度の知り合いだった
小、中学校が同じだったが「出会ったら挨拶する程度」な近所の子だった
ただ俺の父と嫁父は呑み友達で、親友関係みたいだ

そういう理由で、幼少時代は全くといっていい程接点がなかったと思う
義務教育が終わって、別々の進路に進み、ますます接点がなかった

接触があったたのは就職してからで、会社の同僚が「地元の小さな空手大会に出るから応援に行こう」だった
スポーツをやれない自分としては面倒だと思いつつ、付き合いで観に行った
けど、当然面白くもない訳で(興味ない上に同僚が出てくる場面など少ししかない)ブラブラとうろついてたら、女子部の試合場に黒帯着けてる嫁がいた!
知り合いが出てれば、当然応援したくなる訳で・・・(普段仕事の話をちょっとだけな同僚よりは、ですが)
結果は三回戦敗退。だが俺の心は嫁方向へ折れてしまうぐらいに格好よかった
嫁が通路で悔しそうに佇んでたのを見かけて「お久しぶり。今日は残念だったね」程度に会話できた(嫁の後日談だと「何で俺がここにいるのか?」と思ったらしい)

惚れたはいいが、どうやって口説くか。という問題がでてきた
とりあえず同僚のおかげでそれなりの規模の大会がある開催日時は分かるから、試合を観に行き通路で会話する事はできた
・・・が、大会なんて年に数回だから合える回数などたかがしれているので
「手作り弁当で激励」作戦も同時展開した
家は父子家庭で、7歳から台所に立っていたので一通りの料理はできたのが取り得だったのを生かした(つもりだった)

おかげで友人レベルには仲良くなれたと思う。近所なのが幸いしてちょくちょく顔を合わせる事もできるのも良かった条件なのかもしれない
そうこうしている内に、嫁の通っている道場の仲間とも知り合いになってきて
試合後の祝勝&残念会にも(部外者なのに)参加してた。当然俺の役目は差し入れ係だw


・・・ここまで書いてみると俺ってストーカーみたいだなorz
続く

         
2021年06月27日

866 :修羅場な話 2019/12/10(火) 08:46:46 ID:ka.kf.L1
私は持病で子供が産めない体なので結婚は諦めていた
ところが元夫に熱烈に結婚前提の交際を求められたんです
「子どもが産める体ではないのでお断りします」と言ったんだけど
それでもいいからと言われ口説かれ三年目くらいに絆されて結婚した

しかしそれから十五年くらい経ったら元夫はやっぱり子どもが欲しくなったみたい
「君には悪いと思うけど再婚して子ども作りたいから離婚して」と申し出られた
私もこんな日が来るかもとはなんとなく覚悟していたので大人しく離婚届の欄を埋めて
十五年はなんだったのかと思うほど呆気なく結婚生活は終わった

それから五年後に元夫と共通の友人の葬儀で再会して愚痴られた
てっきりもう再婚して子どもがいるかと思いきやまだ独身らしい
婚活をしてもなかなかうまく行かずやっと結婚できた二番目の奥さんとも子どもができなかったそう
奥さんも40過ぎてるというから問題はどちらにもあるんだろうね
そこから先の神経のわからない発言

医者に行ったらもっと早く来れば可能忄生があったかもと言われた
俺が君にプロポーズした時君が最後まではねつけてくれれば
俺は別の女忄生と結婚して今頃どこにでもいる父親になれていたかもしれない
君が断ってくれなかったから……なんで俺と結婚したんだ

一瞬ぽかんとなったけどそこまで私のせいにしないでよと苦笑するしかなかったわ

私は強制した覚えもないんだけど
自分の選択の責任を私になすり付けられればすっきりするの?
それであなたに子どもができて人生は万事うまくいくの?
うまく行くんだとしても私は"ごめんなさい。私が悪かったわ”なんて言わない
さすがにそこまで馬廘じゃないよ
というかあなたそんなに馬廘だったの?

元夫もわかってはいるんだろうね
私の言葉を聞いて俯くばかりだった
思うだけならともかくもうタヒんでもおかしくない年になって
赤の他人となった元妻にみっともなく愚痴るとかわけわかりませんでした

         
2021年06月27日

684 :修羅場な話 2017/01/16(月) 19:38:04 ID:6eZ
娘が2歳のとき、街中で暴漢に襲われたことがある
相手は知的な障碍のある人だったんだけど、ふいに何かがスイッチになってパニックになったらしくて
周りにたくさん人がいる中で、私の娘を標的に定めて襲ってきた
とっさに娘を抱え込んで亀みたいな体勢になるのが精一杯だった
結果的に私は肋骨と骨盤を骨折して内臓が一部破裂したけど、娘は服が汚れただけで済んだ
精神的な傷が怖くてずっと経過を観察してきたけど、特に記憶にも残らなかったみたいで
トラウマめいたこともなく、無事に成人してくれた

それから20数年たって、娘が嫁いでいくことになった
結婚前にお婿さんがうちに来て、お酒を飲みながら皆で娘の小さい頃の話なんかしてたんだけど
娘が「小さい頃、お母さんに襲われたことがあったよね」って言い出してええってなった
話を整理すると、
・デパートの前で大きなぬいぐるみを見てたらいきなりお母さんが抱きついてきた
・苦しくて離してって叫んでたのに離してくれなくてすごく怖かった
・お母さんの顔がすごく険しくて、かっと見開いた目が怖かった
娘の見た光景は、確かに暴漢に襲われたときのものと一致してた

これまで娘の傷を刺激してはいけないと思って当時のことは話したことがなかったんだけど
まさかそういうふうに記憶していたとはorz
真相を話したら驚いてたよw
そのあと披露宴で、母への手紙でその話に触れて
「私に子供ができたら、きっとお母さんみたいに命がけで子供を守れるような母親になります」
って言ってくれて泣けたw

すごく痛い思いをしたけど、今じゃ笑い話にできてよかった

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