帰国の記事一覧

         
2024年08月20日


659: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)00:22:24 ID:p6j
取り留めの無い長文で恐縮ですがご容赦ください。

崩壊はある日突然訪れました。

私がまだ幼い時、両親が交通事故で他界し、当時比較的若かった父方の祖父母の養育と母方の支援も受け
慈しまれ育てられました。お金のことは心配ないと短大にまで進学させて戴き
憧れ、目標にしていた両親が生前勤務していた企業に就職することが出来ました。

就職して四年ほど経った頃、電車に乗り帰宅していると若い女性に声を掛けられ
顔を見ると通勤や帰宅時にたまに見かける女性で、その日以来顔を会わせる度に会話をするようになり打ち解け
名前や連絡先を交換するまでになりました。女性の名は美鈴と言い
彼女の性格に惹かれ好意を抱き告白しようと思った頃、先を越される形で告白されました。
私は喜んで受け入れそれから三年の間お互い愛を育み、今度は先を越されぬよう結婚の申し込みをし
美鈴も感極まった表情で受け入れ、結婚しました。

お互い支え合い愛し合い、本当に幸せな毎日でした。そんな生活が二年続き、そろそろ子供が欲しいと思い出した頃、
会社の事情で海外支社へあくまで正式な担当者が決まるまでの一時的な措置という話で私が指名されました。
私は断固拒否しましたが、適任者は私しか居ないと上司に説得され受け入ざる得ませんでした。
私は沈痛な気持ちで、美鈴に報告しました。彼女は泣き出しましたが
数日後、気丈にも少しの間だけだから大丈夫と言って同意してくれました。

辞令が下り、出国の当日空港に向かう車の中で黙ったまま手を握り合い、そして出国ゲートで涙を堪え
いつまでも私を見送る美鈴に私は何度も振り返り、何度も手を振り別れを惜しみました。
私は遠い海外の地で少しの我慢だと自分に言い聞かせながら日々仕事に励みました。
正直嫌な予感はしていたのですがいつまで経っても正式な後任とやらは決まらず
一年が経ち、あと一年、次の年が来ると、流石に強く抗議はしましたがもう一年だけと延ばされ、
ようやく国内勤務の内示が出た時には三年の月日が流れていました。

私はすぐさま美鈴に電話をかけ、日本に帰れること。一緒に暮らせること。これまでの勤務が評価され上位部署へ配属されること。
昇給することを報告しました。美鈴も嬉しそうにしていましたが
どこか上の空で元気の無い印象を受けましたがその時は気にかけませんでした。


         
2021年01月30日

534 :修羅場な話 2020/01/29(水) 12:40:16
うちも夫がまもなく中国から帰ってくる
帰る予定なかったのにこの騒ぎで
私たちは実家に身を寄せているのだけど、両親が夫がこっちにくるのを断固拒否してる
高齢の自分らと小さな孫たちを危険に晒す行為は許さないと。私もそう思う
義実家は地方なので、そっちに帰るということもできない
しばらくウィークリーマンションかホテル暮らししてよと伝えたら、ショック受けてた
でもここは心を鬼にするよ
どうせ騒ぎが収まればまた中国に戻るわけだしね
帰国したら私だけでも会いに行こうかなと思ったけど、ウイルスをもらってくる気かこの馬廘と叱られた

         
2020年10月19日

470 :修羅場な話 2017/09/01(金) 10:44:53 ID:O12tVRx4.net
婚約直前の彼女と別れた話

俺には兄がいて、海外の大学を卒業してそのままそっちで就職、ほとんど帰ってこない
まあうちの両親は旅行好きだから何度か兄のいる国に遊びに行ってるし俺も何回か同伴してる
兄は特別イケメンじゃないんだけど人好きするというか、
話し上手の盛り上げ上手、誰とでもすぐ仲良くなるしいつも人に囲まれてる
今はバーやったりイベントの企画会社みたいのやったりスキューバ(趣味)のツアーやったりいろいろ手広くしてるみたい
俺は普通に大学卒業して就職して平凡なリーマンだから兄にはちょっと劣等感がある
いい兄貴なんで基本は好きなんだけど

彼女と結婚しようってなって、でも彼女の実家は飛行機乗り継がなきゃいけないような距離だから年末年始にでも行くかーって話してた
そしたら兄貴が5年ぶりに日本に帰って来るってなって、
じゃあ先に俺の親と兄に会おうってなったんだけど、実際会ったら彼女が兄に惚れた
「お兄さんすごいね」「お兄さん格好いいね」くらいはまだ良いけど
「あなたは平凡だね」「結婚したらあんなお兄さんを身近に見ながら平凡な生活を送らなきゃいけないんだね」
「あなたは何か挑戦しようと思ったことはないの?向上心がないんだね」「お兄さんに先に会ってたら多分あなたとは付き合わなかった」と言いたい放題
怒りよりも悲しくて、泣きながら結婚やめると言った
彼女も「私もそう思ってた」と快諾

でも兄が帰って現実に戻ったら後悔したらしく、
マリッジブルーだったから大目に見て復縁しろみたいな手紙が来る
あんなこと言っといて復縁できると思ってる神経がわからん

         
2019年11月01日

4 :修羅場な話 2015/06/18(木) 17:25:37 ID:g8S
バイト先で、一人の為に先週から才柔めに才柔めてる。
自分は都内にあるちょっと高級なラウンジでバイトしてます。従業員は常時20人位。
雰囲気や食事も好評で好景気も手伝って単価は高いけどかなり忙しいお店。
先週仕事終わりに、店長がお客様に頂いたお菓子を従業員皆に配っていた時に
大学生バイトのA子(仮)って子が、「韓国の某コンサートに行く」って話を他の子に話して盛り上がっていて、
他の子は、「韓国って今病気でヤバイんじゃない?大丈夫なの?」って反応だった。
A子は「全然余裕!大丈夫!」って感じだったけど、たまたま聞こえてたらしい店長が
「ちょっとA子さん、お話が」とA子を残して話をしたらしい。
翌日、更衣室で着替え中にA子がキレてて周りの子に愚痴りまくり。
店長に、韓国へ行くなら帰国してから2週間はバイトを休む様に言われたみたいで
「マジしんじらんない!馬鹿じゃん?過剰反応しすぎじゃね?」と口汚いったらなかった。
韓国へは4日間行くみたいで、20日近くも休む事になるからタヒ活問題みたいだった。
うちの店は時給高くて人気あるんだけど、その分バイトに求められるものも多い。
母体は全然違う業界の大手で、ラウンジは宣伝的な意味合いもあって就業規則も厳しい。
だからバイトの皆も「飲食だしリスク考えれば当然だろう」って反応だったんだけど
A子は納得いかないみたいで仕事終わってからもグチグチ。流石にうっとおしかったのか、
ホールの責任者が翌日のミーティングで衛生管理について皆に通達、説明した。
A子はそれきり黙ったけど、先週末に予定通り韓国へ行った様だった。

         
2019年08月09日

697 :修羅場な話 2017/04/03(月) 17:24:35 ID:c1lz9T+C.net
25年ぶりに日本に帰国したこと。
クリスマスとサンクスギビングを一緒にしたより多い人が駅にいること。
その95%が日本人で日本語を話していること。
引くドアを誰も後の人に支えてあげないこと。
ものすごく寒いこと。
家や家電がいろいろ鳴ったり喋ったりすること。
でもセントラルヒーティングじゃなくて、
リビング以外が外気温なこと。
石油ストーブが生き延びいて、臭いこと。
ハリウッドスターが日本語を話していること。
待っていただいてありがとうございます、と言わず
ごめんさない、ごめんなさいと謝ること。
飲食店でかしずかれること。
ベトナム人の作ったフォーを一度も食べたことがない人が
フォーを作っていること。ディーン西岡?は正しかった。
10-20代の女の子が同じファッションなこと。
余所行きか普段着かOn かOffでカジュアルなファッションがないこと。
乱杭歯の歯が放置されていること。

         
2017年08月06日


659: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)00:22:24 ID:p6j
取り留めの無い長文で恐縮ですがご容赦ください。

崩壊はある日突然訪れました。

私がまだ幼い時、両親が交通事故で他界し、当時比較的若かった父方の祖父母の養育と母方の支援も受け
慈しまれ育てられました。お金のことは心配ないと短大にまで進学させて戴き
憧れ、目標にしていた両親が生前勤務していた企業に就職することが出来ました。

就職して四年ほど経った頃、電車に乗り帰宅していると若い女性に声を掛けられ
顔を見ると通勤や帰宅時にたまに見かける女性で、その日以来顔を会わせる度に会話をするようになり打ち解け
名前や連絡先を交換するまでになりました。女性の名は美鈴と言い
彼女の性格に惹かれ好意を抱き告白しようと思った頃、先を越される形で告白されました。
私は喜んで受け入れそれから三年の間お互い愛を育み、今度は先を越されぬよう結婚の申し込みをし
美鈴も感極まった表情で受け入れ、結婚しました。

お互い支え合い愛し合い、本当に幸せな毎日でした。そんな生活が二年続き、そろそろ子供が欲しいと思い出した頃、
会社の事情で海外支社へあくまで正式な担当者が決まるまでの一時的な措置という話で私が指名されました。
私は断固拒否しましたが、適任者は私しか居ないと上司に説得され受け入ざる得ませんでした。
私は沈痛な気持ちで、美鈴に報告しました。彼女は泣き出しましたが
数日後、気丈にも少しの間だけだから大丈夫と言って同意してくれました。

辞令が下り、出国の当日空港に向かう車の中で黙ったまま手を握り合い、そして出国ゲートで涙を堪え
いつまでも私を見送る美鈴に私は何度も振り返り、何度も手を振り別れを惜しみました。
私は遠い海外の地で少しの我慢だと自分に言い聞かせながら日々仕事に励みました。
正直嫌な予感はしていたのですがいつまで経っても正式な後任とやらは決まらず
一年が経ち、あと一年、次の年が来ると、流石に強く抗議はしましたがもう一年だけと延ばされ、
ようやく国内勤務の内示が出た時には三年の月日が流れていました。

私はすぐさま美鈴に電話をかけ、日本に帰れること。一緒に暮らせること。これまでの勤務が評価され上位部署へ配属されること。
昇給することを報告しました。美鈴も嬉しそうにしていましたが
どこか上の空で元気の無い印象を受けましたがその時は気にかけませんでした。

Twitter プロフィール
2ch(5ch)鬼女系のまとめサイト 修羅場な話まとめのつぶやきアカウントです。
最新記事
最新コメント
記事検索
月別アーカイブ
カテゴリー
  翻译: