津和野藩御船屋敷 石見国(島根県)津和野藩主である亀井家は参勤交代などの往来に際して、津和野街道を東上して廿日市に宿泊し、ここからは海路をとっていた。この廿日市の中継居留地が津和野藩御船屋敷で、桜尾城跡の西側一帯に設けられていた。
船屋敷には御殿をはじめ土蔵、定詰長屋などの諸施設が建てられ元文元年(1736)には93人の津和野藩家中が居住していた。桜尾山の東側(現在街道松の南側一帯)にあった御船入りには船蔵、水主長屋などがあり、関船、小早船、荷船などが係留されていた。
船屋敷の御殿玄関を蓮教寺庫裏に移築されていたが現在は取り壊されて現存していない。現在船屋敷を偲べるものは稲生神社と蓮教寺に移植されている「ソテツ」および各寺社に家中が寄進した石燈籠や狛犬、石手摺などがある。
津和野藩御船屋敷については「津和野藩恩船屋敷〈屋敷位置の復原の試み〉」がある。
在りし日の蓮教寺庫裏玄関 (御船屋敷御殿玄関の移築遺構であった)
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