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本日紹介する選手はルーク・デ・ヨング選手です。
スイス・ヴォー州・エーグル出身のプロサッカー選手。エールディヴィジ・PSVアイントホーフェン所属。オランダ代表。ポジションはフォワード(FW)。主なポジションはセンターフォワードだが、トップ下を任されることもある。
【経歴】デ・フラーフスハップ 2008-2009
FCトゥウェンテ 2009-2012
ボルシア・メンヒェングラートバッハ 2012-2014
→ニューカッスル・ユナイテッドFC 2014 (loan)オランダの旗 PSVアイントホーフェン
シーム・デ・ヨングはルークの兄である。
両親ともにスイス国内リーグでプレーするプロのバレーボール選手であった。スイスのエーグルで生まれ、4歳のときにオランダに移住したため、スイスで生活した記憶がないという。
ヘルダーラント州・ドゥーティンヘムにあるアマチュアのDZC'68で兄のシームとともにプレーし、兄弟そろって地元のプロクラブであるデ・フラーフスハップにスカウトされた。シームはデ・フラーフスハップの下部組織在籍中にアヤックス・アムステルダムに引き抜かれ、ルークだけがデ・フラーフスハップに残った。ルークは2008年にトップチームに昇格し、NACブレダ戦で途中出場してエールディヴィジデビューした。SCヘーレンフェーン戦でも途中出場した後、新加入のベン・サハルとコンビを組んで先発出場するようになった。ヴィレムII戦 (1-0) で初めてサハルと2トップを組み、この試合でルークはサハルの決勝点をアシストした。ホームでのFCトゥウェンテ戦ではエールディヴィジ初得点を挙げて2-1とリードしたが、その直後にハンドの反則でFCトゥウェンテにPKを与え、ブレイズ・ヌクフォに同点PKを決められて引き分けに終わった。ヘラクレス・アルメロ戦 (1-0) ではオーバーヘッドシュートで決勝点を挙げた。ホームでのNECナイメヘン戦では足首を負傷して前半で退いた。チームが昇降格プレーオフを戦っている最中に怪我から復帰し、RKCヴァールヴァイクとのホームゲームでは決勝点を挙げたが、結局エールステディヴィジ(2部)降格に終わった。
FCルビン・カザン戦でのルーク・デ・ヨング
2009年4月6日、FCトゥウェンテと3年契約(1年の延長オプション付き)を結んだ。KNVBカップのSCジュール戦 (8-0) で、後半途中にダリオ・ヴイチェヴィッチとの交代で出場してデビューすると、この試合で2アシストを記録した。同大会のCapelle戦で移籍後初得点を含む2得点を挙げた。2009年11月5日、FCシェリフ・ティラスポリ戦でミロスラフ・ストッフとの交代で出場してUEFAヨーロッパリーグデビューを果たした。12月2日のフェネルバフチェSK戦 (0-1) でも途中出場している。KNVBカップのエルモンド・スポルト戦 (3-0) では2得点を決めて勝ち上がりに貢献した。2010年1月1日、FCユトレヒトとのアウェーゲームの90分にケネス・ペレスと交代してエールディヴィジデビューを果たした。ブレイズ・ヌクフォが負傷したため、UEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のヴェルダー・ブレーメン戦ではルークが先発出場の機会を与えられた。アウェーで行われた試合 (1-3) ではヘディングシュートでネットを揺らし、欧州カップ戦初得点を記録した。2010年2月28日、NECナイメヘン戦 (2-1) でエールディヴィジ初得点を挙げた。4月10日のSCヘーレンフェーン戦 (2-0) では、ロスタイムにリーグ戦2得点目を挙げた。2009-10シーズンはリーグ優勝して自身初タイトルを獲得した。ルークは2010年7月31日のヨハン・クライフ・スハールでも重要な役割を果たした。マルク・ヤンコの負傷のためにルークがアヤックス・アムステルダム戦 (1-0) に先発出場し、8分に決勝点を挙げてタイトル獲得に貢献した。
2012年7月、ボルシア・メンヒェングラートバッハに5年契約で移籍。
2014年1月、出場機会を求めてニューカッスル・ユナイテッドへ2013-14シーズン終了まで期限付き移籍した。
2014年7月、PSVアイントホーフェンへ2019年6月までの5年契約で完全移籍した。
世代別オランダ代表の経験があり、U-19オランダ代表では5試合出場5得点、U-21オランダ代表では2試合出場3得点を記録している。
2011年2月9日、オーストリアとの親善試合の後半にディルク・カイトとの交代で途中出場し、オランダA代表デビューした。同年9月6日、UEFA EURO 2012予選のフィンランド戦 (2-0) で代表初得点を挙げた。
【動画】総合評価
攻撃力【8】
守備力【5】
センス【7】