そんな小さな優しさが | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。


私は毎朝ご飯を炊いて必ずお供えするわけじゃないし、お花だって常に生花を置いてるわけでもない。

だからキッチリそういうのを気にしてやっているわけでは無いけれど、まぁそれは一人で暮らしているし、

そして「気持ち」は変わらないからそんなでも全然良いのだと思って過ごしてます。


ただ…変なところに律儀?なところがあって、


とてもとても小さなモノでも主人に供えます。


それは本当に、笑っちゃうくらい小さなささやか過ぎるもの…


例えば先日の旅行の、ホテルの部屋に置いてある

「ウェルカムスイーツ」のお菓子ひとつ。


あとは職場の、どなたかの置き菓子、置いてあるお土産なんかのお菓子ひとつ。


そんなのを手に取って、主人へのお土産出来た〜と思って、ちょっと心が嬉しくなるような自分さえいたりします。



でもそれって、


今は私自身が主人にしてあげられる事が本当に何も無いから、ちょっとでも何か…の思いからなんだけど、


考えてみれば主人もそんな人でした。



それは、取り立てて話題にするほどでも無いようなもの…


それこそ「職場」に置いてあるお菓子や、義実家のその辺にあるもの、

そしてどこかでもらったオマケ的なもの、時にはそれはちょっと要らないなぁ…と思えるような(口には入らない)ご自由にどうぞ…的なところにあったキーホルダー✖️家族の人数分とか。



例えそれがどんなものであろうと、


紛れもなく主人が私(たち家族)に向けてくれた気持ち。

なんだよね。



今日私は、シャトレーゼから来たハガキで、「これを持って行ったらアイス一個プレゼント」ってやつ、それを目にした時そこから急〜にそんな事を思い出しました。


そんなたった一コの小さなもの、


そこに喜びを持つ私だったから、そんなのを主人は知っててくれたから、ちょこちょこそんなのがあった結婚生活だったと思う。



もう私はその優しさを受けることが無いわけで…


そう思ったらね、本当に本当に改めて寂しく、この先の人生ってものを悲しく思います。




あの世で待っててくれても、

今をいくら見守ってくれてても、


当たり前だけど生きていてくれてこそだったんだよなぁ…って心から思いました😢


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