主人が亡くなってからいろんなものが無くなった。
知らないうちに消えていたものも多い。
でもこの建物はたぶん私にとってこれまでで一番悲しいかも知れない。
そのビルの一階はバスターミナル。
車に乗ってなかった私には、そこもまたすごく愛着のある場所。
世の中変わらないものなんてない
変わって行くこともまた自然のことなんだといくら考えても、こんなに悲しく思うってなんなんだろう…
45年もの歴史ある建物。
そこには、主人と行った…では無くとも、私には様々な用事で本当によく行った場所だから、
それが主人と共に生きた生活の中にあったことだったから、とても悲しく思えて来る。
あそこに行っていた楽しい気分の時、全てに主人が居てくれました。
主人がそこに居なくても家に帰ればいつだって主人がいる、帰って来てくれる、必ず会える生活でした。
だからあそこを歩いていた私には自然と「自分の夫」のことは頭と心にあり、
例えばそうだな、
主人が働いてる間の私だけの楽しい時間、そうさせてくれる感謝の気持ちとか、帰りには主人への物も、変わった食べ物とかお惣菜とかを買って帰った…
そんな場所でした。
ただそこが消えてしまうから悲しいのではなく、
やっぱり主人が居ないから…なんだよね。
主人が居たなら諦めれたよ。
なんなら新たなものへの楽しみにも変わったのかも知れないよね…
そんな苦しい気持ちの中で娘(長女)に連絡してみた。
ところが同じことを長男に送ったら、私には思ってなかった冷たい?バッサリの一言が来た。
大した思い出ないわ
ちょっとびっくりした気持ち?マジかいと一瞬思ったけど、考えてみたら息子はそうかなとわかった。
そもそも他家族とよく行ってもそこにほとんど息子は居なかったから。
だから逆にそこと縁があると考えるとするなら、それは息子自身が転勤で札幌に行ってからだったと思うくらい。
そうか、息子はそうなんだと本当に不思議なよくわからない感覚なんだけど、
自分がこん〜〜なに苦しく思ってても息子がバッサリ「全然だ」と否定してくれてるようで心が救われる気がした。
今回の件だけのことじゃなくて、
私のグダグダの煮え切らない思いなんかを息子にキッチリと遮られたとき、どこか気持ちが楽になる時がたまにある。
だけどこれ、こんなのも5年が経ったから…
だからそう思えるのかも知れないね。
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今私は、あと数日で閉店という状況の中で最後に行くべきか、すごく悩んでます。