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英国の最新の研究で「8億人以上のアジア人男性がたった11人の子孫」であることが発表され、ネット上の話題を集めている。この研究は、英レスター大学で遺伝学を教えるマーク・ジョブリング教授らが実施した。アジアの各地127箇所から集めた男性5321人のY染色体を分析した結果、被験者の37.8パーセントに、11系統のY染色体配列のいずれかが発見されたという。

中学で学んだように性別はXとYという2つの染色体の組み合わせで特定される。女性はXX、男性はXYで、Y染色体は男性の遺伝子にしか見られない。今回の研究結果は多くの現代人男性が、わずか11人の男性のY染色体を引き継いでいることを意味し、統計的に8億3000万人ものアジア人男性が、特定の男性11人の子孫だと言えるという。

この11人の遺伝子を受け継いでいる者のなかには、12~13世紀にかけて広大なモンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンがおり、男系子孫の数は1600万人に上るとも言われている。また、多くの妻と子供がいた16世紀中国明朝後期の建州女直の部族長、ギオチャンガもその一人で、彼の男系子孫は150万人以上になると推測されている。

現在の中国北部からモンゴルに当たる契丹と西夏、モンゴル周辺のシルクロード周辺を統治していた有力者が11人の“始祖”だった可能性が高いと考えられている。紀元前2100年~紀元前00年年頃、農業を営む農耕民族と狩猟や牧畜を営む遊牧民族の両方に、この始祖11人が分かれて存在していた可能性があるという。

ひとりの男性が多くの子孫を残すためには多くの妻を持たなければならず、そのためには高い地位と並外れた経済力を獲得する必要がある。それらを得るためには馬の存在が大きかったようだ。たくさんの馬を使った戦術で軍事力を手にいれ、馬を使い大量の物資を運搬して貿易により富を築くことができるというわけだ。

11人の始祖の1人と考えられてる人物に10世紀に契丹を建国をした耶律阿保機がいる。また耶律阿保機以外には、紀元前700年頃トルコ北部に住んでいた男性、11世紀頃のイラン出身の男性も候補だ。そして紀元前2100~紀元前1500年頃、現在のミャンマーとラオス、タイとカンボジアへ移動した民族のなかにも始祖がいたと推定されるが、人物はいずれも特定はできないらしい。始祖11人を特定するには、彼らの遺骨からDNAを摂取する必要があるからだ。

私の父親の出身地の寺には、我が家の家系図が保存されていると聞いていたので、いつかその家系図を写したいと思っていた。だが、父は生前から実家の兄とは反りが合わず、疎遠がちだった。父がなくなった現在は全くといってよいほど、付き合いはなくなった。しかし、自分のルーツは知りたいと思う。【参照:Mail Online】