【今週の聖句】
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」使徒の働き 3章6節
【今日の聖句】
「あなたの悪があなたを懲らしめ、あなたの背信があなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたがあなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、いかに悪く苦いことかを。──万軍の神、主のことば。」エレミヤ書 2章19節
「何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。」ルカの福音書 15章14,15節
【おすすめ】
「こんな罪、いくら神と言えど、絶対に赦すはずがない」と思ったことがあるでしょうか。取り返しのつかないことを一回だけだったとしても、一生その罪に苛まれる人がいるのです。または「これは罪だ」と分かっていても、繰り返してしまう小さく見積もられる罪もあります。でも塵も積もれば山となり、やはり罪を帳消しにしようと躍起になって良い行いに励んでももはや手遅れだと感じるのです。
そもそも、どんな小さな罪であったとしても自分一人で解決することは絶対にできません。なぜなら、罪とは誰かに、また何かに対して犯すものだからです。つまり法律が求める刑罰を受けない限り、社会的に「赦された」とは認められませんし、それ以前に、罪を犯した相手に「赦す」と言ってもらわない限り心から赦されたという平安は訪れないのです。
どのような形で罪に苦しんでいたとしても、今生かされているならば、神から離れて生きることの空しさを、神から離れた自分には自分の髪の毛一本さえも留めておく力がないことを認めることが許されているのです。今日という日を生かされることを許されているならば、罪を悔い改め、キリストにあって神に立ち返ることを神ご自身が望み、待っていてくださることを知って主に近づくのです。今、今日という日にそうするのです。