今年も8月6日を迎えました。
広島に原爆が投下された日です。
今年は5月にG7サミットがあり各国の首脳が広島に集まり、さらにウクライナのゼレンスキー大統領まで来日、平和記念公園を訪れました。
その記念すべき年に開かれる慰霊祭
8時15分に黙祷を捧げた後ウォーキングに出ました。
78年前もこんな空が広がっていたのでしょうか?
それが一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化したあの日⋯
そんな日に
近所の公園にポツンと立つ碑を訪れました。
あの日ここで救援部隊が招集された事が刻まれています。
昭和二十年(1945年)八月六日朝、広島に原爆投下。
即日部隊招集。西農北寮集結。
翌七日早朝より順次広島入市。爆心地数百米内の城内及周辺被災者救援に当たる。
時正に炎熱酷暑の下、負傷者の収容、遺体の処理作業週余に亘る。惨状壮絶の限り⋯
私の曽祖父は市役所で被爆し体には多くのガラス片が刺さり、昭和23年に亡くなるまで体の中に残ったままのガラス片があったとききました。
爆心地から260メートルの銀行の開店前に階段に腰掛けていた人は、近距離で原爆が炸裂し、逃げることもできないままその場で亡くなられました。
原爆の強烈な熱線により階段は白っぽく変色し、腰掛けていた部分が影のように黒くなって残ってるんです。
今日も蝉の声だけが聞こえてくる静かな朝です。
安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから