日本では音楽の理論書もたくさん売られています。
けれど、理論的なことに
宗教観は表記しにくい。。。
そもそも理論書は
ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語で
書かれてたものが多い。
その翻訳が日本に来てたりする。
彼らに共通すると思われるのが
キリスト教徒であるということです。
みんなが知っている
当たり前のことは
書かない。
逆に不遜にあたりますよね。
クラシック音楽の
バロック、
古典派、
ロマン派、
あたりまでは
確実に
作曲家はクリスチャンです。
さすがにロシア革命の頃になると
少し怪しくなってきますが、
土台にキリスト教がある。
幼少期に洗礼を受け
毎週教会に通い
場合によれば合唱団に入ったり
地域の活動も、日常生活も
キリスト教を軸に成り立っています。
教会で仕事をする人もいました。
祝日の設定はすべてそうだし、
謝肉祭(カーニバル)も
キリストの生涯に由来するものです。
なんなら名前もほとんど「聖人」が
由来するものだったりします。
聖ヨハネは2人いるのですが
こちらのヨハネはバプテスマのヨハネ
洗礼のヨハネと言われていて
イエスキリストも彼から洗礼を受けたと
されています。
聖書に書かれている
「はじめに言葉がある」
これはキリスト教徒の
共通認識です。
キリスト教にうとい
日本人はどうしても
重要視しにくいですが
理論書うんぬんの前にこれがある。
クラシック音楽に携わるなら
覚えておいた方がよいことだと思います。
ヨハネによる福音
冒頭の文章はこちら
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。