私が子供の頃まで岩戸山のお彼岸の祭りは賑わい、出店も並んだ。

岩戸山雲巖寺の開祖は渡来人である東陵永王與(トウリョウエイヨ)で、都でも名の知れた修行の場であった。

ところで、彼岸の祭りは元々の仏教になかった仏教以前の日本独特のものだと云うが、釈迦がゴータマ(おうし座昴)の名で生まれた事がすでに彼岸(彼岸を示す昴)なのだ。

その時七歩歩いたのも昴の七つの星々(彼岸の七日間)の意味であり、天上天下も星の誕生から死までの宇宙の雛型を示すスメラミコ(昴の御子)の役目だ。

また釈迦族(白飯王)は稲作を広め、しかも釈迦族の王は古代日本人のように水に潜る事が得意で、その驚きが噂で広まるほどであった。

写真は球磨の天下神社だが、天下をアモイ(アモリ)という人吉球磨の読み方は渡来だ。

そして天下神社は隠された祇園社だ。

京の祇園社の八坂神社の元の伽耶山は素戔嗚尊(神生みの成→戌と島生みの戌→戊の二つの天坂戈である戈成(嗚))である昴の御子を祀る。

まさに昴の七の月(祇園祭の月)、安凝(北極星が天に戻る)天下(アモイ)の大王は彼岸(昴)を知るものだ。

熊本の熊山の須原(昴)を旧本籍地とする私は岩戸山に生まれた。

そこには昴と共に渡ってきたイエスの子孫もいた。

実は古代のユダヤ人はおうし座昴を祀った。

ところが偶像崇拝に陥って預言者たちに咎められてもきた。

創世記の七日間も、アブラハムの出身地のメソポタミア(シュメルはスメルである昴)のウルのジックラトも昴の七なのだ。

仏教もユダヤ教も超古代では日本の真釣り合わせと繋がっているのだと思う。

そしてキリスト教は景教としてアジアに広がったが、大乗仏教とは親和性があり、駱駝(陀仏)に乗った西方浄土のナーモアーミダーアンブーの唱名はアーメンに似ている。

それでいわば未来仏としての雲に乗って来るイエスが岩戸山の雲巖寺のシンボルなのだ。

実家の掛け軸は紜裏(混乱の世の裏)にある昴の御子の心構えの書だ。