この早滝橋というと、鳳来方面から豊橋へ行くときのショートカット道として知られてますが、世の中早々ショートカットできる、上手く回避できるってことが難しいのかな、と思った一年でしたね。
そこそこ長く生きていると、そんなに近道とかは無くて、結局地道にやって、それが良い方向や道なのか続けながらも常に微調整や階段もできる範囲でちょっと昇ることが生き残る手段なんだな、つう2023年でもありました。
人口減少問題は今や深刻な日本の象徴になってはいますが、1970年あたりだと「人口爆発問題」が日本の心配事でした。
こんなに増えて日本大丈夫か、という不安があった日本だったわけです。
それがたかだか数十年で人口減少問題に。特に地方ですね。
それとて若者心理とすれば、地方や田舎の魅力やコストや仕事やスキルの脆弱さから離脱して、東京や大阪に出て本当の自分を完成させたいのは当たり前。
こういうのは個人的には特に若い層なら「若いうちはじゃんじゃん都会や世界に出て活躍してほしい」というのがありますね。
若い人は地元の人口減少とかあんまり心配しなくていいのですよ。都会でしかできないことがあれば、スグにでも都会に出ろ、ってことです。
但し、その行った場所で「モノになる」ことが重要。ある程度結果を出すことですね。単なる「良い経験した」では半額セール止まりです。それではまともな値段では売れないです。
そういう「モノになった人」がいずれまた少しでも戻ってくればいいのです。
都会や外国に長く行ってても、プロフには「経験」とかだけのニュアンスのみで詳細は書けずにごまかす程度のことならそれは「モノになってない」ってことです。
そこで何やってたの?ってのと、どういう結果で終わった?、ってのが大事なんですよ。
一見何か持ってそうなんですが、実は薄っぺらい、ってことが多くあります。漠然とした経験というのは単に思い出であり、また薄煙。包まれ眺めただけで、握って掴んではないのですね。
新たな出発地点で既に「手応え」の経験上の戦略が無いので、やっぱり着地点にたどり着くのが難しい局面はどうしてもありますよね。これは年齢重ねるごとに難しくなってきます。模索と手探りがずっと続くのは体力的にも疲弊するわけです。
そのうち「自分探し」なんてコトやり始めたりね。そこに自分は無いんだから幾らさまよったって探せやしません。
イチバンいいのは、ですからやはり中学生あたりでどういう職種ややりたいことを決め刻み込んで、高校ではもうその方向をある程度掴んで勉強してゆく、そして大学や専門職、或いはその後の人や会社の出会いで大小ありますがその調達と調整をして、仕事に就き3年から5年である程度の結果を出して、次の30歳代からは「そのベース土台に建てていける」道筋をつくる。
まあPDCAサイクルですね、人生版の。
ここが上手く行かないと時間が経過するにつれ結構大変になっていきます。30歳後半から40歳代前半でモノになってなければもうワンチャン率はグッと減ります。
おそらく「こんなはずじゃなかった」→「思ったことができていない」→「おそらくこのままで終わる」という流れが強くなります。
もうひとつは、それでいいという人はいいんですよ。メンドクサイ生き方嫌な人も多いですし、それぞれ大きな希望抱かなくてもストレス少なく生きること考えたほうがいいですし。ある程度の年齢や段階で限界値って見えてきますから、そこで一旦止まって、次の生き方を考える、ってのが大事になってきます。
熱量というのは人それぞれ。
遠火やトロ火料理もあれば、一気につくる超火力まかせ料理もあります。
ただ熱量が多い人は不完全燃焼や焦げちゃうことも多いです。
こうなると余計に仕事が増えますよね。
だからさっき言った順番みたいなのがこのハイ熱量タイプの人には大事なんです。
経験値と結果を知ってれば、おおよその塩梅が解るというもの。料理は火加減と順番です。
美味しいかまあまあかはともかく、一応料理としては完結します。とても喰えないモノにはならんでしょう。
そのあたりで「やりたいこと」が変わってきてるとしたら、それは新たなスタートラインです。
走るのはもう無理だけど、ゆっくり歩いてくのはできる、っていうのも全然ステキな選択ですもんね。それは仕事でなくてもいいんです。好きなことをひとつだけちょっとだけ時間を割いたりすることで、また見える景色も違ってきます。
この2020年から25年あたりでかなり世の中や個人的にも価値観も変わる時期のようで、まあそれなりにそうなっています。
応援してくれる人が出来たら、少しでいいのでそれにちょっとだけでも応えましょう。
応援してくれる人が居ないなら、小声でいいので呼びかけましょう。
もし応援してくれる人が離れて行ったら、振り返ってその人の背中が何を語ってるか見ましょう。
ずっと応援してくれてる人が居るなら、自分も応援返ししてあげましょう。
なにか得たらそこからまたスタートです。
単純に新しいことばかりに目を向けないで、他と違う選択するのを怖がらず「身に合った」「工夫による」「少しでも影響や成果が出る」といった方向で今後やっていかないと、単なる取り合い奪い合い競争ばかりで、体力消耗してしまうかもですね。
これは個人でも企業でも自治体でも国家でも同じかなと思います。
「先が見通せる」というのはつまり後ろを向けば「過去も同じ距離見通せる」ことになり、過去を知れば知るほど、未来を遠くまで見通すことができる、という話がありまして、その見通す距離は「背の高さ」に比例する、という答えになります。
その「背の高さ」はつまり「知識や技量という脳みそ・好結果の経験という確固たる詰まった骨・見合った予測ができる五感・継続できる知力体力・社会と循環できる血流や内蔵などの蓄積の結果」でありまして、元々見通せる背丈(能力や才能)がある人、背は低いが足元に本などの知識を積み上げて背を高くしてる人、それからもうひとつ、スマホのカメラで自撮り棒でもくっつけて映像として後で確認する或いはライブで見る、という方法もありますよね。但しのこ3つめは自分の目で見てないので、バーチャルやフェイクに騙されることもあります。画面越しなので裸眼よりはやっぱり視野も狭まります。
前者2つは岡田斗司夫論、3つめは自論ですw まあでも間違ってないでしょ。
そして横も頭上も足元もちゃんと見れるようにしないとですね。前という未来やアイデアの霧や煙だけ、後ろという過去や蓄積の影や埃だけ、ではね、おそらくまだモノになってないんですよね。
触っても大丈夫なカタチにしていくことが大事なんでしょう。
ヤル気とダレ気が交差するのが自分も常ではございますが、ちょっとだけでもその気になった時間は頑張りましょうかねw
福耳、星のかけらを探しに行こう。行こう行こう、どこかでかけら探し。ちょっとだけ心の旅。