1―2 「学校だより」の構成をどうしたか

 

 一校目と二校目の「学校だより」には違いがあります。

 それは、一校目のときには、「学校だより」のメインの記事は、行事等のイベントの紹介が中心になっていました。

 二校目では、「学校だより」と「ホームページ」の両方を校長が担当していました。ホームページのブログでは「日々の出来事」を写真付きで紹介していましたので、「学校だより」では「学校経営」に関する内容が次第に中心になっていきました。

 

「学校だより」は、大きく三部構成にしていました。なお、文責は校長とし、「わたしらしさ」を表現しようと考えて作成していました。

 

上段  校長がそのときどきで感じていることや考えていること

中段  メインとなる記事(学校経営に関すること、行事などの様子、作品の紹介など)

下段  コラム(校長のつぶやき、教育相談に関する内容、本の紹介など)

 

 例えば、ある号では…

 

【上段】

 明日は「持久走大会」です。この日を目指して、子どもたちは、体育科の授業だけではなく、始業前の時間や休み時間も練習に励んできました。「持久走」は心肺機能を高める運動ですが、「大会」になると「他との競い合い」の面や「弱い自分の心との競い合い」の面もあります。「持久走大会」やそこに至る過程を通して、子どもたちの心身に「大きな成長」を見ることができれば、うれしく思います。

 

【中段】

□プレイバック「修学旅行」 ―会津の旅―

 新型コロナウイルス感染症が収まったことで、安心して「会津の秋」を堪能できるこの時期を、最初から選んでいた本校の計画は、まさに「奇跡」です。子どもたちの様子は、速報で「webページ」に載せましたが、改めて振り返ってみることにします。

 

*文章に続いて、「修学旅行の様子」を写真と文章で紹介しました。

 

【下段】

□「校長のつぶやき」 その97 「旅はいつもおもしろい」

 校長になってから、すべての「修学旅行」と「宿泊学習」の引率を行ってきた…はずである。それが「校長の仕事」だと思っているからである。旅にハプニングは「つきもの」である。体調をくずす子はいるし、ケガをする子もいる。事故にあうこともある。そんなときに「どう対応するか」の判断を適切に下すためには、校長が近くにいた方がよい。(学校の子どもたちは教頭先生に任せても、いつもの延長線上で判断はできるであろう。)

 と恰好をつけたが、ついていくのは、ただ単に「おもしろい」からである。引率をする最大の「おもしろさ」は、子どもたちの「新たな一面」を発見できることである。今回の旅でも、「社会の約束を守る節度ある姿」「まわりの人々への礼儀正しい姿」「仲間と仲良く協力する姿」など、子どもたちの「よさ」をたくさん感じてきた。それを表現する何かうまい言葉がないかを考えていたが、浮かんだのは「品格」である。これまで「陸上〇〇」や「〇〇魂」などの言葉を使ってきたが、今回の旅で「〇〇の品格」という新たな言葉が加わった。

注)「〇〇」には「学校名」が入ります。

 

 わたしが作成していた「学校だより」のイメージをつかんでいただけたでしょうか。

 

 

 

1―3 「学校だより」の評判はどうだったか

 

「学校だより」には「大きな力」がある…

 これは、「学校だより」を毎週発行することを自分に課してきたわたしの正直な感想です。

 

 わたしは自分の健康保持を兼ねて、毎朝地区内を歩いていました。毎日コースを変えながらあちらこちらを回ります。そうすると、子どもの家の場所や親子関係などがよくわかるのです。もちろん、登下校時の危険な箇所も把握することもできます。

 あるとき、自転車に乗っていた女性の方が声をかけてくださいました。

「学校だよりを楽しみにしています。夫も楽しみにしていて、金曜日には家族で見ています。」

 それは、六年生の子のお母さんでした。通勤途中にわざわざ自転車を停めて、そのことを伝えてくれたのでした。

 

 また、ある年の「学校評価アンケート」には、次のような保護者の方の自由記述がありました。

・「学校だより」をいつも楽しみにしています。特に、「校長のつぶやき」は必見です。一つ一つの活動に対する姿勢や、その考察を知ることができて、ありがたいです。今後も子どもの笑顔につながる試みを期待しています。

・ホームページや学校だよりを楽しく拝見しております。学校生活の様子を事細かく見ることができ、うれしいです。

 

 

 ある三年生は、日記に次のような内容を書いていました。(担任の先生が教えてくれました)

「わたしは、学校だよりが配られると、お母さんやお父さんといっしょに話をします。なぜかというと、校長先生が作ってくださる学校だよりは、毎回学校のことを中心にいろいろなことが書いてあってすごいと思うからです。

 学校に行くと、校長先生には会えるのですが、学校だよりを読んでいると、校長先生がとても近くでお話ししてくれているような気持ちになって楽しいです。コロナウイルスのこともあって、なかなか自由に会えない人がいたり、今まで平気でできていたこともできなくなってしまったりしたけれど、いろいろなことが書いてある学校だよりが、わたしは大好きです。

 また次の学校だよりがわたされたら、校長先生のお気持ちを考えて、また読んで家族とお話しをするのが楽しみです。」

 

 また、教室訪問をしていて五年生の教室に入ったときのこと。ちょうど担任が学校だよりを配っていたところでしたが、子どもたちが手元に来た学校だよりを読んでいるのです。

「この子たちは不思議な子たちで、学校だよりが配られると、みんなその場で読むのです。」

 校長の学校だよりを子どもが読むことに驚きとうれしさがありましたが、ちょうど内容が次年度の修学旅行に関することだったので、子どもたちから質問攻めにあいました。

 

 ここに紹介したことは全くもって手前味噌な内容で恐縮していますが、「学校だより」が保護者や子どもたちの間に浸透している様子を感じていただけたのではないかと思います。

 

 

 では、なぜ、ふつうは見向きもされない「学校だより」を、読んでもらえる「学校だより」にすることができたのか。

 あるお母さんの次の言葉がヒントになるはずです。

 

「学校だよりは、最初のところと最後のところだけは読むのよ。」

 

 

*次回へつづく