1―4 「学校だより」をどう工夫したか

 

「学校だよりは、最初のところと最後のところだけは読むのよ。」

 

 これは、「上段」と「下段」のところを楽しみにしている、ということに他なりません。実は、一番大切なことが書いてあって読んでほしいのは「中段」なのですが…

 それは、言い方を変えると、「上段」と「下段」も読んでもらえない「学校だより」は、全く読んでもらえない、ということにもなります。

 

 なぜ、「上段」と「下段」は読んでもらうことができるか。

 それは、そこから「校長の人柄」を感じることができるからだと思います。そして、読み手(保護者、子ども、地域の方)は、それを望んでいるということです。

 逆に言うと、読んでもらえる「学校だより」にするために、「校長の人柄」が伝わるように工夫して作成していた、ということになります。 

 

 わたしが教員になったころは、まだまだ保護者の方と教員は密接な関係を保っていました。

 わたしの初任地では、地域ごとに「懇談会」の場がありました。それは、「懇談会」という名の「飲み会」です。その飲み会には「バーベキュー」が付き物で、ラム肉を食べ過ぎて次の日に胃もたれすることもしばしばでした。

 アルコールも入るので場が和み、互いに本音が漏れ、親近感も湧きました。直接子どもを担任している教員はもちろんですが、校長と保護者の距離も近かったように思います。

 働き方改革の流れの中での功罪はありますが、「学校と家庭が手を取り合って子どもを育てる」という面では、その効果は大きかったと感じています。

 

 時代は変わり、プライバシーが大切にされ、「学校も家庭に立ち入らず、家庭も学校に立ち入らせず」を良しとする風潮になりました。そのような中、学校も家庭や地域から見えづらい場所になっているのだと思います。

 ましてや、校長室にいる校長は、遠い遠い存在です。校長と直接会って話をしたことのある保護者は、PTAの役員以外では少ないのではないでしょうか。

 

 でも、保護者の方は知りたいはずです。子どもを預けている学校の責任者はどのような考えで学校の運営をしているのかを。優しい人なのか、厳しい人なのかを。

 

 そこで大切になるのが、「自己開示」です。

 例が適切かどうか迷うところですが、お酒を飲むと自分のことを語りたくなってきますよね。そのような「ほろ酔い加減」の状態が「自己開示」なのではないかと思います。

 

 校長に会うとき、ふつう保護者の方は校長が「鎧」を着ているように感じるのではないのでしょうか。その「鎧」は、スーツという名の公的なユニフォームかもしれませんし、校長の威厳を保とうとする心理的な壁かもしれません。

 そのような状況では、「校長の人柄」は伝わりませんよね。

 

 ですから、「学校だより」を書くときは、その「鎧」を脱ぎ捨てて、「ほろ酔い加減」で表現するという意識が大切であろうと思います。

 でも、本当にお酒を飲みながら書く、ということではありませんので、あしからず(笑)

 

 

 

 

 

1―5 「学校だより」で何を大切にしたか

 

 では、わたしはなぜ「自己開示」を意識するようになったのか。その背景には、わたしの経歴があります。

 

 教員になって二年目に「カウンセリング研修会」に参加しました。学校から一人という悉皆研修でしたので、そんなに積極的な気持ちで参加したわけではありませんでした。

 ところが…。それは、「運命的な出あい」でした。私が求めていたものは「これだ」とそのとき感じました。大学時代も心理学を学ぶ機会はあったのですが、自分が求めていたものとは少し違いました。その違いを埋めるものに出あったのです。

 そのとき講師を務めていたのは、県教育センター教育相談部の長期研究員の方でした。「かっこいいなあ」「あんなふうになりたいなあ」…。そして、その十四年後、わたしはその立場に立っていたのです。

 もちろん、その間、何もしなかったわけではありません。教育相談の本を読んだり、勉強会に参加したり、担任として実践をしたりして自分なりに研修は積んでいました。その流れの中で、自分の望んでいた世界に足を踏み入れることができたのです。

 

 でも、教育相談の世界は難しいですね。相談者との面談で、「うまくいった」なんて自信をもって言えるケースはありませんでした。いつも反省ばかりです。それは、教育相談は「人と人との関係性」が大切な世界だからです。

 

 教育相談では、まず「ラポール」を築くことが大切だと教えられます。そうでなければ、わたしの目の前にいる方は本音を語ってはくれません。相談者も「鎧」を着ているのです。お互いが「鎧」を着ていては、無為な時間が流れるだけです。

 そのときに面談者が「鎧」を脱ぐと、相談者も「鎧」を脱いでくれます。そのコツが「自己開示」です。「自己開示」をすると、相談者と「本音の交流」をすることができます。

 そんなことも分からずに教育相談の実務に携わっていました。

 

 わたしには娘が二人います。自分が教頭をしているとき、二番目の娘が高校へ進学してすぐに不登校になりました。当時のわたしにとっては、自分の人生が音をたてて崩れていくような、そんな出来事でした。とても人様には言えない出来事、隠しておきたい出来事でした。

 でも、あるとき、これを「ネタ」にしてみたのです。すると、「実は、うちの子も不登校で…。」とか「今子育てで困っていることがあって…。」とか話をしてくれる方が出てきたのです。

 

 そのときに「あっ、これだ!」と思いました。自分をさらけ出すと、相手は親近感をもってくれるのです。そして、自分をさらけだしてくれるのです。

 それからは、自分の経験したこと、感じたこと、考えたことを、できるだけ赤裸々に表出するようにしています。

 

 この延長線上に、わたしの「学校だより」のスタイルがあります。そして、「学校だより」は校長が書くことに意味があり、校長と保護者を結ぶ「絶好のツール」であると考えてきました。

 

 それでは、わたしは校長として「学校だより」を通してどのようなことを保護者へ伝えてきたのか、次の章からフカボリしていこうと思います。

 

 

*次回へつづく