”教えで禁止されてる飲酒が、国の法律で禁じていないなんておかしくないか”などと質問し、理論攻めにした後、ちょっとした役職でも与えてやれば、出来の悪い学生なんかは簡単に勧誘することができる” 最初は、宗教の話などせず、相手の趣味や好みに話を合わせて近づき、女性メンバーを使うこともあったという。
これはバリのナイトクラブやジャカルタ欧米系のホテルや大使館の爆弾テロ事件が頻発していた2000年代に、テロ組織のリクルーターとして活動していたK氏の談。彼が活躍していた組織は、第二次世界大戦後の対オランダ独立戦争の時に活躍した義兵団の一つ。インドネシアイスラム国の建国を宣言し、政府軍との十年あまり戦闘していた歴史がある。
月と星の白抜きのある赤白二色の旗、独自の憲法を定め、組織内の大統領や大臣、その下に農業部、経済部、などがある。そして一時期勢力下に入れた各地域を番号で呼ぶ。それぞれ州・郡・町レベルの長があり、そして一般の支持者のことを”国民”とよんでいるという。
かつて彼らが拠点としていたのが、西・南スマトラ、西ジャワ地方は、現在でも、キリスト教徒の礼拝が妨害されたり、教会の建設許可だけ下りなかったり、女性の服装に厳しかったり、集団襲撃事件が発生したり、ということが問題になる地域と重なっている。
K氏によれば、国民になったら先ず喜捨を勧めて財産をささげさせる。財産のない者は、組織的な強盗の実行員として利用する。擁護施設や寄宿制学校を設立させて行政からの支援金を得る方法を伝授する(最近では、強盗よりも目立たず、効率が良いということで、支援金を得るビジネスの方に力を入れているという)他にも、全国に設置された寄付金箱の管理など(テロ活動のための資金に流用されていた?)そして、国を建てるという理想を実現させるためであれば、ハラール(神様に許されている)だと教え、インドネシアイスラム国だけが私の国と誓わせるという。
”母さんはカフィールなんだから私の服に触らないでと怒り出した娘が洗ったばかりの服を焼いてしまった”という話は、アジアで一番の規模と設備を誇る一貫校寄宿制学校アルザイトゥン。現在様々な内部事情が暴露されているが、ことの始まりは、礼拝にユダヤ教の歌や祈りが取り入れられているとか、女性が最前列にいるということで、地元の団体から訴えられたこと。
インドネシアで一番の生産量を誇るコメの産地インドラマユ県の田園地帯の中に、巨大なモスクと一万人規模の校舎と寄宿舎、そして施設内の必要を全て賄えるという農業や酪農の施設が完備されている。コンピューターの資格がとれるテストセンターやスポーツ施設、広い敷地に手入れの行き届いた近代的な割には授業料などは庶民的で、国内各地やアジアの他の国からの生徒が生活し、一万人規模の容量があるという。
実はその学校はカムフラージュで、設立者であり校長であるP氏がインドネシアイスラム国を実現させるための施設だ、と言うのは、元インドネシアイスラム国の大臣だったことがあるという宗教指導者。学校で働く職員も労働者も全て、地元から採用することは全くなく、組織内のメンバーで、強制的に低賃金で働かされているという証言もあるが、これが、地下組織の国民となった人たちの末裔なのか?
イスラエルのサッカーチームがインドネシアでプレーすることすら受け入れられず、猛反対するのが彼らな筈だが、厳格なイスラム法に従った国を目指すはずの組織で、何故ユダヤ教の儀式が取り入れられているのか?イスラム過激派では資金が集められなくなっているからなのか?イスラム国実現のために辛苦を耐えてきた影のメンバーが、リーダーの勝手な路線変更についていけなくなったので仲間割れを起こしているというのならありえる話かもしれない。
過激派の本家本元、サウジアラビアのワッハーブ派が、政権側から外されたために支援が回ってこなくなったということも関係あるだろうか。経済成長中の頃は、過激な宗教者を育成したり応援したりするために資金提供を惜しまなかったというけれど。
”インドでは過激派のヒンドゥー教徒がテロ活動を起している。どんな宗教でも、その宗教が大多数になると、過激派が寄生する”と語るのは前述のK氏。いずれにしても信念・信条を掲げた組織というのは、宗教の問題だけと片付けられる単純なものではないようだ。