インドネシアの即席袋麺 ”インドミー” インドネシアの麺という意味を短略しただけのシンプルな名前で、即席袋麺の代名詞となっている。ユドヨノ元大統領二期目の選挙キャンペーンで、このインドミーのコマーシャルソングを替え歌にして使用したことが勝因だったと言われたことがあるくらい、インドミーという名称には、愛国心を掻き立てられるような愛着がある。
それは耳に聞こえる響きに連動した、舌で覚えた味でもある。海外生産されるようになるずっと前から、海外に居住するインドネシア人が必ずもっていくのがインドミー。最近の製造・販売のインドフードは、インドネシア伝統料理とフュージョンさせた新製品を次々と発売しているが、それとは違う。インドミーファンが愛着を感じるのは、ミーゴレンやアヤンバワン味といった発売当初からの味付けだ。
伝統的にコメが主食のインドネシアで、それほど需要のなかった小麦を、アメリカから輸入し、国内初の製粉工場を設立したのが、スハルト大統領と近い関係にある華人グループの一人として有名な、大手民間銀行BCA銀行の経営者でもあるスドノ・サリム氏(財閥サリムグループの創設者)
折しもコメの不作が深刻な問題であった1970年代、サリム氏は、コメが不足した分の供給を補い、且つ、独占的優位性を持つ自社の小麦粉の需要拡大を狙い、”サリミー”というブランド名で即席袋麺市場に参入することになる。
当時の即席袋麺市場では、日本の三共食品との提携によるインドネシア初の即席袋麺 ”スーパーミー”、そして、卸売業で成功したメダン出身実業家ジャジャディ氏が3人の仲間と設立したサンマルフードによる ”インドミー”が、すでにで知名度と人気を獲得していた。これら競合に打ち勝つべく、サリム氏は乾麺製造機20台を日本から買い付け生産容量の拡大を図る。
ところが、80年代に入りコメの供給は正常に戻り即席袋麺市場の過熱ぶりは終息に向かう。そこで、すでにシンガポールやマレーシア向け輸出をてがけるようになっていたジャジャディ氏に、サリム氏が”うちの生産設備を使って、インドミーを増産しないか”ともちかける。
ジャジャディ氏は、最初は断ったものの、主要材料の小麦粉の供給元がサリム氏の会社であること、また、独裁者スハルト大統領との繋がりを持つサリム氏と敵対することは避けるべきということで、この申し出を受け入れる。
設立された合弁会社の出資比率は、ジャジャディ氏が57.5%、サリム氏が42.5%、CEOもジャジャディ氏側の人物。(後にスーパーミーも吸収された)しかしその9年後、1993年にジャジャディ氏側内部で資金問題が発生したきっかけに乗じて、ジャジャディ氏が株を手放し追い出される形で、インドミーはサリム氏のものに・・・
…この辺の事情は、ジャジャディ氏の画像をAIで加工して本人が語っているかのようにみせかけた動画で拡散されているにすぎない(この動画とのかかわりを当人は否定。内容についてはノーコメント)しかし、1998年、独裁者スハルト大統領が退陣するのを待っていたかのように、同氏は訴訟を起こし、7年間かけて最高裁まで争ったという事実がある。
その間、同氏が立ち上げた新しいブランド、Gaga mieは、現在、インドネシア国内の即席袋麺ランキングで第4位に入る。”子供の頃は貧しくて、塩しか入ってないおかゆばかり食べていた。たまに、ゆで卵入りのおかゆを食べられることが家族の贅沢だった”という経験から、”安くても栄養がとれて味も美味しい”日常食をつくることにこだわりがあるという。
こんな話を聞くと、インドミーのファンなら、すぐにもGaga Mieを試してみたくなる。商品棚で、Gaga Mieを探すならまず、膝をついて座り込んで一番下の段を探さなければならない。上の方や真ん中に並んでるインドミーの棚はいっぱいなのに、Gaga Mieの棚だけがスカスカという状態が続発。マーケティング目当ての拡散だったんじゃないの?などと批判する人もいるが、こういうことで時には逆転することもあるんだってことは、モチベーションにもなるよね。
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