沼津や三島のような田舎では、いまだに旧態依然とした「学歴差別」が蔓延っている印象です。
この「学歴差別」の根拠が、「最終学歴」ではなく、「どの高校に進学したのか?」という点において「差別」されているところが、「田舎」の「田舎」たる所以だと、私は感じてしまいます。
「学歴」はその人が「いつまで学んだのか」というひとつの「事実」ではあるので、それなりに尊重されて然るべきだとは思いますが、決して「それ以上」に価値があるものではないと思うのです。「学歴」なんかよりも、厳格かつ難関な「資格試験」に合格した人の方がよほど価値があるのではないでしょうか?
人間の背丈が伸びる時期に個人差があるように、能力が「開花」する時期だって、人それぞれなのです。高校卒業後に突如才能が花咲く人だって、決して珍しくはないのです。15歳時点の「能力」を、その人の人生全般の「能力」だと決めつけることには、かなりの無理があることは明らかなのです。
高校はお世辞にも「トップ校」とは言えない学校に進学したものの、3年間必死に勉強を頑張って、一般的に「一流」と呼ばれる難関大学に進学した立派な子は、田舎にもたくさんいます。逆に、トップ校に進学したのはいいけれど、それで「満足」してしまい、高校では壮絶に落ちこぼれる子も少なくないのです。
それでも「大昔の価値観」に凝り固まっている人たちは(決して年配者ばかりでなく、若い人の中にもこのような思考の人は大勢いるのですが)、
「高校はどちら?」
と蔑むような眼で、何の遠慮もなく尋ねてくるのです。真の意味で「学歴偏重社会」を是正していくには、このような偏狭な思考回路を持つ人間たちを駆逐していくほかないのかもしれないと、時々本気で考えてしまいます(笑)。
「頑張った人」が相応に認められる社会でなければなりません。同時に「目標」を見失ってはならないのです。皆さんの真の目標は、「地域トップ校に合格する!」ことではないはずなのです。15歳の春に「イッチョ上がり!」の人生なんて、何だかおかしいとは思いませんか?
運よく志望校に入学できた子は、その幸運を感謝し、一所懸命頑張らなければならない「義務」があるのです。「地域トップ校」に合格したという「米粒みたいな小さな達成感」が通じるのは、きっとあなたの周辺だけのごくごく限定された偏狭な「コミュニティー」だけだと知るべきなのです。
健闘空しく「第二志望」に進学することになった子は、「絶望」する必要など全くありません。「意思」さえあれば、人生は何度でも「リベンジ」可能なのです。さらに先の「目標」を見据え、頑張ればよいのです。
人生は「15歳の春」で決定づけられるものでは決してありません。「目標」を見失うことは、「人生」を見失うことに等しいのです。まずは「古びた価値観」を捨て去ることから始めてみませんか?
頑張りましょう!