東京には戦前戦後を通して数多くのカメラメーカーが存在して、いろいろなブランドでカメラを出していました。特に第二次世界大戦後は国民の手の届く値段のカメラを目指して値段の競争も激化していたようです。それだけではなく外貨を稼ぐために多くのカメラが輸出されています。特にミニカメラは材料費がほとんどかからずに外貨を稼げる優れものだったようです。もちろん大阪にもいくつものカメラメーカーが存在していて、その筆頭がミノルタでした。このミノルタは戦前から意欲的に色々なカメラを発表していて、超高額な一台というものはありませんが、どれも個性的でコレクターの心を揺さぶります。私の大好きなWEHA CHROME 6nの製造元である江平光学も大阪だったはずですし、今欲しくてたまらないTANYFLEXの谷山カメラも大阪だったはずです。ふと思ったのですが、大阪には個性的なカメラを作りメーカーが孤軍奮闘していた時代があったということです。もちろん東京にも個性的なカメラを作ったメーカーはいくつもありました。ただそれはいくつか作った商品の中の一つだったという場合がほとんどで、個性的なカメラにこだわってそればかり作っていたというメーカーは思いつきません。それに引き換え大阪の江平はスーパーシックスに似た連動距離計付きのカメラにこだわりを持って、蛇腹式にしろ沈胴式にしろこだわりの機構は同じです。数を売るために一般ウケするカメラを作らず、自社のカメラの特徴を曲げないところに敬服します。谷山カメラもビューカメラにまでフォーカルプレーンシャッターを組み込んで、他社にない機種にこだわっていたようです。商売上手な大阪人と、つまらないところにこだわる江戸っ子という概念と正反対なのも面白いところです。私は東京人ですが、ミノルタを含むこれら2社のカメラに魅力を感じて探し回っています。ちなみに昨日もEHIRA SIXが売りに出ていましたが、2万円近い値段がついて流石に手が出ませんでした。このところ数千円という安い相場だったので、今回の一台はなぜそんなに高騰したか不思議でした。