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『「世界の構造変化のもとで、アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われていることは、注目すべきである。」

 共産党が 2004年に改定した新綱領(現在の綱領)の一節である。

 

 それまで共産党にとって、帝国主義とは話し合いや外交の対象ではなかった。相手(アメリカ帝国主義)は暴力と戦争で襲いかかってくるのだから、相手と話し合うなどということは、そもそも想定されない、ただただ打倒の対象だったのだ。しかし、ここでその認識は大きく転換されたと言っていい。相手が話し合いをするというのならば、これにたいして “対米従属をやめて自主独立の民主国家日本を樹立” しようとする側も、話し合いと交渉、つまり非暴力によって、戦争を避けつつ、目的を達することができる――という認識になるのは当然だろう。

 

 共産党は、21世紀の最初の年(2000年)に、党規約の改訂でその方向を打ち出し、2004年には、綱領というもっとも大事な文書で、国内・国際情勢にたいする自らの位置づけを変えたのである。

 こうして、“(共産党はじめ民主勢力による)革命が進めば、「敵」が暴力と戦争に訴えてくる” ――だから「敵」の暴力に対しては、合法的な暴力(抵抗戦争)によって対処する――という古い考え方は、新綱領から一掃されることとなった。』

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 今年1月に、日本共産党内での党首公選の実施を訴え『シン・日本共産党宣言』を出版し、党から除名を通告された松竹伸幸氏は、党規約に基いて処分の再審査を求めるとともに、党首公選の実施、立候補、党首選出を見越して、さまざまな党改革を打ち出しています。

 

 きょう、松竹氏は、新しい著書『不破哲三氏への手紙』を発行すると同時に記者会見を開きました:

 

 

 

 

 記者会見は、質疑応答を含め 1時間10分を超える長いものでした。これを文字起こしするのはしんどいので、直接↑上の youtube で見ていただきたいと思います。

 

 以下では、この記者会見と、松竹氏のブログ記事から、かいつまんで要点をまとめました。

 

 

 

占領政策の転換と【1950年問題】

 

 

 1945年日本の敗戦とともに獄中から解放された日本共産党員・宮本顕治氏らは、米軍をはじめとする連合軍・占領司令部を、日本に民主主義をもたらした「解放軍」として歓迎しました。

 

 しかし、まもなく連合諸国のなかでの米ソ対立・冷戦開始・朝鮮戦争勃発の情勢のもとで、GHQ(連合国占領軍総司令部)はアカ狩りに政策転換。その一方で、ソビエト共産党指導下のコミンフォルム(共産党情報局)では、日本共産党の対米平和路線は、武装闘争に勝利し(中国)、または武装闘争中の(ベトナム、インドネシア等)各国共産党から、激しい批判を浴びました。そして、1950年1月にはコミンフォルム機関紙掲載の論文「日本の情勢について」により、日本共産党の平和革命方針は「誤り」と規定されました。

 

 その結果、日本共産党内では、武装闘争を主張・実行する「所感派」が抬頭して主流を握り、宮本顕治氏ら「国際派」は、党内少数に転落して多くの党員が除名処分を受けたのです。そして、共産党の武闘方針は、数年も経ることなく容易に鎮圧され、共産党そのものが壊滅の危機に瀕したのです(35人いた国会議員がゼロとなる)。この間のなまなましい経緯は、こちらでも触れています。

 

 

 

【1960年体制】と宮本顕治氏

 

 

 党潰滅からの立て直しの過程では宮本顕治氏らのグループが多数を占めて、党全体を「平和革命論」に転換させ、「1960年綱領」が採択されました。この方針に反対する人たちは共産党から離れて新左翼諸派を形成し、1960年代には、議会を通じた平和的な政権掌握と民主政権の樹立をめざす共産党が、多かれ少なかれ議会外の闘争手段に注力する新左翼諸派(社青同,ブント,中核,革マル,赤軍,…)と鬩ぎ合いながら次第に支持を広げていきます。

 

 しかし、「1960年綱領」の共産党は、民主政府の樹立を最終目標としたわけではありませんでした。それはあくまでも当面の一階梯であって、最終的にはその民主政府のもとで平和的に社会主義に移行することを謳っていました。時代は、まだ「冷戦」の真っただ中だったのです。

 

 「1960年体制」の共産党で、綱領論理の中心を占めたのが、「2つの敵」論「敵の出方」論というものです。共産党が目ざす(共産党は、数的にはともかく、指導力では政権の中心となる、という考え)「民主連合政府」は、①日本国内の「独占資本」、および②アメリカなど帝国主義諸国と国内でそれに追随する「対米従属」勢力という「2つの敵」に対抗して、自主独立民主の日本国家を打ち立てるのだと。つまり、安保条約は廃棄し、自衛隊は解散して、大企業に関しても最終的には、議会政府の政策による社会主義的改革の方向をとるのだと。

 

 そうすると、当然のことに――と宮本顕治氏らは想定した――「敵」は、そういう「民主連合政府」を潰そうとして、《暴力》で襲いかかってくる。具体的には、安保条約を破棄されたアメリカは、戦争をしかけてくる(ハッキリ言ってマンガですがw)。独占資本は、サボタージュして工場を止めて、国民生活を窮乏のどん底に突き落とす(マンガ以上の奇抜な空想と言うほかは‥)。そうしておいて、「共産党の政府のせいだ」と宣伝する。‥‥あいた口がふさがりませんが、まぁ、そんなバカなことを言っても素直に信じる人がいるような時代だったということです。(ちなみに、当時の新左翼ともなると、さらに言うことがキテレツで、いま再現しても、笑えるシャレにもなりませんから、それは省略)

 

 ともかく、そういうことがあるので、アメリカの “侵略” に対抗するには、自主独立の軍隊が必要。そこで自衛隊は解散する(アメリカ帝国主義の軍隊だから)が、憲法を改正して、新たに自主独立の軍隊を創設する、というのが、当時の日本共産党の主張だったわけです。

 

 松竹氏によると、公安調査庁が、いまだに日本共産党を、暴力革命をめざす「調査指定団体」から外さないのは、この↑「敵の出方」論が誤解を招いているせいだといいます。相手は《暴力》で来る、と固く信じている。それでも潰されまいとするのだから、自分も《暴力》で対抗するつもりなのだろう。そう思われても仕方ない面は、たしかにあります。

 

 じっさいには、共産党の(当時の)言い方では、独占資本の《暴力》には、広範な国民世論を結集して対抗するのだと。もうひとつの「敵」のアメリカとは、戦争をするということで分かりやすいのですが、どうもこの「広範な世論の結集」というのは、具体的に何をするのか、あいまいでよくわかりません。国じゅうの工場がロックアウトされた状態で、街頭に出て百万人デモをやったら、工場が動き始めるのか?! 想定自体が空想マンガなので、それに対抗するやり方を具体的に詰めてもナンセンスにしかならないのですが。。。

 

 ともかく、松竹氏としては、「敵の出方」論を党論から払拭したうえで、公安調査庁によく説明し交渉して、「調査指定団体」から外させる。それを委員長公選の公約にしておられます。

 

 ちなみに、松竹氏によれば、現在の規約にも綱領にも、「敵の出方」論はもはや残っていないし、公選制は、現規約の範囲内で実施可能です。

 

 

 

 

 

2000年【新規約】・20004年【新綱領】と志位和夫氏

 

 

 「1960年体制」の共産党は、1970年代には国会議員が再び 30人を超え、79年には 39人に躍進しました。が、その後は徐々に減衰の一途をたどっています。「敵の出方」論の空想性は論外としても、↑上のような「民主革命」という綱領自体が、「冷戦」時代の想定を強く引きずっていたために、国民一般の常識的感覚との間に大きなギャップが生じていたと言えます。不破哲三氏によると、それは、スターリン主義を引きずった中世的な観念であると。

 

 そこで、不破氏らを中心に、規約・綱領の改訂が党内で検討され、2000年に党規約が、2004年に綱領が改訂されました。

 

 その結果、現在の共産党の新規約・新綱領では、「2つの敵」「敵の出方」もなく、「敵」というコトバ自体が一度も出てきません。「階級闘争」「前衛党」「上下」「上級・下級」党機関、「自己批判」といった時代がかったコトバも、現在の党文献からは細心に取り除かれています。

 

 しかし、松竹氏によれば、さいきん志位委員長は「革命政党」というコトバを復活して、しきりに強調している。「わが党がかくも攻撃されるのは革命政党だからだ」などと言う。「敵の出方」論の復活を匂わせる文脈にもなっています。

 

 志位氏は、議会で自民党政権を打倒して民主的な政府をつくるのが「革命」なのだという。それでいて、その先で、社会主義改革をするのは「革命」ではないという不可解な話をしている。それ以外でも、言葉は衣がえしても、じっさいの行動や政策においては、古い考え方でやっているものがたいへんに多い。たとえば、小池氏のパワハラ問題というのがあったけれども、パワハラをした小池氏も、された田村氏も、それがパワハラだとは全く思わないでやっている。あたりまえだと思っていることが問題なのです。

 

 外部にいる私たちから見れば、党首公選を唱えた松竹氏を除名したことが、明らかな「冷戦」思考、反民主主義思考です。それを糊塗するために、いま党内では、冷戦時代を引きずった共産党特有のさまざまな醜いキャンペインが展開されているようです。都合の悪い相手には、悪者のレッテルを貼る、整風運動で集団的に同じほうを向かせる、異論を言わせない、というやり方です。それが、まったく誰も疑問に思わないほど当たり前のやり方として、あいかわらず通用しているということです。

 

 それはともかく、新規約・新綱領への改訂によって政策面に現れた変化は、「九条専守防衛論」「自衛隊活用論」と「安保条約発動論」です。自主独立・民主政権を樹立するからといって、アメリカと戦争をするわけではない。安保条約の改訂(将来の政策によっては破棄)は、あくまでも交渉によって粘り強く、友好的にやる。だから、専守防衛でよい。九条の解釈を、専守防衛(自民党政府の旧解釈)に戻せば、憲法改正の必要はない。むしろ、自衛隊の(軍事的)技術力は高く評価して、活用する。外国から「武力攻撃」を受けたときには、安保条約5条による在日米軍の参戦も受け入れる

 

 具体的な細部には、いろいろと議論の余地がありそうです。米軍がホントに日本を守ってくれるのか? 信用できるのか? 米軍に頼ったら、けっきょくアメリカの世界戦略による戦争に巻き込まれるだけではないのか? そもそも、外国から「武力攻撃」を受ける危険が最も大きいのは、安保5条による軍事結合が周辺の緊張を高めて、いずれかの国の侵攻を誘発する場合ではないか? ‥‥などなど、共産党の外部からも批判が出そうです。

 

 しかし、新規約・綱領を全体として見れば、現在の国民一般の感覚に、より近いものになっていることは、認めてよいでしょう。具体的細部については、共産党の体制が民主的になっていれば、党内外の自由な討論によって、より妥当な方向を探ってゆくことができます。【注】↓

 

 つまり、共産党内部の組織体制、のみならず党幹部と党員の考え方――アタマの中身――の民主化……それこそが問題なのです。

 

 このように考えてみると、松竹氏の提言する党首公選制の実施は、この党の再生と民主化の重要な起爆剤であり、改革の一里塚となる可能性を秘めています。

 

 松竹氏自身の除名の再審査もまた、それが党大会において実質的な討論を巻き起こして行なわれるならば、共産党民主化の大きな前進をもたらす可能性があります。

 

 【注】 新綱領と自衛隊・安保の関係については、なかなかこみいった議論があるようです。新綱領には、「自衛隊解消、安保条約廃棄」をめざすという文言もあるとのこと。そのへん、関心のある方は、松竹氏のアメーバ・ブログのコメント欄で、いま議論されているので、ご参照を。しかし、党外の者としては、そこまで深入りするのは時間の無駄じゃないかと、私は思っています。

 

 

「名前を変えろ」は、まっとうな忠告か?

 

 

 共産党が、どんな党になるか? あるいは、どんな党にもならずに消滅するのか? そのことが野党共闘のゆくえにおいて、大きな意味をもっています。“共産党抜きの共闘” が “維新との(ありえない)共闘” を意味するほかはない現状では、このことが国政にもつ意味は限りなく大きいと言わなければならない。

 

 

 さいきん、「共産党」という名前を変えろ、という提言が、とくに「リベラル」とされる人たちからしばしばなされます。共産党が、松竹氏の提言をはじめとする・様々な改革を行なって民主化したうえで、党名も新しくする、というのであれば、大いに支持を増やす効果があるでしょう。しかし、この人たちが言うのは、名前を変えただけで急に得票が増えて、政界の状況が変わるというのです。日本の有権者が、いくらバカでも、そこまでバカではありません。


 もう「名前を変えろ」などという話はやめましょう。そして、じっさいに現実的に、共産党を内部から変えようとしている人を、もっとおおぜい見つけて励まし、党の方向を変えさせてゆく。そこにだけ希望があります。


 

 

 

 

 

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