古代エジプトの農耕壁画。播種作業。2頭立ての犂で耕す男に、
種子の入った籠を携えた少年が続く。背後に灌漑池,植樹,鍬耕。
官吏センネジェムの墓所、テーベ、アマルナ時代(前15-14世紀)
【46】 ユーラシア大陸国家と島弧の「むら」社会
今日のトップ画↑は、古代エジプトの壁画ですが、家畜による犂耕と種播き作業の組合せで能率的に耕種を行なっています。場合によっては、漏斗が付いた犂(播種機)を使って、耕起と播種を同時に行ない、より効率的に作業したことがわかっています。春先にこの作業を行なうだけで、あとは収穫期まで特段の農作業はなかったと思われます。上に、鍬 くわ による人の手作業も描かれていますが、こうした人力作業は、道路の整備や灌漑池の掘削、樹木の植栽などで、耕地の穀物耕作は、もっぱら畜力で能率的(粗放的)に行なっていたのです。
この種の畜力農耕は、前近代にはユーラシアの各地で行なわれていました。この手法の畜力を、機械に代替したのが、アメリカ式の大農農法だと言えるでしょう。
たとえば、20世紀初めには、華北から満州~朝鮮半島北部まで、一列に並んで歩いてゆく耕種作業が一般的だったと言われています。華北や満州の場合には、牛耕する人とタネを播く人のほか、土塊を攪擾器で潰す人、播種したあとの溝を、平らに均して覆土する人、なども加わって数人の隊列で行なうのがふつうでした。雨の少ない気候条件から、保水農法を兼ねていたのです。
この農法は、少雨の広大な平原で、土壌は軽鬆、しかも穀物の生長に必要な養分を適当にふくんでいる、といった条件のもとでは大きな効果を上げます。
家畜さえあれば作業は簡単ですから、ともかくこれでどんどん地面に筋をつけてタネを播いてしまえばよい。春先の限られた時期に、どれだけ広い面積を耕せるかで、秋の収穫量が決まる。「掘るより広げよ」――早い者勝ち‥‥
なのかと言うと、それは技術面の話であって、実際にはそうかんたんではありません。自分では耕さないでおいて、穀物が生長したころになると、他人の播種した耕地を横取りして収穫してしまう勢力が現れれば、すべてはご破算になります。強大な国家が支配して、横取りや抜け駆けを許さない統制を施行すれば(まじめな農民から税を取るのと引き換えに)、安定した生産が可能になります。それが一つの方法。
もちろん、他の方法もあります。強大な帝国が存在しない時期でも、ある広さの地域を支配する勢力があれば、やはり安定した生産は可能になります。その場合は、各地の勢力同士の争いによって、多かれ少なかれ安定は乱されます。また、そうした支配勢力が一切なくても、住民(家畜を所有し、「耕種隊」を編成できる階層)どうしで互いに “縛り” あって、抜け駆けや横取りができないようにすれば、同じことができるかもしれません。しかし、平原的な・いつどこから征服軍がやってきて占領されるかわからない土地柄では、この最後の方式を維持するのは難しいでしょう。
谷地田の風景。奈良県生駒市小平尾町。
以上のような大陸平原の事情とは、対極にあるのが、山がちで細かい谷が入り組み、しかも降水量が多い・大洋岸島弧の水文条件です。日本列島でも、たしかに、条里制水田が導入された初期の頃には、――大陸平原の耕種畑作とは異なりますが――国家の支配する農業が、飛躍的に大きな生産力によって社会の基軸となりえました。しかし、列島の平地は狭く分散しています。むしろ谷筋の「谷地 やち」で、人力で丁寧に、「里山」と連携した物質循環を実現したほうが、生産は、少なくとも安定します。こういう条件のもとでは、上記の第3の・村びとどうしで “縛り” あうやり方のほうが上昇してきます。国家もそれを考慮せざるをえなくなる……。また、村びと同士の “縛り” を強化し安定させる「超自我」として、土着化した仏教などの宗教が重要な役割を帯びてきます。
ちなみに、朝鮮半島は、満州平原と日本列島のあいだ、両極の中間にあると言えます。地形は平原ではないが、列島ほど細かく、小さな世界に分断されているわけでもない。大柄で緩やかな山地と、比較的平坦な盆地部の交代する地勢がつづいています。ここでは、両方の方式が鬩ぎ合うことになります。
ところで、柄谷行人氏が、「成員どうしの縛り」に着目し、フロイトのいう「共同体の超自我」を、(フロイトとはかなり意味をずらしてですが)氏族社会の自律性を高め「国家の発生を不可能にする/国家の支配に抵抗する」ものとして採り挙げているのを見ると、やはり柄谷さんはこの国の思想家だなあ、という感じが私はするのです。
氏族社会が国家の成立を「不可能にする」という柄谷氏の発想は、フロイトや、また先史に関する諸研究も参照していますが、氏の考えのおおもとは、マルクスに拠っていると思われます。マルクスは、晩年の抄録ノートのなかで、モーガン『古代社会』の北米先住民に関する記述、カエサル『ガリア戦記』のゲルマン人に関する叙述に注目し、成員平等な「戦士の共同体」がいかにして維持されていたかを追究していました(⇒:『マルクス解体』(6)〔18〕;⇒:『力と交換様式』(1)【2】)。
『これらの〔ギトン註――ゲルマン人の〕共同体は〔…〕定常状態を維持することで、支配と従属の関係を生み出す権力と富の集中を防いでいたのだ。』
斎藤幸平『マルクス解体』,2023,講談社,p.315.
斎藤幸平氏の指摘は、わりあいに一般的なことで、生産力の発展を抑える共同体規制によって貧富の格差と権力が発生するのを防いでいたということです。これはほとんど常識的な考え方でしょう。
しかし、柄谷行人氏が見出していることがらは、もっとより以上です。氏族社会の「自由・自立性と平等」が、経済的のみならず、人びとをとらえる観念的な「力」によって――つまり、前意識的「超自我」によって――権力と国家の発生を防ぎ、外部からの権力支配に対しても抵抗していた、というのです。
谷地田をめぐる “小世界”。大阪府泉佐野市大木。
『マルクスが、〔…〕〔ギトン註――氏族社会に、〕真に称賛に値するものとして見出したのは、成員個人の対等性と独立性という側面であった。
イロクォイ族の氏族のすべての成員は、人格的に自由であり、相互に自由を守りあう義務を負っていた。特権と人的権利においては平等で、サケマ(族長)や首長たちはなんらの優越も主張しなかった。それは、血族の紐帯で結ばれた兄弟団体だった。自由、平等、友愛は、かつて定式化されたことはなかったとはいえ、氏族の根本原理であった。(マルクス「モーガン『古代社会』摘要」, in:『マルクス・エンゲルス全集』,補巻4,1977,大月書店,pp.257-474.)
つまり、マルクスが重視したのは、氏族社会における諸個人の平等や相互扶助のみならず、諸個人の自由(独立性)であった。』
柄谷行人『力と交換様式』,2022,岩波書店,pp.348-349.
『氏族社会から国家が出現するまでの過程は、交換様式からみれば、A〔互酬交換――ギトン註〕からB〔保護と服従〕への移行にほかならない。〔…〕氏族社会は互酬交換〔交換様式A〕によって成り立っている。それは物の贈与交換に限られ〔…〕ない。重要なのはむしろ、〔ギトン註――氏族共同体・間の〕人の交換、すなわち婚姻である。〔…〕それが外婚制である。〔…〕
たとえば、モーガンはアメリカの先住民に関して、つぎのように述べている。《〔…〕各村落はそれぞれ独立し、自治的の集団であったが、相互の〔ギトン註――共同の〕防衛のために〔…〕連合体に結合したのである》〔モルガン,青山道夫・訳『古代社会』上,岩波文庫〕
〔…〕氏族と氏族の結合から部族、さらに〔…〕より高次の連邦が形成される〔…〕が、それは決してハイアラーキカル〔位階序列的――ギトン註〕な体制にはならない。つまり、下位集団は上位集団に〔…〕全面的に従属することはなく、独立性を維持する。したがって、上からそれを統制するような組織すなわち国家・には転化しないのである。』
柄谷行人『力と交換様式』,2022,岩波書店,pp.78-80.
『たとえば、マルクスが注目したのは、モーガンが氏族社会の議会について述べた所である。《氏族はその首長たちによって代表され、部族は諸氏族の首長たちの評議会によって代表されていた。――イロクォイ族にあっては、全員一致が評議会の決定の根本法則であった。軍事作戦は、通常は志願の原理による行動にゆだねられていた》(同前)
ここから見ると、アテネのデモクラシーが、アジア的国家を脱する文明の産物ではなく、氏族社会を受け継ぐ「未開」の産物であることがよくわかる。〔…〕その意味で、未来の共産主義を考える鍵はギリシャではなく、それ以前の氏族社会にある、といわねばならない。』
柄谷行人『力と交換様式』,p.350.
『資本論以後、マルクスはモーガンの『古代社会』について詳細な摘要を書いて、〔ギトン註――未来の〕共産主義を「氏族社会の高次元での回復」とみる視点を示したのだが、それは〔…〕交換様式Dが「Aの高次元の回復」としてあるということを意味する。』
柄谷行人『力と交換様式』,pp.29-30.
イロコイ族の祭り
【47】 原始「共産主義」ではなかった!!
ところで、先史人類の社会は、私有財産のない「原始共産主義」だった、ということがよく言われます。しかし、マルクスは、そうは考えていなかった!!
それというのも、彼はモーガンなどの研究から、狩猟民族の社会や先史社会の実像を、よく知っていたからです。これらの社会にも「所有」はあったのです。ただ、現在私たちが知っている「所有」とはかなり違ったものであり、そこにはつねに、「所有」を平等にする力が働いていると言えるのです。
『この原理〔未開氏族社会における諸個人の自由(独立性)――ギトン註〕は、かならずしも生産手段の共同所有ということから来るものではない。むしろ、その逆である。
たとえば、「アジア的」な農耕共同体でも、生産手段は共有されているけれども、そこに氏族社会のような個人の独立性はない。〔…〕下位にある集団は上位の権力に従う。
一方、生産力から見てより未開である氏族社会では、下位にある個々の集団が上位に対して半ば独立している。それをもたらすのが互酬交換、つまり、交換様式Aである。それが「兄弟同盟」をもたらすとともに、集権的な国家の成立を妨げるのだ。』
柄谷行人『力と交換様式』,p.349.
前節での引用箇所も含めて言いますと、氏族社会は、小さな氏族集団の内部の成員間の関係も、集団と集団の間の関係も、「自由かつ独立」「対等かつ平等」なのです。しかしそれは、「私的所有がない」あるいは「生産手段が共有」という意味での「共産主義」ではありません。
生産手段が私有されない・共有(公有)である、という意味では、アジア的専制国家(中国の古代国家や日本の律令制国家)のほうがハッキリと――つまり建前からして――「共産主義」的ですが、そこには、個人の自立も対等・平等も存在しません。
つまり、柄谷氏の考えでは、未開の氏族社会こそが「自由・公平」な社会の源泉ないし範型なのだが、その理想的な特性を支えているのは「生産手段の共有」ではない。そして氏は、この氏族社会の特性を、未来に展望されるユートピア的「共産主義」社会像にも投影するのです。(だとすると、そのような未来社会を「共産主義」と呼ぶのは適切ではない。が、とりあえず柄谷氏の用語に従っておきます)
『共産主義は、たんに国有化あるいは共同所有化によって成り立つのではない。それは、いわば「個人的所有」(私的所有と区別される)を確立することによって成立する。マルクスはその例を氏族社会に見出した。〔…〕
マルクスは「古代社会」(氏族社会)に関して、私的所有と個人的所有の区別を重視した。〔…〕マルクスは『資本論』でも、次のように私的所有と個人的所有を区別していたのである。〔…〕
マルクスが晩年に『古代社会』について論じたとき、このような「個人的所有」と「私的所有」の区別が念頭にあったはずである。つまり、共産主義とは、たんに私的所有の廃棄であるだけでなく、個人的所有の実現にもとづくものである。』
柄谷行人『力と交換様式』,pp.350-351.
つまり、マルクスが『資本論』で描いた未来社会像(第1巻24章7節「否定の否定」箇所。↑引用では省略)は、「個人的所有」が確立された社会であって、たんなる「生産手段の共有」でも「共産主義」でもない。柄谷氏は、『資本論』のこの「謎の未来設計図」を正面から受け入れ、それが氏族社会の特性の反映ないし再現であることを明らかにしたうえで、独自の未来社会構想とそこへ到達する未来史の予見の出発点としているのです。
それでは、氏族社会(狩猟採集社会)――現実に存在した平等・対等な社会、国家に隷従しない社会――とは、どんな社会なのでしょうか? それは、エセ「マルクス主義者」たちが宣伝する・いわゆる「原始共産主義」とは異なるものだとすれば、具体的に、どんなものなのか?
ここは、Wikipedia を参照するほうが、分かりやすいかもしれません。現存の未開「狩猟採集社会」は、「所有」のまったく無い「原始共産主義」のような社会ではない、ということは、現在では多くのフィールドワーカーによって明らかにされています:
『狩猟採集社会の〔…〕首長に権力は存在しない。首長が権力を持とうとするのを妨げる集団世論が働いているのである〔ピエール・クラストル『国家に抗する社会』〕。ただし戦時下においては一人の人間(指導者)に権力が集中する場合がある。
以前は「厳しい食料事情によって余剰食物が出ることは稀」とされていたが(生存経済)、民族誌の蓄積により、彼らは生存に必要な量の倍の食料を生産できるにもかかわらず、原始農耕よりも労働時間が少ない過小生産傾向によって、余暇を生みだし生活していることが判明している。専門的な指導者や役人や職人といった人たちは滅多にいないが、ジェンダーによる作業の分離などは行なわれている。〔…〕
アフリカの狩猟採集民ブッシュマンやピグミーには広汎な分配の習慣が認められてきた。彼らは食料を獲得してから消費するまで何度も何度も分配が繰りかえされる。この様式を支えているのはマーシャル・サーリンズが指摘した一般的互酬性の原則〔サーリンズ『石器時代の経済学』〕であるが、彼らの中で生じる分配は権威を発生させるものではない。
ブッシュマンのサンの場合、優秀なハンターは大量に捕獲した後は狩りに出ないようにして供給そのものを減らし、分配される側にまわる。さらに、ハンターや獲物の所有者に対して節制が求められ、分配による威信獲得の機会を縮小される。また互いに矢を交換することで、獲得した獲物の所有者を分散させている〔獲物の第一の所有者はハンターではなく矢や槍の所有者である――Wiki註〕。つまり、サーリンズが指摘したような、所有に対する欲望がないから平等な分配が起きている〔『石器時代の経済学』〕のではなく、日常の中から常に威信を平準化するプロセスが働くことで平等な関係が達成されている。』
Wikipedia「狩猟採集社会」 .
ブッシュマン(サン族)の少年少女
つまり、重要なのは「所有」ではなく、平等化・共同化…とでも言うようなプロセス、ないし相互規制のしくみなのです(これは、フロイトの「共産主義」批判〔⇒:前回【44】〕にも答えうる新しい見方でしょう)。狩猟採集社会の成員は、それが当たり前のことだと思っています。「みんなが平等で自由なのがいちばん幸せだ」などと合理的に思考してそうしているのではありません。そのことを柄谷氏は、「霊の力に従っている」と言い、フロイトは、「共同体の超自我」の作用だと言います。しかし、実体は、↑ここに述べられているようなことなのです。
『マルクスは、モーガンの『古代社会』を読んで、個人的所有に基づく共有〔正確には、マルクスは「共同占有に基づく個人的所有」と述べている。――ギトン註〕、つまり、共同体に従属しない「唯一者」〔シュティルナー『唯一者とその所有』参照〕たちの連合によって、それまでの共同体とは異質な共同体が成り立ちうることを悟った。モーガンはいう。《政治における民主主義、社会における友愛、権利と特権における平等、そしてまた普通教育は、経験、知性、および知識が着々とその方向をとっている次代の・より高度の社会を示している。それは古代氏族の自由、平等および友愛の・より高度の形態における復活であろう。》(『古代社会』下巻,岩波文庫)
マルクスがこのとき考えたのは、未来の共産主義が、“アルカイックな社会の高次元での回復” だということである。〔…〕
それは次のようなことを意味すると言ってよい。国家の揚棄は、交換様式Aを “高次元で回復する” ことによってのみ可能である。〔…〕A の “高次元で” の回復とは、D の出現にほかならない。
また、ここで重要なのは、D は人間の意志あるいは企画によって到来するものではない、ということである。それはいわば「向うから来る」。その意味で、』「向うから来る」D『の存在を明らかにすることが、「社会主義の科学」にほかならない。』
柄谷行人『力と交換様式』,pp.351-353.
【48】 クリストファー・ボーム
――狩猟採集民の「完全な平等主義」
「氏族社会」の平等性、国家的支配に対する抵抗力と同様に、「氏族社会」より以前の “原初” 人類の状態:それが非定住・遊動の生活だったという柄谷氏の想定も、――マルクスだけなく、多くの人がそう考えてきましたが――柄谷氏としては、マルクスの指摘にヒントを得ているようです:
『マルクスが人類社会史の出発点に置いたのは、原始的な遊動民である。《放浪生活(Hirtenwesen)、総じて移動が生存様式の最初の形態であり、部族は一定の居所に定住しているのではなくて、手当たり次第のものを食い尽くして(移動して)いる――人類は生まれつき定住性をもっているわけではない》〔マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』, in:『資本論草稿集』,大月書店〕。
カラハリ砂漠のブッシュマン(サン人)
放浪生活において、人びとは必要な物があれば、それを得るために全員で移動した。また、獲得したものを貯蔵できないから、その場で平等に再分配した。
また、他の集団と出会った場合、必要な物を交換することがあった。その集団は小さかった。また、基本的に一夫一婦だったが、かんたんに離別した。
そのような人びとが放浪生活をやめて定住するにいたった』
柄谷行人『力と交換様式』,pp.79-80.
とっかかりがマルクスだったせいでしょうか、柄谷氏が構想の出発点としている原始社会のイメージは、かなり観念的・図式的なもので、私などは首を傾げざるをえません。たとえば、ここ↑では、「遊動」集団どうしが出会った時には「必要な物を交換することがあった」と書いています。しかし、別の箇所では、人びとは見知らぬ集団を蕪気味に感じて接触を避けたので、「交換」が発生するのは困難だった。「交換」は、「霊の力」に導かれて初めて可能になった、などと言っているのです。
しかし、他方で柄谷氏は、最近の先史社会研究の成果も摂取しており、その点に安堵をみいだすことができます。(逆から言えば、これらの、考古学・人類学・進化生物学の領域での実証研究は、データに関しては信頼性が高い反面、それを整理し意味づける哲学的〔メタ知識的〕枠組みは、かなり雑な常識的判断に依拠していて、危うさを感じさせます。その点では、柄谷氏のように、古典的な社会構想を基礎として組み直す努力が、ぜひとも必要とされるわけです。)
そこで、以下、柄谷氏が引用する「マルクス・フロイト以後」の先史研究の成果を、ざっと見ておきたいと思います。
『進化人類学を唱えるクリストファー・ボームは、人間がエゴイズムを超えるモラルをもつにいたった所以を〔…〕新たなタイプの生産、すなわち労働集約型の狩猟〔大型動物を獲える集団的狩猟――ギトン註〕に見いだした。それは集団的結束を必要とする。そのためには平等主義が不可欠であり、そのことが人間の「良心」を進化させた、という。
大きな獲物の肉に関して、明確に平等主義的な統制が始まったのは、25万年ほど前であっ』た。『初期のホモ・サピエンスは、労働集約型の狩りが始まった 25万年前には完全に平等主義になっていた。〔…〕完全な平等主義が狩りへの道をひらいた〔…〕重要なのは、初期の平等主義の秩序をもたらした強力な社会統制が、われわれ人間の良心を進化へ導いたということなのである。
〔…〕25万年前よりあと、原初の人類集団では、効率的な肉の〔ギトン註――平等な〕分配が明らかに必要で、アルファ雄〔チンパンジーやゴリラの社会で、実力によって集団の頂点に立つ “ボス” 個体――ギトン註〕に対して今日と同じような徹底的で効果的で総合的な抑圧をすることによって、多大な利益が得られた〔…〕。攻撃的なフリーライダーを抑圧することになっただろうし、〔…〕アルファになる強い傾向をもつ多くの人だけでなく、盗みやいかさまのような反社会的気質をもつ人も含まれていただろう。〔クリストファー・ボーム,斎藤隆央・訳『モラルの起源』,2014,白揚社,pp.197,393.〕
〔…〕フリーライダー(ただ乗りする者)は厳重に処罰される。〔タヒ罪や追放によって、世代を追ってフリーライダーは減り、利他的性格の個体が増える――ギトン註〕〔…〕それを「処罰による社会選択」という。さらに、そのような社会では、血縁者以外の者に寛大だという評判を得ることが個体〔の繁殖――ギトン註〕にとって有利に働く。そこで、人びとは寛大であることを選択する〔だけでなく、同様の自然選択が働く――ギトン註〕ようになる。それを「評判による社会選択」とよぶ。こうして「社会選択」の結果として「良心」が形成される。』
柄谷行人『力と交換様式』,2022,岩波書店,pp.61-62.
ボームからの引用↑は、訳書を参照して、柄谷氏よりも拡張してあります。
タッシリ・ナジェールの岩壁画。紀元前4000-3000年、アルジェリア。
狩りをしているようにも見える。
大型動物を狩猟するための集団的結束には、なぜ「平等主義が不可欠」だと言えるのでしょうか? ここでボームが強調しているのは、狩猟じたいよりも、その獲物の分配が平等になされることの効果です。
たとえば、狩猟に巧みな者がいて、集団の他の成員が徒手で帰る時に、その有能な猟手の親族だけが豊富な肉の分配にあずかったとすると、集団全体としては栄養が不足し、虚弱な身体の者が増えることになって、集団で猟を行なう能力は、けっきょく低下してしまいます。獲物の分配が(能力が低くて獲物を得られなかった者にまで)平等になされることは、良心や倫理が生じる以前に、狩猟集団としての能力が向上するために必要なことなのです。「チームを組んでの狩りが最もよく機能するのは、メンバー全員にきちんと栄養が行きわたっている場合なのだ。」(ボーム,p.177.)そこで、平等分配の傾向がある集団ほど、生存に有利となり、この傾向は遺伝してゆくことになります。
平等主義は、集団のチームワークを高める・といった効果もあるかもしれませんが、それ以前に、平等な分配が身体能力の平準化に寄与することによって、その集団を優位に立たせるのです。
こうして人類は、成員のあいだにヒエラルヒー(序列)があって一人のオスが衣食住とメスを独り占めにする類人猿型の社会から、相互の統制によって厳格な平等主義を貫徹させる集団へ移行していったと、ボームは云うのです。
ボームが「フリーライダー」と呼んでいるのは、盗人やイカサマ師のような “はみ出し者” だけではありません。むしろ、初期の人類社会では、そのような利己的な乱暴者が、暴力によって集団を支配する・独裁者的な地位を獲得してしまうことが多かったとみられます。したがって、初期の「フリーライダー」とは主に、あからさまな暴力的支配者のことです。
現存の狩猟採集民族にかんするフィールド研究によれば、彼らは、そうした「アルファ雄」(ボス)の出現を抑える掟や機構を完璧に備えているのです。
「狩猟採集民の平等主義の進化を対象とする私の研究〔…〕では、アルファ雄に当たる社会的な掠奪者をコミュニティが積極的に、場合によってはかなり暴力的に取り締ま」り排除する(ボーム,p.84.)。「人類学者のポリー・ウィースナーがクン・ブッシュマン」の「野外調査で集めた数十のケースによれば、彼らが悪口を言われる理由でとりわけ多いのは「大物」ぶった行動だという。その当然の結果としてブッシュマンは、圧倒的支配につながりそうな行動なら何であれ、萌芽のうちに摘みとってしまうし、〔…〕圧制者となりそうな人間が最初の一歩を踏み出すのさえも阻止する。〔…〕これは、本来なら彼らの餌食となるはずの寛大な人やおとなしい人の遺伝子にとっては吉となる。〔…〕同じような文化をもっていた 4万5000年前のアフリカ人もそうだったのである。」(ボーム,pp.88-89.)「カラハリ砂漠のブッシュマンやアラスカのイヌイットを考えると、親は子どもがかなり幼いうちに、寛大さはプラスになると教えているのがわかる。人々は、利己的になり過ぎてはいけないと訴えることによって、社会生活を成り立たせようとするからだ。」(ボーム,p.68.)。
狩猟集団内の「処罰」「評判」という2つの「社会選択」(自然選択による集団的進化)によって、世代を追って平等主義が浸透し、利己的な「ボス」となりそうな個体は、集団的な「怒り」に遭って排除されていきます。ボスを、集団的な平等主義に従わせる動機は、初めのうちは同輩たちへの「恐怖」であったはずですが、その「自制」が内面化すると、ルールを破ることに対する「羞恥」や、ルールそのものに感情的に「共鳴」する反応が現れるようになります。こうして、「善・悪」の価値観、すなわち道徳が誕生するのです(ボーム,pp.394-395.)。
『すると、人類における重要な「進化」は、遊動的狩猟採集民の段階に起こったということになる。そして、それは、狩猟採集という集団的生産(労働)から来るということになる。それが「強力な社会統制」をもたらし、それが「良心」を形成した。』
柄谷行人『力と交換様式』,p.62.
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ギトンのあ~いえばこーゆー記
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!