「福田村事件」 曖昧な善悪賢愚 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。




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○あらすじ

関東大震災後、「朝鮮人が集団で日本人を襲っている」「井戸に毒を入れた」などのデマが回った。疑心暗鬼に陥った人々は各地で朝鮮人や中国人を虐殺した。被害者は2000人とも6000人とも言われている。千葉県福田村では朝鮮人と誤認された行商人一行が殺害される事件が起こった。被害者も加害者も口外することなく未だ真相不明なこの福田村事件を映画化したのが本作。

 

○あらまし

オウム教団を扱った「A2」、新聞記者望月衣塑子を扱った「i 新聞記者ドキュメント」など、ドキュメンタリーのイメージが強い森達也監督がドラマに挑戦。井浦新、田中麗奈、瑛太、東出昌大、コムアイ、松浦拓也、ピエール瀧、木竜麻生、豊原功補、水道橋博士、柄本昭...というキャスティング。 

 

○かんそう

関東大震災後の虐殺事件は知っていたが詳細を知らなかったので興味深く観た。年に数本しか出会えない傑作だった。

村の不倫絡みの男女関係(個人)から身分や階級間差別からくる搾取(社会)まで広げて描きながら虐殺事件に至るロジックが無理なく描かれてく。主張に説得力がうかがえるのはドキュメンタリー作品の経験値からかも。課題や論点を欲張り過ぎると主題がぼやけがちだがよくまとまっている印象。つまり飽きない。脚本の妙。

 

作中、加害者は必ずしも悪ではなく、被害者を養護する人々も全くの善人ではない描き方をしている。今日から見るとそれは「悪事」なのだが加害者は悪意から行っていない。人が想定している悪と善…あるいは賢と愚がいかにあいまいな概念であるかが伝わってきた。

 

集団生活をするヒトという生物は集団に属さない差異を見つける能力を培ってきたと思う。差異、奇異に敏感で、その排除行動をするのは群れることで身を守ってきた生物生来の本能のようなものだ。ただしその差異というものは微細なこと…映画では「朝鮮人は濁音が言えない」とされ判別に使われていた。その微細な差異で排除を判別する。ヒトの未発達な知性が見ていて辛い。

 

キャスティングに作品意図を解釈すれば観客は現代までその愚が現代まで紡がれている課題に気づく図式。映画の話題性に用いるとこだが触れもしない。あくまでキャスティングも演出の範疇という態度なのだろう。


関東大震災から100年経た2023/9/1に公開された。メディアが多く扱っていたのかこの手の「暗めの映画」では珍しく多くの観客がいた。ロングランの予感がある。

 

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