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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

少し前から心と外部の関係とゆうか外側の感触に変化があってその正体が分からずにいた。たぶん高校の同窓会があったから?と思い着いた。


同窓会は「いまの自分がどれだけ社会的に充実してるかの合戦場」になる気がして、社会的武器の足りない自分はボーカンに至るなあ、やだなあ。と思い込んでいたんだけど、あいつらそんなことはなくて実に気持ちのいい会合だったので楽しんだ。ついでに高校当時に聴いていた音楽を聴いてみたくなるノスタルジーが発生。帰途にAmazonプライムで「80年代の音楽」みたいなリストをひたすら聴いてるうちに…冒頭に書いた外側の感触が変化したみたい。


以来、走りながら、働きながら、ぼうっとしながら継続するこの感触の正体をわかりたかった。いまはこんなふうに言語化できる。


「存在しないものが存在しないと証明するのはとても難しい。」

 

なんだか大げさな物言いではずかしーんだけどホントのコトなんで仕方ない。


たとえば同窓会にたとえると、当日欠席した人。その場には存在しなかったけど(たぶん)生きてる。でも連絡が取れなかったら生きてることを証明しにくいな。、なので(たぶん)ということ。いまは僕ら還暦60前後だけど何年か経たら(たぶん)のニュアンスが弱くなって(きっと)くらいになって…。そう考えてくと、存在しないものを存在しない、と予想しやすくなる心理の寂寞さを改めて感じていたんだろうな。具体的には時のうつろいに虚しさを思っていたんだろう。ノスタルジーと呼ぶのかな。


そんなふうに存在、非存在。ひいては生死を思う感じに至る還暦過ぎの最近。


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