2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。
そして2回目以降は、具体的に「天守(御三階櫓含む)」があるお城を、北から順次、現存・復元・復興・模擬の「天守(御三階櫓含む)」を織り交ぜて掲載し、「天守(御三階櫓含む)」の構造など特徴を始め、藩主だった大名や城主、訪城しやすいようにアクセスや最寄駅等も記載しています。
前日は、国宝木造「姫路城」(兵庫県姫路市本町)「大天守」の内部3階~6階をお届けしました。今回は「小天守群」「渡り廊下」を予定しています。
木造現存国宝の「姫路城 大天守」の外観↓
木造現存国宝の「姫路城 大天守」地階~2階↓
木造現存国宝の「姫路城 大天守」3階~6階↓
〇アクセス
・JR「姫路駅」から「大手門」まで徒歩約14分
・山陽電鉄「山陽姫路駅」から「大手門」まで徒歩約13分
〇木造国宝「姫路城 小天守(西小天守、乾小天守、東小天守」
・国宝「西小天守」
※三重三階地下二階、望楼型、
※屋根は白漆喰で塗り固められた「瓦葺」
※壁は「白漆喰総塗籠め」、「石落とし」「鉄砲狭間」
※窓は最上階の南面に「華頭窓」、他は「竪格子窓」など
※破風は二重目の南側に「軒唐破風」、二重目の東西に「入母屋破風」
※軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
※天守台は「打込接・乱積み」
・国宝「乾小天守」
※三重四階地下一階、望楼型、
※屋根は白漆喰で塗り固められた「瓦葺」
※壁は「白漆喰総塗籠め」、「石落とし」「鉄砲狭間」
※窓は最上階の西・南面に「華頭窓」、他は「竪格子窓」など
※破風は一重目の西面と二重面の北面に「軒唐破風」、二重目の西側に「入母屋破風」
*「ロの渡櫓」の一重目の中央に大きな「軒唐破風」が付く
※軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
※天守台は「打込接・乱積み」
・国宝「東小天守」
※三重三階地下一階、望楼型、
※屋根は白漆喰で塗り固められた「瓦葺」
※壁は「白漆喰総塗籠め」、「石落とし」「鉄砲狭間」
※窓は「竪格子窓」など
※破風は北側に「入母屋破風」
※軒裏と軒垂木は「白漆喰総塗籠め」
※天守台は「打込接・乱積み」
〇「姫路城 天守」の歴史
・1581年に「羽柴秀吉」が三重四階「天守」を建造
・1601年に改修工事を開始して1609年に完成(現在の姿に)
・1956年に昭和の大修理(解体修理)で約8年間
・2009年に平成の大修理開始し2015年3月に完成
〇城主
・1346年に「赤松貞範」が本格的に築城
・1441年に「赤松氏」に替り「山名宗全」が入城
・1467年に「赤松政則」が奪還して一族の「小寺氏」の属城となり重臣「黒田氏」が城代
・1580年に「黒田孝高」が城を「羽柴秀吉」に献上
・1585年に「木下家定」が入城
・1600年に「池田輝政」が52万石で入城
・1617年に「本多忠政」が15万石で入城し「西の丸」「三の丸」を拡張
・1639年に「松平(奥平)忠明」が18万石で入城
・1648年に「松平(前橋)直基」が15万石で入城
・1649年に「榊原忠次」が15万石で入城
・1667年に「松平(奥平)直矩」が15万石で入城
・1682年に「本多忠国」が15万石で入城
・1704年に「榊原政邦」が15万石で入城
・1741年に「松平(越前)明矩」が15万石で入城
・1749年に「酒井忠恭(ただずみ)」が入城、以降「酒井家」が幕末維新まで統治
木造現存の国宝「西小天守」(西面、右から「西小天守」「大天守」「乾小天守」)↓
木造現存の国宝「西小天守」(西面、左に続くのが「ハの渡櫓」)↓
木造現存の国宝「西小天守」(西面、左に続くのが「ハの渡櫓」)↓
木造現存の国宝「西小天守」(西面を見上げる)↓
木造現存の国宝「西小天守」(南面、「備前丸」跡から)↓
木造現存の国宝「ニの渡櫓」(「水五の門」の上、「大天守」(右)と「西小天守」(左)を繋ぐ)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(北西隅から、左奥は「ロの渡櫓」)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(北西隅から、右は「西小天守」)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(最上階の南・西面には「華頭窓」、南西方向より)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(「石落とし」が見える、右が「ハの渡櫓」、南西隅から見上げる)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(最上階の南・西面には「華頭窓」、南西方向より)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(右へ「ハの渡櫓」「西小天守」「大天守」、「西の丸」跡から)↓
木造現存の国宝「ハの渡櫓」の「武具掛け」↓
木造現存の国宝「ハの渡櫓」から「乾小天守」の入口↓
木造現存の国宝「乾小天守」内の梁↓
木造現存の国宝「乾小天守」内の耐震用「火打梁」↓
木造現存の国宝「乾小天守」(一階)↓
木造現存の国宝「乾小天守」(一階、「身舎」内に城内模型を展示)↓
木造現存の国宝「東小天守」(東面には「破風」なし、「大天守」の間が「イの渡櫓」)↓
木造現存の国宝「東小天守」(「大天守」の間が「イの渡櫓」、北東隅を見上げる)↓
木造現存の国宝「東小天守」(一番左側で二重目に「入母屋破風」が付く、「清水門」跡の土塁上からは全てが見える)↓
木造現存の国宝「東小天守」(「大天守」と重なり見ずらいが、長い「ロの渡櫓」と「乾小天守」が繋がる)↓
木造現存の国宝「ロの渡櫓」(幅が広くて長い)↓
木造現存の国宝「ロの渡櫓」(「東小天守」側から)↓
木造現存の国宝「東小天守」(一階は狭い)↓
木造現存の国宝「東小天守」の天井↓
木造現存の国宝「東小天守」から「イの渡櫓」方向(奥には「大天守」の入口が見える)↓
木造現存の国宝「イの渡櫓」(奥が「大天守」入口)↓
木造現存の国宝「イの渡櫓」(奥が「東小天守」入口)↓
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