不倫恋愛をするまでの私「幼少期〜学生時代編」 | 最短・最速で不倫成就を叶える!!サイキックセラピスト・綺海陽鞠

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不倫恋愛をするまでの亜衣理です。

私が出来上がった経緯を書いてみたいと

思います。

 

「幼少期〜学生時代編」

 

私は両親がいて、兄がいて、

ごくごく普通の家に育ちました。

 

私は、小さい頃は人見知りでした。

誰かに会っても私に話しかけないで、、、

と思っていたし、

 

兄の影に隠れていれば

それでことが済んでいたので、

自分が前に出て誰かと話すことも

なかったので、

 

益々人見知りになり、

知らない人や慣れない人に

話しかけられることも

話をすることも、

スゴクスゴク苦手でした。

 

そして、

父は怒ったらスゴクスゴク怖くて、

 

しかも、

父の機嫌によっていつ怒られるのか

わからないので、

父の顔色を見て育っていました。

 

理不尽に怒られることも多かったし、

今から考えても

何でそんなことでいきなり怒られたのか、

わからないことがたくさんあります。

 

そんな中で育った私は

自分の思うことを言ったら、

自分のやりたいことを

やりたいようにやったら怒られる。

 

だったら、

自分の思うことを言わない方が良い。

自分のやりたいようにしない方がいい。

 

そう思っていました。

だから、いつも親の顔色を見て、

怒られないように振る舞っていました。

 

 

そして、

 

 

母に対しても厳しかった父なので、

よく母に当たっていたし、

喧嘩になると手もよく出ていました。

 

私が泣きながら、

「もうやめようよ」と親に言ったこともあります。

 

 

そんな感じなので、

母は自分の身を守っていたのか、

私が父に怒られていても

 

助けてくれるわけでも

庇ってくれるわけでもありませんでした。

 

私は、

「お母さん助けてよ」

「お母さん来てよ」

と、父に怒られた後は

1人で部屋の隅で待っていた記憶があります。

 

 

どうも、

父は仕事でのストレスが酷くあり、

何に対してイラッとしたり

怒りに火がつくのかその日によって

わからないようでした。

 

 

そして、

父も自身も自分の父親から

怒ると暴力を振るわれたり、

自分の好きなものも食べさせてもらえず

厳しく育てられたようで、

 

父も同じように何で怒られたのか

わからないようなこともあったようです。

 

やっぱり、

そういのは連鎖しちゃうみたいですね。

 

反面、

自分が食べたいものを

食べさせてもらえなかったから。

 

と、

 

私たち家族には、美味しいものを

たくさん食べさせてくれたり、

家族に対する愛情というものが

すごくある人ではではありました。

 

自分の機嫌で家族に対して

怒り出したりするのとは

矛盾してるのですけどね。

 

でも、

すぐに怒り出すから私は父が仕事から

帰ってくると毎日ビクビクしていました。

 

 

そして、

お母さんは私がお父さんに怒られても

 

 

何で

何も言ってくれないの❓

助けてくれないの❓

 

そんなことを思いながら育ってきました。

 

父は仕事も忙しくて、

小さい頃に一緒に遊んでもらった

記憶があまりありません。

 

誕生日もクリスマスも仕事でいなくて、

いつもいつも母と兄と3人でした。

 

土日が仕事が休みで家にいたけど、

いつも家で仕事をしていて、

 

お父さんが仕事をしているから、

静かにしていなさい。

 

家に友達を呼んではダメ。

外で遊びなさい。

 

そんな風に言われていました。

 

土日だから、

どこかにお出かけ。

 

なんて記憶は殆どありません。

 

そして、

母にも一緒に遊んでもらった

記憶がないのですよね。

 

母はいつも家の用事をしていた。

 

家の中はいつもキレイだったし、

ご飯もきちんと作ってくれていました。

 

いつもキッチンに立っている。

 

そんな記憶ばかりで一緒に遊んでもらった

記憶がないのです。

 

兄に一緒に遊ぼうと言っても、

兄は友達と遊んでいて

遊びに入れてもらえなかった。

 

私は近所の小さい赤ちゃんのいる

家に遊びに行く日々でした。

 

きっとね、そんな子供のころの毎日が

 

人の顔色を見る。

自分の思うことを言えない。

 

そんな私の基礎を作っていったのです。

 

 

人の顔色を見て、自分の思うことを言えない私は

幼稚園に行っても先生に思うことを言えなかったのです。

 

本当は、

担任の先生に甘えたい。

担任の先生に見てもらいたい。

担任の先生と話したい。

担任の先生に気づいて欲しい。

 

でも私は

「先生は私のこと気にしてないし、

好かれてもないんだろうな」

と遠くから

担任の先生と仲良くしている友達を

羨ましく見ていた。

 

そんな記憶があります。

幼稚園の時代のことなので、

詳しくは覚えてないけど、

ぼんやりとそんな映像が

私の中に浮かんでくるのです。

 
 

だからか、

担任の先生と楽しく話した。

担任の先生と楽しく遊んだ。

そんな記憶がないのです。

 

そんな私は幼稚園から家に帰ると

いつも近所の赤ちゃんのいるお家に

遊びに行っていました。

 

小さい子が好きで一緒に遊びたくて

行っていたのだと思います。

 

ある日、

その赤ちゃんの家の玄関で家に上がれずに

赤ちゃんのママに話しかけていたことが

あります。

 

その時の私は家に上がりたくても

上がれなかった。

 

おばちゃんが上がっていいよって

言ってくれないかなー。

 

そんな風に思っていた記憶があります。

 

しばらくしたら、赤ちゃんのママに

 

「家に上がりたいなら上がっていい?

って言えば良いのに。

いつまで玄関にいるの?言わないとわからないよ」

 

みたいなことを言われたような記憶が

あります。

 

小さい頃ってそんな些細なことが

大人になっても記憶に残るくらいに、

 

大人に言われたことが

スゴク悲しくて、スゴクイヤで、

言えなかった自分を恥ずかしく思ったり、

言えない自分をダメだと思ったのだと

思うのです。

 

 

私はダメなんだ。

私は好かれてないんだ。

私はよく思われてないんだ。

 

そう自分を責めたり否定したであろう

出来事がたくさんたくさんあったのだと

思います。

 

 

小学校に行ったら、

友達が言っていることを間に受けて、

友達を信じて、私も同じようにしたら、

 

 

担任の先生に

「みんな言ってるだけで、本当は違うよ。」

だから、友達の言うことを間に受けない方が良いよ」

 

みたいに言われたことがあります。

 

 

中学に行っても、高校に行っても、

学校の友達以外でも、

 

そんな風に本当は違うこと言われたり、

嘘をつかれたり、影で悪口を言われたり、

たくさんたくさんありました。

 

そんな私だから、

幼い時からの友達という人がいません。

 

唯一、高校の仲の良かった友達だけが、

私に本当とは違うことを言わなかった。

嘘をつかなかった。影で悪口も言わなかった。

 

私はここに居ても良いんだ。

 

そう思える場所でした。

私を受け入れて、認めてくれる場所でした。

その高校の友達だけが、私の今の友達です。

 

不倫恋愛をしていて、辛く、苦しんでいる私に、

「もうさ、そんな人と別れて、地元に戻っておいでよ。

うちの近くに引っ越しておいでよ」

そう言ってくれた人です。

 

でも、その頃の私は

私は人に好かれない。

どうせ愛されない。

私はダメなんだ。

私はいてもいなくても良いんだ。

 

私の人生は詰んでいる。

 

そう思っていたのです。

 

 

そんな私だから、

 

楽しく生きる。

幸せを感じながら生きる。

感謝しながら生きる。

 

そんなのとは無縁。

 

思ったことも考えたことも

なかったのです。

 

思い込んで、好きでいてくれる人も

大切に思ってくれる人もいることに、

気づいてなかったのです。

 

人生つまらない。

 

そう思っていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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