昨日の続きです。
今日は本丸東南隅櫓です。
下図⑮辺りから⑪の東南隅櫓を見たところです。
1612年頃に天守と同時に造られました。東西
11.6mで南北13.6m高さ13.5mです。
一重目の屋根がないので、外観2階内部3階の
東南隅櫓です。江戸時代には「辰巳櫓」と呼ば
れていました。2階破風の下に石落としがありま
す。
「金城温故録」(江戸後期)によると、御具足奉行
が具足を管理する役所として使用しました。火気
厳禁だったため寒さがきつく、1841年に南側の
本丸大手馬出内に移転しました。
現在地にあった案内図です。
1697年の名古屋城です。現在と違い
本丸南に大手馬出があり、その左側に
鵜の首があります。
本丸御殿出入口から見た東南隅櫓です。
本丸は空堀を掘った土で周囲を盛って、
土塁にしています。
土塁は石垣で土留めしています。盛土の
上には多門櫓を建てていました。四隅に
は隅櫓と大天守がありました。東南隅に
は隅櫓があります。空襲で焼けずに残
ったので重要文化財です。
近づくと
東南隅櫓の解説板です。
背後の石段を上ると
この石段を上がります。
上がる途中で本丸御殿方向は
本丸御殿と大天守です。
本丸御殿の屋根は杮葺きです。
入口を入ると1階は
1階に入ったところです。
2階に上がる階段です。
2階に上がると
2階に上がったところです。
2階にある石落としが、右下に見えます。
2階にある石落としです。
2階の窓から南方向を見たところです。
鵜の首が見えています。
上が北の現地案内図です。
2階から東方向を見たところです。
内堀の向こうに二の丸が見えます。
江戸時代には藩主御殿と政庁が
ありました。
1697年の名古屋城の想像図です。右下の
二の丸に藩主御殿と政庁があり、その北側
に庭園があります。
2階から見た大天守と本丸御殿です。
3階に上がる階段です。
消防法の規定に基づいて、3階には9人
までしか上がれませんので、ここで3階
用のスリッパに履き替えます。
3階に上がる途中の写真です。暗いのでブレました。すいません。
3階へ上がったところです。
閉められた窓です。窓に水抜きの工夫があります。
水抜きの解説板です。
3階から見た東方向です。二の丸御殿跡と庭園が見えます。
1893年から1930年まで、名古屋離宮に
なっていました。そのためか菊紋瓦があり
ます。
3階から見た天守と本丸御殿です。
今日はここまでで、明日は本丸西南隅櫓内部です。
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