≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫
司祭に対するイエスの不満
1944年、主は私にこう言われました
「わたしは教皇にメッセージを与えたいと思っています
なぜなら、多くの司祭たちがわたしを侮辱しているからです
信者たちも、わたしに奉献されている魂たちも、犠牲の実行を免れることはできません
わたしの教会から犠牲の精神を失わせることは、罪を増加させることになるということを知らなければなりません」
ご聖体拝領の後、司祭が苦行の精神の欠如によって、いかに罪に陥るかを示してくださいました
ある司祭が贅沢な食事をしているのを見ました
主は彼にデザートを抜くよう勧められました
司祭は少し迷っていましたが、やがてこう考えて、そのインスピレーションを拒絶しました
「なぜ、犠牲しなければならないのか?」
次の段階は怠惰であり、やがて弛緩が訪れ、彼の考えは常に世俗的になり、罪がその目から入り込んで来ます
そして死が魂に入り込み、ご聖体における主の真の現存に対する疑惑が始まります
その後、その司祭は司祭職を捨て、無神論者となりました
その司祭が長い間、ごミサにおける聖なる犠牲をふさわしく捧げていなかったことは、イエスさまにとって特にお辛いことでした
別の時、イエスさまは私を慰めるために、司祭が自分の行ないに対して良心の痛みを感じて聖なる聖体に祈ることはイエスさまにとって大きな喜びである、と言われました
これらの聖なる司祭たちについて、イエスさまは私にこう言われました
「彼らはわたしの喜びであり、誇りであり、慰めであり、希望です」