≪世界の勝利の元后ーシスター・マリア・ナタリア・マグドラナー≫
一粒の塵
「塵は謙遜を象徴しています
魂は、わたしなしには自分が何者でもないということを認識しなければなりません
そのためには、わたしの前で、また他の人たちの前で謙遜になることが必要です
自分が『誰か(偉い者)』であると考えることは決して許されません
その考えが心に浮かんだ瞬間、あなたはわたしから遠ざかり、わたしの恩寵を失うのです
もし魂が自分の惨めさを心から認め、赦しを請い願うならーもし自分が真実、無であり、何の価値もないという事実を喜ぶならーそしてもし、その考えがその人に苦しみを与えないならーそれは、その魂がわたしのすぐ近くにいるということです
その魂は、わたしがその魂の欠点を注意しても、傷ついたとは感じないでしょう
その魂は自分のみじめさを完全に知ることで、わたしを完全に信頼するようになり、その信頼と愛をもってわたしに近づき、わたしからの恵みを受け取るだけではなく、その欠点を直し、わたしを慰めます
そして、その魂はその謙遜さによって、自分は非難に値し、恩寵には値しない者だと感じるでしょう
そうやって、その魂は自分でも気づかないうちに、その深淵から天の高みに登るための金の階段を作ります
それと同時に、その魂は、わたしが降りて来て、わたしの王座をその魂の心に置くように迫ってくるのです」
主がこれらのことについて語られている間、主の恵みによって、わたしは主が語られたすべてのことを幻視によって見ることができました
その中で、私はひとつのことだけを申し上げておきたいと思います
救い主が魂の自由について話された時、私はある魂がその自由さに到達できなかったのは、その魂が自分の能力、自分の身体、自分の美しさに対する賞賛の気持ちでいっぱいになり、その虚栄心に喜びを見出していたからだということが分かりました
その魂は「他にもそういう気持ちを持っている人がいるのだから、これは別に欠点ではないだろう」と考えて、自分を納得させていました
しかし神さまはお恵みによって、そのような考えは神さまに喜ばれるものではないこと、また、そのような考えによって、人は自分の魂を眠らせてしまうのだということを教えてくださいました
私はそのような魂が、鎖に繋がれているのを見ました
また、そのような魂には、神さまである救い主が、神さまの愛と恩寵をお与えになることができないということも知りました
実際、魂は、完全に自由である場合にのみ、神さまの聖なる恵みを受ける取ることができるのです!
私は他の魂たちにも、神さまの光が完全に浸透するのを妨げる障害があるのを見ました
そのような魂は、外側が光を放っているだけで、内側には暗闇しかありません
そしてそれとは対照的に、神さまの光の浸透を妨げる障害が何もない魂たちは、内側から光を放っています
その神聖な光は、その魂たちの内面のすべてを満たし、彼らを聖化するのです
主はそのような魂を喜ばれ、その中に栄光と美しさと神聖さを見出され、また、その魂にとっても主はすべてとなっているのです!