あ~、やれやれ。

よく寝たわい。

 

え?もう、夕方だろ?

なんならもうすぐ夜だろ?

 

まあ、そうなんだけどさ。

ほら、ワタス、することがいっぱいあってけっこう疲れたりもすんのよおいで

しかも、明日ビョーインで、なんというか疲れてると数値にモロに出るもんで、そんで先生に叱られたりするのが嫌なので(リアルな思い(笑))、少しでも疲れを取っているのである。

 



仕事をし。

眠り。

起きてまた仕事をし。

そんでたまに寝る。

 

……ダメだな、ワタス(^^;)

真っ当じゃねーや、こりゃ。

 

まあ、暮らしは真っ当じゃなくても、心は真っ当なつもりであり、楽しく生きるのがモットーで、時折り葛藤はするけれど、ここまで書いて「あら、意外に言葉遊びがうまいわね、自分」って気が付いたヒャッホーなワタスである。

 

ま、そんな感じで無責任一代女のように適当に過ごしていたのだが、そんな中でどういうわけか急にまた、この本を読みたくなって久々に開いた(マジかっ!!開いてなかったんかいっあせる)。

 

 

うしろのおしず。

 



我がオットの本だが、いい本だ。

特に、70頁の一文が響く。

 

我々龍神も神も、そして仏やそれに仕える者たちも、この世に生きる者たちの口を借りて教え諭そうとしているのだよ。

ある者は教師から大切なことを学び、ある者は学校の先輩から、近所のおじさんやおばさんから教わることだってあるだろう。

(中略)

だからこそ、多くの声に耳を傾けることだ。過去に言われた言葉をふと思い出すことで、今の自分の行いを正すきっかけになることもある。

そんなときは、神や仏が関わっていることが実に多いのだ。そこで気づくか気づかぬか、右に行くか左に行くかで、その後の人生は大きく変わる。

 

 

ヘンテコな龍神、愛しきガガさんの言葉なのだけれど、本当にそう思うんだよ。

図星なこと言われると、人ってついカッとなりがちだけどさ、それで終わらせちゃいけないと思うんだ。

もしも、自分が変わりたいと思っているならね。

ワタスもさ、やっぱりあるのよ。

「この直しはちょっと違う意味合いに取られるんじゃないか?この一文字、取った方がよくない?」なんて言われると、自信の編集なのに「なんてこと言いやがる、どう考えても美しい表現だろ!!」とか一瞬、キエーっと思う……。

ただ、まずは冷静にもう一度確認する。すると、まあ、確かに相手が言わんとすることがぼんやりと浮き出てくるのだ。

 

こういうこと、忘れてしまうので、そういう時は本を読む。

オットの本とは限らない(と、いうか大体ほかの作家の本だ!!おもしろそうと思ったら、あちこちに手を出す)。

 

デジタルと違ってやっぱり紙の本はいい。

心が落ち着く。手触りもいい。インクのにおいもいい。内容もスッと入ってくる。あ、おもしろいのはね。おもしろくない本は途中で読むのやめる。文法や表現がめちゃくちゃで美しくないのは読めないんだもん。

 

本ってすごい。

私は子どものころ、本の世界で暮らしたいと思っていた。

今、思って形とは違うけど本の世界で暮らしていて、自分で言うのもなんだけど、自分の引きって強いなあと思う。

いや、普通、夢見てた世界になんか入れない。私の場合はどういうわけか、オットがそれを叶えてくれた(笑)。

厳しい世界だけれど、やっぱり魅力がある世界だ。

 

文字で誰かの心を動かす。

最高じゃないか。

実際、私も多くの本に助けられてきた。

 

今から書くのは営業でも何でもない。

うしろのおしず、もう一度読んでみてください。本棚から引っ張り出して。

私、なんだか発売から3カ月経って、この本の凄まじさとパワーがわかったよ。

そして、この本は生きているね。全国で、みんなの元で生きている。息をしている。本という生き物になりつつあるよ。

この本は、きっとあなたの中の何かを変えてくれると思う。

 

私もまた、おしずさんに気付きをもらう。今夜、またもらう。

いや、スゲーものを生み出してしまった。

 

今の私が、若かったあの時代の自分を振り返る。

ここまで来たじゃないか、私。よくやってきたじゃないか、私。

そう思いながら、自分の物語を読む。なんて構図だろう。おもしろいにもほどがある。

 

「うしろのおしず」

そして、

「妻は見えるひとでした」

 



引き続き、よろしくお願い致します。

 

きっと、いいことあるでしょう。(梵さんの口癖)