習近平の元妻が激白「彼は私に“未練”がありました」

7/13(土) 0:00配信

クーリエ・ジャポン

私が英国に移住した年から3年間、彼は毎週のように国際電話を掛けてきた」──。

4年前、英国の中国語メディアにひっそり掲載されたインタビューがなぜか「再発見」され、中国人ネットユーザーたちの心をざわつかせている。取材に応じた60代の女性は、中国のファーストレディーとして外交の表舞台に立っていたかもしれない「習近平の前妻」だった。

習近平と“新しい妻”

今年6月、大阪市で開催された20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)に出席するため、中国の習近平国家主席が就任7年目にして初来日した。今回は単身だったが、来春には国賓として再び日本を訪れる予定。中国初の「顔の見えるファーストレディー」として話題を振りまく彭麗媛(ポン・リーユァン)夫人を同伴することが確実視されている。

彭夫人は1980年代にヒット曲を飛ばした、「国家一級演員」の称号をもつソプラノ歌手として知名度が高い。1962年に山東省で生まれた彼女は22歳で中国人民解放軍総政治部歌舞団(解放軍歌劇団)に入団、陸軍少将と解放軍歌劇団長の肩書きも持つ、れっきとした軍人でもある。
1987年、福建省廈門(アモイ)市の副市長だった34歳の習氏に見初められ、25歳で結婚。1992年に一人娘の習明沢(シー・ミンザァ)をもうけた。

2007年に習氏が中国共産党の最高指導部である中央政治局常務委員会のメンバーに選ばれると芸能活動を控えるようになるが、軍主催のイベントに限って出演。2009年11月、皇太子殿下(現・天皇陛下)臨席のもと東京の学習院大学で開催された解放軍歌舞団の中国オペラ『木蘭詩篇』公演では団長としてステージにも立ち、日本語で「四季の歌」を披露している。

2013年、習氏の国家主席就任に伴いファーストレディーになった彭夫人は、華やかな容姿を生かし外交の場で夫をサポート。国の広告塔としての役割も自覚し、外遊の際は好んで中国の伝統的なデザインを取り入れた国産ファッションに身を包むことでも知られる。

3年で別れた前妻への“未練”
 

 

 

「頑固」「厳格」「執念深い」とこき下ろしつつ、「誠実」で「理想」を追う「純粋」な男と持ち上げている矛盾がどこかおかしい。
実は中国駐英大使館から非公式に、英国華人社会の代表として歓迎レセプションに招待したいとの打診を受けているの。彼にとっては初訪英だし、中英関係にとっても重要な節目。英国在住華人の私としても招待は嬉しいし、光栄なことと思っているわ。
──習近平は(2015年)10月に国賓として訪英する。
ええ。彼が国家副主席だったとき(2008~13年)、広東省深圳市で父、姉と3人で会ったことがある。彼は視察で深圳に来ていて、高齢の父にひとこと挨拶がしたいと。私にもハグをしてくれたわよ。正味30分ほどの歓談だったけど、得難いひとときだった。当たり前だけど、ずいぶん老けたなというのが再会の第一印象だったわね。
──離婚から33年(※取材時点)が経つが、これまでに再会したことは?
得てして若い女性はロマンティックに愛をささやくような男性に惹かれるものだけれど、彼はそういう甘い一面が全く無かった。理想主義者なのはむしろ私のほうだったのかもしれないわね。

当時の習近平は頑固者で厳格というイメージが強かったのだけど、いま振り返ってみると、彼がやってきたことや決断は正しかった。とはいえ彼は決して理想主義者ではないのよ。計画をしっかり立てて、着実に成果を上げていこうとする人。

そうね、とても誠実な人。彼の本質的な誠実さは結婚当時も高く評価していたもの。一緒に過ごした時間はとても短かったから、彼の本質を理解しているとは言い難いけれど……。
──あなたにとって習近平とは?
彼はいつも理想を追い求める男で、その純粋さに大きな可能性が秘められていたことは確か。ただその可能性だとか理想だとかは私にとって、何の役にも立たなかったというだけのことよ。

まさか! 想像すらしなかった。結婚当時の彼は党の課長級の職員にすぎなかったから、国家主席まで上り詰めたことは素直に驚いたものだわ。
──当時のあなたは、習近平が将来、国家指導者になると予想していた?
習近平の中に私への未練があり、彼がやり直したいと思っていることは知っていた。でも、私だって後戻りしない決心で彼の許を去ったからね。

改革開放が始まって間もない1980年代初頭に中国から英国へ電話するのは、とても手間のかかることだったのよ。中国はまだ一般家庭に電話そのものが普及していなかったし。でも私は一度たりとも電話に出なかったから、彼はさぞかし傷ついたことと思う。

私は離婚後に英国へ移住したのだけど、移住した年から3年間、彼は毎週のように国際電話をかけてきた。
──別れたあとも連絡は取っていた?
彼はとにかく頑固で執念深い人だった。ひとたび重要なミッションに取り掛かるとなれば、私の話など聞く耳を持たなかったし。だから別れを選んだの。心の距離が埋まらない限り、地に足のついた結婚生活は営みようもないもの。当時、駐英大使を務めていた父は離婚に猛反対したけれどね。

あの時代、離婚はやはりとても大きな出来事だったと言える。私たちの結婚生活は本当に短かった。重要なのは、私たちに何一つとして共通点が無かったということで、後悔しているいない以前の話よ。
と離婚したことを後悔している?習近平──あなたは

以下は、華字紙の「倫敦僑報(UKチャイニーズ・ジャーナル)」(2015年8月28日付)に掲載された彼女のインタビューだ。

幹部への道をひた走る習氏とは価値観が合わなかったという。共産党習氏の前妻は柯玲玲(コー・リンリン)。1951年に著名な外交官・柯華(コー・フア)の娘として北京で生まれた。28歳で2歳年下の習氏と結婚するが、性格の不一致を理由に結婚生活はわずか3年で破綻する。関係者の話によると、外交官令嬢として育った玲玲はもともと海外志向が強く、

もともと中国では、国家指導者層の住まいや家族構成、子女の動静といったプライベートに関わる情報やゴシップはいっさい報じられない。そうでなくとも言論統制下では不用意なうわさ話が命取りになりかねないため、市民には指導者たちの私生活をあれこれ詮索しない習慣が身に付いている。

だが、習氏が彭夫人と「再婚」したことを知る中国人はほとんどいない。

 

 

3年で別れた前妻への“未練”
 
だが、習氏が彭夫人と「再婚」したことを知る中国人はほとんどいない

もともと中国では、国家指導者層の住まいや家族構成、子女の動静といったプライベートに関わる情報やゴシップはいっさい報じられない。そうでなくとも言論統制下では不用意なうわさ話が命取りになりかねないため市民には指導者たちの私生活をあれこれ詮索しない習慣が身に付いている。

 

 習氏の前妻は柯玲玲(コー・リンリン)。1951年に著名な外交官・柯華(コー・フア)の娘として北京で生まれた。28歳で2歳年下の習氏と結婚するが、性格の不一致を理由に結婚生活はわずか3年で破綻する。関係者の話によると、外交官令嬢として育った玲玲はもともと海外志向が強く、共産党幹部への道をひた走る習氏とは価値観が合わなかったという。

 

 以下は、華字紙の「倫敦僑報(UKチャイニーズ・ジャーナル)」(2015年8月28日付)に掲載された彼女のインタビューだ。

 

──あなたは習近平と離婚したことを後悔している?


あの時代、離婚はやはりとても大きな出来事だったと言える。私たちの結婚生活は本当に短かった。重要なのは、私たちに何一つとして共通点が無かったということで、後悔しているいない以前の話よ。

 彼はとにかく頑固で執念深い人だった。ひとたび重要なミッションに取り掛かるとなれば、私の話など聞く耳を持たなかったし。だから別れを選んだの。心の距離が埋まらない限り、地に足のついた結婚生活は営みようもないもの。当時、駐英大使を務めていた父は離婚に猛反対したけれどね。


──別れたあとも連絡は取っていた?


 私は離婚後に英国へ移住したのだけど、移住した年から3年間、彼は毎週のように国際電話をかけてきた。

 

 改革開放が始まって間もない1980年代初頭に中国から英国へ電話するのは、とても手間のかかることだったのよ。中国はまだ一般家庭に電話そのものが普及していなかったし。でも私は一度たりとも電話に出なかったから、彼はさぞかし傷ついたことと思う。

 

 習近平の中に私への未練があり、彼がやり直したいと思っていることは知っていた。でも、私だって後戻りしない決心で彼の許を去ったからね。


──当時のあなたは、習近平が将来、国家指導者になると予想していた?
まさか! 想像すらしなかった。結婚当時の彼は党の課長級の職員にすぎなかったから、国家主席まで上り詰めたことは素直に驚いたものだわ。

 彼はいつも理想を追い求める男で、その純粋さに大きな可能性が秘められていたことは確か。ただその可能性だとか理想だとかは私にとって、何の役にも立たなかったというだけのことよ。


──あなたにとって習近平とは?


そうね、とても誠実な人。彼の本質的な誠実さは結婚当時も高く評価していたもの。一緒に過ごした時間はとても短かったから、彼の本質を理解しているとは言い難いけれど……。

 

 当時の習近平は頑固者で厳格というイメージが強かったのだけど、いま振り返ってみると、彼がやってきたことや決断は正しかった。とはいえ彼は決して理想主義者ではないのよ。計画をしっかり立てて、着実に成果を上げていこうとする人。

 

 得てして若い女性はロマンティックに愛をささやくような男性に惹かれるものだけれど、彼はそういう甘い一面が全く無かった。理想主義者なのはむしろ私のほうだったのかもしれないわね。


──離婚から33年(※取材時点)が経つが、これまでに再会したことは?


ええ。彼が国家副主席だったとき(2008~13年)、広東省深?市で父、姉と3人で会ったことがある。彼は視察で深?に来ていて、高齢の父にひとこと挨拶がしたいと。私にもハグをしてくれたわよ。正味30分ほどの歓談だったけど、得難いひとときだった。当たり前だけど、ずいぶん老けたなというのが再会の第一印象だったわね。


──習近平は(2015年)10月に国賓として訪英する。


 実は中国駐英大使館から非公式に、英国華人社会の代表として歓迎レセプションに招待したいとの打診を受けているの。彼にとっては初訪英だし、中英関係にとっても重要な節目。英国在住華人の私としても招待は嬉しいし、光栄なことと思っているわ。


 「頑固」「厳格」「執念深い」とこき下ろしつつ、「誠実」で「理想」を追う「純粋」な男と持ち上げている矛盾がどこかおかしい。

 

インタビューが“逆鱗”に触れて…
 
「英国僑報」によると、取材当時の柯玲玲は独身。ロンドン市内の私立病院の主任を務める医学者で、ロンドン大学東洋アフリカ語学院(SOAS)の客員教授も兼任しているという。ただ一部の英メディア関係者は「文系大学のSOASで医学者が教壇に立つ機会は無い」として、この肩書を疑問視している。

 

インタビュー記事は中国政府の逆鱗に触れたとみえ、掲載直後に公式サイトから削除された。だが最近になって、中国のSNSでは上記インタビューのキャッシュが貼られては強制削除されることが繰り返されている。そして今も、「習+前妻」「習+前任」「習+二婚」といった組み合わせによる検索は中国で“アク禁”。「柯玲玲」「柯小明」などは、検索しても習近平とは無関係な情報しかヒットしない。

 今年1月、柯玲玲の父・柯華は103歳の天寿を全うした。弔問客がスマートフォンで撮った画像には、習近平の弟・習遠平(シー・ユェンピン)と、母・斉心(チー・シン)が手向けた花輪と、遺影の傍らに立つ「消えた前妻」らしき女性が写っていた。
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Jun Tanaka

 

 

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