国語は人によって感じ方が異なり答え方も違うので、算数と違って答えが一つに決まらない。

 

筆者の感性に合わないと正解できない。

 

国語にはそんなイメージがつきまといますが、子どもに付き合って中学受験国語にはまってきた経験からすると、決してそんなことはないと思います。

 

中学受験国語には算数と同じように「解き方」があり、答えが一つに決まります。

 

読解問題では、問題文に書かれていること「だけ」から回答すればよく、受験生がどう受け止め、どう考えるかについては問われていません。

 

「筆者の考えは筆者でなければわかるはずがない」とか、

「登場人物の気持ちなんてその人物でないからわかるはずがない」

と思う必要もありません。

 

なぜなら、文章は他人に読んでもらうために書かれ、筆者は自分の考えを一定のルールに従って読者に伝えます。

 

読み手もそれに従って読むので、人によって書かれている内容が変わることはありません。

 

算数で計算式を書いたとき、人によって計算のしかたが変わらないのと同じ原理です。

 

読み手によって内容が変わるとしたら、文章が支離滅裂ということになりますが、入試でそのような文章が出題されることはありません。

 

聞かれているのはあくまで、ルールに従って読めていますか?ということに尽きます。

 

読み手によって書かれている内容は変わらないものの、読み手の受け取り方が少しずつ異なることはあり得ます。

 

それでも中学受験の国語の答えは一つになります。

 

文章の前後関係により「意味づけ」が行われ、それ以外には意味がとりようがないからです。

 

そして、答え(ヒント)は必ず本文中にあります

 

子どもは国語が苦手でしたが、得意の算数と同じように一生懸命自分で答えを考えようとしていたようでした。

 

自分で考えようとするほど、正解からどんどん遠ざかっていってしまいます。

 

「考える」のではなく、文章の前後関係を確認して、答えになる部分を『見つける』ことができればOK

 

親からすると、どう考えても、難解な中学受験算数の問題よりはるかにラクなはずなのですが…。

 

難関中の問題に出てくるような文章を読み込んで理解することは、人生経験が浅い子どもにとっては相当ハードルが高いことがわかりました。

 

 

国語のアドバイスをする上で、以下の本は親が読んで参考になりました。

 

 

 

 

 

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