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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
前回は、アドラーが述べる、死と戦って確実に勝つ見込みのある二つの方法、について書きました。
ただ、幼い頃の死の恐怖は、役に立たないと言うよりもむしろ悪質な努力を生むことがあります。
しかも、その効力は、強い場合が多いのです。
それには、十四歳の少年のケースがわかりやすいでしょう。
少年は、姉の死から強い印象を受けて、よく死の話をしていました。
将来、何になりたいかと聞かれた時、彼は、次のように答えました。
「墓堀人になりたい。埋められる側ではなくて、埋葬する人になりたいから」。
少年は、独自の方法によって、死の恐怖から逃れようとしていたのです。
そして、手厳しい商人になり、ライバルを「葬り」さるようになりました。
死について強烈な経験をした子どもたちが選ぶのは、普通はまったく違った生き方である、とアドラーは言います。
子どもたちは、医師や看護師になって、生き残るためにあらゆる医学の知識を身につけたいと思うようになる、というのです。
その証拠として、アドラーが医師会で行った討論会では、参加したほぼすべての人が、家族が亡くなったり、死にそうになったり、病気だったりした記憶を口にした、と述べています。
現在、医師や看護師になりたい、という人たちが、幼い頃に死に対する強烈は経験をしたかどうかは分かりませんが、アドラーは、当時、そのように考えていたようです。
また、こうした三つのうちのどの方法でも埋め合わせられなかった場合には、魂の不死を信じるという形で死の恐怖を宗教的に取り除こうとする場合がある、と述べています。
これは、生まれ変わりという複雑な形を取ったり、もっと直接的にスピリチュアリズムとして現れたりします。
スピリチュアリズムは、死者の霊も動いて行動し、話すことができるという考えが基盤になっている、というわけです。
【参考文献】
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