太平洋のさざ波 25(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 25

 氷川神社の鳥居の前から本殿まで5人で連れ添った。
 本殿前でまずは結婚間近のお二人から首部を垂れて、次ぎに御両親、最後に俺の順で神事を済ませた。


「これからの予定ですが、まずは大宮公園の桜を堪能しましょう。
 妻と娘が弁当を用意しています。
 美味しい料理を味わい、桜の木の下で散りゆく桜を愛でるのも風情ではないでしょうか。

 


 日本人に生まれてよかった。
 両親や祖父母から受け継いだ感性をこれから家庭を持つ若い二人に受け継いてもらえたらと思うのが親心でしょう。

 


 食事を終えたら、わたしの知人が一役買ったオペラ、
 フィガロの結婚を観賞する予定になっています」

 


「オペラですか?」

 


 思わず、俺の口から出ていた。

 


「僕も2日前に葵さんから聞かされたばかりで、
 ご連絡しなくて、申し訳ありません」



「吉田さん、何も難しく考える必要はありません。
 モーツアルトのオペラですが、
 喜劇でも観るつもりでどんと構えてもらって結構です。

 


 わたしもオペラ鑑賞の初心者の一人ですが、
 オペラは歌を聴けばよい、そう割り切ることです。
 吉田さん、野球はお好きでしょうか?」

 


「地元の広島カープを贔屓にしていますが、
 熱烈なファンとまでは言えません。
 広島を離れ、神宮球場で二度三度、杉並から船橋に移ってからは交流戦で一度、千葉マリンで観ただけです。
 高校野球、アマチュア野球はさっぱりです」

 


「一度でもカープの試合をご覧になったことがあれば、
 わたしども家族と同じく、立派なカープファンです。
 カープの赤い血が流れています。

 


 神宮球場は勝敗に関わらず、言葉にならない開放感があって、
 明治神宮が所有するだけのことはあります。
 神宮は広島のマツダスタジアムに次いで、日本で2番目に素晴らしい。
 とてもじゃないが、東京ドームで愛するカープの試合を観ても楽しくはない。


 
 勝った時はともかく、負けると地獄です。
 読売の上から目線ファンの怒声が吐き気を催すほどおぞましい。
 2度と足を踏み入れたくはない。

 


 読売の選手もファンも見たくありません。
 吉田さんがカープファンなら話は早い。
 オペラは野球と同じく、難しく考えても無駄です。



 一昔前にIT野球、頭で考える野球が持て囃されましたが、
 草野球もやらない素人ですが、所詮、野球は点取りゲームです。

 


 ピッチャーがボールを投げないとゲームが始まらない。
 バッターは来た球を思いっきりひっぱ叩く。
 何も考えずに楽しんだ子供の頃の草野球が原点です。

 


 いくら考えてところで、体力、技術がない頭だけの野球はスタンドの素人だけで充分です。

 


 野球も音楽もプレイすると言うでしょう。
 野球も音楽も楽しみながらやるべきところを、
 明治以降、日本に輸入されたスポーツと日本の武道や学校教育がごちゃごちゃになって、今では金儲けの道具に成り下がっています。


 
 今回はフィガロの結婚ですが、オペラの主要なテーマが恋愛や色恋沙汰ですから、歌を聴いて、歌い手の身振り手振りをみていれば、言葉がわからなくても大抵のことはわかります。

 


 吉田さんも、好きな音楽がおありでしょう。
 お若い方のお好きなロックでもポップスでも構いませんが、
 どんと大きな船に乗ったつもりで二人の結婚を祝福して、
 フィガロの結婚を楽しんで下さい」



 葵さんのお父さんのお言葉を受けて、開き直るしかなかった。
 オペラを鑑賞したことはない。
 オペラどころか、ミュージカルも、学生演劇、アングラを含めて、演劇と名の付くものに縁はない。


「吉田さん、
 お義父さんが言われたように、難しく考えることはありません。

 


 僕もオペラ鑑賞は初めてなので物は試しに昨日、
 ユーチューブでフィガロの結婚を観てみたのですが、
 とはいっても、長くて随分端折りましたが、
 オペラは祖父と話されていたプロレスと同じです。

 


 ブック、台本があって、ベビーフェイス、対するヒールがいて、それを役者なり、プロレスラーが演じる。
 そう思えば、どうってことはない。

 


 映画やドラマより、多少派手な演出や衣装はありますが、
 オペラもプロレスも同じです。
 台詞や身のこなしが大袈裟な分、一脈、プロレスに通じるところがあって、ハッピーエンドが待っています」



 柳本さんにそう言われて、幾分気が楽になった。
 本殿を通りを過ぎ、埼玉県有数の桜の名所である大宮公園のソメイヨシノを愛でながら、柳本さんと葵さん、御両親と一緒になって、美味しいお弁当をご馳走になった。

 


 車を運転される葵さんのお父さんと柳本さんが居られるためビールの代わりに、ハワイのコーヒーと狭山のお茶で喉を潤し、

   オペラ会場に向かったのである。

 


 
 開演30分前に会場前の駐車場に2台の車を駐め、大学の別棟のような入場口で、葵さんのお父さんが5枚分のチケットを差し出すと、
 一人一人に簡単な手荷物検査があって、パンフレットを渡された。
 館内に入り、男性陣、女性陣に別れてトイレに寄った。

 


 ステージに向かって階段を降りると、ステージから中段のやや右側の指定席で中央側から葵さん、柳本さん、お母さん、お父さん、俺の順で並んで座ると、既に開演10分前。
 ざっと場内を見渡すと、収容人数7百人ほどの会場がほぼ満席である。


 
 ブザーが鳴り、照明が落とされ、館内がシーンと静まりかえると、ステージの左端にオレンジ状の照明が灯り、
 スーツ姿の女性司会者がマイクを持って現れた。

 


 本日の来場に謝意を述べるとともに、
 まずは、これから上演される『フィガロの結婚』の概略ならびに出演者である指揮者、オーケストラ、役者の紹介が始まった。


 本日のフィガロの結婚はイタリア語オペラのため、
 ステージ右に垂らされた白い幕状に日本語訳が表示されますので、ご参考になって鑑賞して頂けると幸いです。

 


 彼女がステージから姿を消すと、入れ替わりに男性とステージから一段下がったオーケストラピットの楽団員が姿を現し、モーニング姿の指揮者が観衆に向かって一礼した。



 一幕はあっという間だった。
 葵さんのお父さんが言われたように演技うんぬんより、
 役者の発する歌声に聴き入り、オーケストラの奏でる音に耳を傾けた。

 


 ステージ上の役者の身振り手振り、入れ替わり立ち替わりする役者とセット。
 白い幕に映る日本語訳に目を移し、誰が誰で、誰が主役なのかと観察しながら、大柄な男性のバスなのかバリトンなのか、低い声。

 


 なにぶん知識なく、ただただ迫力のある響く声に耳を傾けたながら、フィガロの結婚のタイトルそのままに主役のフィガロが結婚して、柳本さんが言われたようにハッピーエンドが待っているのだろう。


 フィガロがプロレスのベビーフェイスとすると、タッグパートナー、結婚相手がスザンナで、彼女のソプラノに若干、戸惑った。

 


 何を隠そう、女性や子供の高い声が苦手で、音楽は歌物に限らず、9割以上は男性のアーティストを嗜好しているのである。
 スザンナににちょかいを出す伯爵がこれまた低い声のヒール役で、男のような女のような小姓のケルビーノが得意の喉を披露して、医者、音楽教師、女中頭の脇役たちがドタバタと絡んだ。



 20分間の休憩でトイレを済まし、パンフレットに目を通すと、
 目の前で繰り広げられた舞台を活字上でざっくりと再現した。
 ブザーが鳴り、2幕が開いた。

 


 伯爵夫人が登場する。
 夫人は小間使いのスザンナに手を出そうとする伯爵の心に悩みを打ち明けるが、舞台に役者が入れ替わっている間に奥の部屋に隠れていたケルビーノが窓から飛び降りた。 

 


 酔いどれの庭師が現れて、ケルビーノの異変を匂わせているが。
 早いもので、第3幕もフィナーレを迎えているようで、出演者総出の大合唱。



 幕が閉じ、幕とステージの狭い合間にフィガロ、スザンヌ、伯爵、夫人の4人が姿を現して、観客に感謝の表情を現し、お辞儀してステージから去った。

 


 オーケストラの演奏だけでは眠っていたのかもしれないが、
 ステージ場から発せられる、男であれ女であれ、ソロであれ、
 合唱であれ、歌の力は凄まじかった。
 長いようで時間を感じさせないのは流石だった。

 


 フィガロの結婚の舞台が終わり、オペラの余韻に浸りながら客席を離れ、会場の外に出ようとすると、衣装を着けたままの役者が待ち構えていた。



 ケルビーノ役はやはり女性だった。
 歌声でわかっていたとはいえ、近くで目にすると意外に大柄で、これなら男としても充分だなと、一人にやけて外に出ると、
 柳本さんが声を掛けた。

 


「お疲れ様でした。
 これから、葵さんのお宅に向かいますが、
 吉田さんもいかがですか?」

 


「ありがとうございます。
 でも、明日は仕事なので、これで失礼します」

 


「そうですか、残念ですが、無理を言ってもご迷惑を掛けるますから、駅までお送りします」

 


「ありがとうございます」

 


「大宮駅でよろしいですか?」

 


「お願いします」



 葵さんには今日初めてお目にかかり、
 御両親にはマウイのホエラーズ以来の再会が叶ったこと。
 氷川神社での桜と葵さんとお母さんのお弁当を頂いたお礼と最後にオペラの感想を述べた。

 


「5月の結婚式に吉田さんをお招きしたのですが、
 既に招待客を締め切っていますので、ご了承下さい」

 


 柳本さんが深々と頭を下げた。



「とんでもありません。
 今日はお招き頂いてありがとうございます」 

 


 俺も頭を下げた。


「一つ質問があるのですが、よろしいですか?」

 


 お父さんが自分という顔で右の人差し指を胸に向けて頷くのを確認しながら、

 


「オペラの出演者はプロでしょうか?」

 


「素晴らしいご質問ですね。
 全員、アマチュアです。
 とはいっても、指揮者の大学の先生を除いて、
 オーケストラのメンバーを含め、
 プロを目指す予備軍の大学生、大学院生です。
 それでチケットが格安の千円になっています」

 


「ありがとうございました」



 もう一度、葵さんと御両親に頭を下げて、
 柳本さんのエクストレイルに乗り込んだ。

 

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