406gで生まれた娘は発達が遅くて、同学年のお友達よりも体も小さいが、半年から1年内面の成長が遅いので、お友達作りできるかなと小学校上がるときにドキドキした
幼稚園まではプリキュアごっこや鬼ごっことか体を使った遊びでなんとかみんなと楽しく遊んでたけど、小学生という社交場でどおなるやらと心配だった
そして、すごくたくさんトラブルがあった
手遊びが一緒にできなくて馬鹿にされたり
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小学校低学年で多かった悩み事 | フロム406~あれから20年たった今~ (ameblo.jp)
仲間に入れてもらえなかったりやっと仲良くなったと公園に遊びに行ったら、娘は鬼のまま誰にも追いつけない鬼ごっこに癇癪起して大騒ぎになったり…
大人っぽい子たちからは当然かみ合わず相手にされない、孤立しちゃうこともたくさんあった
登校班で、うまく輪に入れなくて、それを見ていた保護者の方から、娘のためにも特別支援学校への転向を勧められたこともあった、、あれはかなりきつかった
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初めてほかの保護者からのご指摘があったときのこと | フロム406~あれから20年たった今~ (ameblo.jp)
その渦中にいた時は、ああ、娘はお友達出来ないんだ、孤立しちゃってかわいそう、この先どうしようって見ているのがつらかった、どうしたらうまくお友達作りができるのかってとらわれてた時もあった
でも、今振り返ると、ちょっと待って
本当にかわいそう?みんなの輪にずっと入ってないといけないの?
先に進めない?いじめられる?
そんなことなかった
いじめは、集団の中にいようがいまいが両方起こりえる
友達いなくてかわいそうはただの親の偏見
子どもが一人でいた方が楽だったり楽しかったりするのならば全然いいし、少子化の今、全体数が少ないんだから、昔以上に気の合う友達に出会える確率は少ない
トラブル起すことも、嫌な思いするのも、それも学びの一つ
いろんなことがあってだんだん気があっていったり、いかなかったりもする
それでもいつの間にか、少ないながらも娘と一緒に遊んでくれる子ができてきて喧嘩しながらちゃんとお友達関係を作っていった
そして、今、その小学校のころからのお友達と飲み会をしたり、イベントに出かけたりといまだにずっと仲良くしている
だから、あの頃の心配の結論はでた
“いろんなトラブルはあるけど、それを経て、ちゃんと友達作りはできたよ”
今、職場やお友達との関係を作れているから、ちゃんと人とのかかわり方は学べたんだと思う
ただ、その成長がゆっくりだっただけだ
きっと親の私が、“ちゃんと成長してほしい”じゃなくて、“無事にトラブルを起こさないように成長してほしい”って保身が強かったのだ
何があっても受け止めるぞ、大丈夫だ、まかせとけ!と腹をくくることができなかった
思い返せばいつもおっかなびっくりのへっぴり腰、、どおしたらいいかわからないから問題を起してほしくない、自分が経験したことしかわからないから枠外のことは起こってほしくないとかそんな気持ちがたくさんあった。。
足は震えててもいい。せめて子どもの前ではどーーんと構える大人というのになりたかったなあ。。
そんなへっぴり腰な私だったとしても、
小学生の頃の1年の差ってとても大きいけど、大人になるとほとんど関係ない
親はその差でやきもきするけど、いつかちゃんと成長できるってわかってたら、少しゆっくりでも安心して見守れたかもしれない
点だけを見ないで。
今横に並んでいるものはただの点で線じゃない。
線だけ見ててもダメだよ。それは面じゃない。
面すら意味がないかもよ。
だって何が正解かそもそも誰もわかってない。
周りに正解を求めるのをやめれば自由になる
でも、人間そんなに強くないから、やっぱり周りに大丈夫だよっみんなと同じだよって言ってほしくなる
今だって私は周りを見ては娘を心配するのをやってしまう
そのたびに、は?何言ってんの?よくわかんないって好きなアニメやジャニーズグッズを買ってご満悦な娘はめんどくさそうにあきれてくる
娘の点はいつもハッピーみたいだ
私も線とか面とか考えるのやめてハッピーな点を満喫しよう
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