先週に引き続き 昨日は叔母の家へ
頼まれていたエッセイが公開されたことの報告
と 叔母の話し相手に・・・
久しぶりにランチを用意してくれて
もう大丈夫かな と 一安心
叔母が土から作り 絵も描いたお皿
やっぱりすごいなぁ~
デザートもあったのですが撮り忘れた
先週行った時も元気でしたが
夜になって「寂しくなった」とLINEが
昨日はそんなこともなく
叔母の家に居る間も
叔母のお友達が2人 元気?と
電話してきてくれていた
周りの人に助けられている と
だから
周りの人を助けることもしなくちゃ
今はお世話になっている方たちへあげたいと
陶芸でお地蔵様を製作中
前向きになってくれて本当に良かった
お地蔵様 我が家にも一つありますが
叔母の気持ちが込められた
とてもいいお顔(写真撮ったらぼけちゃったww)
いつもお世話になっている方のつくるHPに
頼まれていたエッセイが公開されました
その紹介文・・・
『没後40年朝井閑右衛門展』に寄せて- 2023年8月7日
牧野信一と朝井閑右衛門、そして MAY
牧野信一の遺稿の一つに「或るハイカーの記」という小品があり、その一節は下記のようである。
『…わたしは湘南電車(品川発)を浦賀の一つ手前の馬堀海岸で降り、先ず観音崎の一周を試みようと思い立ったのである…』
今日まさにその「ハイカーの経路」に横須賀美術館があり、小田原時代に親しく関わった朝井閑右衛門氏の充実した回顧展が開催されたのです。
6月、美術館をともに訪ねたMAYさんにエッセイを寄せていただきました。
そのエッセイ・・・
牧野信一と朝井閑右衛門、そして
6月の始め、横須賀美術館を訪れた。目のまえに東京湾の青海原が広がる、まるでリゾートホテルのような美しい美術館。ここ横須賀美術館で開催されていたのが「朝井閑右衛門展」である。朝井閑右衛門は戦後に横須賀で20年ほど暮らし、晩年は鎌倉のアトリエで過ごした。閑右衛門が亡くなった後、ご遺族から約600点近くの絵画や資料が横須賀市に寄贈され、それをきっかけとして横須賀市市制100年の2007年に建設されたのが横須賀美術館であるという。
朝井閑右衛門が絵を始めた頃、小田原に移住し牧野信一と交流があったことはよく知られており、この美術館展で信一とのつながりや小田原とのつながりなど新たな発見ができればと思い訪れた。閑右衛門は、信一だけではなく、私の祖父にあたる信一の弟・牧野英二とも深く付き合いがあり、また英二を通して信一や英二の従兄弟にあたる画家牧野邦夫とも結びついていたことも知っていたので以前から興味深く感じていた人物だ。・・・・
大した文章ではありませんが
興味のある方だけ続きを・・・どうぞ
このHPを作った方とは父の紹介で知り合い
父が亡くなる前に
今後は自分の代わりに助けてやってほしいと
託されたことから始まったお付き合い
牧野の親族より(親族は殆ど先祖などに興味なし)も
牧野信一や邦夫を愛し尊敬している信一研究者
彼のおかげで牧野というものに興味を持ち
一緒にどうにかしてこの世に残したいと
共に行動を始めた次第です
会社を経営している方なので
とても忙しいと思うのですが
すごい人だな~と感謝しかありません
でもね 何故そこまで信一にハマるのかが
未だに不思議でしょうがありません
父にとっては叔父にあたる牧野信一
唯一生きていた信一を知っていたのに
あまり牧野家については語らずに
こちらからあまり聞くこともなく
亡くなってしまったのが今になって
ものすごい後悔になっています
次はこの秋に開催される
牧野邦夫絵画展に向けて動き出す予定
今日も朝からのゲリラ雨で疲れたので
ひとまず ゆっくりしようと思います
雨降って涼しくなるかと思いきや
蒸し暑さが倍増
皆さまも熱中症にはお気をつけてください
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