今年の1月30日に最初のブログを書いた。

今月の終わりで、丸6ヶ月、続いたことになる。

冬から、春、初夏。 季節が3つも変わった。

たった半年とは思えない。

ブログを始めてから、たくさんの気づきと変化があった。

こんなに、濃い半年ってなかなか無い。


もちろん、書き始めたのは6ヶ月前からではあるが、ブログとの出会いはもっと昔。

夫の葬儀の数日後、約5年前に遡る。

夫の葬儀が終わり、子供達の忌引き期間も終わり、

私は這うようにして起き、這うようにして当時高2の息子の弁当を作り、一人のリビングで

泣きながら、スマホ検索をする毎日。

最低限の家事をする以外は、本当に泣くか、検索するか。

その2択だけの日々がかなり長く続いた。

「死別」「グリーフケア」「夫の死」などのワードで来る日も、来る日も。


可哀想な夫の魂を、救う方法はないのか。

いや、死者を生き返らせる方法は?

うちの人はまだ死んで間もない。もしかしたら、まだ間に合うかも知れない。

選択を間違えたところまで戻ればやり直しがきくかも知れない。

そして、私自身の粉々に砕けそうな傷ついた魂の癒やし方は?


このまま生きるべき?

それとも、夫の側に行くべき?

一日中、日が暮れても灯り一つ灯さず、薄暗い部屋の中で、

まるで、幽霊のように佇む日々。


時折、おっかなびっくりのていで、様子伺いの電話が実家からかかってくるだけ。

ここに、息も絶え絶えになった一つの命があるのに、

誰も、助けにきてくれない。

誰も、気づいてくれない。

このまま、私は死ぬ。


そのような日々の中で、唯一癒しと言うか、

自分から求めてできた行動が、「死別」ブログを読む事だった。

アメブロはもちろんの事、他の様々な媒体のものも。

発狂する3歩ほど手前の、当時の私の心を惹きつけたのは

医者の言葉でもなく、神の啓示でもなく、スピリチュアルの書物でもなく、

私と同じ、普通の人たちが綴った闘病の記録、死別の記録、悲しみと慟哭の記録。

ただ、そこにお金の匂いがすると、一気に冷めた。


赤裸々に綴られた、それらのブログを読むことだけが、

当時の私にできた、能動的行為だった。

今よりもっと、SNS音痴だった私は自分のアカウントすら持たず、

本当の読み逃げw

あれほど、世話になっておきながら、いいねを押すこともなく。

ごめんなさい、、、ブロガーの皆さん。

自分が書くようになって、いいねが励みになることが、よーく分かりましたw


だから、自分が少し元気になった時、書きたいと思った。

そこに、深い理由は無い。

誰かの為にとか、何かを求めてとか、そんな打算は一つもなく。

ただ、書きたい。

当時の私が読みたかったようなものを。書きたい。

当時の私が書きたかったものを。 書きたい。


いざ書き始めると、それは私にとっては避けて通ることのできない

『喪の作業』だった事に気づいた。

少し出会うのが遅かったが、私にとっては不可欠な喪の作業だったのだ。


そして、少しずつ私の記事が好きと言ってくれる方が応援してくださるようになった。

「シャンプーさんの書く文章は、正直に本音で書かれてて面白い」

そんな感想を頂くようになった。

とてもとてもとても嬉しかった。


いいことも、悪いことも、飾らず本音を書こう。

これだけが、ブログを書くに於いての私のポリシーだった。


素人が、小手先で嘘を書いてもバレる。

面白くない。見る人が見れば、読む人が読めば、わかる。

大人の洞察力を舐めてはいけない。

だから、上記のようなメッセージを頂いた時は、あぁ分かる人には伝わってる…と、凄く嬉しかった。


ただ、私のような初心者が躓くのが、『忖度問題』

完全にコメント欄を閉じて、いいねも閉じて、自身も他のブログに訪問しない。

そこまで徹底すれば別だが、ブログと言えどもSNSの一つ。

他者とのコミュニケーションが生まれる。

ましてや、同じカテゴリーの中なんて、クラスメイトか?ってくらいの狭さ。


そんな中で、これを書いたらあの人はどう思うか、

これを書いたらこの人の機嫌を損ねるんじゃないか。。。

そんなことばかり気にしていたら、何も書けなくなる。

本当に無難なつまらない事しか、書けなくなる。


日本人の大好きな、同調圧力。

空気を読む。 忖度。

糞食らえ。


自分の解放と、再生の為に書いている。

私の書く事による、喪の作業が、どこかで読んでくださる方の喪の作業にもなる。

5年前の自分のような人に読んで欲しい。

こんなあり得へん地獄の時間を過ごした人が自分以外にもいる事を知って欲しい。

そして、だんだんと元気になって行く様も見て欲しい。

それが1番大事。


アンチを気にしたり、狭い村社会の人間関係を気にしたりとか、、、

私にはそれは要らない。

そういうの、現実社会だけで、十分。

誤解の無きよう言っておきたいが、仲良くしてくださるブロ友さん達は、大好きだし、大歓迎❤️なのだが、

ごちゃごちゃ、ぐちゃぐちゃした複雑な人間関係がノーサンキューってこと。

誰の目も気にせず、自由に書きたい。

こんなことを、わざわざ書くところが、もう小心者よねw

気にしない人は、全く忖度してない。 羨ましい、その性格。


私の性格的には、悪いこと、よくないことを書くのは簡単で、

良いこと、嬉しいことを書くのは苦手。

なぜなら、浅はかな自慢ととられる事が怖いから。


こんなところで、せこいマウント取って、悦に入ってる、、、という人間だと思われたくない、、、

という、変に拗れた自意識が働くのだ。

なので、私にとって良いことを書くのは、今もっても苦手だ。


でも、それを改めようと思ってる。

良いことも、悪いことも、真実は一つ。

例えば、ロマンス詐欺に引っかかりそうになったような恥ずかしい事も、

シングルマザーの割にはお金に困ってない幸せな事も、

どちらも、本当のことだから、しょうがない。

今後は話を展開していく上で、不自然に隠し立てしない事にしようと思った。


これからも、私の本音で書く記事が、面白くて、癒しになって好き、、、と言ってくれる

読者の方の方をひたすら向いて書いていきたい。


って、君へ、、、、、、なんて言っときながら、自分への決意表明みたいになっちゃってごめんなさい。w

次回は、初めの頃には記事にしないと決めていた、ちょっとした秘密を書こうと思います。ふふ。


そうそう、ひっそりとですが、前記事がアメトピに掲載されたようです。ありがとうございます。

盲腸、恋バナ、ロバ女、就活の話、、、ああんアメトピに載った記事とかいって下に貼り付けたいのに〜

誰か教えて〜、人気ブロガーHA○○K Iちゃん教えて〜〜w



またしても、載せる写真がないので、「ホントはやりたくないけど〜(中略)〜無理矢理皆さんに閲覧させるシリーズ」です。

映えないメニューですが。 蓮根の鰻蒲焼もどき、ブリの照り焼き、さつま芋のお味噌汁。

高野山の宿坊で、昔頂いた、精進料理の鰻蒲焼もどきが凄く美味しくて。

それを真似て作っています。 これに大葉があれば完璧なのに。




















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