夫が余命宣告を受けて
短い夏を闘って
秋風が爽やかな秋の初めに旅立って。
 

夫の闘病中の事はハッキリ覚えているのに、
死後の記憶は、あまり鮮明ではないのだけど
当時、七回忌を迎える頃にどうしているかなんて
先が長すぎて、想像もできなかった。
 
こんなに辛い、息さえするのが辛い
こんな日々をひたすら重ねて5年も6年も
生きていけるもんか。
 
できれば、一刻も早く自分だってこの世から
消えたいのに、卒業したいのに、
ひとりぼっちになって、生き恥を晒すかのように
そんな、何年も何年も生きていけるものか。
 
 
なんだか、そんな事を考えていた気がする。

 
一日、一日をやり過ごすだけで精一杯。
 
一年後の事さえ考えられないのに六年も先の事なんて
考えられる訳がない。
 

あるいは、今はこんなに苦しいけれど、
六年も先なら、もしかして私、すっかり
すっかり元気になっているかも知れない。
 

まるで記憶喪失にでもなったかのように
夫との死別のことなんて
遠い遠い昔のことよ、、、って笑って言えて
 

もしかしたら、新しく出会った人と再婚なんかしたりして
今の自分からは想像もつかない、第二の人生
リ・スタートをしているかも知れない、、
 
そんな突拍子もない空想?妄想?したりもした。
 


そのくらい六年間という私にとっては膨大な時間
長い長い時間の経過後に何が待っているか、
自分がどう変化しているか、
まるで見当もつかなかった。
 
 
そして、実際に今現在、5年と10ヶ月が経った。
6度目のお盆を迎えている。
 
死別後の人生、時間の使い方は人それぞれで
前述のように、ガラリと生き方が変わる人
例えば、住む所、仕事、付き合う友人、側にいる大切な人まで
何もかもが大きく変わる人。
 
反対に、ほとんど死別直後と何も変化せず、
亡き人への想いを抱いたまま、悲嘆に時々暮れながら
同じ暮らしを続ける人。
 
どちらも、死別者の愛すべき人生で、
どちらが良いとか悪いとか
どちらが軽いとか重いとか
そういうことでは、一切無い。
どちらも、正解。

 
では、私、シャンプーは、実際のところどうなんだ。
 
 
本来の私の性格では、
明らかに前者を選択する、
同じところに居たくない、前へ前へ進みたい
よく言えばエネルギッシュ
悪く言えば、向こう見ず、なところがあるので
 
願望としては、
6年もの猶予をもらえれば
シャキッと別人のように生まれ変わる
そんな生き方がしたかった。
 
 
でも、全然違った。
まるで、違った。
全く動けなかった。
 
ものすごいダメージだった。
 
経験した人しかわからない、物凄いダメージ。
 
その人の根っこから、根底から、
アイデンティティも、自信も自尊心も、気力も欲望も
本当に何もかも、
人として備わっている凡ゆる感情を全て
ぐちゃぐちゃにして奪い去って行く
 
まるで、日本列島に最近頻発する地震の如く。
 
なので、6年間の歳月では、
私は足りなかった。
別人のように変われて生き生きと日々を暮らす、、、
それには、到底なれなかった。
 
 
でも、かと言って
ずーっと同じ場所でうずくまって
ほぼ同じ暮らしを営んでいるのか、、、
と言うと、それもちょっと違う。
 
やはり、いつまでもいつまでも、悲嘆に暮れて
同じところで鬱々とはしていたくない、、
前述の後者のように死ぬまでそんな状態は、私は嫌だ。
 
人より、そんな気持ちが湧き起こるのが
少し遅かったかもしれないが
ゆっくりゆっくりリ・スタートの準備を整えた、、と言うのが現状だ。
 
 
前にも少し書いたように、
私の場合は、6年かけてようやくスタートラインに並んだ。
『人生の折り返し、夫が居なくなってしまった世界で、ヤケクソにならずに
ちゃんと自分の人生を愛して生きる』
そんなスタートラインに、やっと立てた。
 
「遅っ!」なんて言わないで。笑
たしかに遅いけど。

 
先日、友達に、
「私、ここまで来るのに6年近くも無駄にして。
どうせなら、もっと早く、1年でも早く色々なこと
動き出せば良かった、、、って後悔してるのよ。例えば職探しとか。」
とボヤいたところ、
 
「いやいや、シャンプーちゃんにとっては、やっぱり
このくらいの時間的猶予が必要だったのよ。
死別直ぐも、コロナの頃も、マジであなた、ダメダメだったから」
と言われた。
 

 
夫の葬儀直後の頃、
私の母がポロッとこぼした一言が、
今も印象に残ってる。
「ああ、50代に入って直ぐに夫を亡くして、、、。
この子のこの先10年は、きっとダメね。
60くらいになったら、少しは元気も出るかしら…」
 
 
すごい台詞。
実の親子ならでは、というか。
面と向かって、他人には絶対言えない台詞。笑
 
経験もないのに、凄いことに言うなーって当時思ったけど、
あながち間違ってもいなかった。
 
でもね、お母さんの見積もりより、4年も早く
元気になって来たよ。
 

そう、何が言いたいかというと
めちゃくちゃポジティブシンキングの人にも、
めちゃくちゃネガティヴシンキングの人にも、
必ず、変化は訪れるって事。
 
想定内で、僅かに変化する人。
思っても見ない程に、激変する人。
私はどっち?
 
うーーーん。
激変まではいかないけど、かなりの変化。
六年前の自分が想像しただろうか、、、、、というレベル。
 
結婚前は無邪気で奔放でも、
結婚して家庭に入り(この表現が既に古い、前世代的)
子を持ってしまうと、とてもとても保守的になる。
無意識に、良妻賢母、良き妻良き母を目指してしまう。
 
そうこうするうち夫が亡くなり
保守的な妻は、途方に暮れる。
こうあるべき
こうするべき
未亡人は、余生をこんな風に生きるべき。
 
私は保守的な鎧を着たままの時
悲嘆から抜け出すことが出来ず、とても苦しかった。
 
このままは嫌。
私は50代。
若い子から見れば立派なおばさんだけど、
腰の曲がった白髪の老婆じゃない
 
白髪の老婆の様に、嘆きながらお迎えを待つだけは嫌。
いや。いや。
いやだ。

 
未就学児の乳歯が自然に抜けて、永久歯に生え変わるように
私の内から、自然に沸き上がった、変わりたい気持ち。
 
遅すぎるかなあ、、
いや、人生に遅すぎるということは無い、、
 
そんな自己問答を繰り返しながら、
自分の声に耳を傾けて、一枚一枚保守的な鎧を、今脱ぎ捨てているところ。
 
多分だけど、間違った方向には進んでないと思う。
 

心細くてさみしい
それは、本当のこと。
夫が天国に行ってしまったんだもの
悲しくて心細くて、めちゃくちゃさみしいのは
当たり前。
 
今でも、秒で泣ける。
特に闘病中の事を、思い出したり
何気ない幸せだった瞬間を思い出せば
六年前経っても、秒で泣ける。
 

でも、私は今、心のままに生きられる。

保守的鎧を脱いで、自由に自由に。
 
そう考えるようになったら、
とても楽になった。
少し元気になって、前向きな気持ちになった。

 
もしも夫の魂が、このお盆に帰って来て
私の様子を見て
私の考えを聞いてくれたら、
きっと、喜んでくれると思うんだけどなあ。
 


 
もう少し書きたいことがあるので、
②に続きます




我が家の盆飾りは、これだけ。

気に入った盆提灯が無くて買いそびれ

生まれ育った地元では、迎え火の習慣も無かったので、やりません。

(このビール型の蝋燭、持ってる人多いですね)


あとは、ほんとは綺麗な蓮の花を飾りたいです。

どうしてかって事は②で書きますね。


 



 



 
 
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