まず最初に京都国際高校の甲子園出場自体だが、これについて問題視したり抗議する人間がいるが、嫌韓ネット保守の自分としては非常に気持ちは分かるが法的には当然問題は無い。所謂朝鮮学校が各種学校であり金体制を賛美する間違った教育をしているという点で補助金等が受けられないのは当然なのだが、京都国際高校自体は一条校の認定を受けているので、出場自体まで批判する事は出来ない。
次に韓国語の校歌について、「日本にある学校なら日本語の校歌を作れ!」とこれまた嫌韓ネット保守の自分も全く同じ気持ちの抗議があるが、これも微妙な部分である。何故かと言えば少しネット検索した所、英語の歌詞が多分に含まれる校歌が数校見つかった。特に名古屋のある高校の歌詞はかなり英語の比率が高い。英語が良くて韓国語が駄目とは気持ちは分かるが言い難い。
問題は東海だけじゃない、「渡来人史観」!
京都国際高校の校歌の歌詞
東海(トンヘパダ)を渡りし大和の地は
偉大な祖先 古の夢の場所
朝な夕なに体と徳を磨く
我らのふるさと 韓国の学び舎
この歌詞について東海を東の海、韓国の学校を、韓日の学び舎に改編した歌詞を「高校自体がTV局に提出して来た」として嫌韓・親韓双方から批判が上がっている。
つまり嫌韓は「東海隠しだケシカラン」と言い、親韓左翼学者などは「日本の保守嫌韓世論に迎合するな」と怒っている訳である。どうも学校自体がこの歌詞に強い拘りがある様に見えないから、将来校歌を変える端緒として、自ら改変歌詞を提出した事は良い事ではないかと思うが。堂々と「東海の何が悪いんだ!!」とか開き直るよりはマシ。
しかし本当の問題はそこでは無い。
本当の問題個所は、
東海(トンヘパダ)を渡りし大和の地は
偉大な祖先 古の夢の場所
↑この部分である。これを一般的に(?)戦後に日本に渡って来た在日韓国朝鮮人の来歴を表現しているとする解釈があるが、それだと 古(いにしえ)は変であろう。やはりそれは「渡来人史観」で「大和の地には古に渡来人が多い」もしくは「大和の地は古に渡来人が作った」かどちらかと解釈が成り立つと思われる。
残念ながら一番ではどちらと断定する判断材料は無い。(4番まであるらしいが……)
そしてそれは「渡来人と在日韓国朝鮮人は同じ存在である」という思想と一致する物と思われる。しかしながら以前から書いている通り渡来人と在日韓国朝鮮人は構成も来歴も全く違う物であり、その正当性に政治利用する事は校歌として大変問題があると言わざるを得ない。
そして自分が感じるのは、この校歌と「SEEDキム・ヤマト思想」との共通性である。
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