”中学受験は親子共闘”と私は常日頃言っています。
お母さんはまさにマネージャーですよね。塾への送り迎えをしたり、勉強の計画を立てたり、盛り上げるために様々に企画したり、叱咤したり、激励したり。まあお母さんがメインの入試とも言えたりしますかね。
これは仕方ないでしょう。成熟度の低い子供であれば、お母さんのサポートがmustになってしまいます。初めての受験ですし、勉強すること自体が初体験でもありますからね。
でも、そうしたサポート態勢は、ずっと続けていくわけにもいかないものです。中学に入っても全面支援を継続する御家庭もあります。大学受験でもお母さまがマネージャーになることもあります。
しかし、大学に入ったらどうでしょう。そこでも執事を続けるでしょうか。就職活動はどうでしょう。就職してからは・・・。もうお母さまは子供より先には死ねません。
そもそも受験でも、自分の考え方で進めていかないと、ベストのものにはなりません。お母様は本人の状況について、完全には把握することができないのですから。スコアが良いか悪いかは分かっても、それ以上のことは分からないですから。
そのことについて、先日気が付いたことがありました。
南山女子の生徒を指導していたときのことです。その生徒の指導は私は1回しかしていません。ただ、その生徒から受ける印象が他の生徒のものとは異なったのですよね。
質問の内容が他の生徒のものとは違いました。通常であれば、問題の解法を尋ねられるのが質問です。普段幾太郎が受ける質問内容の90%は解法を教えてほしいというものです。しかし、その生徒の質問内容は違いました。その問題が何を意味しているのかを質問してきたのです。方法論ではなく本質を知ってしまいたいということです。質問内容に関してはうまく説明できないのですが、今までの指導経験で同様の質問を受けたことはかなり稀でした。
数学は内容の本質を知ってしまえば、後は自走することができます。
勉強は教えてもらわないとできないものである・・・それは一般人の考え方。
学問は自分で考えてやるものである・・・それ故に南女。
いつ頃から彼女がそういった考え方になっていったのか・・・親御様の教育方針なのか南女の校風に育てられたのか、それは分からないのですが。
未来に向かって自分で生きていける気持ちを育成していきたいと、私は思っているのですよね。
おそらく早い段階から、勉強や生活を自分で組み立てていこうとする意識があったのでしょう。自調自考を掲げる学校もありますが、自分の道は自分で考えて見出さないと、進んではいけませんものね。
中学受験の問題にも、その辺りのメッセージを感じることはあります。上位校の問題からは、自調自考を進めることが可能な能力を判定する意図がくみ取れたりするのですよね。
そうでないと・・・医学部にはいけるかもしれないけれど、その後大丈夫でしょうか?
そうでないと・・・東大にはいけるかもしれないけれど、就職できますか?
いくた